第57話 帰れないひと
すべての商店、飲食店等はグリルシャッターを下ろし、中にいる従業員や客たちは奥で息を潜めている。彼らはガラス張りの店舗の外に意識をやり、エンジェルがその前を通るのを震えながら見ていた。
一体、いつまでこの状態が続くのだろう。そもそもなぜ地下層にエンジェルが出現したのか、まったくわからない。緊急アラートはさっきから同じことを何十回も繰り返している。B.A.T.はどうしているのか、我々はいつ救助されるのか、何かアナウンスがあってもいいはずだと、感情的になる者も出始めた。
「どうなってるんでしょうね、B.A.T.は何をしているんだ」
「助けに来る様子は、まだありませんね。ここでいつまで待てばいいのか……」
ぽつぽつと見知らぬ客同士で会話を交わすうち、彼らの中にはB.A.T.がしっかりしていないからだと言い出す者が出てきた。エンジェルが出現したという驚きと恐怖を、B.A.T.の責任だとする声が沸き上がったのだ。あるひとつの商店で誰かが言い出したことが、モール全体に伝播するように急激に広がっていった。
「B.A.T.はなにやってるんだ!」
「早く助けに来てくれ!」
エンジェルを恐れているくせに、グリルシャッターがあれば彼らがそれを破ることはできないとして、隠れていた店舗奥から舗道に面したガラスの前まで出てきて、住民たちは口々に喚いた。
ゲイザー班の隊員たちは、商業施設を中心にセラフィムの捕獲あるいは処理に向かった。居住区B2駅にいた多くのセラフィムが飛び立ったのは、商業施設やショッピングモールが立ち並ぶこのエリアと、ギデオン班が向かった居住層だった。列車内にいた二体の擬態個体を捕獲したカルマとギー、ルキアもゲイザー班に合流していた。
閉じた商店の中にいた客の一人が、B.A.T.を見つけた。急いでドアに駆け寄り、中からガラスをどんどんと叩いてここにいることを知らせる。
「デビル! エンジェルが発生してるんだ! 早くやつらを殺してくれ!」
「B.A.T.です! シャッターの中にいれば安全ですので、そのまま静かにしていてください。今いる場所が、あなたたちの避難場所です。周辺にいるエンジェルに攻撃個体が混ざっていた場合、すぐに処理します」
「攻撃個体……? エンジェルは問答無用で殺すべきだろう!」
「そうだ! 民間人を犠牲にするつもりか!」
店内にいる男たちは血相を変えて騒ぎ出した。「攻撃個体」と言われても、彼らにわかるはずはない。隊員はその言葉を口にしたことを後悔していたが、とにかく人間が落ち着いていなければ、速やかな救助もできない。
レンガ敷きのモールの路面には、ところどころに道幅いっぱいに花のイラストが描かれている。そこをふらふらと歩くフローラは涙を流していた。先ほどホームから飛び去ってしまった異形のセラフィムを探しているのだ。「セラフィム」「スウォーム」という呼称を考えたのはフローラ自身だ。自分が名前を付けたことで、それまでよりも彼らへの特別な想いは強くなっていた。さらに、まさに「異形」としか形容しようのない、二本の脚で立っていたセラフィム。その個体に近づき、柔らかな白い翅に素手で触れたという経験をしたフローラの心は、「彼」でいっぱいになっていた。
「あぁ、二足歩行ちゃん……。私を置いてどこへ行ってしまったの!」
カルマとギーの活躍で、地下鉄の制圧は問題なく済んだ。今度は商店街に残った人の救出だと、ゲイザーたちも各商店や飲食店を回り、中にいる者に声をかけている。
「異形ちゃぁーん!」
「フローラ、正気になれ!」
泣きながら異形個体を探すフローラの様子は、去ってゆく恋人を引き留めようとする女のようで、見ていられない。ゲイザーが叫ぶが、カルマは銃を持ったまま、両手を頭の後ろに回して笑っている。
「あはっ、元から正気じゃないじゃん」
「……カルマ、そんなこと言うもんじゃない。本当だとしても」
「ギーくんこそ、ひと言余計じゃない?」
カルマがギーと楽しそうに会話をしているそばで、ルキアは周囲を見回し、セラフィムがいないか確認している。するとそこへ、二体のセラフィムが降りてきた。
「ゲイザー隊長! 撃ちますか?」
「まずはよく見ろ! 一定時間攻撃してこなければすぐに捕獲する」
「了解」
ルキアはそう返事をし、銃を構えてホロサイトを覗いた。だがカルマは、ゲイザーの指示に納得できないものを感じている。
「なにー? 一定時間ってどれくらい待てばいいのさ。具体的に言ってくれなきゃわかんないよ」
カルマは口の中でぶつぶつ呟きながら、ルキアが戦闘態勢に入るのを眺めていた。まだライバル視しているらしい。
セラフィムは低い位置でホバリングしている。地下鉄にいたものと同様の、擬態個体ではなさそうだ。カルマとルキアの方に顔を向け、漆黒の大きな眼でじっと見つめている。そして身体の向きを変えると、一番近くにある雑貨店の中に避難している人間たちに視線を注いだ。
「いやーっ、エンジェルが見てる!」
「何やってるんだ、B.A.T.! さっさとこいつら撃ち殺せよ!」
セラフィムに見つめられ、恐怖のためにパニック寸前の人間たち。そんな大人が店内に十五人ほどいるが、みな似たような反応を示している。
「非攻撃個体のようです。捕獲します」
ルキアがゲイザーに伝え、「了解」と答えがあった。すぐに飛んでいきそうもないセラフィム二体は、麻酔弾で眠らせた後、拘束した。呆気なく捕獲完了だ。ユキとテイトがその場に残り、モール内の各店舗に避難している人々に、説明して回ることになった。テイトは、マックスとシドニーとともに、補欠から上がってきたばかりのルーキーだ。
「テイト、頼んだぞ、俺は市街地の応援に行く」
「了解!」
ゲイザーがテイトとアナトに通信する。テイトたちは、セラフィムが潜んでいないか商業施設を徹底的に調べ、アナトとイリスたちは居住区B2駅の前で、本部から応援に駆け付けたデビルたちとその周辺を捜索することになった。
幼いルーシーとヨシトは、左右両側からエイジの腕にしがみついて震えていた。断続的になり続ける緊急アラートの音に、小さな胸は不安でいっぱいだったのだ。ジュリアンが通信機の音量をオフにしたので、家の中は静かになったが、街路のあちこちに立っているスピーカーから流れる緊急放送は、まだ止んではいない。
テレビではドローンがセラフィムの姿をとらえており、ゲイザーたちが戦う様子も映し出されている。それを見ているエイジは、自分もあの現場に駆け付けたいと、歯がゆい思いを持て余していた。「家族を守れ」とブリクサに言われた通り、弟妹から不安を取り除いて一緒にいてやりたいと思っているが、マックスとシドニーの安否も気がかりなのだ。配属された当日に、こんなことになってしまったのはなぜなんだ……と、エイジは胸騒ぎをおぼえずにいられなかった。そこに、エイジの電話が鳴った。
「もしもし……」
『おう、エイジ! いま大丈夫か?』
「マックス……お前、無事なのかよ! よかった……。シドは?」
『もちろんシドも一緒だよ。詳しいことは本部から連絡があるはずだけど、人間に擬態するエンジェルが列車の中に出て、もぅパニックよ。すんげえグロかった』
「人間に擬態」という言葉を初めて聞いたエイジは、それがどういうことなのか理解が追いつかない。エンジェルが人間に化ける? そんなことができるのか?
「人間に擬態って……。どういうことだ?」
マックスの周囲では、シールドに避難したと思われる人間が騒いでいるらしく、エイジはマックスが何を答えたのか聴き取れなかった。
『カルマさんに助けてもらった。やっぱあの人、すげえよ』
「そっか。変わった人だけどな、銃の腕はB.A.T.で一番なんじゃねえかな」
『エイジが心配してるだろうと思って掛けた! まだ任務中だから切るわ。また明日、シドと三人で会おうぜ。めちゃくちゃ話すこといっぱいあるから、予定空けといてくれよな!』
そこでマックスからの電話は切れた。エイジが降りたあと、列車に残っていたふたりのことが心配だったので、マックスの方から連絡があったのは本当に良かった。エイジは大きな溜め息をつきながら椅子に腰を下ろし、任務中の電話はマズいけどな、と少し笑った。緊張しきっていた心に余裕ができたのか、と自分で気づいてほっとする。
「お兄ちゃん、どうなっちゃうんだろうね」
「おにいちゃん……」
ジュリアンとヨシトがまた両側に来てエイジを見上げる。エイジはふたりの頭に手のひらを載せ、さらさらした髪を撫でながら答えた。
「俺にもわかんない。でも原因を突き止めて、もうこんなことが起きないようにしていくよ。今度はお兄ちゃんがあいつらをやっつけてやるからな」
外では聞き取りにくい緊急放送が流れっぱなしだ。絶対に安全だと言われていた、誰もがそう思っていた、いや、実際に絶対の安全を保障できる設備を、この地下層は整えてあったのだ。それが崩れた今、これからこの層はどうなってゆくのだろうか。ルーシーやヨシトだけではない。すべての人にとって、この出来事は新たな脅威となった。
多くの人間が暮らす居住地区は、大変広範囲だ。ギデオン班が手分けしてセラフィムを捜索しているが、カリタには彼女の暴走を止めるためにツヨシがついている。その近くにはアンとキヨハルがおり、ギデオン、ディーノ、マティアス、オスカーの四人は、それぞれ一人ずつに分かれて、互いに目視できる程度の範囲内で任務にあたっていた。
ギデオンが高層住宅の最上階あたりを飛んでいると、建物の脇からセラフィムの姿が見えた。これは擬態個体ではないようだが、攻撃してくるのかどうか、それを見極めてから処理か捕獲かを決めなければならない。外壁にとまっているその個体が、ギデオンに気づいた。白い毛に覆われた顔をゆっくりとギデオンの方に向け、黒く大きな瞳で見つめてきた。臨海地区への出動の際、「目を合わせたデビルが脳を操られた」という報告があったが、こいつらもそういった特色があるのかと、ギデオンはわずかに目を逸らしながら対象を観察した。十秒ほどこちらを見ていたセラフィムは、そのまま動かない。まるで普通の蛾だ。これは捕獲対象だと判断したギデオンは、麻酔銃で撃ってから拘束し、近くを飛んでいるドローンに回収させた。
オスカーは居住区内の遊歩道を低く飛び、周囲に気を配りながらセラフィムの出現を待つ。一キロメートルほど進むと、道が開けて小さな公園に着いた。フェンスのそばに立つスピーカーからは、相変わらず緊急放送が流れている。セラフィムだけではなく、当然今は無人だが、逃げ遅れた子どもがいないか、そこにも気を配る必要があると思った。誰もいない公園を見回してみると、水飲み場にセラフィムの姿があった。誰かが流しっぱなしにしていった蛇口から、水を飲んでいるようだ。ホバリングしながら口吻を伸ばし、はね返る水を顔の白い毛に浴びている。攻撃してくるなら処理だ。銃を構えて少し近づくが、セラフィムはまだ水飲み場を離れない。この個体も捕獲だと判断し、オスカーは麻酔弾を撃ち込んだ。
居住層に飛んで行ったのは何体だったのか、マティアスは居住区B2駅のホームから飛び立っていったセラフィムを思い浮かべていた。そういえば、あのフローラが恋人のように見つめていた異形も、この方面に飛んでいった。一人でいるとき、あれに出くわしたらキツいと思いながら、カリタなら「捕獲だ」と命令されていても、思わず解体してしまいそうだと想像した。すると、前方に二体のセラフィムを発見したマティアスは、擬態個体ではないかと観察してみた。そこへディーノが飛んできたので、マティアスが訊ねる。
「ディーノさん、擬態個体って言われてもピンとこないんですけど、見た目が人間になってるってことでしょうか?」
「俺たちも実物を見てないからな、どの程度擬態できるのか、遭遇してみないことにはなんとも……」
マティアスは、じっとセラフィムの後ろ姿を見つめた。擬態しているような特徴は見られない。
「これは捕獲ですよね」
「じゃ、俺は左のいくから、マティアスは右で」
「了解」
並んで飛んでいた二人は空中で左右に大きく広がり、それぞれセラフィムの正面に先回りする。そこで同時に銃を構え、麻酔弾を撃った。待ち構えていたドローンが速やかに回収すると、また前方から二体のセラフィムが現れるが、それらも非攻撃個体のようだ。だが、マティアスもディーノも、耳を疑った。
「ア……ナタハ……」
「ウンメ、イダ……ワ、ァハ……」
ふたりの耳がとらえたのは、フローラの声だったのだ。正しくは「フローラに似せた声、真似た声」だが、確かにフローラの声だった。
「さっきホームにいた異形に、あの人、フローラさん言ってたっけ?」
「……そうか! 言ってたと思います。あの時ホームにいたヤツらか。じゃ、こいつらは擬態個体ってことですよね? すぐに捕獲しましょう!」
「よし、麻酔弾だ。同時にいくぞ」
「了解です!」
ディーノとマティアスが左右に分かれて麻酔弾を構えようとしたとき、二体のセラフィムも同様に分かれた。そしてマティアス側にいた一体が素早く背後に回ったかと思うと、マティアスの背中に抱き着いたのだ。
「ギャーッ!」
悲鳴を上げるマティアスの、その悲鳴までもセラフィムは真似た。先ほどのフローラの声ではなく、今度はマティアスの声で叫ぶ。
「ギャーッ……、ギ、ヤ゙ァァァーッ!」
「なんだこいつ、今度は俺の真似してるんですかね?」
「そうらしいな……、でもこいつ、なんか嬉しそうに見えるぞ」
「ディーノさん、やめてくださいよぅ! そして早く助けてください!」
マティアスはセラフィムのふわふわした翅に包まれて、気持ちが悪くて仕方ないと言いたげに、悲鳴交じりでディーノに懇願する。そうしている間にも、セラフィムはマティアスに甘えるように翅を擦り付けている。
「マティアス、ちょっとじっとしてろ!」
「ディーノさん!」
ディーノはセラフィムがマティアスに抱き着いている様子をじっと観察した。この行動がセラフィムの攻撃の一環だとしたら、直ちに撃たなければならないが、マティアスはふわりと柔らかく包まれているだけだ。
「これは……」
セラフィムはマティアスを「拘束」しているのではなく、これは「戯れ」と捉えるべきだろう。ディーノは慎重にマティアスとの距離を詰め、その腕を引いた。セラフィムはそれ以上何もせず、マティアスをするりと解放した。
「なんだったんですかね」
「わからない。でもこれが擬態個体だとしたら、人間の真似をするのが楽しいのかもしれない」
「えぇっ? エンジェルに『楽しい』なんて感情があるんですか! それじゃますます手強くなりますね」
「とにかくこいつら二体とも捕獲だな」
ドローンが回収のために近くまで飛んできた。ふたりはその二体を渡し、今の出来事をギデオンに報告する。
『こちらディーノとマティアスです。一緒に行動していて、十三体ドローンに回収させました。最後に捕獲した二体は、人間の言葉を真似て喋っていました。擬態個体かもしれません』
『そうか、了解した。この周辺にはセラフィムは残っていないようだ。だが、発生源が不明な以上、撤収というわけにもいかんだろう』
『そうですね』
『こちらオスカー。こちらも処理はゼロ。回収が七体です。市民に不安を与えることなく、安全に帰宅させるにはどんな方法がありますかね』
ううむ、とギデオンも考えが浮かばないように唸ったが、そこに本部から通信が入った。
『こちらB.A.T.本部です。ギデオン隊長、現在の状況を報告してください』
『こちらギデオン。地下鉄、市街地、商業施設ともに不審な個体はすべて捕獲。居住区に入っている隊員からの報告を待ち、それ次第で撤収する。以上』
『了解。避難している市民は居住区ごとに分かれてもらい、すでに居住区B2駅前のロータリーにて待機中のバスに分乗の上、自宅棟まで送ります。各隊員は、各エントランスまで誘導を願います。また、本日のアフター会議は、異常事態のため、全員に召集がかけられています、以上』
『了解』
ギデオンが本部からきた内容をゲイザー班他、臨場した全隊員に共有し、市民の帰宅後に撤収となった。これからバスで送っていくとなると、撤収までには相当な時間を要すると思われる。
「捕獲したのは全部で何体になるんだろうな」
「けっこうな数になっているでしょうね」
居住区B2駅前で、ギデオンが溜め息とともに言葉を吐き出した。オスカーも大きく息を吐いてから言う。ギデオンもオスカーも、モールから戻ってきたゲイザー班の隊員も、みな一様に疲労を滲ませている。やはり誰にとっても、経験したことのない異常事態への対処は疲れるのだ。
「あとは……ツヨシたちだけだな。あの四人はまだ戻ってこないか。ディーノ、連絡してみてくれ」
『ツヨシ副隊長、そろそろ撤収です。応答してください』
ディーノがツヨシに通信を試みるが、ノイズばかりで応答する気配がなく、ディーノの通信機からは何も聞こえない。何度か呼びかけているうちに、やっとツヨシの震える声がスピーカーから流れてきた。




