第56話 居住層J4
ギーと並んで車両を進むカルマは、ガラス越しに六両目にいるマックスとシドニーを盗み見る。
「あいつらテンパってんなぁ。ま、無理もないけどねぇ。頑張ってはいるみたいだけどねぇ」
ギーと同様、配属初日の、しかもこの春に訓練校を卒業したばかりのルーキーには、この現場は相当な負担だろうと思われる。だが、そんな状況でも乗客を守り、エンジェルと対峙しているふたりが可愛くて、カルマは口元が緩んでしまうのを抑えきれない。
「ふふ、かーわいいなぁ。あいつらだけでどこまでできるか見てようか」
連結扉の前で屈み、カルマは暗視ゴーグルで最終車両の中を見ている。やれやれと溜め息をついたギーは、カルマの首根っこを掴んで立たせた。
「カルマ、そんな余裕はないだろ。さっさと応援に入ってやらないと、乗客も騒いでるしあいつらもたないぞ」
カルマのようにいつもふざけ半分でいる隊員と違い、ギーは真面目にマックスとシドニーのことを思って言った。するとカルマは不満そうな顔で振り向いた。
「そうだね、まぁギーくんがそう言うなら仕方ないか。向こうは真っ暗だし、客たちがあんなに騒いでちゃ、そろそろいっぱいいっぱいだろうな。よし、行くか!」
そろそろと扉を開け、こちらに背中を向けているふたりに近づいてゆく。ギーもカルマから渡された暗視ゴーグルをかけているので、六両目の様子はよく見えた。
進行方向左側に寄せられたシールドの中には、およそ四十人ほどの乗客がいる。その八割が男性のようだが、口々に勝手なことを喚いていた。
「おい、なぜ電気が消えたんだ! 早くつけろよ!」
「この中にも擬態したエンジェルがいるんじゃないのか! さっさとそいつを殺せよ!」
「そうよ、誰がエンジェルかわからないじゃない!」
シールドの内側からそれを押したり叩いたり、暴れている者もいる。カルマは呆れた顔でギーに視線を向けるが、お互いにゴーグルを着けているので、その表情は良くわからなかった。
「ほいほい、キミタチもういいよ~。ここはおじさんが片づけてあげるから、前の車両に行ってなさい」
「ぎゃあああぁぁっ!」
背後からいきなりカルマに囁かれたマックスは、逆にギーが驚くほどの大声で叫び、跳びあがった。カルマも驚いてマックスに負けない声で叫び、真っ暗な中で絶叫を聞かされた乗客は、誰かがエンジェルに襲われたのかと勘違いして悲鳴を上げた。
「マックス、落ち着け。カルマさんだ!」
シドニーに言われ、はっとしてカルマとギーの姿を確認したマックスは、驚かされたことが悔しかったらしい。ややむくれた恥ずかしそうな顔で、ふたりの後ろに下がった。
「じゃあ、ついでに見ていきなよ。君たちもこれから、こういった連係プレイをするようになるんだからさ」
そう言ったカルマが老人個体の翅を撃ち、ギーが麻酔弾を撃ち込む。その時、照明が復旧した。おそらくルキアが一号車でスイッチを入れたのだろう。ゴーグルを外して、五両目の女性個体と同じ方法で素早く捕獲すると、速やかに前方車両に進み、三号車にいたルキアと合流した。
「ちょっと、早くなんとかしてよ!」
「まだエンジェルがいるんじゃないのか!」
ここでも人々は自分勝手に喚いている。ルキアはうんざりした顔で座席に腰を下ろし、マックスとシドニーが手分けして説明して回った。
「人間に擬態していた個体は、初めから様子がおかしかったことを確認しています。シールド内は絶対に安全です」
だがそれでも、人々は不安や恐怖、そして怒りを口にして子どもは泣き叫んでいる。やがて停車駅である「居住層J4駅」に到着すると、ドアが自動で開いた。
「シールドを解除しろ!」
「早くしてよ!」
擬態していた個体は麻酔弾で鎮静の上拘束してあるが、乗客たちはそれでも早く車内から離れたいと、シールドの中で押し合っている。誰もが我先にと押し合う様子は、見ていて気持ちの良いものではない。
「このままじゃ騒ぎが収まらないから、シールド解除しちゃう?」
カルマがギーと頷き合い、まずは四号車から解除することとなった。シールドは乗客たちの足元から徐々に消え、やがて完全に消滅する。するとほぼ全員が喚きながら車両の扉へと殺到した。きちんと整列した方が、殺到するよりも余程速やかに出られるのだが、非常時にはそんなことも忘れてしまうらしい。
「わあぁ」
「押すなよ!」
雪崩のようにホームに出る人に揉まれ、小さな子どもを連れた若い母親は、人波に巻きこまれて扉から遠ざかってしまう。繋いでいた手が離れ、子どもだけがホームに押し出されて転んだ。
「ママ! ママ!」
「ナオト! そこから動かないで!」
ナオトと呼ばれた子どもは、膝をすりむいてホームで泣き出した。次々と列車から吐き出されてくる大人たちが恐ろしく見え、泣き声はさらに大きくなる。
「大丈夫!?」
「私の子どもに触らないで!」
若い女性がナオトに手を差し伸べるが、遅れて出てきた母親にその手を振り払われた。ナオトを助けようとした女性は、差し出した手をもう片方の手でぎゅっと握り、そのまま踵を返して去っていった。
誰もが他人を信じられず、誰を見てもエンジェルに変化するのではないかと疑ってしまう。上階へと急いだ人々は、改札を抜けて外に出た。とにかく周囲の人間と距離を取ろうと、必死の形相で安全な場所を探すが、エンジェルが飛んでいることに気づくと、すぐにホームへと戻ってきた。ホーム階へと続く階段では将棋倒しが起きそうだ。
「勝手に動かないでください! B.A.T.の指示に従ってください」
マイクで繰り返しているが、誰も聞く耳を持たず、自分だけは助かりたいと必死だ。B.A.T.や政府関係者ではない一般の民間人は、地上のシェルターで暮らしているのだ。そこと比べればはるかに、いや、今日までは完璧な安全を保っていた地下層に住んでいてもなお、このような醜態をさらすとは、他人のことを顧みることなどできない者ばかりだ。
「シールドを張って中に入れてくれ!」
「外にエンジェルがいるんだよ!」
だから言わんこっちゃないと、ホームに残っていたゲイザー班の隊員が溜め息をつきながら彼らを誘導し、その場にシールドを張った。そして順次避難させると、やっと周囲は少し静かになった。
シールドから少し離れた位置に立ってホームを見ていたカルマは、違和感を覚えて口にする。
「う~ん、なんかおかしいなぁ」
「そうなんだ、攻撃してこない。こいつらは明らかに学習してる」
ギーがそれに答え、人の言葉を真似ていたことも伝えると、カルマは信じられないという顔をした。
「え、声真似って、『ボク、カルマ』みたいな? まぁ、でも攻撃してきそうだと思ったら、いつでも撃っちゃうから」
カルマとギー、そしてルキアは戦闘モードに入り、マックスとシドニーは車両内のチェックに取り掛かった。暴走していた六両編成の車両内は、ひとまず処理できたと言えるだろう。
一方市街地では、何体かのセラフィムが暴れまわっていた。これらも元々は攻撃してこない個体だったが、人間の方から何かしらの攻撃を受け、怒りの感情を露わにしたものだ。人々は叫びながら逃げまい、押されて倒れ、怪我をする者も出ている。
「イリス、右!」
アナトの叫び声に反応し、イリスは間一髪で一般人を助けた。その若い女性はエンジェルに狙われたという事実にショックを受け、恐怖し、泣き崩れている。
「ありがとうございます。ありがとうございます!」
泣きながら感謝の言葉を繰り返す彼女を建物の中へと避難させ、アナトとイリスは、背中合わせになって全方向をカバーしながらエンジェルを処理していった。
「アナト、こいつらは地下鉄にいた個体と何が違うの?」
イリスが叫ぶように問うと、アナトは左の肩をきゅっと上げながら答えた。その動きがイリスの肩に伝わり、イリスの身体に緊張が走る。
「わからない。でも、人を襲う前に撃たなきゃ」
「うん……」
他の個体を隊員たちが処理しているのが目に入る。逃げ遅れた人たちを集めて新たにシールドを張り、飛び回るセラフィムを撃つ。さきほど地下鉄構内に現れたものと同様、まるで人間を観察しているかのような個体は、何体か捕獲に成功した。持ち帰った個体を解析して、何故地下層に現れたのか、侵入経路や生息形態など新たな事実が判明することを願う。
「居住層J4」周辺を目指してボードを発進させたカリタは、少し顔色が悪く見えた。いつものカリタとは違う暗い表情に、ツヨシが心配して声をかける。
『カリタ、どうした。大丈夫か?』
温かく力強いツヨシの声に少し安心したのか、カリタは弱々しい笑みを見せながら答えた。
『あ、いや……、J4ってうちの近くなんすよね』
だがそう言うと、カリタは瞳をギラギラさせてサディスティックモードにスイッチする。
『ああ、そうだったな……』
自宅にはまったく帰ることなく、B.A.T.本部に寝泊まりしているカリタだが、家族は居住層で暮らしていたことを、ツヨシは思い出した。するとツヨシに心配を掛けたくはないと、カリタは努めて明るく応える。
『まぁ、大丈夫っしょ。家の中にいれば』
そう言うと、カリタはボードを加速させて居住区の建物の隙間を細かく見て回った。ツヨシも見落としがないか注意深く確認している。中層の集合住宅が立ち並ぶ街路を抜けると、セラフィムが単体で飛んでいるのに遭遇した。
『お前ら、なんでこんなとこまで来たんだよ!』
飛びながら、カリタは自身の誕生日の祝いにと、ギデオンからもらった銃を構え、セラフィムの目と目の間を一発で打ち抜いて仕留めた。
『あっ、撃っちゃった! ツヨシ副隊長、こいつらって捕獲するんでしたっけ?』
『一応、地下に現れたこいつらは、今までのエンジェルとの差異を確認したいからと、ギデオン隊長からはできるだけ捕獲数を多くしてくれと言われてる』
『やっべー。ギデオン隊長には内緒にしといてくださいね』
そう言って舌を出したカリタは、やはりツヨシにはいつもと違って見えた。無理もない。家族が暮らす区域にエンジェルが現れたとなれば、ツヨシだって心配で気が気ではない。もしも子どもたちが外に出ていたらと思うと、心臓が潰れそうだ。
『おっ、また来た!』
今度のセラフィムはどうかと、カリタとツヨシはギリギリ攻撃できるかできないかという距離まで近づかせ、捕獲対象とみなすと麻酔弾を撃ち込んで拘束していった。
『いいぞカリタ、ずいぶん冷静な判断ができるようになったな』
『そうすか? ちょっとは成長したんすよ、これでも』
得意げな表情をするカリタの顔を、アンにも見せてやりたいとツヨシは思う。そしてふたりはいよいよJ4区域に入った。カリタの緊張がツヨシにも伝わってくる。
『あそこの公園に二体いますね。え……、でもなんかおかしい。一体は人間?』
たった今まで、確かに二体のセラフィムがいたはずだが、一体は人間のように見える。
『あれが擬態……なのか?』
『近くで見ないとわかんないっすね。降りてみますか?』
『ああ、そうするか』
スピードを落とし、徐々に地上へ近づいてゆくと、完全にセラフィムの形をした個体と、顔と脚が人間の子どもで、胴部がセラフィムという個体がいた。その個体からは、みるみる白い翅が膨らんでくる。ホバリングしながらさらに観察していると、その個体は少しずつエンジェルらしい姿になっていった。
『げっ、なんだこいつ! 副隊長、どうしますか?』
ツヨシも慎重に見守っている。すると、その個体は顔を上に向けて、上空にいるカリタとツヨシに鳴き声を発したのだ。しかもその声は、カリタに似ていた。
『ゲッ、ゲ……、コイツ、コ、コイ……』
『げえーっ、あたしの真似してんじゃねぇ! こいつ殺していいすか?』
『いや、できれば捕獲したい。だが擬態された子どもはどうしたんだ? 身体を乗っ取られたのか?』
『やだ、キモイ! やっぱ殺しましょうよ!』
ツヨシの目には、カリタが言いようのない胸騒ぎに怯え、わざと大騒ぎしているように映っていた。早くカリタの自宅の方に行ってやりたいと思いながらも、この個体を捕獲しなければならない。
『いや、捕獲だ。俺が撃つ』
ツヨシが麻酔弾を命中させると、その個体は人間の子どもの面影を残したまま痙攣し、やがてセラフィムの姿に変化していった。倒れた擬態個体と、もう一体の個体も捕獲すると、ふたりは顔を見合わせて、ほっと一息ついた。
捕獲した二体は公園に置き、ふたりはカリタの家族が住む棟周辺へと移動した。ボードの上で姿勢を低くしながら、カリタは目を凝らして逃げ遅れた住民がいないかチェックしている。
『ここからはこの棟を挟んで左右から見て回ろう。何かあったらすぐに連絡しろよ』
『はい!』
外には誰もいないようだ。静かな住居棟のエントランスにボードごと入ったカリタは、そこに義弟の姿を見つけた。カリタの家は、集合エントランスから一番近い位置にある。
「クリス!」
「あっ、カリタお姉さん。ママが、ママが帰ってこないの」
カリタの義理の弟妹は三人いるが、この幼いクリスとはほとんど会ったこともない。だがクリスはカリタの顔を憶えていた。B.A.T.のデビルスーツを着ている人はお姉ちゃんだとでも、母親から教えられたのだろうか。
「帰ってこないって、いつから? 他の兄弟は?」
「ママきのうのよるからいない。おねえちゃんたちはおうちにいる。パパはおしごと」
母が帰ってこないというのはどういうことだろう。まさか、セラフィムに襲われてしまったのだろうかと、周辺を探そうとアイドリングさせていたボードに再び乗り込んだ。
「クリス、家に入ってな」
そう言って飛び立とうとしたとき、母の姿がエントランスの扉の影からゆらりと現れた。だがその姿を見た瞬間、カリタの脳には危険を知らせるシグナルが鳴り響いた。
「ママぁ~っ!」
クリスが母に抱き着こうとするのを、カリタが止める。おかしい、なんだあれ。クリスを行かせちゃだめだ。
「やだぁ、ママのところへ行く~っ!」
「だめだ。お前は早く家に入れ。はやく!」
カリタに怒鳴られたクリスは、びくっと泣き止んだが、その場でしゃがんだまま動こうとしない。母親はもうクリスの目の前まで来ている。抱き着こうとする我が子の顔を覗き込み、にたぁ、と笑ってみせた。
「チィッ」
カリタは舌打ちをしてクリスを庇おうとした。「ママ」と呼ばれたモノは、あらぬ方向を見ながら歩いている。
「ヒナン……? ヒナ……ヒ」
あぁ、とカリタは右手で両目を覆った。まさか、そんなことが。ゆっくりとカリタのほうに向かって来る母は、どこか動きがぎこちない。どこにも焦点の合っていない視線、肘から下だけが小刻みに震える腕、すべての指がバラバラに動き、首が折れているかのように深く曲げたり反らせたりを繰り返している。「擬態個体」という単語が頭に浮かんだ。人間に擬態した個体とは、こうやって本人の身体を乗っ取ってできるのかと、自身の母親を前にしてカリタは知る。悔しさとやりきれなさに呻きながら、ギデオンにもらった銃を構えた。
「カリタ……」
その時、母親がカリタを名前で呼んだ。もう十年以上聞いていなかった、自分の名前を呼ぶ母の声に、カリタは胸が押しつぶされそうになる。お母さんがつけてくれた名前。生んだ時はあたしを愛してると思ったの? お母さんはあたしの誕生を祝福したの? もっと早く、そう呼んでほしかったよ。こんな風になっちゃう前にさ……。名前で呼ばれたことは、泣きたくなるほど嬉しい。だが、本物の母はカリタを名前で呼ぶことなどない。「あんた」「ちょっと」そんなものだ。それでこの母親の形をしたものが擬態個体だと確信できたのだから、結果オーライだ。
「動かないで」
引き金を引こうとするが、カリタの手は震えていた。指に力が入らず、すぐには撃てない。
「カリタ!」
その時、後ろからアンの声が聴こえた。応援に駆けつけてくれたのだろうか。せっかく友だちになったアンを、母親に紹介することもできなかったと、カリタは苦笑する。
「カリタ!」
だがアンの周囲に三体のセラフィムが飛来し、彼女は囲まれてしまった。
「アン!」
アンを助けに行くべきか、目の前の母親を撃つべきか、カリタは迷った。どうしよう、決められない……。一瞬の判断の遅れが死を招くのだと、ブリクサ隊長が言ってたような気がする。あの人なら、どんな判断を下すんだろうと思いながら、カリタは再びアンを見た。
やはり、アンが先だ。援護のためにボードの向きを変えていると、アンのすぐ後ろにキヨハルが控えているのが見えた。三体のセラフィムをすぐにでも撃てるようにと、キヨハルバズーカを構えている。
カリタが振り返る。アンが叫ぶ。キヨハルは唸り声を上げながらトリガーに指をかける。アンはキヨハルに任せようと、カリタが母親に視線を戻した。その時、音もなくもう一体、新たな別個体が上空から飛来し、カリタの首に滑らせるように、美しい動きで翅を払った。カリタはほんの一瞬だけ、皮膚を冷たい金属で撫でられたような気がした。
「カリターッ!」
アンの咆哮が空に吸い込まれる。必死に手のひらで抑えるカリタの首から、噴水のように鮮血が溢れ出した。ゆっくりと倒れたカリタの襟から、ツヨシの声が響いている。
『カリタ、こちらは問題ない。合流するぞ。おい、カリタ? どうしたカリタ、カリタ、状況を言え! カリタ!』
クリスが近くで泣いている。急激に失血したカリタは、意識が朦朧としてきた。
「……クリ……ス、逃げろ……」
サイレンの音、地下鉄が線路をこする音、誰かが銃を撃つ音。たくさんの音がカリタの頭の中で回り、それも次第に遠ざかっていった。




