第50話 似ているだけ
地下鉄セントラル駅は、B.A.T.戦闘部隊が利用する棟からは、一番近い居住層の駅だ。仕事を終えた隊員たちは、エレベーターで数分かけてさらに深い地下へと移動し、それぞれが住まう居住区域へと向かう。そこから地下鉄やバスで自宅へと帰ってゆくのだが、そもそも居住層よりも地上寄りであるB.A.T.フロアですら「地下」に設置されているので、わざわざ「地下鉄」と付けることもないのに、とエイジは初めてその車両に弟妹を伴って乗った時に思った。
電車が来るまであと二分。時刻を確かめているエイジを呼ぶ声がホームに響く。
「エイジ!」
振り向くとそこには、急いでこちらに向かってくるマックスとシドニーがいた。反対側のホームで電車を待つ隊員たちの間を縫いながら、白い歯を見せている。
「エイジもいま帰りか!」
「あぁ、偶然だな! 訓練どうだった? 今までとの違いってなんかあったか?」
補欠隊員の経験がないエイジは、班に編入されている隊員とでは何か違いがあるのか、気になって訊いてみた。だが、マックスもシドニーも揃って首を横に振る。
「いや、特に違いはないと思うけど、やっぱフォーメーションのパターンを覚えたり、誰かがこう動いたらお前はこう、って教えられたりして、チームに編成されたっていう実感はあった。俺もゲイザー班の一員としてしっかり戦わなきゃって思ったよ」
「補欠隊員の時って、訓練校時代と同じようなことやってたの?」
「うん、そそ。だって、原則的にまだ出動はできないわけだからさ。身体作りと武器の扱いの練習が主だったよな。誰の班に編入するかで、やるべきことも違ってくるだろうしな」
「……あぁ」
「だけど腹減ったなぁ。俺、緊張すると余計に腹減るんだよ」
マックスはエイジと同じ日に二度も会えて嬉しそうだ。先ほどは勤務中だっが、今はオフの時間なのだから、声を抑えずに話したいことを話せる。シドニーは「あぁ」というだけで自分から話しはしないが、同じように嬉しそうな顔をしている。
「なぁなぁ、ブリクサ班の、カルマさんだっけ? あの人と、あの女の隊員のシューティング対決すごかったよな! バッチバチにやり合ってたじゃん。見えないくらいの素早さで銃を取り替えるなんて、どうやったらできるようになるんだ?」
「カルマさんなぁ、あの人変わってるけどすげえよ」
はは、とエイジが笑いながら答えると、ちょうど電車が滑り込んできた。降りる者はなく、三人は素早く車内に乗り込む。空いている座席に並んで座ると、訓練校時代のようでエイジは懐かしくなった。
「しかしさ、生のブリクサ隊長を近くで見たの初めてだけど、マジでクールだよな。さすがに痺れたよ。ほんとにかっこいい。あぁ~、俺もあんな風になりたいな」
「ブリクサ隊長みたいにって、なれるなら俺だってなりてえよ。『悪魔』って言われるくらい強いんだぜ」
「……でもさ、ブリクサ隊長だって『悪魔』って言われるほど強くなるまでに、つらいこともあったんだろうな……」
シドニーがしみじみと漏らした。エイジもマックスも、シドニーの方を見て黙って頷く。
「そういえば、ブリクサ隊長は家族っているのかな。聞いたことなかったけど」
「なかなか聞けないよな。もしエンジェルの犠牲になってたとしたら、どんな顔して向き合えばいいのかわかんないだろ」
マックスの言葉に、エイジも頷く。訓練校では、それぞれ家族のことについては大抵の者が隠さずに話していた。エイジは本当の家族は全員殺され、養父もコロニーで犠牲になったが、血のつながりのない弟妹が四人いると話した。マックスは両親と妹の家族全員が無事で、等々力シェルター内にいると言っていた。そしてシドニーは、母親は無事だったが、父とは五年前に連絡が取れなくなり、生きているのかどうかもわからない。だが母と兄と弟は八王子シェルターで一緒に暮らしていると聞いていた。
「ふたりとも、家族はもうこっちに引っ越してきてんのか?」
自分を挟んで左右に座っているマックスとシドニーに向け、エイジが問う。ふたりは目を伏せながら頷き、そして微笑んだ。
「うん、でも姉ちゃんだけは上の学校の先生だから残ったよ。こっちの学校で同じ仕事しろって、いつも言ってるんだけど」
シドニーが小さく息をつきながら言う。きっと心配なのだろうとエイジは思った。
「そっか。最近エンジェルの襲来が続いてるから、心配だよな……」
「それを俺らがやっつけるんだろうが!」
声を落としたエイジの背中を手のひらでぱーんと叩き、マックスは大きな声で豪快に笑った。
「姉ちゃん以外は仕事の引継ぎをして、全員こっちに来たよ。人工太陽はなんだか身体に悪そうだけど、地下深いってことを気にしなければ、街は平和で快適だな」
シドニーが言い終わると、しばらくはマックスも黙って静かになった。流線型で銀色の車両は、音もなく滑るように走行している。それぞれが、子どもの頃に見た惨劇を頭の中で再生しているのかもしれない。エンジェルに殺された死体が街じゅうに転がり、歩道も車道も文字通り血の海だった。
「あれから思うと、今は上も綺麗になったな」
「……そうだな。今の小さい子たちに、あんな光景は見せたくねえよ」
「俺らが全部やっつけて、また地上で安心して暮らせるようにしてやらなきゃな!」
同じ想いで訓練校に入り、B.A.T.に入隊した三人は、エンジェルが絶滅したのちの地上を思い描き、早く実現させたいと頷き合った。その時、車両が徐々に減速し、ある駅で停車した。スピーカーからは車内アナウンスが流れる。
『一部の路線で不審物が発見されたため、ただ今安全確認を行っております。お急ぎのお客様には大変申し訳ございませんが、安全が確認されるまでこの駅に停車いたします。しばらくお待ちくださいませ』
車両ドアの上の電光掲示板にも、アナウンスされた内容と同じ言葉が流れている。そしてその駅は、エイジが下りる「居住区B2」だと気づいた。
「やべぇ、俺、ここだ! じゃあまたな!」
「お~! また明日からよろしくな!」
「エイジ、また」
急いで降りたエイジは、ホームに停車したまま動かない電車に向かって笑顔で手を振った。中にいるマックスとシドニーも、笑って手を振り返す。階段を駆け上がったエイジは、駅直結のスーパーで夕食の買い物をするため、頭の中にいくつかのメニューを思い浮かべた。
鍵を差し込むと、ドアの内側からぱたぱたと複数の足音が聴こえてきた。重なり合うように集まっている様子が目に浮かぶようだ。
「お兄ちゃん、お帰りなさ~い!」
等々力シェルターでミハイルが死んだとされた日、エイジはB.A.T.に入隊することを決意した。訓練校は全寮制であったため、弟妹とは一年間離れ離れに暮らさなければならない。そのエイジがいなかった一年間を、コロニーに残った彼らはお互いに支え合ってじっと待った。そのせいか、この地下シェルターに引っ越してからというもの、弟妹はいまだにエイジが帰ってくるとべったりくっついて離れない。
「ジュリアン、みんなのことちゃんと看ててくれた?」
「もちろん。ルーシーは掛け算ができるようになったのよね!」
「おおっ、ルーシーすごいじゃん! えらいぞ~」
得意そうな顔で頷くルーシーが可愛くて、エイジは大袈裟に褒めてあげた。屈んでルーシーの頭を撫でていると、彼女は覚えたての数式を指を折りながらエイジに聞かせた。
「お兄ちゃん、今日のご飯なぁに?」
一番下の弟、ヨシトがエイジの背中によじ登りながら言う。少し屈んでヨシトを背負ったエイジは、小さな手が首に回されるのを幸せだと感じた。
「ほらほら、お兄ちゃん手を洗ってくるから、そしたらみんなでご飯作ろう。今日はクリームシチューだぞ」
ヨシトを背負ったまま洗面所で手を洗い、そのままキッチンに入ったエイジは、買ったばかりの材料を調理台の上に並べた。玉ねぎ、人参、豚肉ブロック……これはカレーもいけるのではないかと思いつく。
「同じ材料でカレーも出来るけど、みんなどっちがいい?」
シチューとカレーでは、最後に入れるルゥが違うだけだが、一応みんなの意見も聞いてみる。
「私はシチュー!」
手伝うと言ってエプロンをかけたジュリアンが手を挙げる。エディとルーシーはカレー派だ。残るヨシトはどちらを選ぶだろうか。二対二ならじゃんけんで決めることになる。
「ぼく、どっちも食べたいな。お肉と野菜を一緒に煮て、最後に二つのお鍋に分けたらどうかな?」
「あっ、それいいな! お皿の真ん中に塀みたいに高くご飯盛って、両側にカレーとシチューをかけて食べよう」
エディが賛成すると、ジュリアンとルーシーも手を挙げて喜んだ。エイジの負担は少し増えるが、弟妹が嬉しいならそれでいい。
「よっし、じゃあそうするか! すげえな、贅沢なご飯だ」
「お兄ちゃん、野菜は私が全部準備するからね」
ジュリアンは早速人参の皮を剥き始めた。ピーラーで撫でた部分の皮が、薄く剥がれてゆく。
「大丈夫だぞ、俺ひとりでも」
「でもお兄ちゃん、ちょっと疲れた顔してるよ」
「え、そっか……? もうお肌に疲れがにじむお年頃かな」
そう言って頬に手を当てるエイジを、みんなが笑った。ふと、ミハイルとの日々を思い出す。豊富な知識で何でも教えてくれて、いつもやさしい表情で子どもたちを見ていたミハイルは、父であり皆を導く先生のような存在でもあった。だがそのミハイルは、一年前にエンジェルに殺された。弟妹たちは、エイジが言った言葉を信じている。いや、確かにあの状態を「生きている」と言うべきではないだろう。ジュリアンたちに水に浮いた「脳だけ」のミハイルと対面させるなど、そんな残酷なことはできるはずがない。二週間ほど前にブリクサたちと一緒にミハイルのもとを訪れたが、何度見ても水槽の中の「脳」がミハイルだと思うと、言いようのない悲しみに襲われてしまう。
「なんか、今日は外が静かだな」
この辺りはB.A.T.隊員が家族と暮らすための居住区だが、外がやけにしん、としている。いつもならまだ子どもの遊ぶ声や、散歩中の犬の声が響いている時間だが、なにも聴こえてこない。キッチンの窓に掛かったカーテンの隙間から外を覗いてみたが、普段と変わった様子はなかった。ルーシーがテレビを付けると、夕方のニュースが終わるところだった。今日の出来事のおさらいとして、アンカーは地下鉄の遅延のことにも言及していたが、詳細はわからなかった。
「うん、美味しい! カレーもシチューもすっごく美味しいよ!」
豆皿にそれぞれを取り、味見をしたジュリアンが舌をぺろりと出した。エイジも味見をすると、ふたりとも親指と人さし指で丸を作って頷き合う。
「出来たよー。テーブル拭いてある?」
毎日変わり映えのしないような料理でも、五人で囲む食卓は温かく、ほっとする。弟妹の美味しい顔を見ていると、エイジの疲れも癒えてゆくようだ。
「おにいちゃん、あとでマッサージしてあげるね」
「ほんと? 嬉しいなぁ」
十歳のエディが言うと、エイジは笑顔で返す。みんなが笑顔で会話する中、エイジの胸に生まれた小さな違和感は、抜けない棘のように残っていた。
目の前に降り立ったそれを、なんと捉えれば良いのか、シャロンにはまったくわからなかった。初めて見る、人間と同じくらい大きな生き物……?
母親の舌は喉の奥で凍り付いたように固まっている。早く逃げなければいけないのに、足はまったく動く気配がない。視線は強制されたようにその生き物に固定され、おぞましい風貌が嫌でも目から脳へと入り、あの凄惨な記憶をよみがえらせた。
「あぁ……ぁぃやぁ……、イヤよ……」
無意識にアンジーの母親の方へと腕を伸ばし、手を握り合った。アンジーもシャロンと同様、きょとんとした顔でエンジェルを見ている。父親はシャロンを抱きしめたまま、彼女の目元を手のひらで覆った。
「パパぁ、みえないよぅ」
その生き物の正体を知らないシャロンは、もっと姿を見たいと父の手を自分の顔から剥がした。全体が白く、顔には黒くて大きな目。細く曲がった六本の脚は赤く、頭には真っ白い綿帽子のような毛が生えている。
「パパ、これはだぁれ?」
「シ、シャロン、黙ってなさい。静かにしてるんだよ」
父親は震える声で言い、空いている方の手でパンツのポケットから通信機を取り出した。それを見ることなく発信ボタンを押そうとすると、後ろから何者かに叩き落とされる。
「えっ!」
目の前だけではなく、後ろにも来ているのかと、背すじに怖気が走るのを感じながらも、とにかく娘を守らなくてはと頭をフル回転させる。どうすれば、どうすればいい? 地下にいるはずのないエンジェルが、なぜ目の前にいるのだと、パニックになりそうな頭を無理矢理落ち着かせ、父はアンジーの父親と目を合わせた。二人ともB.A.T.の隊員ではあるが、居住層には戦闘に必要な武器等は持ちこんでいない。このままではどうすることも出来ないと、とにかく本部に通報しようと目で合図する。母親は動くことが出来ず、助けが来るのをひたすら待っていた。
一瞬、ほんの一瞬だけ妻の方を見た間に、エンジェルはすぐ目の前まで来ていた。しかも、その個体は父親とシャロンの目前で、見る見る姿を変えていったのだ。十数秒で、樹の幹から降りてきたと思われるエンジェルは、人間の子どもの形になった。だが何かがおかしい。細長い手脚、大きく丸い頭部、骨が浮いた身体、白かった翅はぼろぼろで長いTシャツのようにその子の身体を包んでいる。首はおかしな方向に曲がり、絶えず肩と連動したように震えている。その子どもの薄い唇が、シャロンに向かって開かれた。
「……いっしょに、あそ、ぼ?」
その声を聞いた途端、父は急激に限界を迎えた。シャロンを抱いたまま絶叫し、妻のいる方へと走り出したのだ。その間、およそ三秒。異形というべきエンジェルがさらに三十体ほど上から降ってきた。
「そんな……え、エンジェルなの……? どうしてここに」
妻の震える声が耳に届いたと思った瞬間、シャロンと父の首は地面に転がった。その二人だけではない。公園にいたすべての人間の首が、数体のエンジェルの翅によって一瞬で切断されていった。頭部を失ったいくつもの身体は、しばらく切断面から激しい血飛沫をほとばしらせ、腕と脚はバタバタと不規則に動く。大人たちの持ち物である通信機や電話も地面に散乱し、そのうちのいくつかは着信音を響かせている。だが、すでに応答できるものは一人も残っていない。
エンジェルの姿から人間のように変異した個体も、エンジェルのままのたくさんの個体も、何かに導かれるように街の中央へと向かって進みはじめる。公園に残された多くの死体はまだ血を溢れさせ、切断面からは湯気が立ち上っていた。




