十二話 睡眠は安堵
「……へぇ。姉上の新しい護衛かい? 力を見せてもらうよ」
小輔が広場の中央に立つと、ベランダから見下ろしていた王とあのヒステリックババア(王妃)が、その実力を見定めるように身を乗り出した。
(くそっ、上からも見られてんのかよ……! だが普通に戦ったら一秒で終わる。勝つには——不意打ちと汚い手しかない!)
「いくよ!」とフィン王子が間合いを詰めてきた、その瞬間。
小輔は腹の底から、人間の限界を超えたキーキー音のような超高音の叫び声を音の魔法で指向性を絞り、フィン王子の耳元へ直接叩きつけた。
「悪魔【シャルフ】——大気と振動を司る者よ、その威光を示し声を遠くまで届かせよ——名は、峰小輔!」
「——〜〜〜〜ッッッ!!?」
凄まじい超高音の衝撃波に、フィン王子が悲鳴を上げて思わず両耳を強く塞ぐ。
(今だッ!!)
視界と集中が切れた一瞬を逃さず、小輔はさっきフィン王子が使っていた土魔法の詠唱を叫んだ。
「悪魔【レーム】——泥土と砂塵を司る者よ、その威光を示し視界を奪う刃となれ——名は、峰小輔!」
飛び散った土塊と砂がフィン王子の目を正確に潰す。完全に対処が遅れた隙を見逃さず、小輔は両手で固く握りしめた木剣を——振りかぶった!
ガキィンッ! ガンッ! ドカァッ!!
「うおおおおおおッッ!!」
綺麗な剣術など一切なし。泥臭く、なりふり構わず、小輔は木剣でフィン王子の体に何度も何度も叩きつけた。あまりの力任せな連続打撃に、広場中が息をのむ。
「……ッ、この……無礼者がぁぁッ!!!」
生まれて初めてこんな屈辱的な打撃を受けたフィン王子が、ブチ切れた。
全身の魔力を狂暴に膨れ上がらせ、目を見開いて右手を掲げる。それは広場はおろか、ベランダにいる王や王妃までも巻き込みかねない破滅的な大魔法の予兆だった。
「しまっ……フィン! やめよ、冷静になれ!!」
ベランダの王が青ざめ、焦りの声を上げる。
「ダメだ……一度感情を爆発させたあの状態のフィンは、誰にも止められん……ッ!」
終わりだ。広場に絶望が立ち込めた。
フィン王子が憤怒に満ちた表情で、決定的な呪文を唱え始める。
「悪魔【レーム】——」
その瞬間。
可憐な少女の凛とした声が、静かに広場に響いた。
「悪魔【シャルフ】——大気と振動を司る者よ、その威光を示し声を遠くまで届かせよ——名は、エリカ・ファング!」
——スッ……
次の瞬間、世界から一切の「音」が消え去った。
「……!? ……っ! ……っ!?」
フィン王子がいくら口をパクパクと動かしても、呪文の音波が空気の相殺によって完全に打ち消され、言葉として存在しない。
声が出ない=詠唱が完成しない。膨らみかけていた暴走魔力は、魔法の形を成すことなく、霧散するように空気中に溶けて消えていった。
「……え?」
「な……魔法が、発動しなかった……?」
無音状態が解除された瞬間、騎士たちが騒然となる。
ベランダの王は目を見開き、あのヒステリックババアに至っては開いた口が塞がらない様子でエリカを凝視していた。
「あいつ……一人でフィンの暴走を止めたのか……?」
「いまの魔法は一体なんだ……!?」
広場に集まっていた全員が驚きを隠せていなかった。
先ほどまで暴走していたフィン王子は、何が起きたのか全く理解できず、呆然としたまま手にした木剣を乱暴に地面へ投げつけた。
その静寂を破るように、エリカが肩で激しく息を荒げながら、こちらへ駆け寄ってきた。
「小輔のバカ! 勝手にやられそうにならないでよ!!」
瞳に大きな涙を溜めたエリカは、両手で交互にポカポカと俺の胸を叩いてきた。強い魔法を使ったことと、俺が死にかけた恐怖で全身を震わせている。
「痛たた……ごめんって、エリカ」
俺は苦笑しながら、その小さく震える拳を受け止めた。
「……でもさ、やっと『様』呼びをやめてくれたな。なんだかずっと変な感じがしてたし、こうやって敬語をやめて話してくれたことの方が、俺は嬉しいよ」
「っ……! 冗談言ってる場合じゃないでしょ……!」
赤くなった顔を背けながらも、叩く手を止めたエリカ。
フィン王子の圧巻の強さや王城の歪んだ空気間に押し潰されそうになっていた俺の心は、彼女のこの素の感情に、ほんの少し救われた気がした。
「本日の百人組手はここまでとし、中止とする。みな、解散して休め」
王の威厳ある声が響き、騎士たちは騒然とした雰囲気を残したまま、それぞれバラバラに解散していった。プライドを打ち砕かれたフィン王子は、いつの間にかどこかへ姿を消している。
すると、あのクソババアが優雅な足取りでエリカへと近づいてきた。
その顔には、先ほどまでの冷酷な蔑みなど最初からなかったかのような、ねっとりとした笑みが張り付いている。
「あなた……今のあの魔法は一体何? やはりエリカ、あなたは、やればできる子だとわたしは信じていたわ! あのフィンの魔法を止めてしまうなんて……素晴らしいわ」
「っ……あ、……」
急に猫なで声で手のひらを返してきた母親に対し、エリカは冷や汗を流しながら引きつった笑みを浮かべることしかできない。
(……どの口が言ってんだ、あのクソババア……!)
隣に立つ俺は、必死に憤りを押し殺しながらババアを睨みつけた。
今までエリカを散々「役立たず」と責め立て、部屋に閉じ込めて冷遇してきたくせに、利用価値があると分かった瞬間にこれだ。エリカを本気で愛しているのではなく、単に「フィン王子に対抗できる優秀な駒」としてしか見ていないのが透けて見えて反吐が出る。
「申し訳ありません、母様」
擦り寄ってきたババアに対し、エリカは凛とした声で毅然と言い放った。
「本日の訓練で酷く疲労しております。……これにて失礼し、自室へ戻らせていただきます」
「……そう。なら無理は言わないわ。ゆっくりお休みなさい」
一瞬だけ不快そうに眉をひそめたババアだったが、すぐに貼り付けたような笑顔に戻り、優雅に去っていった。
ババアの背中を見送り、長かった16時からの訓練が幕を閉じた。
18時を回り、夕闇が静かに王城を包み込んでいく。
「……はぁ、疲れた……」
自室のドアを閉めた瞬間、エリカは緊張の糸が切れたように深く息を吐き出したのだった




