第61話 白い花束を抱いて
ギデオンとブリクサが無言でベンチに座っている頃、カルマは鼻歌を歌いながら上機嫌でスキップしていた。そういえば、「スキップができない」と言っていた隊員は誰だっけと思いながら、今から向かう場所にいる相手を想って頬を緩ませている。
アフター会議終了後、ギーと地下鉄内でのことを少し話した。ギーは初出動が地下層だったという異常事態にかなり緊張したようで、とても疲れたらしく二軍の宿舎へ向かう足取りは決して軽やかではなかった。
「ギーくん、お疲れ~」
だがカルマは、別れたばかりのギーに向けてなのか、歌うように独り言を洩らしながらスキップのまま廊下を進んでいる。そして目的の場所につくと、スィーッと音もなく開くドアの前に立って愛用の銃を撫でた。
「こんばんは~! いや、おはようございま~す! ……かな?」
場違いに明るいカルマの声を聞いたクラウスは、振り向く前に一度溜め息をついた。一番面倒な奴が来やがったと、その表情が物語っている。
「やぁ、クラウス、久しぶり!」
「……カルマ……、こんな夜中に何の用だ」
「僕たち、いま会議が終わったばかりよ。それにどんな夜中だって、いつでもラボを開けてるくれてるじゃない。一体いつ寝てるんだってくらいにさ」
「だから、これから寝ようとしてたんだよ」
ふたりの声を聞いたコタロウが、奥から顔を出してぺこっと頭を下げた。そんなコタロウにひらひらと手を振って、カルマは地下鉄で擬態個体を撃った銃をクラウスの前に置く。
「なんだ、故障か?」
「うーん、故障じゃないんだけど、さっき、0.5mmほどズレたんだよねぇ。この銃、もうちょっと軽くならない?」
カルマの無茶苦茶な要求に、クラウスはさらに大きな溜め息をついた。本人は無茶を言っているつもりはないのだろう。涼しい顔で他隊員から修理を依頼された武器を眺めている。
「まずは生きて帰れたことを喜べよ。大変な現場だったんだろ?」
「あ、そういえば、ブリクサ隊長が来てた」
クラウスはあからさまに顔を歪め、チッと舌打ちをする。カルマとはいつもこうだ。会話が嚙み合うということがない。こいつの頭の中はどうなっているのだ、と何度思ったかしれない。
「ブリクサが?」
「そもそもさ、地下居住区っていったら、絶対の安全が保障されてるわけじゃない? だから僕たちB.A.T.とその家族とか、国のお偉いさんとかが住めるわけでしょ。その地下にだよ、エンジェルが、しかも人間に擬態してたり喋ったり、二本の後脚で立ってるヤツまでいてさ、市民はパニックだったねぇ。醜いのなんのって。『俺が先にシールドに入る~』って争いになっちゃうんだもん」
自分から「ブリクサ隊長が来てた」と言ったくせに、クラウスが訊き返すとまた別の話題になる。カルマという男とは絶対に性格が合わないと、クラウスは改めて思った。そして、カルマの要望に答えを出す。
「これ以上、軽くできるか!」
「クラウスなら簡単でしょ? 僕を焦らすことないじゃん」
「あーっ、もうっ、俺を何だと思ってるんだよ。しょうがねぇな。できるかわかんねぇけど、一応見てやるから置いてけ」
「サンキュー! それでこそ僕のクラウスだよ」
感謝しているのかからかっているのか、カルマは預かると言ってくれたクラウスの顔に向けて拍手をする。感謝でもなんでも、カルマに評価されるのが忌々しいクラウスは、顔を背けて手で追い払う。
「用が済んだなら帰れ。お前も疲れただろ」
「ねぇ、クラウスとブリクサ隊長って、どんな関係なの?」
カルマの銃を目の高さに挙げ、細部を覗いていたクラウスの手が止まった。そして脳裏によみがえるのは、自分が現場を去り、ブリクサは残ったあの、ふたりが戦闘員同士ではなくなった時のことだ。だがそれをカルマに話す気はなかった。
「……ただの腐れ縁だ」
「ふぅん」
カルマが口の端をゆっくりあげる。その弓なりの形状は、クラウスにブリクサと並んで見た繊月を思わせた。そばでふたりの様子を見ていたコタロウは、初めて聞くクラウスとブリクサの「関係」という言葉にピンとこないらしく、きょとんとしている。
「じゃあ、よろしくねん。信じてるよクラウス!」
「勝手なことばっかり言いやがって。あまり期待するなよ」
来た時と同様、音もなく開く自動ドアの前に立ち、振り返ってクラウスに敬礼してみせる。まだデビルスーツを着ているカルマは、あれでも今日は大活躍だったらしい。
「さっさと行け」
思わず笑顔になってしまったクラウスは、カルマの方を見ずに言う。コタロウはそんなクラウスの横顔を見て嬉しくなった。
「師匠って、やっぱり隊員のみなさんから頼られてるんですね。ブリクサさんもきっと、師匠にだけは本音を語れるような気がします。いや、何も知らない僕が言うことじゃありませんが」
コタロウはいつも一生懸命にクラウスの助手を務める。このラボを訪れる隊員たちみんなに可愛がられているようだ。ブリクサの大ファンで、ブリクサの役に立ちたいと、常に思っている。それはクラウスにとっても心が温かくなることだった。
「頼られてるんじゃなくて、あのカルマは飛びっきりの変人だからな。それよりコタロウ、ブリクサのデビルスウォードでも磨いてみるか? あいつのは重いけどかっこいいぞ」
「僕が触ってもいいんですか! ありがとうございます」
小躍りしながらクラウスの横に行ったコタロウは、まずカルマが置いていった銃を手に取ってみた。あのほっそりしたカルマがこの銃を構え、0.5mmのズレも許せずに軽くしてくれとクラウスに頼んだのだ。B.A.T.隊員とは、エンジェルとの戦いとは、それほどまでに過酷で、常に神経を張り詰めていなければ務まらないのだと改めて思う。そして、デビルスーツを着たクラウスとブリクサが並んで立つ姿を想像し、それは身震いするほどかっこいいと、背筋をぞくぞくさせながら厚い手袋をはずした。
未明まで仕事に追われた隊員たちは、この日は午後からの出勤になった。だがギデオン班のメンバーは、全員本部で待機している。なぜならば、カリタの義弟のクリスをジョージが迎えに来るからだ。清潔な身体でカリタを送り出したいと、宿舎で眠ることはせず、トレーニングルームでシャワーを浴びた仲間たちは、制服に着替えていた。
約束は九時だったが、ジョージは迎えの車をさんざん待たせてから出て来た。しかも、その服装は花柄のシャツにジーンズといういで立ちだったのだ。黒い服を持っていないとしても、もう少しまともな格好ができないものかと、迎えにいった職員も呆れていた。
九時半になると、ギデオン班の七人は霊安室の前に整列する。アンとキヨハルが白い花束を抱え、みな無言で正面を見ていた。だがきっと、その瞳に映っているのは壁ではなく、昨日のセラフィムとの戦闘と、カリタの姿だろう。隣にいる仲間が何を考えているのか、誰もが同じ思いを共有しているに違いなかった。
「失礼します。カリタ隊員の身内の方をお連れしました」
職員の後ろに立つジョージを見るなり、ツヨシとディーノは全身の血が逆流するような怒りに包まれた。お前は何をしに来た? 血の繋がりがないとはいえ、カリタは娘だろう……。だが、それを口に出すことはできない。彼と対立することなど、カリタは望んでいないはずだ。
「隊長のギデオンです。この度はカリタ隊員を殉職させてしまい、ご家族には隊長として大変申し訳なく思っています。カリタ隊員は、最後までB.A.T.としての誇りを失わず立派に生ききってくれました。B.A.T.を代表して哀悼の意を表します」
自分の班の隊員を失うのが初めてだったギデオンは、遺族に報告するのももちろんこれが初めてだ。他の隊長が苦悩するのを見てきたからこそ、あんなことは自分の班では起きてほしくないと思ってきた。だからこれが、ギデオンの精一杯の言葉だったが、ジョージには何も響かなかったようだ。
「……あぁ、そうですか」
気の抜けた顔で、まるで他人事のようにぽつりと呟くと、ジョージは白いリースのかかった霊安室のドアに目を遣った。他に何か言うことはないのかと、カリタの顔を思い浮かべたアンは憤る。
「この向こうに、カリタの遺体があるんですよね?」
無神経すぎる男の言葉に、アンは奥歯を食いしばった。遺体が「ある」とは何ごとだ、カリタが「いる」と言いなさい。ぶるぶると怒りに震える瞳からは、いまにも涙がこぼれそうになっている。
「カリタに会っていかれますよね。どうぞ」
「まぁ、そうですね」
ギデオンに促されたジョージは、のろのろと霊安室に入ってゆく。だが血の気を失った娘の顔を見るわけでもなく、自身が悲しい顔を見せるわけでも、ましてや泣くこともなくこぼした。
「あぁ、ほんとに死んだのか」
マティアスがジョージの背中に炎のような憎しみをぶつける。そうだ、もはや怒りを通り越し、隊員たちのジョージへの気持ちは、憎しみになっていた。拳を強く握っているマティアスに気づいたツヨシが、その肩をしずかに押さえた。アンはジョージの背中から目を逸らさず、まるでその視線がレーザー銃であるかのように、強いまなざしでジョージを射る。
キヨハルもディーノもオスカーも、みなアンやマティアスと同じだった。できるなら、エンジェルよりも邪悪なこの男を、この場で焼き殺してやりたい。カリタがどんな想いで生きてきたか知っているのか、と。だが、そんな考えでいては、この先B.A.T.として使い物にならないこともよく理解している。目の前の男がどんな人間だろうと、自分たちはカリタを愛していたし、カリタの死を無駄にはしない。そう誓って明日も戦うしかないのだ。
ジョージと一番近い位置にいるギデオンは、その横顔を見ながら「カリタに指一本触れられなくて良かった」と、逆に安堵していた。もしもこの男がカリタの遺体に縋って泣き崩れる芝居をしたら、きっと一番先に手を出すのは自分だと思っていたのだ。あとで、ギデオン班だけでカリタとお別れしようと、背後にいる隊員たちの気配を感じながら考えていた。
「ご遺体は、B.A.T.で責任を持って火葬させていただきます。私物はそちらの机の上にありますが、持って帰られますか?」
「私物なんかあったんですね。カリタは家に寄り付かなかったからなぁ。そちらで処分してください」
「わかりました。手続きは事務課で行っていただきますが、火葬には立ち会われますか? また、ご遺骨はご自宅に安置されますか?」
「えぇ……、いや、いいですよ。めんどうだし。ねぇ?」
仲間たちは、もう何の感情も動かされなかった。この男にカリタの義父としての何かを期待するだけ無意味なのだ。大切なカリタは、自分たちだけで弔えばいい。
「それより……、言いにくいんですが、私たちってどうなるんですかね。地下から出てかなきゃならないんでしょうか」
「それも含め、事務課に問い合わせてください。私たちは戦闘員なので、手続きに関しては分かりかねます」
ギデオンが答えると、ジョージはあからさまにイヤそうな顔をした。ディーノは、抱きしめたクリスの小さな感触を思い出す。この男に育てられるくらいなら、孤児になってコロニーで暮らした方が幸せなのではないかと思った。
ジョージとカリタの「対面」を終え、隊員たちはそのまま霊安室の前で待機することになり、ギデオンだけが、クリスが収容されている保育室に父親を案内した。そこまでの廊下を歩いている時も、ジョージはなにを考えているのかわからない顔で、窓外の庭の様子に目を瞠っていた。
「パパ!」
ジョージを見つけると、クリスは嬉しそうに走ってきて父親に抱き着いた。その光景を見たギデオンは驚いてクリスを見つめる。素直な子なのだろう、昨日ディーノに抱かれていた時も、母親がセラフィムに変異する直前までその場にいたというのに、おとなしくしていた。
「クリス、昨日は怖かっただろ。ごめんな」
「パパ、ママがたおれちゃっんだけど、へいきだったの? ママはどこにいるの?」
無邪気な顔で訊ねるクリスに、ジョージはなんと説明したらよいかわからない。ギデオンを振り返って目で助けを求めるが、それはギデオンが口を出すことではない。
「うん、ママはね、ちょっとよくわからないけど、とにかくもう会えないんだ。どこにいるかわからない」
「ママにあえないなんてヤダ! ぼくママにあいたいよ」
もう母親と会うことはできないと、いきなり告げられて混乱するのは当然だ。クリスはまだ三歳なのだ。ひっく、ひっくとしゃくりあげながらママに会いたいと訴えるクリスに、ジョージは再びギデオンを振り返った。
「クリスくんには、しばらくカウンセリングに通っていただきます」
重々しい空気の中、ギデオンとジョージはしばらく見つめ合った。幼い子どもが泣いているのに何もできない父親。未明に電話で話した際に感じたことだが、直接会ってみるとそれ以上に常識はずれな男だった。ギデオンは仲間の気持ちを想い、深いやりきれなさに溜め息をついた。
「わかりました。それには私も付き添うんでしょうか? その場合、毎回送迎はしてもらえるんですよね?」
「……保護者の付き添いは、必ずしも必要ではありません。B.A.T.には適切な人材が配置されていますので、カウンセラーに任せることができます。また、通常時の送迎はありませんが、まだ居住層にエンジェルが潜伏している危険がありますので、クリスくん一人でももちろん送迎はします。ご心配なく」
もうこれ以上、この男と一緒にいるのは耐えられなかった。ギデオンは訊かれたことに淡々と答え、ジョージを総務部に引き継いだ。
ギデオンが霊安室の前に戻ると、待機していた仲間たちが迎えてくれた。みな一様に疲労をにじませ、顔には悲しみの色を張り付けている。だがジョージから解放されたことで、晴れやかな印象も受けた。
「ギデオン隊長、お疲れさまでした」
口々に言葉をかけられ、ギデオンはやっとカリタを失った事実を悲しんでいいのだと知る。同じ想いを持つ仲間がいるということは、こんなにも心強いのだと改めて実感していると、もう一度中に入ろうとアンが言った。
「ギリギリまで、カリタのそばにいたいです。みんなでカリタとお話ししましょう」
「火葬は午後からだったな。それまで、みんなでカリタと一緒にいるか……。今日はトレーニングもキャンセルしよう。泣くのは今日で終わりだ。明日からはまた、強い俺たちに戻るぞ」
「はいっ」
「了解!」
アンとキヨハルは、持っていた花束をカリタの顔の横に置いた。首の傷は綺麗に縫合され、白い顔にはうっすらと化粧が施されている。胸の上で組まれた指はすんなりと細く長く、カリタはこんな手をしていたのだと、キヨハルやマティアスは初めて知った。それぞれが、カリタとの思い出を頭の中に描き、別れの時間を惜しんでいる。そこで、ツヨシが突然大きな声を出した。
「ちくしょう! どうしてカリタがこんな目に……。やっとみんなに心を開きかけたっていうのに!」
その言葉に、他の隊員も堰を切ったように悔しさと悲しみを口にする。もう時間がない。このままずっと、こうしてしずかなカリタを置いておくことはできないのだ。
『ギデオン班のギデオン隊長、火葬炉の準備ができました。ご遺体とともに葬儀場までおいでください』
天井のスピーカーから、事務職員の声が響く。こんな放送は、今までにもあっただろうか。気にしたことはなかったので、みな「火葬炉」という単語にドキッと反応する。
すぐに葬儀担当者が入ってきて、棺を載せた台をカリタが眠る寝台の横に置いた。全員でカリタの身体をそっと持ち上げ、棺に移す。白い花束も、もう一度カリタの顔のそばに置いた。
「カリタさん、触りますけど怒らないでくださいよぅ」
マティアスがいつもの調子で言った。まるで生きたカリタに向けているようだ。それを聞いたディーノとオスカーがぷっ、と噴き出し、みなは笑顔になった。
「そうだよ、俺たちがメソメソ泣いてたら、カリタにバカにされちまうぞ。あいつは素直じゃないからな」
ツヨシの言葉に、みなが頷く。悲しみの行方は、この世の涯てなのだろうか。カリタが望んだ世界は、いつになったら手に入るのか。
答えの出ない疑問をいくつも抱えながら、七人はカリタが入った柩の傍らに立ち、世界で一番厳しくやさしい葬列となって歩いていった。




