十五話 睡眠はワカメ体操
「……うーん、どれどれ」
エカリート先生の視線を背中に感じながら、俺は「D級」と書かれた古い魔導書をパラパラとめくった。
だが——期待に胸を膨らませていた俺は、すぐに肩の力が抜けるのを感じた。
(……あれ? 攻撃魔法、全然なくないか……?)
ばーっと目を通してみても、載っているのは「水を少し温める」「小さな明かりを灯す」「風を起こして埃を払う」といった、日常の利便性に重きを置いたものばかり。敵をドカンと吹き飛ばすような華々しい攻撃魔法なんて、片手で数えるほどしかなかったのだ。
(なんか……拍子抜けだな。D級ってこんなもんか?)
疑問に思って隣の棚にあった厚い魔法理論の本を開いてみると、そこにはこの世界の「残酷な現実」が記されていた。
——【そもそも人間は生まれながらに全員が魔力を宿しているが、その七割以上はごく僅かな量しか持たない。そのため、一般的な人間は最低階級であるE級魔法すら発動させることができない】——
「……あ」
思わず声が出そうになった。
(そうか……俺やエリカ基準で考えてたけど、普通の人からしたらE級やD級ですら『選ばれた者しか使えない高等技術』なんだ……)
だからこそ、D級の魔導書には「攻撃」なんて物騒なものよりも、限られた魔力持ちが生活を便利にするための呪文が優先して記載されているのだ。
さらに読み進めると、軍隊や騎士団の構造についても腑に落ちた。
(今まで『なんでみんな魔法を使わずに剣で戦う近距離騎士と、一部の遠距離騎士に分かれてるんだろう?』って疑問だったけど……使わないんじゃない。『使えない』んだ!)
魔力が少ない大半の人間は剣を取って近距離騎士になるしかなく、僅かに魔力がある者が弓や補助魔法を使う遠距離騎士になる。そしてC級以上の魔力を溜め込めるやつなんて、国や大貴族のトップ層くらいしか存在しない。
D級の魔導書を懐に忍び込ませ、俺は静かに図書館を後にした。
自室に戻ると、まずは固まった身体を解体するように「ワカメ体操」を開始する。ゆらゆらと身体を脱力させて揺らし、全身の血巡りとともに馴染ませていく。
体操を終えると、そのままベッドに横たわった。
ショートスリーパーの俺にとって、体感でちょうど30分。すっと意識を落とし、アラームなど使わずとも自然とすっきり目を覚ました。
——そして朝。
朝の陽光が城を照らす中、俺はいつもの訓練場へと向かった。
朝の訓練で剣を振るうたび、俺は自分の「才能のなさ」を嫌というほど痛感していた。
大剣どころか普通の長剣すら、どうにも手に馴染まない。筋力や体幹の問題というより、剣術のセンスが決定的に欠落しているのだ。
(くそっ……剣はまるでダメか……)
思い悩んだ俺は、その日の訓練後、カイロ様のもとへ相談しに行った。
「カイロ様……俺、やっぱり剣の才能がさっぱり無いみたいなんです」
俺の悩みを聞いたカイロ様は、呆れるでもなく、顎を擦りながら俺の体格と動きをまじまじと見つめた。
「まあ、誰にでも向き不向きはあるさ。お前は素押しで打ち合うタイプじゃねえ。……そうだ、短剣に変えてみたらどうだ?」
そう言うと、カイロ様は自分の私物の中から、脚のホルダーに装着できる小ぶりな短剣を2本取り出し、俺に手渡してくれた。
よく見ると、柄と刀身の境目に小さな石のようなものが埋め込まれている。
「カイロ様、この石は……?」
「ああ、そいつは『魔石』だ。流した魔力の威力をほんの少し底上げしてくれる、魔術師向けの短剣なんだよ。まあ俺の愛刀みたいに、高級な赤い魔石をまるまる削り出して作った業物、威力1.5倍&頑丈とは比べものにならんがな」
そう言って腰の赤い大剣をニヤリと撫でるカイロ様。
(1.5倍&超耐久か……めちゃくちゃいいな、カイロ様の赤い剣……!)
羨ましさはあったが、手の中の2本の短剣も十分に凄かった。
足元に忍ばせ、流した魔力を刃に乗せて繰り出すイメージを試してみると、驚くほど手になじむ。
(これなら……魔法と物理の二刀流で十分に戦える!)
それからの1ヶ月間は、まさに怒涛の勢いで過ぎ去っていった。
この1ヶ月で、俺が扱える魔法は『花』『音』『土』『風』、そして新たに習得した『炎』の5系統にまで広がっていた。
炎魔法を教えてくれたのは、相変わらず頼りになるカイロ様だ。
火を出すこと自体は意外と簡単だったが、威力の加減が難しく感覚頼りになりがちだった。だが、カイロ様からもらった魔石付きの短剣を通し、刃の先に小さな魔法陣を描くように発動させると、火力のコントロールが格段に安定し、わずかに威力も増すことに気づいた。
そこからは早かった。短剣を使う先輩騎士に身のこなしを教えてもらい、「魔法を飛ばして牽制しながら、短剣二刀流で一気に距離を詰める」という俺だけの近接・遠距離ハイブリッドスタイルが完全に確立された。
(……まあ、魔法を武器に乗せて戦うのはフィンの短剣版みたいでちょっと胸糞悪いが、短剣の二刀流+魔法の連射だ。客観的に見ても、今の俺って相当最強なんじゃないか?)
自信を深めた俺は、祭典を翌日に控えた夜、エリカの部屋を訪れた。
部屋に入ると、エリカは明日散布する「花模様の粉」の最終チェックを行っていた。
この1ヶ月のトレーニングの成果は目覚ましく、今では魔法の失敗など皆無。城内での彼女に対する評価はガラリと変わっていた。
「最近、城の兵士たちの間でも『次の後継者はやっぱりエリカ様に戻すべきだ』なんて噂が流れてるぞ」
「えっ……本当ですか……? なんだか、夢みたいです」
エリカは照れくさそうに微笑む。娘の劇的な覚醒と周囲の絶賛を受けて、あのクソババア(王妃)も近頃は機嫌が良いらしい。自分の都合しか考えていない現金なババアだ。
「そういえばさ、エリカ。祭典の日は城下町も祭り騒ぎになるらしいな」
「ええ、街じゅうで露店が出て、夜までとっても賑やかになるそうですよ」
「俺、召喚されてから一度も城の外に出たことないんだよな。……だからさ、明日の祭典が無事に終わったら、一緒に城下町に行かないか?」
「ふぇ……っ!? 私と、小輔さんが……二人で……!?」
一瞬真っ赤になってフリーズしたエリカだったが、照れを隠すように小さく咳払いをすると、嬉しそうに胸の前で手を握り締めた。
「身分がバレると大変ですから……フードをかぶって、変装して行きましょうね! お約束です!」
「おう、約束な!」
デートの約束を取り付け、自室に戻った俺の胸は高鳴っていた。
明日は一体どんなドレス姿でエリカが儀式に臨むのだろう。想像するだけでワクワクが止まらない。
俺はいつものようにゆらゆらと「ワカメ体操」で全身の魔力を循環させると、ベッドに横たわり体感でピッタリ30分の睡眠に入った。




