十話 睡眠はノイズキャンセリング
エリカの書類仕事が無事に終わると、次は魔法の練習の時間らしい。なんでも専属の教師がついて教えてくれるのだそうだ。
ちなみに俺のスケジュールは、15時から夕飯を食べて、16時から18時まで魔術騎士の午後の訓練に戻る流れになっている。他の騎士たちもそれぞれ持ち場の仕事を終えて、夕方の訓練に集まる予定だ。
(……それまでの間、しっかりエリカの護衛兼サポートをこなすとしますか)
魔法の練習といえば朝の殺伐とした広場で行うのかと思いきや、連れ出されたのは城の奥にある静かな専用の庭園だった。色鮮やかな花々が咲き誇るその場所に、一人の人物がポツンと佇んでいる。
……高齢の女性だ。
「……なぁエリカ。魔法の教師っていつ来るんだ?」
俺が首を傾げながら尋ねると、エリカは誇らしげにそのおばあちゃんを指さした。
「もう目の前にいらっしゃいますよ。この方が私の専属教師、エカリート先生です!」
「……え?」
思わず二度見した。
マジで言ってるのか……?
目は白濁していてほとんど見えていなさそうだし、腰に至っては見事なまでに90度曲がっている。杖にすがって体を支えている状態だぞ。
(おいおい大丈夫かよ……? 魔法を放つ前に、うっかり腰でも砕けたりしないだろうな……?)
目の前のおばあちゃん先生のあまりの不穏なビジュアルに、俺は心の中で激しくツッコミを入れずにはいられなかった。
「あの……小輔様。エカリート先生って、普段からあまり喋らない方なんです。魔法の練習も私が一人で本を読んで学んでいて、先生は何かあった時に対応できるよう、こうして見守ってくださっているだけで……。実は私、一度も先生が魔法を使っているところを見たことがないんです」
エリカが俺の耳元に口を寄せて、小さな声でこっそり教えてくれた。
どうやらエリカは、独学で魔術の専門書を開き、一人で詠唱しては失敗する……という手探りの練習をずっと繰り返しているらしい。
(なるほどな。実質、いないようなもんだと思って扱えばいいわけか)
放置されているエリカの健気さに少しと同情しつつも、俺にとっては好都合だった。周りの目を気にせず、二人っきりの空間として集中できる。
「よし、じゃあエリカ。本を読むのもいいけど、俺が新しい魔法のコツを試させてやるよ」
「えっ……? 小輔様が、魔法を……ですか?」
不思議そうに首を傾げるエリカに向かって、俺は自信満々にニヤリと笑ってみせた。
そういえば朝の訓練のとき、カイロが全体に向けて指示を出す声がまるでマイクを使っているみたいにバカでかかった。いくらなんでも地声であそこまで出せるはずがない。
気になって後でどうやったのか聞いてみたら、どうやら『音の悪魔シャルフ』と契約をして声を大きくしているらしかった。気になった俺はカイロに悪魔シャルフの呪文を紙に書いてもらい、朝のうちに少し練習してみたのだが……なんとなく構造がわかった。
「ちょっと見てろよ」
俺はエリカの目の前に立ち、手で小さな印を結びながら堂々と詠唱した。
「悪魔【シャルフ】——大気と振動を司る者よ、その威光を示し声を遠くまで届かせよ。名は、峰小輔!」
その瞬間、俺の口元に青白い光を放つ立体的な魔法陣が浮かび上がった。
「あーーーーーーーっ!!」
試しに声を張ってみると、まるで巨大なスピーカーを通したかのような爆音が庭園全体にズンと響き渡った。樹々の葉がカサカサと震え、鳥たちが一斉に飛び立っていく。
「きゃあぁっ!? こ、小輔様……っ!?」
エリカは思わず両耳をぎゅっと押さえ、目を丸くして跳ね上がった。
エリカは思わず両耳をぎゅっと押さえ、目を丸くして跳ね上がった。
「エリカもやってみろよ。この紙見ながらでいいからさ」
「えっ、私ですか……!? は、はい……っ!」
俺から紙を受け取ったエリカは、コホンとひとつ咳払いをして息を整えた。そして真剣な眼差しで紙を見つめ、ハッキリとした声で唱え始めた。
「悪魔【シャルフ】——大気と振動を司る者よ、その威光を示し声を遠くまで届かせよ。名は、エリカ・ファング!」
ぶわっと風が巻き起こり、エリカの口元に色鮮やかな魔法陣が浮かび上がる。
(おお、一発で成功か!?)
感心したのも束の間、エリカは何かを叫ぶように口をパクパクと動かした。
……しかし、何も聞こえない。
声どころか、風の音も、木の葉が擦れ合う音も、遠くで訓練する騎士たちの声さえも——すべてが嘘みたいに消え去っていた。
不自然なほどに、恐ろしいほどの静寂。
「……え?」
エリカは自分の声が出ていないことに気づき、目を白黒させながらあわあわと口を動かしている。(『あれ? 声が出ないよ!?』と言っているのが口の形で分かる)
俺は思わず吹き出しそうになった。
エリカは魔法を解除すると、しょんぼりと眉を下げて肩を落とした。
「……なんで何も発声できなかったんでしょう。また失敗してしまいました。どうしていつもこうなんでしょう……」
自分の無力さに落ち込むエリカ。
だが、俺は強い違和感を覚えていた。
(なにかがおかしい……)
魔法は確実に発動していた。口元にはハッキリと魔法陣が現れていたし、詠唱の文言も寸分違わず完璧だった。なのに、なぜ音だけが綺麗に消えた? 失敗で片付けるには不自然すぎる。
俺が腕を組んで思案していると——急に、ずっと後ろで佇んでいたエカリート先生がすっと歩み出てきた。
先生は一切の言葉を発することなく、無詠唱で右手に小さな『炎の玉』を作り出し、同時に左手には同等な大きさの『水の玉』を作り上げた。
そして、その二つを静かに目の前でぶつける。
ジュッ、と小さな蒸気が一瞬上がっただけで、次の瞬間には炎も水も跡形もなく消え去り、そこにはただの空気が残るだけだった。
それだけを見せると、先生は何事もなかったかのようにゆっくりと踵を返し、静かに去っていった。
「……あ」
その光景を見た瞬間、俺の頭の中で全ての謎が繋がった。
「そうか……! わかったぞエリカ……!」
「えっ……? 小輔様、何がですか……?」
「あの不自然な静けさだよ! お前は失敗したんじゃない。周りの『増幅する音波』に対して、お前の魔力が無意識に『真逆の波形』を作り出してぶつかったんだ。炎と水が打ち消し合ったみたいに、音波同士が相殺されて音が消えてたんだよ!」
「お、音波が……打ち消し合った……?」
「そうだ! つまり、ノイズキャンセリングを編み出したんだよ」
ノイズキャンセリングという聞き馴染みのない言葉に、エリカは「のいず……?」と少し首を傾げていた。
「すごいよエリカ。エリカの魔法は失敗なんかじゃなくて、しっかりと成功して他の人ができない魔法をしたんだ。理由はわからないけど」
「……っ」
俺がそう言って微笑むと、エリカはハッと目を見開き、突然その瞳に大きな涙を溜め始めた。
「……私、魔法をするといつもみんなに笑われてばかりだったのに……。……初めて、褒められました……っ」
ギュッと裾を握りしめ、ぽろぽろと涙をこぼしそうになるエリカ。
その健気で愛おしい姿に、俺の胸がキュッと締め付けられる。
(ずっと一人で、失敗作扱いされながら頑張ってきたんだな……)
俺は優しく笑うと、エリカの華奢な肩に手を置いた。
「それにしても……なんでエリカだけ声が増幅されなかったんだろうな?」
ふと気になって呟いてみる。
手順通りに完璧に詠唱したはずなのに、なぜ声が大きくなるどころか打ち消し合って無音になったのか。原因はサッパリわからない。
(まあ……結果オーライってことでいっか!)
難しい考察は一度横に置いておいて、俺はちょっと意地悪な笑みを浮かべると、目の前のエリカに向き直った。
「それにしてもさぁ、エリカは本当にすごいよな! こんな凄い魔法を一発で成功させちゃうなんて、やっぱり俺の姫様は天才なんじゃないか?」
「ふぇっ!? や、やめてください小輔様、そんな大げさな……っ!」
「大げさじゃないって! 失敗だと思って落ち込んでた顔も可愛かったけど、やっぱり才能に溢れてるエリカはもっと魅力的だなあ。本当、可愛くて頭も良くて最高の姫様だよ」
「〜〜〜〜っっっ!?」
真顔で怒涛の褒め言葉を浴びせかけると、エリカの顔は一瞬で耳の先まで真っ赤に染まった。
パニックになった彼女は、あわあわと手を振りながら必死の形相で呪文を唱え始めた。
「あっ、悪魔【シャルフ】——大気と振動を司る者よ、その威光を示し声を遠くまで届かせよ! 名は、エリカ・ファング……っ!」
(……ッ!)
次の瞬間、俺の口から出る褒め言葉が一切エリカの耳に届かなくなった。
俺の周りの音だけが、綺麗に打ち消されている。
(おいおい、覚えたてのノイズキャンセリングを照れ隠しの防御壁に使うなよ……!)
口をパクパクと動かす俺を見て、耳まで真っ赤にしたエリカが「ふふん」と勝ち誇ったように胸を張る。だが、その瞳は恥ずかしさで潤んでいて、隠しきれない萌えが溢れ出ていた。
(……はは、めちゃくちゃ楽しい練習だったな)
予期せぬ発見と、最高に甘い特訓。
15時の少し早めの夕飯に向かう道中、俺は自分の隣を歩く愛らしい姫様を眺めながら、心の中で一人ごちたのだった。




