いつか 2
「何だよこの森!どこもかしこも蜘蛛の巣張りやがって。縄張り争いかよ!!頭に引っかかるんだよ!!張るとこ考えろ!!」
「ダメだよ堆紀。蜘蛛だってご飯を確保するためにやってるんだよ。しょうがないんだよ」
「うっせえな!!自然豊かなところはいいけど虫は嫌なんだよ!!」
「自然と虫は切り離せないよ」
「お前が前を歩け!!そんで全部の蜘蛛の巣を回収しろ!!」
「はいはい。わかったから落ち着いて。わ!!何だこの虫キモ!!」
向こうから堆紀と永遠のそんな会話が近づいてくる。
GPSで俺たちの場所がわかるとはいえ、こんなところまで来てくれるとは。
騒がしい限りだよ。
疲れて歩く中、ちょっと休憩していきなさいよと言わんばかりにデカい石があったので、座ってたところだ。
「あ!思水ー!白ー!」
永遠は俺たちを見て嬉しそうに駆け寄った。
堆紀はうんざりした顔だった。
片手に虫除けスプレーを持っており、自分だけじゃなくてあたりにも撒き散らしていた。
それは環境破壊では?
堆紀は俺たちを見て、俺たちに向かって無言でスプレーを吹きかけた。
「ちょ!?それ吸い込んだらまずいだろ!?」
「息とめてろ」
「かける前に言って!!」
俺と思水に虫除けスプレーをかけたあと、思水は胸を抑えてしゃがみ込んだ。
それを見て永遠がすぐに思水に駆け寄る。
「思水大丈夫!?思水は虫だったんだ!だから虫除けスプレーが効果抜群なんだ!どうしよう!!」
「吸ったなら吐け」
堆紀はそう言うが、息を吐いたって吸ったものはどうしようもないのではないだろうか。
堆紀は次に日焼け止めを鞄から取り出した。
今回は塗るタイプだったので、軽く振ったあと、思水の顔に出して、伸ばして塗ってあげてた。
とりあえず肌が見えてるところに塗ってやり、思水はその間ずっとしゃがみながら塗ってくれてるところを見ていた。
どこか遠くに行きたいのか、思水は一向に帰ろうとしない。
そういえば、俺も歩けなくなった時、自分のことを誰も知らない遠くへ行きたいと思ったことを思い出した。
そこでなら死ねる。
誰も悲しませず、心置きなく、どんな惨めな姿でも、死んで行ける。
思水はどうしてこんな誰もいない場所に来たんだろう。
同じように思ってるのか。
「思水。もう帰るぞ」
堆紀は思水の日焼け止めを塗り終え、思水の目をまっすぐに見てそう言った。
思水は堆紀の方をちゃんと見てた。
俺が何度行っても聞かなかったのに、ここで帰るって言ったらちょっと長男としての威厳が……。でもいつだって思水は堆紀の言うことは素直に聞いてたし、もう色々疲れたから、帰るって言ってくれるならそれでいいや。
「先帰ってて」
思水がそう言って、俺は全身から力が抜ける気がした。
そう簡単にはいかないようだ。
「ふざけんな!!殴られたくなかったら一緒に帰るんだよ!!お前は、はいって言えばいいんだ!!」
堆紀はそう言ったが、あまりに思水に寄り添う気がなさすぎて逆に清々しかった。
思水は堆紀を背にゆっくりと動き出した。
立つ気力がないのか、四つん這いに、でも確実に、前に進む。
「本当の」
思水の声は震えていた。
「俺に」
必死そうで
「ならないと……!」
泣いてるみたいだ。
「パパンに会えない……」
かろうじて聞き取れたその言葉は、なんて言ってやればいいのかわからなかった。
父さんはどんなお前でも受け入れる。そんな当たり前の言われる前から分かりきってる言葉がほしんじゃないんだろう。
永遠は無神経に、「じゃああっちに行こうよ!」と元気いっぱいにそう言った。
思水の首に犬のリードをつけて、永遠は「これでよし!」としっかり手綱を握っていた。
思水の人権はどうなってるんだ。
これで思水を絞殺することにならなきゃいいけど。
結局、思水は俺が背負って歩き、永遠は思水のリードを持ったまま、堆紀と手を繋いでいた。
こっそり堆紀に言われるがまま、森から家に帰る方向に歩こうとすると、思水は永遠を見て、永遠は「道間違えてますよ?」と指摘してくれるので、俺たちはしょうがなく道なき森の奥深くに進んで行った。
まじで自然豊か。
行く先は道なんてない。
舗装された道のありがたさが身にしみる。
木の根が足を引っ掛けるように伸びてるし、堆紀の服に引っかかった枝が勢いよく永遠の顔に直撃して、「わーん!!」と泣き叫ぶし、虫が虫を丸呑みする何とも言えない自然の摂理を見るし。
もう帰りたい。
ひっつき虫が服に着き放題だし、見たことない鳥たちが敵を見るような目で俺たちを凝視してるし、思水が鼻歌を歌いながら木の枝を指揮棒のように振ってるし。いや、それは別にいいけども。
草木が好き放題はえてて、蜘蛛の巣ゾーンを超えたら、知らない綺麗な花畑が広がってた。
一面開けた場所で、自然の木々に隠された秘密の花畑みたいだ。
永遠は疲れたのか静かになってた。さっきから一言も話さない。
堆紀は蜘蛛の巣ゾーンから出ておとなしくなった。ここら辺は虫が少ない。
思水は「ここだ!!」と叫んだ。急に元気になったみたいだ。
なんだ。目的があってここまで来てたのか。
そういや思水だもんな。俺とは違うか。
思水は俺の背から降りて、池の方に走って行った。
思水のリードは誰も持っていなかった。
永遠は自分の手からスルリと抜けていったそれにすら気づかないほど、顔が死んでいた。
疲れたんですね。
「ここに捨てたんだ!!ここに……」
ようやく見つかって嬉しそうだった顔から、どんどん暗くなっていく。
池を見て、あたりの花を見て、振り返って俺たちを見た。
「先に帰ってて」
思水がそう言うと、とてもおとなしくなってた堆紀のスイッチが入った。
「お前何回言わせるつもりだ!!お前を単独行動させるわけねーだろ!!何回この森に来させる気だ!!もういいんだよ蜘蛛は!!帰りに全滅させるからな!?今はお前の、「もう帰ろう」待ちなんだよこのヤロウ!!まだかよ!!!」
オンオフの切り替えが凄まじいな。
さすが役者。
「恥ずかしいんだけど」
思水がそう言った。
思水が恥ずかしがってるところなんて見たことがない。
本当にそんな感情あるのか?
「何だよ!!別に他に誰もいないんだ!裸になろうが踊り歌いまくったって気が済むなら好きにしろよ!!」
堆紀にそう言われた思水は池の淵に座り、足を池に入れた。
まるで足湯のようだ。
足を入れた先から水面が揺れて、波紋が広がる。
思水は祈るように手を組み、首を垂れていた。
ここに神様がいるみたいに、必死に祈っていた。
いや、もしかすると悪魔かもしれない。
あんなふうに祈られたら、死んだモノも何を犠牲にしても生き返らせてしまいそうだ。
水面が不自然に揺れ出した。
池の中心から水が湧き上がってくるように水が舞う。
思水は足をつけているだけで動かしていないのに。
ただ祈っているだけなのに。
さっきまで空を反射するだけの池だったのに。
なんであんなふうに水面が動く?
俺が駆け寄ろうとしたら、急に服を後ろから引っ張られているように首が苦しくなったので、グエッっと変な声を上げてしまった。
よく見ると思水についていた首輪が俺の首についている。
そしてそのリードを永遠が握っていた。
「邪魔したらダメだよ〜」
永遠はそう言った。
俺の人権はどこにいった。
そう思った心は胸にしまい、思水を見た。
水面から蝶が1羽飛び立った。
あの蝶は水で出来ている。
光に反射して、何色にでも輝く綺麗な羽。
羽ばたくと小さな水滴が落ちて、それが光を反射して輝いているように見える。
羽ばたけば羽ばたくほど、羽の水がどんどん無くなり、ついには羽がなくなり花の花弁に落ちて、ただの水滴になってしまった。
短い命みたいだ。
何だこれは。
ザバッと噴水みたいな水の舞い上がる音がして、思水のいる池の方に顔を向けた。
たくさんの蝶が池から天に舞い上がっていく。
百、二百、いやもっといるかも。
たくさんの蝶が天に向かって舞い上がっていく。
急にマイナスイオンの立ちこめる滝の前に立っているような、涼しい感じが肌を掠める。
そうとも思えば、俺たちの周りで花の蜜を吸うように、花びらで羽を休めている蝶もいれば、ゆったりと空気の流れに乗るように漂っている蝶もいる。
一羽の蝶が思水の頭の上にとまり、羽だけをひらひらと動かしていた。
思水はさっきからずっと目を瞑っていて、この光景を見てはいないだろうが、この美しい蝶たちを見ていないのは勿体無いと思った。
さっきから一体何の儀式をしているのかはわからないが、これで思水は本当の思水になれたのだろうか。
蝶は大方空高く上り、もう姿は見えないが、空が輝いているように見えた。
思水は顔を上げた。
池から足を引き上げ、濡れた足とズボンの裾で、こちらに戻ってきた。
その目はもう迷子なんかじゃなかった。
「もう帰ろ」
思水がそう言うと、俺はホッとした。
「ありがとう」
みんな徹夜。
虫の多い森の中を草木をかき分けてここに来た。
思水を背負いながら整備されていない凸凹道を歩いてきた。
いろんな体力を消耗して、ようやく帰路につける。
そんな感情が湧き立って、なぜか俺は礼を言ってしまった。
永遠は、「あの池の底にアーティファクトがあるよ。いいの?このままで」と言った。
俺はもうどうでもいいから帰ろうよ、と言いそうになったけど、回収しないとまたここに来ることになるんだろうか、とも頭をよぎった。
「いいんだよ」
堆紀は静かにそう言った。
さっきみたいな喧嘩腰な感じじゃなくて、その目は永遠の壁画のような、幾億年の星空を見ているような遠い目をしてた。
「あのアーティファクトはあのままでいいんだ」
俺にはわからなかったが、堆紀がそれでいいと言うなら、もうそうするしかない。
我が家のヒエラルキーのトップだから。
「堆紀……」
そんな堆紀を永遠は心配そうな顔で見てた。
確かにそんな顔をする気持ちはわかる。
なんか遠くまで見すぎているような、心ここになさそうな目。
そんな不安をかき消すような、風を切る音が近づいてくる。
ヘリコプターがどんどんこちらに近づいてくる。
よく見ると機体にはドクターヘリと書かれていた。
そのヘリは、俺らの上で旋回した。
高度を下げ、こちらに降りようとしている。
ヘリの音はエンジン音はうるさくて、永遠がはしゃいでいるようにヘリを見上げて叫んでいたが、何を言ってるのか全くわからなかった。
ヘリの風で、あたりの草木が揺れ、花びらが舞う。
先ほどの蝶はもうどこにもいない。
ヘリが無事着陸し、中から父さんが出てきた。
車で迎えに来ることを想定してたから、ヘリは予想外だ。
「思水!」
父さんは思水の姿を見て、嬉しそうに駆け寄った。
思水を強く抱きしめて、「良かった……!もう離さない!」と安堵していた。
思水は「パパン……でも俺……まだ……」と、不安そうな顔だった。
父さんはそんな思水の不安を吹き飛ばすような笑顔で、思水の頭を撫でた。
「いいの。思水、僕が待てないだけなんだ。いつか本当の思水になるよ。僕がその時まで待てないだけなの。例え何度自分を見失って、どんな取り返しのつかないことをしたって、どんな思水だって、僕が守ってあげるからね」
父さんの言葉に、思水は嬉しそうな顔をした。
永遠が俺の隣でムクれた顔をしてた。
「僕が守ってあげるのに!」
なんの対抗心だか、永遠が思水にそう叫んだ。
「思水はずっと僕が守ってあげるの!だって思水はずっと大丈夫だったでしょ!?僕が油断してない時以外、ちゃんとゲームばっかして遊んでたでしょ!?僕ちゃんと思水のことコントロールしてるんだよ!!僕を褒めて!!」
永遠は何を言ってるんだ。
そういえば今日(昨夜?)以外で、思水が自分を見失ったりすることは退院以来初めてだった。
たまに夜の徘徊をすることはあってもちゃんと見つかるなり、朝には帰ってきてた……。
永遠が寝てたからコントロール出来ず徘徊してたのか?
最近徘徊が全然なかったのは永遠が対策して頑張ったから?
昨日はうまくできなかったけど、ちゃんとコントロールね……。
それって人権大丈夫?
「ありがと」
思水はよくわかってなさそうに、永遠に礼を言った。
永遠は満足そうに「えっへん!」と言い、ヘリの方に走り出した。
「帰りはヘリコプターで帰るぞー!」
堆紀は永遠の後に続いて歩き出した。
「これ病院の?いいのか?こんな私用に持ち出して」
父さんは思水の肩を抱いて、一緒にヘリの方へ歩き出す。
思水はもう帰る場所は決まったようで、父さんに抱きつきながら一緒に歩き出す。
「うん。本当は車で森の手前まで来たんだけど、蜘蛛の巣が多くて入れなかったから」
その蜘蛛の巣ロードをここまで発狂しながら来た人の前で、そんなこと言わないでほしい。
俺たちの苦労をなんだと思ってるんだ。
「今度から移動手段の選択肢にヘリを入れるよ」
堆紀は低い声で父さんにそう言った。
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「思水」
気づいたら家のリビングにいた。
ママンに呼ばれた。
ソファで寝てたらしい。
堆紀兄とにーやんのブカブカの服を知らぬ間に着て、背もたれによりかかって寝てたっぽい。
この服を着た記憶もない。
なんだ?
この違和感。
今まで何してたっけ。
ママンは俺の隣に座った。
「思水の部屋を作りましょ?ゲストルームを一つリフォームして。どんな部屋にする?」
ママンがいろんな部屋の写真が載ったカタログを俺の視界に入れたけど、俺は背もたれから離れることができず、目だけ向けた。
「でも部屋にテレビを置くと、思水は部屋から一生出てこない気がするわ。ゲームはリビングでしなさいね」
「俺……」
俺?
何だっけ。
俺は何?
なんでこうしてるんだっけ。
なんかここにいると安心するような・・
でも何かを忘れてるような・・・
どうしてそう思うんだろ。
「それとも今まで通りで良い?思水が過ごしやすければそれでいいの。一人になれる部屋もあった方が良いかなって思ったんだけど」
「あのとき」
何かに満足したような。
今満ち足りてるような。
不安になる気持ちがなくて、心置きなく眠れるような。
「ママンもいた?俺……ママンに謝ったっけ……?ごめん……」
俺は言ってて何の話をしているのか自分でもわからなかった。
あの時?
ママンに謝る?
何を?
でもそれを言わなきゃいけないって、心が言ってる。
ママンは俺の言うことがわかったみたいで、笑って言った。
「気にしないで。いいのよ?また買えばいいだけなんだから。ついでに思水も一緒に買ってもらいましょ」
ママンはパパンみたいだ。
二人は違う人なのに、なんか似てる。
触れてる肩がパパンと同じで、包み込むような温かさ。
「服でしょ?フーのお布団でしょ?新しいゲームも買ってもらいましょ!お父さんは思水にお願いされたら何だって買ってくれるわよ」
ママンは、「私は服と、ネックレスとー、あと靴かしら〜」と、次々と欲しいものが浮かんでるようだった。
「お母さんと牡丹ちゃんがいなくて寂しい?」
俺の顔を覗き込んでママンはそう聞いた。
寂しい……ような、最初からいなかったような……。
でも何だろう。心に鍵がかけられてるみたいに、今は何も思わない。
「寂しくないよ」
「ごめんね。何もしてあげられなくて」
俺はびっくりした。
泊めてもらって、ご飯も食べさせてもらって、にーやんたちの服も勝手に着て、ゲームして、新作のゲームも買ってもらったのに、何も……してないなんてことあるわけない。
寝てる時だって、朝起きてママンを踏んでても文句を言われたことなんてないし、パパンは眠れずにいると背中をさすってくれたり、まるで本当の母親と父親のようだ。
母さんにさえそんなことしてもらったのは初等部の低学年が最後だった気がするのに。
「どこにいても、いつか本当になったとしても、思水は思水なのよ」
ママンの優しい笑顔はパパンの笑顔と似てる。
「そのことを忘れないで」




