第63話 境界
この日の午後、ゲンシュウは隊員たちに昨日の出動についての報告をする。
帰宅途中の隊員から、地下居住層にエンジェル出現という通報があり、当時本部に残っていた隊員が急遽居住層へと向かうことになったこと。『居住区B2駅』周辺に現れたセラフィムは今までと異なり、攻撃をしてこなかったこと。彼らは人間の真似をしたり、人間に擬態したりする個体ばかりだったが、先に攻撃されると、通常のセラフィムのように人間を殺しにかかってきたこと。攻撃しない個体はすべて捕獲し、研究対象として化学班が解析に当たっていること。
また、『B2駅』に現れた後脚だけで立つ「ウォーカー」と命名された個体がいたこと。その個体を捕獲すべきだったが見失ったこと。そして『居住層J4駅』周辺の中層住宅街において、ギデオン班のカリタが殉職したことも告げた。カリタの殉職を初めて聞いた者は動揺し、すすり泣く声も聞こえてくる。殉職者は一名だったが、その一名の犠牲は大きな衝撃を残した。
最後にゲンシュウは、警察官のケンイチの話を要約した。交番付近の公園に、セラフィムによるものと思われる遺体が複数あったこと。そのうちの成人男性二名は、B.A.T.隊員であったこと。ふたりとも補欠だったが、子どもを含む家族が犠牲になり、これはあってはならないことだと強調した。
「従って、居住層に潜伏するセラフィムがゼロになったと確認されるまでは、住民の安全を最優先とし、外出の制限はもとより、地下にも常に戦闘員を配置する。以上、解散」
ゲンシュウが壇上からいなくなると、隊員たちはそれぞれ昨日のセラフィムについて話を始めた。「ウォーカー」だけは画像がモニターに映し出されたが、外見では判別できない「攻撃しない個体」をどう見極めればいいのか、それがわからなければ戦闘のしようがない。目の前に現れた個体が、攻撃してくるのかそうでないのかと様子を見ていれば、その間にこちらが殺されてしまうのだ。だが、それも化学班による解析を待つしかないのだろうと、全員がモヤモヤした思いを抱えてこの報告会は終わった。
五月三十日。居住層へのセラフィム来襲から一週間が経ち、化学班はようやく調査・解析の充分なデータを取得することに成功した。また、四月五日に捕獲したスウォームの観察結果もまとまったため、その報告を兼ねた会議が開かれることになった。「擬態するセラフィム」「後脚で立つウォーカー」「地下層に現れた真相」等、隊員にとって真実が何であるのか、不明のままでは到底戦えないことばかりなので、この会議は非常に重要な意味を持つと言える。
第一軍A班のエイジは、前回の全体会議と同様、一軍の最前列に着席していた。となりの椅子にはシアラがいる。ブリクサとラウラも同じ列にいるが、離れているので様子を見ることはできない。ここに来る際にギデオン班の後ろを通ってきたが、みな背筋を伸ばして無言で前を見ていた。誰もいない椅子に小さな白い花が置かれており、エイジはそこが殉職したカリタの席なのだと知る。その光景を見て、もしもブリクサ班の誰かが欠けたらと想像し、ギデオン班の喪失感と悔しさ、悲しみを自分のことのように感じて辛かった。
そして、あの日出動した隊員たちの戸惑いや苦労を想うと、帰宅途中だったマックスとシドニーの活躍は、本当に見事だったと感心する。椅子に着いたまま振り返り、第三軍に配属されたマックスとシドニーを探すと、エイジの視線を感じたのか、凛々しい顔で目を合わせて頷いてくれた。さらに、あちこちに初めて見る隊員がおり、彼らはおそらくマックスとシドニー同様、補欠から上がってきた者たちだと思われる。
やがてゲンシュウとともに、化学班の職員たちが入って来た。全員が椅子から立ち上がって敬礼する。
「座れ」
右の手のひらを下に向けたゲンシュウが言い、それぞれが腰を下ろした。一週間前に起きた、居住層に擬態個体が複数現れた騒動。エイジはマックスとシドニー、フローラからおおよそのことは聞いたが、それはその件の一部だけであり、いまだ全容は知らされていない。わからないことだらけで早く情報を得たいと、苛立つほど気持ちは逸っている。
「一週間前に報告したとおり、地下居住層にエンジェルが複数現れた。我々がセラフィムと呼称するそれらだが、今までとは異なった形態の個体も多くみられ、性質も別種ではないかと疑うようなものだ。捕獲した化学班の職員が解析結果を報告するので、皆よく聞いてくれ」
ゲンシュウがマイクをオフにすると、化学班からひとりの職員が中央に進んだ。白衣を着た聡明で利発な印象の女性だ。
「化学班・解剖解析部主任のアネモネです。このたび出動されたみなさん、お疲れさまでした。殉職されたカリタ隊員には、謹んで哀悼の意を捧げます。……また、かねてよりエンジェル討伐という、過酷な任務にあたられている全隊員に敬意を表します」
アネモネはそこで一旦言葉を切り、全隊員に想いを届けるつもりで会場を見渡した。A班のブリクサとラウラは最前列に座っている。彼らと目が合うと、ゲンシュウに何か勘繰られやしないかとアネモネはひやっとした。
「報告する項目が多いので、手元の資料を見ながら聞いてください。まず、四月五日に捕獲したスウォームについて。初めは「小型」と呼んでいたものです。ふたつのグループに分けて観察しました。まず追跡チップを着けてリリースしたグループでは、それまでに判明していた三日から十日程度という寿命の通り、多くは海上で死んでいるものの、現在も活動している個体もいることがわかりました」
エイジがタブレットに目を落とすと、画面には発信器からの信号らしきものが、わずかに移動しながら点滅している。それは不規則に海の上を彷徨っているように見えた。
「次はオスとメスを分けて水槽で管理していたグループについて。雌雄を別の水槽に入れるとオスはすぐに弱り始め、死亡する個体が後を絶ちませんでした。そこで、メスの水槽に弱ったオスを戻してみると徐々に回復し、さらには生殖行動が確認されました」
「えっ」
思わず声が漏れた。アネモネの言葉に、エイジは驚いて座ったまま上体を乗り出してブリクサを見た。ブリクサとラウラはすでにアネモネから情報を得ていたので、表情を変えることはなかったが、周囲はややざわついた。
「そして、メスの個体がチップを着けた状態で海上を飛んでいるのは、資料でご確認いただけますが、それだけではなく、地下に降りるエレベーター入口付近上空をもぐるぐると飛んでいます。資料を切り替えますので、ご覧ください。これらの個体は、現在のところ攻撃性はないものと考えられます」
アネモネの報告が一段落つくと、つぎに男性職員がふたり、中央に進む。彼も同じく白衣を着ていて、神経質そうな印象だ。
「化学班・解剖解析部のヨーキーです。我々は地下居住層で捕獲された『擬態個体』と呼ばれるものの観察、及び解剖しての実験を行いました。今回のエンジェルたちは、現場で『先に攻撃してこなかった』と聞いていましたが、その言葉を裏付けるように、攻撃性は認められず、ただ水槽の中から我々職員を見て、声や動きを模倣していました」
「同じく解剖解析部のリンゴです。捕獲されたセラフィムのうち、無作為の数体を解剖したところ、採取した組織の一部から、人間由来と思われる細胞が検出されました。拡大したものが資料にありますので、そちらをご覧ください。まず、こちらが従来のセラフィムの細胞です。そしてこちらが昆虫のシロヒトリの細胞。まったく同一のものだと確認できます。しかし、今回のセラフィムからは昆虫の組織を残しながらもヒトに近く、さらに従来のセラフィムには確認されなかった、発達した中枢神経系と脳に相当する器官がみられました」
場内がざわざわと騒がしくなった。ヒトの細胞とは、つまり今回のセラフィムは人間の生体を何らかの形で取り込んだのか? だとしたらそれは、その人物は誰なのだ? リンゴは続ける。
「昆虫は哺乳類の脳とは大きく構造が異なり、この異なった脳で情報処理を行うのですが、それにあたりもっとも重要なのは『キノコ体』と呼ばれる部分で、軸索が細くなっているために、光の屈折によって顕微鏡ではキノコのような形に見えることから、そう呼ばれています。そしてここからが重要です。このたび解剖したセラフィムのキノコ体は、比率として従来の昆虫より数倍の大きさがありました。キノコ体に人間だった時の言語情報、映像情報、行動記録が残っているようです」
化学班の解説は、いくら資料で図解されてもエイジにはうまく理解できなかった。専門用語を使わずに説明できないものかと焦れていると、ゲンシュウが驚きと苛立ちが混じった声を上げる。ブリクサは眉をぴくりと反応させ、脚を組みなおした。
「つまりどういうことなんだ。『擬態個体』とは、人間が食われてできたものだとでも言うのかね」
リンゴは黙ってしまった。これだけ説明して、どこが理解できないのかと不思議そうな顔をしている。きっと科学者と戦闘員は、相性が悪いのだ。場内にひりひりした空気が漂い始めた。タブレットのモニターでは、ヒトとセラフィムの脳の画像が並んで映されている。リンゴが頭を下げて隅に戻ると、続けてB.A.T.内警察署の警備課長が登場した。
「マキです。近頃地下居住層にて行方不明者が連続して出ており、捜索願を受理する事案が多数発生していました。B.A.T.化学班との合同調査をした結果、それらの行方不明者の数と、今回捕獲、あるいは現場で処理されたセラフィムの数が一致しました」
会場内のあちこちから驚きの声が上がる。「そんな!」「まさか!」といった、誰もが信じられないという反応だ。
「それはつまり、行方不明者があいつらになったってことか?」
たまらずにギデオンが手を挙げて質問する。カリタの母親も、そこに含まれているのだ。
「現時点での断定はできませんが、それぞれのDNAを調べてみると、行方不明者と合致する個体が存在するはずです。こちらからご家族にDNAのご提供をお願いしてみます」
マキの返答に、ギデオンは口を引き結んで頷いた。あのジョージに任せて良いものか、いささかの不安はあるが、それで擬態するセラフィムの謎が解けるなら、ぜひやってもらいたい。
しかしあまりにも想定外の情報に、この場にいる全員が理性では理解を拒んでいる状態だ。職員が退室した無人の隔離室。その科学棟の防犯カメラ映像を見たエイジは、はじめて『擬態個体』の異常さを知った。さきほどの研究員ヨーキーが言っていたように、何体ものセラフィムがそれぞれの水槽に収められているが、一体が「ウワッ」と言えばそれが伝播し、「アハハ」と笑い声を出すと部屋中がその声で満たされる。セラフィムの身体を不自由に動かしながら、前脚で顔に触れ、眼鏡を上げるような仕草をする。
「なんだよこいつら……キモ過ぎんだろ」
エイジが口の中でつぶやく。マックスとシドニーは、こんなのを相手に戦ったのか。初日にこれはキツいなんてもんじゃねえじゃんと、ふたりを労う気持ちが湧いてきた。
「それで、『擬態個体』とやらの擬態が解けてセラフィムの姿になった。その後の様子はどうなんだね」
ゲンシュウが問うと、アネモネが防犯カメラの映像を切り替えた。隊員それぞれの手にあるタブレットのモニターに、捕獲した現在のセラフィムの姿が映った。
「ご覧ください。身体の一部が元の人間に変化したセラフィムです」
「きゃあっ」
複数の女性隊員が、席に着いたまま悲鳴を上げた。セラフィムのまま、身体のどこかが元の人間になりかかっている姿は、想像するよりもずっとおぞましく、醜く、そして哀しいものだった。これが、行方不明になった誰かの家族なのだと思うと、エイジはいたたまれない気持ちになる。だがフローラだけは違った。頬を紅潮させ、上擦った声で言う。
「やっぱり知性があるんです! ウォーカーはその最上位かもしれません!」
この一週間は訓練と居住区のパトロールに時間が割かれたため、ウォーカーを探すことができなかったフローラは、ウォーカーのことになるとさらに自己主張が強くなった。
ライトから外れた壇上で、渋い顔をして腕を組むゲンシュウは、居住層の市民から来るB.A.T.への批判を懸念している。
「ここまでで、何かご質問はありますか? できるだけ情報は正しく共有しておきたいので、わからないことはなんでも訊いてください」
壇上中央に立ったアネモネは、自身の左手を挙げて言った。誰もが完全に理解したとは言えず、特に今初めて擬態個体や地下にセラフィムが現れたことを聞いた者は、何もかもが不可解で仕方ないだろう。
「その個体に、こちらの言葉を理解していると思われる反応はあるか?」
ブリクサが座って脚を組んだまま言った。旧知の仲のアネモネは、少し肩をすぼめてから答える。
「単純な言葉、例えば『おはよう』などには反応する個体もあります。どの個体が元は誰だったのか、それがわかればおそらく簡単な会話もできるようになるのではないかと思っています」
「攻撃性が低いというのは、どの条件下でも同じか?」
「そこまでの実験は、まだしていません。なぜならば、その実験は戦闘員の方と共に行いたいからです」
ギデオンの質問には、アネモネはこう答えた。研究班だけでは、セラフィムが攻撃モードになったとしても、それを効率的に観察するスキルがない。近々、それを実行する計画はある。
次にルキアが立ち上がって質問した。その動作は冷たい水のように可塑的で、銀色の長い髪は美しい淡水魚のように揺れる。
「人間の姿で発砲された個体が、セラフィム体になった。身体構造の変化は任意で行っているということ?」
「それはどうでしょう。任意というよりは、そうプログラムされていると認識されます。戦闘員からのご報告を鑑みるに、全体としてさほど違いのないパターンで変化していると思われるからです」
そしてフローラ。アネモネに視線を固定し、そちらにウォーカーの姿が映るモニターを向けながら訊ねる。
「彼ら同士で意思疎通している可能性はありませんか? それから、オスの方が弱いのがスウォームだけじゃないとしたら、擬態していたのは全部メスということ?」
「人間に相当する性差は確認されていますが、それが生殖上の雌雄と同じものかは分かっていません」
何人もの隊員から質問され、アネモネはすべてにてきぱきと答えを出している。エイジにも訊きたいことがあるが、自分は新人だからとためらった。しかし、ここで有耶無耶にすれば後悔するのは目に見えている。
「すいません! 擬態していた個体でも、こっちが先に攻撃したらセラフィムも攻撃してきたってことは、現場で処理した個体がいくつもあると思うんですが、そいつらの死体は解析済みですか?」
「……いい質問だな」
七席離れた位置から、ブリクサが声を出した。そうだ、捕獲した生体だけではなく、現場で処理されたセラフィムもいたはずだ。それらの死体も当然持ち帰っただろうが、それは元人間だったのだろうか。
「処理された個体についても組織を保存し、解析を進めています。現段階では、捕獲個体と処理個体に由来上の違いがあるかは断定できません」
次々と来る質問に答えるアネモネは、とても充実しているように見えた。これで、少しはエンジェルの謎に迫ることができれば、と思っているのだろう。
「今回捕獲した個体と、従来のセラフィムは同一種ですか?」
ギーが手を挙げて質問した。地下鉄内で擬態個体と対峙したのだ。今後も誰かが犠牲になるようなことがあってはならないという想いが強いのだろう。
「現時点では、残念ながらそこまでのデータは取れていません。今後、解明してゆきます」
質問はそのあとも続いたが、フローラは自分のタブレットに目を落とし、愛しいウォーカーの姿を見て、その翅の輪郭を指でなぞって溜め息をついていた。まるでフローラのいるその場所だけが、人間とエンジェルをつなぐ境界のように色づいていた。




