第65話 三人で笑った日
ショッピングモールや映画館など、商業施設が集中している居住区B2駅前の噴水広場は、待ち合わせをする人たちで賑わっていた。午前十一時より少し前、シアラは妹のロビナと手を繋いで、楽しそうに話しながら歩いている。そして噴水前にいる待ち合わせの相手を見つけると、シアラはぱぁっと顔を輝かせた。
「レイちゃん!」
レイの名前を呼ぶと、彼女がシアラに視線を向ける。その表情からは何も読み取ることはできないが、シアラがいつも見ているレイの顔だった。だがシアラはレイが来てくれたことが嬉しく、彼女の元へと走り出す。ロビナもシアラのあとをついて走るが、レイの前に着いた途端、シアラの後ろに隠れて恥ずかしそうにもじもじと身体を動かした。
「ごめんねレイちゃん。待った?」
「ううん、二分くらい」
時計を見ずに答えたレイは、本当にきっかり二分前にここに到着していた。だがシアラは、レイが冗談を言ったかのように笑う。
「あははっ、レイちゃん細か~い!」
任務中もいつも明るいシアラだが、公休のこの日は、まるで「普通の女の子」のようだ。そのシアラの後ろに隠れてレイの様子をチラチラとうかがっているのは、いつか画面の中で見たレイと「同年代」の女性だった。シアラはロビナの背中をそっと押して、レイと対面させる。
「レイちゃん、いつか通話アプリで見たでしょ? 妹のロビナ。ロビナ、レイちゃんはね、お姉ちゃんが一緒に戦ってる班の隊員なんだよ」
「レイちゃ、ん……?」
シアラがロビナにレイを紹介すると、ロビナは首を傾げつつもレイに向けて手を差し出した。だがレイは、ロビナの手をじっと見下ろしたまま、意味がわからないという表情をしている。そこへシアラが割って入った。
「はい、ふたりとも握手して~。レイちゃん、今日はロビナのためにありがとう」
「ロビナじゃない! おねえちゃんのためだもん!」
ロビナが大声でシアラに抗議する。その幼い子どものような仕草と喋り方、見た目年齢に似合わない髪型をしたロビナに、周囲の人間が好奇の目を向けた。どこからか「かわいそう」という言葉まで聞こえてきて、シアラは急いでふたりをカフェに誘う。
「あそこでお昼にしようか。レイちゃん、まだ食べてないよね?」
「あぁ、うん」
「わぁーい、おひるおひる!」
頭の両側にシニヨンを作り、そこを子ども向けのキャラクターが付いたリボンで飾ったロビナは、両手を挙げて喜んでいる。そしてシアラに甘えるように手をつなぎ、カフェを目指して歩き出した。
レイはシアラをはさんで、ロビナと反対側を歩き出す。ロビナはシアラ超しにレイをチラチラ見ているが、初めて会う彼女の雰囲気にはまだ慣れないようだ。
シアラは飲み物とサンドイッチを三人分買い、テラス席で待つレイとロビナのところに戻った。そして改めて妹を紹介する。
「レイちゃん、いつか宿舎でパソコン超しに見たでしょ。あの時ちょっと話したけど、ロビナは先天性の脳障害があるの。だから実年齢は十九歳でも、五歳程度の知能しかないんだ。でもね、すごくやさしくて可愛い子なの。ほらロビナ、もう一度レイちゃんにご挨拶しようね」
シアラが促すと、大きな口を開けてサンドイッチにかぶりつこうとしていたロビナは、それを口の前で持ったまま、レイに向けて笑顔を見せた。レイはどういう顔をしたら良いかわからない。初対面の人間に対し、ここでは笑うべきなのか。
「ロビナです! よろしくおねがいします!」
もう一度、ロビナはレイと握手しようと手を出した。レイは今回もその手を見つめて数秒間無言のままだったが、首を傾げながらそれを握った。
「わぁっ、レイちゃんこんにちは」
さっきから一緒に行動しているのに、ロビナは今初めてレイに会ったような言い方をする。それはなぜなのか? レイには答えを導くことができず、だからといってロビナのことを理解したいという結果にもつながらなかった。だがロビナは嬉しそうに笑っている。シアラまでも。
ロビナが嬉しいとシアラも嬉しいのか。姉妹とは、家族とは一体どんな相手なのだろう。それはレイが知らないもの、知らない感情だった。
この日、六月二十四日はシアラの誕生日で、おねえちゃんが生まれた日のお祝いをしたいと、ロビナが言いだした。ロビナはラウラさんは来ないのかと無理を言う。ラウラはこの日は休みではないために来られないと告げると、それならシアラの友だちのレイに会いたいと瞳を輝かせた。シアラは早速レイを誘うために宿舎に電話を掛ける。
『あ、もしもしレイちゃん?』
『シアラ……』
『あのね、明日の公休に、一緒に出掛けない? 妹にレイちゃんを紹介したいの』
シアラにそう言われたレイはしばらく無言でいたが、淡々と答えを返してきた。シアラにとってその沈黙は、レイが迷惑に感じている表れではないかと心配になる。
『わかった。どこへ行けばいい?』
『ほんと? 嬉しい。じゃあね、地下鉄の「居住区B2駅」の噴水前で、十一時に待ち合わせしよう。楽しみにしてるね』
『じゃ、さよなら』
シアラの妹……。電話を切ったレイは、新人の入隊式の日にモニターに映っていたロビナを思い出した。人間には様々な年代があるが、肉体年齢と精神年齢が一致しない者もいるのだと、あの日初めて知ったのだ。ロビナには会っておいた方がいいと判断した。
サンドイッチを食べてしまうと、ロビナはデザートを欲しがった。なにが食べたいか訊いたシアラに、ロビナはプリンが食べたいと言う。
「わかった。レイちゃんも同じでいい?」
シアラに問われると、レイは戸惑ったような顔を見せたが、すぐにこくりと頷いた。レイも同じデザートを選んだのが嬉しいのか、ロビナは椅子に座ったまま上体を左右に揺らして喜んでいる。そんなロビナを、レイは静かに観察していた。
「お待たせ。ロビナ、クッキーも買ってきたよ」
袋に詰められたそれは、バニラとチョコレートだろうか。黄金色の丸型と、褐色で小判型のクッキーが十枚ほど入っている。
「わぁー、おねえちゃん、ありがとう。いま開けてもいい?」
シアラに許可を求めるロビナに、レイは不思議そうな顔をした。家族とは、組織と同じようなものなのだろうか。どうにも理解ができないレイに、ロビナがクッキーを割って半分差し出した。
「レイちゃん、このクッキーおいしいよ」
同年代とは思えない顔で笑うロビナに戸惑うが、レイは手のひらを上に向けてそれを受け取った。レイの手に、ロビナが割った半分だけのクッキーが載っている。それは不格好でも、香ばしくサクサクと歯触りがよかった。
「ねっ、おいしいねっ」
レイがクッキーをもらってくれたことを喜んで、ロビナははにかみながらシアラに寄りかかる。そんなロビナに、シアラもやさしい笑顔で応えていた。
デザートのプリンまで食べ終えた三人は、モールに向かって歩いた。次はショッピングをするのだ。
夏の外出着を選ぶシアラは、最初に入った店でTシャツやワンピースを身体の前に当て、ロビナに見せる。
「ロビナ、これとこれ、どっちが似合うと思う? こっちかな?」
シアラがロビナに見せたのは、フルーツが描かれたTシャツと、人形のプリントがかわいらしいTシャツだった。だが、ロビナはどちらも首を振る。
「ちがーう!」
「えーっ、だめ? おねえちゃんにはどっちも似合わないの?」
シアラが訊ねると、ロビナは難しい顔をしてコクコクと頷いた。シアラと一緒に街に出かけることなど滅多にない。この機会をできるだけ楽しもうと、ロビナは懸命になっているのだろう。レイは特に服を見るでもなく、手持ち無沙汰で店内をぶらぶらしている。そんなレイをみたシアラは、レイがつまらないのかと気になってきた。
「レイちゃん、買い物に付き合わせてごめんね。すぐに終わるから」
「私は気にならないので、シアラも気にしないで」
いつものあっさりした言い方に、シアラはほっとしながらも、レイが本当はつまらないと感じていないか、ロビナを持て余してやしないかと、気が気ではない。だが、もしもレイが楽しんでくれているとしたら、シアラはとても嬉しいと思った。
次の店は、服のほかにバッグやアクセサリーなどの小物、それから食器や文具など、おしゃれな雑貨も置いてあった。ロビナが勝手に店内を歩き回って食器を壊したら大変だと、シアラはしっかりと手を繋ぎなおす。
「すいません、ちょっとこれを試着させてください」
B.A.T.も週に一度は公休日がある。宿舎に住むレイは、毎週の休日をどう過ごしているのだろうと、シアラは改めて同じ班の仲間のことを想った。
「ねぇ、今度はどう?」
真夏の日差しに映えそうなワンピースを着て、試着室のカーテンを開けたシアラはロビナに訊くが、彼女はまた難しそうな顔をする。やっぱりダメなのか……とがっくりしていると、ロビナはにこにこして言った。
「それがいい。おねえちゃんかわいい」
「ほんと? ロビナがそう言うなら、これにするね!」
シアラは嬉しそうに笑ってカーテンを閉めた。またシアラが見えなくなったので、ロビナはレイの姿を探す。レイは雑貨売り場で商品を手に取っていた。
「レイちゃん、今日はおねえちゃんのおたんじょうびなの。プレゼント、見つけてくれる?」
「プレゼントって、どんなものがいいの?」
ロビナに頼まれたレイは、どんなものがプレゼントに適しているのかわからない。逆にロビナに問うが、当然有効な答えなど得られるはずはない。
「おねえちゃんが、よろこぶもの!」
「シアラが喜ぶものって何?」
「それはロビナとレイちゃんが考えるの!」
レイは困惑した。これはロビナからの命令なのだろうか。どうすればいいかわからないレイは、試着室から出てきたシアラとロビナの後ろをついていった。
そして何件もショップをめぐっているうちに、シアラが何かを発見したような声を出した。
「この服、レイちゃんに似合うよ!」
シアラは黄色とピンクの花がプリントされたワンピースを手に取り、レイの前に合わせてみる。
「ほらっ、すごく似合う。レイちゃんかわいい!」
「私はこの服でいいので……」
高揚するシアラの勢いに押されながらも、レイは辞退した。だがシアラの横にいるロビナまで「似合う似合う」と嬉しそうにはしゃいでいる。
レイはストライプのシャツにジーンズといういで立ちだ。それはそれで似合ってはいるが、シアラはレイにももっとおしゃれをしてほしいと思った。せめて休みの日くらい、セラフィムと戦っている現実から解放された方がいい。
「ね、私がプレゼントするから、今度遊びに行くときに着てくれない?」
「今度……?」
「今度」という言葉は、「今度セラフィムが現れた時」のように使うものだと思っていた。無表情のままその言葉を咀嚼するレイは、シアラの背中を眺めている。あぁ、さっきロビナがシアラの誕生日だと言っていた。誕生日のプレゼント、シアラが喜びそうなもの……。レイには難しい選択だった。誰かのために何かを選ぶなど、B.A.T.に潜入して初めての経験だ。広い店内を見て回り、レイはシアラのために雑貨コーナーで美しい装丁の日記帳を見つけた。直観的に、シアラが好みそうだと思ったのだ。レイはそれを手にしてレジに向かった。自分以外のものを購入するのは初めてのことだ。
「プレゼントですか?」
店員の問いに、シアラの方を指して答える。シアラはロビナの服を見ているようだ。
「はい、あの人に」
「お友だちですか? 素敵なプレゼントですね」
「お友だち」と店員に言われ、レイは戸惑った。お友だち……シアラは同じ班の隊員だ。お友だちではない。だが、レイは店員が言った「お友だち」という言葉になぜか惹かれた。日記帳には、シアラの好きそうなピンクのリボンをかけてもらう。三人で店を出て舗道を歩いているとき、レイはそれを手に持ってシアラに近づいていった。
「シアラ、これ」
片手で日記帳を差し出すレイを見て、シアラは目を丸くする。無理に誘ってしまったかと、少し後悔していたのだ。
透明なケースに入ったそれは、リボンを解かなくても中身を見ることができ、シアラはとても喜んだ。レイは目の前のシアラの嬉しそうな顔に、知らない人を見るような気がしていた。
「嬉しい、レイちゃんありがとう。今日から使わせてもらうね。レイちゃんとの初めてのお出かけのこと書こうっと。ねぇ、三人で写真撮ろうよ!」
ショッピングが終わり、シアラが思いついたように明るい声を出した。携帯を取り出してカメラを起動させる。
「わ~い!」
ロビナは喜んでいるが、レイはそれが解らなかった。自分の写真など撮ったことはない。なぜ三人で撮るのか、それがどんな意味を持つのだろう……。
「はい、せ~の!」
シアラは何度かシャッターを押した。そのたびににこにこと微笑むロビナとシアラ。レイは貼り付けたような微笑みのまま、ずっと表情を変えず、ただカメラに収まっていた。
この日一日、二人に付き合ってみて、レイは知らずに微笑んでいたことを思い出す。レイにとって、「B.A.T.隊員ではない」別の日常というものが不思議でならなかった。
最後にもう一度カフェに入った。三人でシフォンケーキを注文し、それを前にロビナはシアラのために誕生日を祝う歌を歌う。その声は、やさしく美しく夕方の居住層の空気に溶けていった。
「……誕生日、おめでとう」
レイは誕生日というものは、文字通り「生まれた日」であることは理解しているが、それの何が嬉しいのか、なぜその日を祝うのかはわからなかった。そんなレイは、ロビナを見て、なぜか不安に駆られる。
「じゃあ、また明日ね! レイちゃん」
「レイちゃん、ばいば~い!」
人工太陽が西の空に傾いたころ、待ち合わせた駅でふたりと別れた。レイはB.A.T.層に戻って宿舎へ向かう。シアラとロビナは、居住層の自宅へと帰っていった。
宿舎の部屋に戻ったレイは、さきほどまで一緒に過ごしたシアラとロビナの顔を思い浮かべた。彼女たちからもらったものをテーブルに置き、それを見つめる。
黄色とピンクの花柄のワンピース、メッキのリング、焼き菓子。すべて自分には不要なものだった。不用品は捨てるものだ。ダストシュートを開けてそれらを入れようとするが、なぜか手を放すことができない。二人の笑顔が頭に浮かび、心臓の辺りがぎゅっと苦しくなった。
その時、レイの携帯がポロン、と鳴った。シアラが、さきほど撮った写真を送ってきたのだ。ベッドの上に身体を投げ出したレイは、その画面をじっと見つめた。その中で笑う自分が、自分ではないような気がして、レイは混乱するのを自覚していた。




