表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
片翼の悪魔  作者: 紀國真哉
第三章 同時進行の異変
57/59

第52話 分断

『緊急出動要請、緊急出動要請。ただいま30C-08、ゲイザー班のシドニーから通報あり。居住層にエンジェル出現とのこと。居住区B2駅においてエンジェルと思われる生体が防犯カメラに映りこんでおり、本物であると思われます。駅周辺はすでに多くの人でパニック寸前の模様。気温が上昇する火炎弾および火炎放射器の使用は禁止。速やかに出動してください』


 スピーカーから流れた指令室職員の声は、明らかに動揺していた。絶対の安全が保証されている地下シェルター内の居住層にはB.A.T.職員とその家族、そして政府関係者ら特権階級の人間のみが住むことができる。地上に暮らす民間人はアウターウェブで守られているとはいえ、そこが絶対的な安全と言えないことは、昨年の等々力シェルターへのエンジェルの襲来で証明されてしまった。


「こちらギデオン。居住層にエンジェル出現とは信じがたいが、とにかく出動する。ギデオン班全員と、精密射撃Aクラス以上の隊員で急行する」

『了解。現場の状況を逐一報告してください。装甲車は使えないので、パトロール用の車を三台準備済みです。くれぐれも民間人に被害が出ないようにしてください』

「ギデオン了解」


 本部で待機していたギデオン班に、緊急出動要請が下った。まだ詳細と事実関係は不明だが、ゲイザー班の新人から居住層の駅にエンジェルが現れたとの報告があったという。カメラに映ったその姿がどんなものか、ギデオンは乗り込んだ車で共有された画像を確認した。ノイズが多い映像の中のそれは、エンジェルといわれても受け入れるまでに少し時間を要する異形の個体だった。駅のホームで、昆虫とは言いがたい特異な姿で存在感を放つ。動物のような毛を生やした頭部に触角がついているのは変わらないが、その顔の造作は今までのエンジェルよりも配置が人間に近くなっている。「本物のシロヒトリと同じ組織しか発見されていない」はずのエンジェルには、元々シロヒトリにはない口がある。正しくは口ではなく「口吻」なのだが、駅にいるエンジェルは口のようなものが白い毛のあわいから見え隠れしていた。そして何よりも異様なのは、その個体が左右の後脚でしっかりと立ち上がっていることだ。さらに前脚をまるで人間の腕のように前にのばし、誰かに問いかけるような姿勢をとっているのだ。モニターをのぞいたツヨシ、ディーノ、キヨハルたちは「うえっ」と声を漏らしながら異形のエンジェルに見入っている。


「ギデオン隊長、こいつはなんですか? これもエンジェルなんですかね」


 ディーノが問うと、ギデオンは腕を組んで唸った。ギデオン自身も、いま初めて見たのだから、何も答えようがない。


「全員揃ったか? 他班の狙撃手も来てるな?」

「ハーイ! 10A-04(ワンゼロエー・ゼロフォー)、ブリクサ班のカルマです」


 どんな敵が現れようと、カルマはいつも通りだ。精密射撃SSランクのカルマがいれば心強い。「よしっ」と返事をしたギデオンはハンドルを握る。ゲイザーが運転する車両には、カルマの他にはSランクのルキアとギーをはじめとした「精密射撃Aランク以上」の隊員が次々に乗り込んでいった。


『ギデオンから各車両へ。現場から来た映像を共有するので、モニターに映った奴を確認してくれ。それが居住層B2駅のホームにいる個体だ。民間人の犠牲は絶対に出すな。居住層なので火気厳禁。精密射撃Aランク以上の隊員を中心に戦闘を行う。他の者は現場の状況次第で援護や救護に回れ』


 マイクに向けて話すギデオンの横顔は緊張している。予期せぬ事態に、どう対処すれば住民の安全を守れるのか、そして火気を使えない戦闘で速やかにエンジェルを処理するには、どんな攻撃が有効なのか。すべては臨場してみないことには何もわからない。ギデオンは眼光鋭く前方を見据え、隊員を乗せた車を発進した。


『こちらゲイザー。うちの新人が駅でやつらに出くわしたらしい。ついてないルーキーだって話してたところだ。だがあいつらは武装していない。早く助けに行ってやりたい。よろしく頼む』

『ギデオン了解。ルーキーばかりに苦労はさせないから大丈夫だ』


 頼もしいギデオンの言葉に、ゲイザーは黙ってうなずく。ゲイザーが乗る車には、ギーとルキア、さらにヘスティア班のアナトとイリスの姿もあった。


 現場はそれほど遠くではない。B.A.T.層から居住層まで、通常はエレベーターを利用しているが、車ごと乗り込める大きさのエレベーターは使えないため、螺旋状に伸びるスロープを使うことになった。三台の車は連なってスロープを降りる。みな武器を手にして不安げな様子だ。

運転席のゲイザーは、自分の班の新人であるマックスとシドニーが偶然巻き込まれたことを考えていた。配属された日にそんな目に遭って、適切な対処ができているかどうか、心細い思いをしているはずだ。何か失敗して自信を失ってはいけない。早く助けに行ってやりたいと焦る。




「ギデオン隊長、これはどういうことでしょうか」


 ギデオンがハンドルを握っている車内で、アンがぽつりとつぶやく。わかっている。ギデオンも皆と同じ、現場の状況は指令室から聞いた情報しか得ていないのだ。隊員に何か訊かれても答えられることはない。だが、居住層にエンジェルが現れたとなると、今後は家族の安全も保証されないということにつながる。


「そもそも地下にエンジェルって。ここは絶対安全層なんじゃなかったの?」

「考えたところでわかるものじゃない。今は想像でしか語れないからな。とにかく到着次第、住民の安全を最優先に動こう」

「……了解」


 普段は絶対的な信頼と尊敬の念で接しているギデオンが、こんなにも厳しい表情をしている。それは未知なるモノへの不安の表れかもしれないが、その事実は隊員たちの心を微妙に惑わせた。




 「居住層B2駅」の前に到着した各車両は、分乗した隊員たちと無線で打ち合わせをし、まず車内から外の様子を確認する。パニックになっていた人々は、突然現れたB.A.T.の車両に群がってきた。


「助けて! ホームにエンジェルが!」

「車に乗せてくれ! 殺される!」


 窓ガラスを拳で叩き、助けてくれ、乗せてくれと懇願する人たちを、まずは落ち着かせなければならない。ギデオンがゲイザーと通信し、一箇所に集めた人をいくつかのシールドで保護することになった。


「おぉー、なんか中から見てるとゾンビ映画みたい!」

「こういうゲームしたことあります! 今はエンジェルよりこの人たちの方がめっちゃ怖いっす」


 必死の形相で車両を取り囲む人を見て、カリタがふざけて言うと、マティアスも同調する。顔を見合わせて言うふたりに、アンは思わず怒りを表した。


「ふたりとも、不謹慎が過ぎますよ! もしも自分のご家族がこの中にいても同じことが言えますか?」

「アン、カリタはともかく、マティアスはそうやって恐怖を克服しようとしてるんじゃないか? こんな異常な現場は初めてなんだ。大目に見てやれよ」


 ツヨシがアンを諭すようにやさしく言った。アン自身も不安で仕方がなく、だからこそ現場に到着してもふざけているようなカリタに腹を立てたのだ。カリタはアンに向けてぺろりと舌を出し、マティアスは頭を掻きながら「すみません」と気まずそうに謝った。


「私こそ、初めてのことで感情的になっていました。ごめんなさい。これから一緒に戦うのに……」

「誰だって初めてのモンにはビビるよ。心配しなくても、アンのことはあたしが守ってやるからさ」


 素直に言うアンを横から抱きしめ、カリタはアンの背中をそっと叩きながら言った。カリタの言葉に、車内は一気に和む。ここB.A.T.のギデオン班に居場所を見つけたカリタにとって、すでにアンをはじめとした隊員たちは家族なのだ。家族を守りたいと思うのは当然のことだと、カリタは今までに見たことのない力強い表情をしていた。


「みんな、準備はいいか? ドアを開けるぞ」

「はい!」

「イエッサー!」


 ギデオンがドアを開けるスイッチに指を置いて声をかけると、全員が大声で応えた。

 シザーズドアが開く前に、車外に群がっている者たちへ、マイクを通して少し離れるように伝えるが、そんなものは誰の耳にも届かない。やむを得ずマティアスとアンがオープンルーフにしてそこから顔を出し、住民に説明する。


「みなさん、B.A.T.です。これからみなさんをシールドで覆います。ご存じの通り、シールドはエンジェルから人間を守る膜です。体育館ほどの大きさまで広がるので、ここにいる人は全員その中に避難できます。ゆっくり、押さずに、高齢の方、子どもと女性から先に速やかにこちらに並んでください」


 よく通るアンの声は、恐怖のあまり荒みかけた人々の心を正気に戻す役割も持っていた。大人たちは我に返ったように、そばにいる子ども連れや高齢者、女性たちを前へと譲り、素早く列が作られていった。駅周辺にいた約三百名の住民がシールドで保護される。


「住民は全部入ったか? 確認したら俺たちも行くぞ、いいか、GO!」


 ギデオン班が車を降り、駅周辺をチェックする。ゲイザーたちはホームに向かって全速力で走った。




 列車の中は大勢の人が揉みくちゃにされている状態だ。とくかく扉を閉め、狭い車両の奥へ奥へと逃げる者でごった返している。


「いやーっ、助けて!」

「押すな! 将棋倒しになるぞ」

「ここに子どもがいるんだ! 下敷きになるぞ!」


 阿鼻叫喚の有様となった車内を、なんとか落ち着かせなければならない。マックスとシドニーは、今ふたりでできることをしようと、手分けして乗客の鎮静を試みた。


「皆さん落ち着いてください! 我々はB.A.T.です。本部には連絡済みなので、すぐに救助が到着します! ホームにいるエンジェルは攻撃してきません。できるだけ一箇所に集まって、押さないでください」


 座席に立って懸命に伝えようとするマックスの足元に、ニッキーとその母親が必死の形相でたどり着き、その足元にすがってきた。先ほど助けてくれたマックスを、すでに救世主のように感じているのだろう。マックスはニッキーを安心させてやろうと、小さな手を握りながら笑顔を見せた。


「大丈夫だよ。すぐに助けが来るからね」


 泣きながらうなずくニッキーの手は、汗でじっとりと湿っていた。まだ何か言った方がいいのか、それとも他の乗客も落ち着かせなければならないし……とマックスが逡巡していると、向かい側の座席に立つシドニーがホームを指して叫んだ。


「マックス、隊長たちだ!」


 ぱっと明るい表情を見せたマックスに、シドニーも笑顔で返す。これでもう大丈夫。一人の被害も出さずに終えることができる。


「B.A.T.です!」


 外から手動でドアをこじ開け、ゲイザーが大声で言った。その声は車両の隅々にまで届き、勝手に喚いて身勝手な行動をしていた者たちが静まった。目の前にいたマックスとシドニーはまだ少年といえるほど若い。彼らを頼りなく感じていた乗客たちは、ゲイザーの登場によりほっとした様子を見せた。


「マックス、シドニー、ご苦労だった」

「ゲイザー隊長、ありがとうございます!」

「子どもを守ったのか、よくやったな」


 ふたりのルーキーにデビルスーツと標準銃を手渡し、ゲイザーが車内を見渡す。マックスとシドニーは、ゲイザーにねぎらいの言葉をかけられ、さらにB.A.T.としての覚悟が決まったように顔を引き締めた。そこにルキアとギーが車内に入り、怯えてパニックになっている乗客をなだめにかかる。


「もう大丈夫です。これから皆さんをシールドで保護します。ホームの中央で行いますので、二列に並んで後ろのドアから出てください」


 だが、ホームにはいまだにあの異形のエンジェルが動かずに立っている。あれがいきなり襲ってきたらどうすればいいのだと、乗客は不安で身体が動かない。


「心配いりません。あの個体は別の隊員がすぐに処理します」


 ルキアがきびきびと伝え、ギーは後方ドアの前に立って乗客を誘導する。やっと彼らがドアに向けて流れ始めたとき、ひとりの男が他の客をかき分けながら車内を移動した。


「あぁ、くそっ、こんなところにいられない!」

「押すな! 順番を守れ!」

「どけっ、どいてくれよ!」

「待て! 何やってんだ!」


 ルキアからもギーからも見えづらい位置にいた男が、泣き叫ぶ子どもを抱いたまま車内を無理やり進んでいる。ぎっちりと身動きできないほど詰め込まれた人々は、肉の壁のようになって簡単には動きが取れないが、男の目はひたすら前方を見据え、徐々に狂気の光を増していった。やがて運転室へとたどり着いた男は、ためらいなくその扉を開けて中へ侵入し、運転台にいた運転士を押しのけて客席の方へと追いやった。


「なんのつもりだ! ふざけんなよ!」


 内側から鍵をかけ、他の乗客に邪魔されないようにすると、その男は運転席の前に立った。


「おい、出て来いよ! お前のせいでシールドを閉じるのが遅れるだろうが!」


 外からガラスをばんばん叩かれながらも、子どもを抱いた男はまっすぐに前を見据えている。運転ハンドルを操作しても発車しないことに焦りと苛立ちを感じた男は、その場にあるスイッチやレバーを手当たり次第に動かしてみた。


「何する気だ!?」


 またガラスをどんどんと叩かれた男は、振り向いて怒鳴った。


「動かすんだよ! ここから逃げるしかないだろ!」


 腕の中にいる子どもは、父親の怒声が耳のすぐそばで聞こえたことに怯え、大きな声で泣き出した。子どもの顔を一瞬だけ覗き込んだ男は、「自動運転モード」への切り替えボタンを見つけると、それを押す。すると開いていた中央ドアが閉まり、車両はゆっくりと走り出した。徐々に速度を増した車両は、次の駅へと向かってゆく。そこにエンジェルがいないという確証もなく、列車内に残っていた人は道連れにされたのだ。


「おいっ、待て! マックス、シド!」


 ホームでシールドを張っていたゲイザーが、慌てて走りよるが、列車には追い付かない。そこにはまだ二本脚で立つエンジェルがいる。そして数匹のセラフィムと思われる個体が飛来した。ギデオン班が到着し、走り去る車両を見て呆然とする。


「どうなってる? なぜ発車したんだ?」


 訳が分からないギデオンがゲイザーに訊くと、乗客の一人が勝手に運転して走り出したという。ゲイザーも頭を抱えていた。


「……クソッ。勝手なことを」

「うちの新人がふたりと、ルキアとギーが中にいるはずだ。それでなんとか安全確保できればいいが……」

「だったら、車内は安全なんじゃない?」


 カリタがほっとした顔を見せて言うが、アンは安全だとは思えなかった。もしも、次の駅にもエンジェルがいたら? それはとても危険ではないだろうかと、大きな不安が胸を覆った。



 滑るように走る列車内に残っていたのは、すし詰め状態だった時より半分ほどの人数に減っていた。ルキアとギーの誘導によって、かなりの人がシールドに入るために下車したからだ。だが、せっかくB.A.T.がシールドへの避難を促していたにも関わらず、一人の身勝手なバカのせいで降り損ねたと、車内に残った者の多くが不満に思っていた。次の駅に着いたら安全だと、誰もが疑わずにいたのは不思議なことだ。


 列車の中は静かだった。もうニッキーも泣き止み、母親の膝の上で眠そうな顔をしている。大声で文句を言う者もいない。誰もがほっとして緩んだ空気の中、マックスも大きく息をついて座席に腰を下ろした。


「まぁ、とりあえず良かったな。ギデオン班も来てたし、ゲイザー隊長もホームにいてくれたし、あの射撃がすごかった女性隊員は一緒だし」


 肩の力を抜いたマックスに、シドニーが応えようとしたとき、先ほどの青年が笑いながら立ち上がった。細い手脚は関節がカクカクと震えるように揺れ、首も前後左右に傾いている。


「あー、あ……?」

「どうしましたか? もう大丈夫ですよ」


 パニックが遅れてやってきたのかもしれない。そういう人もいるだろうと、マックスがやさしく声をかける。


「はは、あはは……?」


 目の焦点が合っていない青年は、シドニーから顔を背けて窓の外を向いた。その瞬間に感じた違和感がシドニーの中で警報を鳴らす。


「……マックス、銃を構えろ!」


 シドニーが叫び、ニッキーが目を覚ます。母親も驚いて娘をしっかりと抱きなおした。ゆっくり振り返った青年の顔を見たシドニーは、悲鳴を吞み込みながらそこに照準を合わせた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ