第59話 静かな余震
居住層に出動した隊員たちがB.A.T.本部に戻ったのは、すでに日付が変わった未明のことだった。異形や擬態など、今までのエンジェルとはまったく異なる個体が数多く出現したこの日の緊急出動では、現在のB.A.T.の弱点や、今後の改善点などの課題がいくつも浮かびあがった。
いつものように班ごとに整列してアフター会議の開始を待つ彼らだが、今回は想定外の出来事だったため、全員が揃って出動できたのはギデオン班のみだった。ゲイザー班からはマックスとシドニーを含めた四名が出ており、あとは精密射撃の評価がAランク以上で、本部に残っていた者が同行した。ブリクサ班からはSSランクのカルマが臨場したが、タケル班のルキア、そしてユキムラ班のギーは、マックスとシドニー同様、補欠から二軍への配属が決まった当日に予想外の出動となったため、彼らにとっては相当に困難な現場だったと想像される。だがその中でもギーは、カルマとの連携で大きな成果をあげた。さらにヘスティア班のアナトとイリスは射撃の評価が高いわけではないが、なにか役に立てればと、とにかく人数を増やすために出動したのだった。
ギデオンとゲイザー、二人の隊長は現場での戦いや捕獲の状況を思い返し、大きな溜め息をつく。想像以上に過酷な現場だった。市民が多数いる場所では、どう動けばよかったのか。人命が第一の優先事項なのは当然としても、市街地に広がったエンジェルを制圧するためには、どこからどう手を付けるのがベストか。そんなシミュレーションは今までほとんどしてこなかったため、命令系統さえ明確にされずに臨んだ現場で、行き違いや無駄な動きがなかったか、反省することばかりだ。
エンジェルの捜索終了後、商業施設やビル、店舗等に避難していた人たちは、居住区ごとに分けてバスや車で送り、ひとまず全員を自宅に落ち着かせることができた。深夜の緊急アラートでは『一週間は外出をしないでください』と繰り返し注意喚起され、食糧や日用品が必要な場合は、政府から届けられることになった。
ギデオンは、「居住区B2駅」に残っている隊員に連絡し、周辺に停めた車を居住層J4の中層住宅群まで運んでくるよう要請した。そしてギデオン班全員で銀色の袋に入ったカリタを運び入れる。アンとツヨシはまだ泣いていたが、他の隊員は目を真っ赤にしながらも涙を流すのはギリギリこらえていた。
「20A-05、カリタが殉職した。我々は任務を続行するので、先に本部に安置してほしい。のちほど連絡する家族との対面は、明日の朝になるだろう。それから、この子をカウンセリングルームで保護してやってくれ」
車を調達してきたのはゲイザーだった。彼はカリタ殉職の報を聞くと、信じられないという顔をして、そして遺体に向けて最敬礼をする。唇を噛みしめた悔しそうな横顔からは、仲間を失った隊長という立場だからでなく、ギデオンやツヨシたち、ギデオン班全員の悔しさ、つらさを理解していることがうかがえた。ゲイザーも肩を落とし、残念そうに目を伏せる。
「確かに預かった。カリタ隊員の身体は、丁重に本部に安置させてもらう」
それ以上、ゲイザーにも言えることはなかった。ギデオン班の七人と向き合い、互いに敬礼を交わしてからカリタと義弟のクリスを載せた車は走り出した。
「よし、これでカリタはもう安心だ。残っているセラフィムがいないか、徹底的に捜索するぞ。一体残らず処理、あるいは捕獲だ」
力強いギデオンの言葉に、アンもキヨハルも救われていた。今は、命令された仕事をし続けなければ耐えられない、倒れてしまいそうだと弱気にもなっていた。だが、そんなことではカリタに申し訳が立たないと、全員でセラフィムを一掃するためにボードを飛ばした。
セラフィムを処理、または捕獲し終えた隊員たちは、居住区B2駅で待っていた。すでにゲイザーからカリタの訃報は聞いているようで、隊員たちは皆、沈痛な面持ちだ。今回のセラフィムと思しきエンジェルは、なぜかどの個体も先に攻撃をしてこなかった。B.A.T.から先に攻撃すると、急に我に返ったような凶暴さで襲ってきたが、そうでなければ、ただじっと人間を見て、近くで観察し、そして動きや声を真似るという、今までのセラフィムにはなかった異常な行動をとる群れだった。
車を降りると、アフター会議に出席するため、隊員は棟の中に入っていった。本部に戻ったギデオンは、カリタの自宅に連絡して父親に義娘の殉職を伝える。
「ギデオン班隊長のギデオンです。深夜に失礼します。本日、居住区にエンジェルが現れたことはご存じですね? その件について、いくつか報告があります。……落ち着いて聞いてください。まず、カリタ隊員がエンジェルの襲撃を受けて殉職しました。手は尽くしましたが出血が酷く、救命も間に合いませんでした。大変残念で、またご家族のみなさんには隊長として申し訳なく思っています」
ギデオンがゆっくり含めるように言うと、電話の向こうでカリタの義父・ジョージは、「ひっ」と息を呑んで押し黙った。数秒後、おずおずと話し出した彼の声は、怯えているようにも聞こえた。
『ちょっと待ってください、いきなりそんなこと言われても……。本当なんですか? その、カリタが亡くなったというのは』
こんなことを冗談で言うはずがないのは当たり前なのに、ジョージは受け入れるのを拒んでいるようだ。卑屈に笑いながらギデオンが否定するのを待っている。
「ええ、本当です。ご遺体は本部に安置させていただきましたので、明朝こちらにおいでください。手続きもありますので」
ギデオンは、ジョージと話しながら少しの違和感を覚えている。この父親は、どこかおかしい。そういえば、カリタはツヨシにだけは家庭の事情を詳しく話していたらしいが、何らかの問題がある父親なのだろうか。
『そうですか、わかりました。明日の朝、そちらに行けばいいんですね。でも、一週間は外に出るなって放送が』
「はい、こちらから車でお迎えに上がります」
『あぁ、それなら……。いやそれより、妻が一昨日の夜から帰ってこないんですよ。妻もエンジェルにやられたってことでしょうかね?』
今度はギデオンがしばし沈黙する。このジョージという男も、母親と同様にカリタにとっては親らしい男ではなかったのだろう。だが、もうカリタの家族の中で大人と言えるのはこの男しか残っていないのだ。ギデオンは続ける。
「奥様はエンジェルに変異したため、B.A.T.が捕獲し、本部の科学棟に収容しました。今後、お会いになることはできません」
電話の向こうで、ジョージが小さく唸る声が聴こえる。訳が分からないのだろう。それも当然だ。妻がエンジェルになったと言われて、はい、そうですかと答える夫などいるはずはない。
『え、と……ちょっと待ってくださいよ。あなた何言ってんですか。妻がエンジェルに? 人間がエンジェルになるなんて、そんなの聞いたことありませんよ! いい加減なこと言わないでくださいよ』
彼には理解が及ばないようで、ショックを受けたというよりは、何もわからずに混乱している様子だ。だが、それが自然だろう。人間を襲って殺すのがエンジェルなのだ。今までずっと、奴らと戦ってきたのがB.A.T.のはずだ。その隊長から、もう妻は人間ではないと言われたのだから。
「信じられないのは無理もありません。私たちも今日初めてそれを知りました。何人かの人間が、目の前でエンジェルに変化していったのです。これからその原因究明に尽力していきます」
はぁーっ、と電話の向こうでジョージが溜め息をつく。何を言うべきか見つからないのだろうが、もう少し父として、夫として、しっかりしたことを言えないものかと、ギデオンは憤っていた。
「それから最後になりますが、末の息子さんのクリスくん、彼はお母さんがエンジェルに変化する直前の様子を目撃してしまったので、こちらで保護してカウンセリングを受けてもらいます。精神的に落ち着いたと専門家が判断できれば、ご自宅にお返しします」
『えっ、クリス? そっちにいるんですか? あぁ、うちにいなかったのか……』
ギデオンは耳を疑った。あの緊急事態の最中に、自分の家族の安全と居場所を確認しない親がいたことに、怒りをおぼえた。だがこれでもう、ジョージに伝えることはない。早く電話を切って、不条理な現実に戻らなければならないのだ。だがその時、ジョージが電話の向こうで鼻息を荒くして言った。
『それで……私たちはどうなるんでしょうか? カリタが亡くなったら、ここを出て地上に戻されるんですかね?』
ギデオンは、すぐに答えられなかった。カリタの死を、妻の不在を、息子の心の傷を、この男はなんだと思っているのだ。人間とは、果たして本当に守るべき価値があるのかと、隊長の身でありながら迷いが生じた自分自身にも、軽く失望していた。
「それは、明日以降お伝えできると思いますので、お待ちください。では」
電話を切ったギデオンは、疲れ切った表情をしている。仲間にとっては大切な家族であるカリタが、本当の家族からは一切愛されていなかったのだという事実に、ギデオン班全員がショックを受けていた。
そばでギデオンとジョージの会話を聴いていたディーノは、ジョージの言葉を口の中で繰り返す。
『妻がエンジェルに? 人間がエンジェルになるなんてことがあるんですか?』
ディーノは今回の出動で、カリタの母親がエンジェルに変化してゆくさまを目の前で見た。あれは一体、どういう仕組みなのだろう。「擬態個体」と現場では呼ばれていたが、エンジェルが人間に擬態していたのか、それとも本当の人間がエンジェルに身体を乗っ取られたのか、それは今後の調査によって判明してくるのだろうが、今は何もわからない。この会議でも、わかることはないだろう。ただ、カリタの不在が強調されるだけだ。
アフター会議が行われる室内は静かだった。ほとんどの者がカリタの殉職を知っていたので、言葉を発することをためらっている。その犠牲がなければ、今回遭遇した異質なセラフィムについて、隊員同士で話したいこともあるだろうが、みな前を向いて静かに立っていた。しばらく待つと、ゲンシュウら上官が現れ、隊員たちは改めて姿勢を正す。
「緊急出動に対応してくれた皆、ご苦労だった。楽にしていい。まずはギデオンから報告しろ」
壇上のゲンシュウは、まだカリタのことを知らない。いつも通りの威厳を保ってそこに立っている。
「ギデオン班のギデオンです。今回、我が班は主に居住区のセラフィム捕獲に当たりました。おそらく彼らは知能が高く、攻撃してくる気配が見られないという特徴がありました。それらの個体はすべて捕獲済みです。なお、任務中にカリタが攻撃を受けて殉職しました」
カリタのことを知らなかった隊員たちから、動揺のざわめきが起きる。そしてゲンシュウは、困惑した表情を浮かべている。
「なに? 殉職者が出たのか……。前回の出動に続き、またか。いかんなそれは。いや、非常に悪いことだ」
ゲンシュウが何を言いたいのか、ギデオンにはわかっていた。前回、臨海地区に出動した際には、実に三十三名ものデビルの命が失われた。その損失を、やっと埋めたばかりだというのに、また殉職者が出てしまってはアーロンに申し訳が立たない。しかも第一軍の隊員でありながら何故、と苛立っているのがわかる。しかし、内面をそのまま表すわけではなく、上官として冷静に言う。
「殉職したカリタに黙祷を捧げる。黙祷!」
ゲンシュウの声で、その部屋にいる全員が目を閉じてカリタに鎮魂の祈りを捧げた。カリタを知っている隊員の中には、嗚咽を洩らす者もいる。ギデオン班の仲間たちは、まだ涙を流しているが、アンは憔悴しきって心ここにあらずという様子だ。
「ギデオン、カリタのことは残念だった。遺族への連絡などは事務室と連携して処理しろ」
「了解」
「他に報告すべきことはあったか?」
地下の居住層にエンジェルが現れたと本部に連絡が入った時、ゲンシュウが言った「想定外の突然変異か」という言葉を聴いた者はいない。ゲンシュウは隊員の知らない何らかの情報を得ているのだ。しかし、もちろんギデオンもそんなことは夢にも思っていなかった。
「はい、本部にも映像を送りましたが、居住区B2駅において、異常に長い後脚で立ち、二足歩行する個体がありました。また、人間を観察し、言葉や仕草を真似る等、学習していると思われるものばかりでした。各個体は自ら市民や我々に対して攻撃はせず、こちらからの攻撃を受けた場合のみ、人間を死に至らしめようとしてきました。それらは速やかに処理し、脅威とならない個体はすべて捕獲、回収しました。以上です」
「次、ゲイザーか?」
ギデオンの報告が終わると、ゲンシュウは隊長のゲイザーを指名する。ゲイザーはB2駅から商業施設周辺でのことを報告した。
「はい、我々はまず、B2駅前のロータリーと、その周辺の商業施設における市民の安全確保と、エンジェルの処理及び捕獲を行いました。ギデオンからの報告にもあった通り、今回現れたエンジェルは、攻撃をしてきませんでした。むしろ人間の近くに来て、人間を観察して真似るという、信じがたいことですが、親近感を表すような様態でした。周辺に居合わせた市民は全員シールドの中に避難させ、怪我人、犠牲者は一人も出さずに済みました。以上です」
「ふむ、なるほど。市民には被害が及ばなかったのだな。ご苦労だった」
ゲイザーの報告に対するゲンシュウの応答に、マックスは不満を抱いている。もっと労ってもいいのではないかと思っているのだ。
「次、誰か何かあるか?」
「はい!」
勢いよく手を挙げたのはシドニーだった。彼とマックスは、列車内で擬態個体と対峙し、揺れる狭い車内でセラフィムを捕獲した。ルキアとギーを入れれば、全員が当日に配属されたばかりの、いわばルーキーだったにも関わらず、その見事な連携と、カルマの登場による鮮やかな攻撃は、特に素晴らしかったと言える。
「自分たちは列車内に残った市民をシールドで覆い、安全に誘導するとともに、あらかじめ人間の姿をしていたセラフィムの捕獲に成功しました。市民の一人が勝手に列車を運行させるというアクシデントはありましたが、市街地同様、怪我人、犠牲者はゼロでした」
「うむ、わかった。ご苦労だった」
初めて上官に対して発言するシドニーは、とても緊張していたはずだ。そんな新人隊員にもねぎらいの言葉をかけられないゲンシュウに、マックスは失望している。現場の隊員は皆素晴らしい人ばかりなのに、上官がこれでは……と暗い気持ちにもなった。
「列車が走り出したあと、B2駅のホームに残っていたセラフィムたちは、市街地や商業施設周辺、居住地区などに飛び立ちました。我々は分散してそれを追い、処理・捕獲に当たりましたが、セラフィムの総数はそれほど多くはありません。応援に駆けつけてくれた二十名ほどの隊員たちに謝辞を述べたいと思います」
ギデオンが総括的な意味合いで言葉を足すと、ゲンシュウもそれに応える。出動したすべての隊員の視線を集めた彼は、改めて腰の後ろで手を組み、胸を反らせて言う。地下にエンジェルが現れたことに対し、戸惑いを隠せないという気持ちを殊更に強調したその様子がなにか不自然で、ギデオンやツヨシたちは違和感を拭えない。
「この度、『絶対安全』と保障されていた地下層にエンジェルが現れたことは、新たなる脅威として厳正に受け止めねばなるまい。人間の姿をしたエンジェルとは何者なのか、その究明を急ぎたい。あぁそれから、フローラが発案したというエンジェルの呼称、通常型を『セラフィム』、小型を『スウォーム』とする案を、正式に採用することとした」
ゲンシュウの言葉に、フローラは小さく「きゃっ」と喜びの声をあげた。両手で頬を押さえ、肩をすぼめた様子は少女のようだ。
そんなフローラを一瞥したギーは、擬態個体などというものが現れたことがそもそもおかしいが、それ以上に悪い予感を察知して、苦い表情をしている。そんなギーの横顔を、カルマがちらっと見ていた。
「では、現れたセラフィムの攻撃個体は処理し、それ以外はすべて捕獲済みということでいいな?」
締めくくりにゲンシュウが言うと、フローラが手を挙げ、感極まって咽び泣きながら発言する。
「いえ、二足歩行ちゃんがいます!」
フローラの声と表情をみとめたゲンシュウは、「またか」と言いたげにうんざりした顔を向けた。だがフローラは、そんな上官の反応など気にすることなく、愛しい二足歩行セラフィムについて語り始める。




