第62話 観察
地下居住区はまだ安全ではないという発表があり、住民たちは誰も外出することなく自宅にこもっている。人気のない街は静かで寂れた印象で、完成してから数年しか経たない商店街も、どことなく古びて見えた。
エイジたちB.A.T.職員は、バスでピックアップされて出勤することとなり、自宅前にバスが到着したタイミングで玄関を出る。普段は顔を合わせることのない科学棟、解析班の職員や、事務、医療棟などの職員と一緒のバスに乗り合わせたが、戦闘員のエイジは怖がられているのか、なんとなく他の者から避けられているような気がして、居心地が悪かった。
正午前に本部に到着したエイジは、昨日出動した誰かに話を聞きたいと、逸る気持ちを抑えながら棟に入ってゆく。カルマが偶然本部に残っていたために出動したとブリクサから聞いたが、カルマとはうまく話せる気がしない。あのまま列車内に残ったマックスとシドニーは無事だったのかと心配していると、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた。
「エイジ!」
振り向くとシドニーもいて、三人は再会を喜ぶように笑顔で肩を叩き合う。ちょうど食堂に入るところだったエイジも一緒に、三人で昼食を摂ることにした。
「マックス、シド、無事でよかったよ」
「ほんとだよ! 何度かマジで死ぬんじゃないかと思ったけどさ!」
マックスは白い歯を見せて笑ったが、シドニーは昨日のことでショックを受けているのか、しばらく無言でいた。三人は窓際の、人工太陽の光が降り注ぐ席を取り、それぞれメニューを眺める。
「俺とんかつ定食。みんなは? 決まった?」
マックスがいち早く注文を決めると、エイジは焦ってメニューを食い入るように見る。昨日はなにを食べたっけと考え、家ではカレーとシチューだったことを思い出した。
「俺パスタランチ」
「俺は、生姜焼き定食」
何も席で決めなくても、券売機の前へ着くまでに決めればいいのだが、そこは何でも友だちと張り合ってしまうエイジの子どもっぽさだろう。マックスが「決まった?」と言い終わらないうちに、エイジはメニューをテーブルに置いた。シドニーはくすっと笑い、マックスも笑顔でエイジを見る。
「なんだよエイジ、パスタランチなんて女子みてえだな」
昨日の今日なのにハードな出動で経験値が上がったのか、マックスもシドニーも、ルーキーとは思えない貫禄が身に付いたと、エイジは感じた。注文したものが出てくる間も、前に並んでいるふたりの背中から、殺気のような気配が漏れ出るようだ。プレートをテーブルに運んで席に着くと、マックスとシドニーはまず味噌汁に手を伸ばす。
「あれっ、今日の赤だしシジミじゃない」
「曜日によって違うんだよ。今日は油揚げとほうれん草だな」
「エイジ、知ってたのかよ。だったら先に言えよな」
マックスがエイジに抗議するが、そもそもエイジは、マックスが赤だしの具はシジミが好きだとは知らない。仕方のないことだ。
「俺は知ってたよ。つうか、お前らだって俺と同じ日数だけここを利用してんだろ」
「そんなの、メモってなかったよ」
マックスはブーブー言いながらも汁椀を持ちあげ、器用に箸でかき混ぜる。そして一口飲んではぁ、と息を吐き、嬉しそうに言った。
「はぁ、お味噌汁って落ち着くわぁ」
「それって、普通の味噌だけじゃないんだ」
シドニーも、一口飲んで息を吐く。落ち着いた表情をしていた。エイジは日本人じゃなくても、味噌汁を美味そうに飲むんだな、と少し嬉しかった。
「でさぁ、何から聞いたらいいかわかんねえけど、その、擬態個体……? ってどういうの?」
「まぁ、そのまんまなんだけど、エンジェルが人間に擬態してたんだよ。最初は人間の姿で地下鉄の中にいて、なぁんか様子がおかしいなって観察してたら、動きが不自然になって、みるみるエンジェルの姿に変化してったっていう……な」
昨日の戦闘を思い出し、マックスが両腕で自分を抱いてぶるぶる震える。正面からその様子を見ているシドニーは、ふざける余裕などなかったと言いたげに、肉を掴んでいた箸を止めてエイジの顔をじっと見つめた。
「擬態するっていうのはさ、本物の人間の真似したってこと? そんなに観察されてたと思うと気持ち悪りいな。逆にエンジェルが人間を食って細胞を同化させたとか。うーん、なんだろ。昨日現れた奴らって、全部そうだったの?」
「擬態個体」と言われても、エイジには具体的にイメージすることができない。それも当然だ。その場にいて、人間の姿からセラフィムへと変容した個体を目の当たりにした、マックスとシドニーでさえ、どういう理屈でセラフィムが人間の姿をしていたのか、何も理解してはいないのだ。
「そんで、列車内に現れた三体のうち、一体はルキアさんが撃っちゃったんだけど、二体はカルマさんとギーさんに助けてもらって捕獲できたんだ。いま化学班の研究室に保管されてると思う」
「へぇ、カルマさんがねぇ。……え、『撃っちゃった』って、撃っちゃダメだったの?」
「うん、擬態個体は捕獲一択だったからな」
エイジの質問に、白飯を口に運んだシドニーが答えた。カルマとギーの攻撃を思い出しているのか、憧れとも羨望ともとれる表情をしている。
「カルマさんてさ、ちょっと変わってるけど親切なんだな。ギーさんと息がぴったりだったぞ」
マックスが使った「親切」という言葉が意外だったのか、エイジは曖昧な表情でマックスを見た。シドニーはどう感じたのだろうとそちらを見ると、キャベツの千切りをひたすら噛んでいる。
「ブリクサ班だと、カルマさんが援護することってあんまりないんだよ。いつもひとりで簡単に皆殺しーって感じでさ。ふーん、ギーさんとは特に仲がいいのかな」
初めてカルマに会ったマックスたちとエイジでは、彼に対する印象が変わるところが面白い。大なり小なり相手に対して違う感想を抱くのは当然だが、カルマに限っては、誰もその本質を見抜けないような気がしていた。いや、ブリクサ以外は。
「マックスにとって、援護することが親切っていうのがツボったわ」
はは、と笑うエイジは、首を傾げているマックスのとんかつに、パルメザンチーズをふざけて掛けた。嫌がって皿を逃がしていたマックスだが、一口食べると「あれっ、美味い!」と目を丸くする。
最後の肉を口に入れようとしていたシドニーは、背中に視線を感じてぞくっと鳥肌を立てながら振り向いた。まさか、セラフィムが擬態して食堂にいるなんてことはない、よな。と思いながら背後を見回すが、怪しいものは見当たらない。
「あっ、そうだ。どうせ今日、全員に情報が共有されるだろうけど、先に言っとく。エイジ、落ち着いて聞けよ。アフター会議が終わるころに、B2駅の警官が報告にきたんだ。その人が言うには、駅付近の公園に六名の遺体があって、それはすごく痛ましいし、俺たちの落ち度によるものかもしれないんだけど、その公園にな、セラフィムの蛹がいっぱいあったんだって。すでに中身がない、つまり孵化したあとのだよな。擬態個体はそれの成虫かもしれない」
「蛹……? いやだって、セラフィムは成虫になってから来襲してただろ、あ、ちょっと待て。ちょっと整理させてくれ。つまりなんだ、エレベーターを使わなきゃ行かれない、今までは『絶対安全』って言われてた居住層が、セラフィムの巣っていうか棲息地だったってことか? いや、それはおかしいだろ。なんで今までに誰も見たことのないもんが、急にたくさん出てきたんだ? そういうのも、研究班が解明するまで一切わかんないってこと?」
マックスの言葉を聞いたエイジは、昨日自宅にいたせいで、出動した隊員よりも一歩遅れたことを感じた。あとから話を聞くのと、現場で実際に自分の目で見て、肌で感じるのとでは大きな違いがある。ブリクサ班の隊員として、負けてはいられないと思った。
そうこうするうちに、食堂が混雑してきた。早く食べ終えて席を空けようと、エイジはスープのカップを手に取る。その時、食べ終わったシドニーが急に真顔になって言う。マックスも急いで食べきって、シドニーの話を聴こうと水を飲んだ。
「エイジ、昨日のセラフィムには共通点がある」
「共通……点?」
「うん。昨日の奴らは、俺たち、つまり人間が先に攻撃するまで何もしなかった。人の言葉を真似したり、列車内を飛び回ったりはしていたが、今までのエンジェルとは全く違ってた。アフター会議でもその話題は報告されたけど、それが不思議なんだ」
「いや、シド。そもそもセラフィムが地下に現れるってこと自体が異常だろ。どうすんだよ、これから」
「ゲンシュウ総指揮官は、『しばらくは昨日と同じ危機感を持って臨め』って言ってた。今日、この後に何かあるんじゃないかな」
「え、だってセラフィムの寿命は三日から十日だろ? しばらくっていつまでだよ」
エイジがセラフィムの寿命に対して疑問を口にすると、マックスが応えた。完食してお茶を飲んでいる。
「ほとんどの個体は捕獲して、攻撃してきた奴は処理したんだ。でもな、こいつ……見ろよエイジ」
マックスが言うと、シドニーはギデオンが撮影した「ウォーカー」の写真を、タブレットに表示した。それを見たエイジは絶句する。
「なんだこれ……、キモ……。や、嘘だろ、こんなのいるわけねえじゃん。AIだよな? え、こいつとどう戦えばいいんだよ? 走って追いかけられたら俺、泣いちゃうよ」
「こいつも攻撃してこない個体だった。それどころか、フローラさんは至近距離まで近づいて、翅に触ったって報告してた。そんで、『ウォーカー』って名前を付けて、それに決まったよ」
受け入れがたいと動揺するエイジに、マックスは会議で聞いたことを教えた。彼女がそれを発言した時は、自分だって信じられなかった。あのエンジェルに直接触れるなど、どうかしているとしか思えない。
「ぅわ、やっぱあの人か……。歩くからウォーカーって、まんまだろ。そんで、ウォーカーも化学班に?」
「いや、捕獲されてないらしい。駅に留まってた地下鉄に向かって歩いて、捕獲しようとしたら商業施設の方に逃げて、そのまま見失ったって」
「いやマジか! じゃ、こいつはまだ地下層に潜伏してるってこと? そんで、セラフィムの寿命が延びたかもしれないって、なんか後手後手だなB.A.T.」
はぁーっ、と溜め息をついたエイジだが、次第に瞳を輝かせてから言う。右手の肘をついてそこに顎をのせ、夢見るような顔をしている。その顔を見たシドニーは、誰かに似ていると感じた。
「……会ってみてえな、ウォーカー」
「そうでしょう!? エイジ!」
背後から急に声をかけられたエイジは、椅子から尻が滑り落ちそうになった。マックスも驚いたと言いたげに心臓の辺りを手で押さえ、シドニーはさっき感じた視線の正体はこれか、と逆に安堵する。
「エイジ、昨日あなたは出動していなかったのね。残念だわ。私のウォーカーをあなたにも見てもらいたかった」
「あ、あぁ……フローラさん、ランチですか? ここ、もう空きますからどうぞ」
エイジと親しそうなフローラは、マックスとシドニーとは顔を合わせなかったようだ。軽く会釈しただけで、エイジばかりを見ている。
「ランチはもう済んだわ。私はウォーカーのことをエイジに話したくて来たのよ。ウォーカーの画像はもう見た? 素晴らしいでしょう! あの細い脚でしっかり大地を踏みしめて歩く。ああ、なんて美しい私のウォーカー。私はあの子に近づいて見つめ合ったの。あの子も私をじっと見て、きっと何か伝えたいことがあったはずよ。そしてなんと、私はあの子の翅に触れたのよ! ふわふわと滑らかで、それはそれは美しいドレスのようだった。私はあの子を探すつもりよ」
「そ、そうですか。ウォーカー、いい名前です。しかも、二足歩行って驚きですね」
エイジはなにを言うのが正解なのか、よくわからない。何をどう言えばフローラが満足し、この場を離れることができるのか。ウォーカーという名前を褒めたエイジに、フローラは嬉しそうに握手を求める。シドニーは、『ウォーカー』が複数体いる可能性について考えていた。
昨日に続いてふたたび、フローラ劇場が幕を開けようとしている。周囲のテーブルに着いた職員たちが、ちらちらとこちらを見ているのに気づき、マックスは恥ずかしくて消えてしまいたかった。
そのころ、化学班の研究室では、今回捕獲された個体が一体ずつガラスケースに保管されていた。
研究員たちは、それぞれ自分のポジションについて仕事をしている。ある者は試験管に取ったセラフィムの細胞を培養液と混ぜ、ある者は一体一体の詳細なデータを記録している。
ひとりの男性研究員が、中年女性に擬態していた個体を収めたケースの前に立つ。カルマとギーが走る列車内で捕獲したうちの一体だ。その個体は彼が右へ動くと右へ、左に動くと左へと、その動きを視線で追っていた。
「えっ……」
それに気づいた研究員がケースに近づき覗いてみると、擬態個体も顔を近づけて来た。今は完全に擬態が解けた、セラフィム体のままで。
「うわっ!」
彼は思わず尻もちをついた。驚愕と恐怖に顔を引きつらせ、床に尻をついたままでケースの中のセラフィムを見上げる。本物の「シロヒトリ」にはない「口」が開いているように見えた。彼の声を聞きつけて、背後から他の研究員が数人やってくる。みな一様に「うわっ」と驚き、女性研究員は口を押えて小さく悲鳴を上げた。それを聴いたセラフィムは、早速研究員の声真似をする。
「ウワッ……」
「キャアッ!」
「ハハハ……アハハ……」
セラフィムが笑い声をあげた。もちろん顔には表情が一切ない。信じられない出来事に、研究員たちは呆然としている。他のケースに入れられた「今回発生した異常なセラフィム」たちも、同様に笑い声をあげた。複数人の声を真似ているので、たくさんのセラフィムが、それぞれ違った声を出している。彼らは楽しそうに互いに真似をし合い、輪唱のようにその声を重ねていった。
研究員たちは誰も口をきけない。ただ呆気に取られて彼らを見つめ、この生物は一体何者なのだと戦慄していた。




