表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生観測記  作者: スッタ
PR
4/9

1.3:蚊

飛ぶ。ただ飛ぶ。それだけなのに楽しくて仕方ない。

人間だった頃、こんな風に何も考えず動いたことがあっただろうか。

仕事、予定、連絡、失敗。いつも何かに追われていた。

今は違う。飛びたいから飛ぶ、それだけだ。


前世で「空を飛びたい」と思ったことはあった。

だが、実際に飛ぶのは想像と全然違った。

上にも下にも行ける、止まれる、曲がれる、風に乗れる。

落ちなくていい。それだけで感動していた。

「うわっ」

勢い余って反転し、慌てて体勢を戻す。危ない。でも面白い。最高じゃないか。


前を見ると、同じような影が何匹もぐるぐると回って飛んでいる。

楽しそうな仲間の輪に、俺も混ざって上がったり下がったりしてみた。

――その、瞬間だった。


空中で、がっしりと何かに捕まった。

(え?)

逃げようとするが離れない。というか、体の奥が妙に熱くてゾワゾワする。

気持ち悪い、いや、ちょっと気持ちいい。待て、何が起きてる!?


そして理解した。

(あっ……交尾だ)


「は???」とパニックになった瞬間には、すべてが終わっていた。

相手の蚊はそのままフワリと飛び去っていく。

青空の真ん中に、俺だけがポツンと取り残された。


展開早すぎるだろ。

ボウフラ、寝る、起きる、飛ぶ、交尾。情報量が多すぎて頭が追いつかない。

しばらく呆然としていたが、次なる問題がやってきた。

腹が減った。ものすごく。体が何かを求めて本能が騒ぎ出す。


夜の街を漂っていると、ふと懐かしく暖かい人間の匂いがした。

しかも、よく知っている人間。

羽を震わせて向かったマンションの一室、少しだけ開いた窓から中へ侵入したその瞬間。


「つっっっかれたぁぁぁぁぁぁ……」


聞き覚えのある声が響き、ジャージ姿の女性がソファに倒れ込んだ。

髪は適当にまとめただけ、化粧も落ちかけている。

(……誰だお前)

思わず呟く。ステージの上の姿と違いすぎる。

桜庭ミユだった。Lumiereのセンターであり、俺の元担当アイドル。


なんだその格好。というか、部屋がひどい。

ストレッチマットにダンベル、プロテイン、台本、衣装資料。その横に、食べ終わったカップ麺と食べかけのポテトチップス、空のエナジードリンク。

(アイドルとしてどうなんだ……)

もちろん声は届かない。ミユはスマホの画面を睨んでいた。

ちらりと見えたランニングアプリには『本日10.3km』の文字。

主人公は固まった。ライブまであと三週間。

だから走ったらしい。いや、十分売れてるだろ。センターだろ。なんで今さらそんなに走るんだ。


ミユはスマホを放り投げ、「足いてぇ……」とソファに沈んだ。

五秒、十秒、十五秒。動かない。死んだのかと思った。

だが突然ガバッと起き上がり、「よし!」と机へ向かう。

ノートを開き、ダンス動画とライブ映像を何度も再生しては巻き戻す。

「ここズレてるなぁ……」

ぽつりと独り言。誰も聞いていない、誰にも見られていない。それでも繰り返している。


主人公は黙った。知らなかった。いや、見ていなかった。

いつも完璧だったから、最初からできる人だと思っていた。

でも違う。ちゃんと練習して、悩んで、努力している。

ただ、マネージャーだった俺に見えていなかっただけだ。


ピコン、と通知が鳴る。仕事の連絡だ。ミユは即座に笑顔のスタンプ付きで返信する。

『了解です! 楽しみにしてます!』

送信。――一秒後、

「むりぃぃぃぃ……休みたい……」

机に突っ伏した。情緒どうなってるんだ。思わず吹き出しそうになるが、嫌な感じはしない。

むしろ泥臭くて人間らしい。


だが、彼女はまた起き上がる。SNSを開き、今日撮った写真の角度や明るさを何枚も確認して投稿した。

『今日もありがとう! みんなのおかげで頑張れました!』

満点の笑顔。

(その顔、五分前までしてなかっただろ)

ツッコミを入れつつも、不思議と少し格好いいと思った。

誰かを元気にするために、疲れていても笑う。それもプロの仕事だから。


ふと、机の端にあるファンレターの束が見えた。ミユはその中の一通を手に取る。

「受験かぁ。頑張れー」

返事は届かない。それでも、一通ずつちゃんと最後まで読んでいる。

順風満帆に見えていた彼女も、誰も見ていないところでちゃんと苦労して、ちゃんと頑張っていた。


そのとき、本能が騒いだ。飯だ。血を吸え。

分かった、うるさい。

俺はミユの首筋へ近づき、細い針を伸ばして、ぷす、と刺した。ちゅう、と血を吸い上げる。


(……あれ?)

思わず止まった。想像していた味と違う。

疲労や苦労もあるのだろう。

ただ、一つ言える、それは。

「何かドロっとする気がする」

真面目だし頑張っているのは分かる。でも、アイドルなんだから食生活も気を付けてくれよ。

「頑張りすぎるなよ」

「ラーメンだけじゃなく野菜も食べろよ」

届くはずのない言葉を、俺は小さく呟いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ