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片翼の悪魔  作者: 紀國真哉
第三章 同時進行の異変
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第49話 ぉかあ、さん

 訓練が終わって廊下に出たエイジは、いきなり何者かに腕を掴まれた。かすかに寒気を感じてそちらを見ると、相手はやはりフローラだった。


「今日は何なんですか」


 浮き浮きした表情のフローラを見たエイジは、また突拍子もないことを言い出されたら面倒だと、うんざりした気持ちを隠せない。だがもちろん、彼女はエイジの反応などお構いなしにずんずんと進んでゆく。


「エイジ、これからとってもいいことを発表しようと思うの。その現場にはぜひ、あなたにも同席してほしいのよ」

「フローラさん、わかったからそんなに引っ張らないで下さいよ」


 渋々といった様子で歩きながら、エイジはフローラと並ぶ。どこに向かっているのかわからないが、この先には大きなモニターが設置された会議室があるはずだ。フローラはそこに向かっているのかと思ったエイジは、チラ、と横を見た。


「会議室ですか?」

「その通り! よくわかったわね、エイジ」


 いや、だってこの先にある場所といえば……と内心では思ったが、それは言葉に出さなかった。廊下の向こうから来た第三軍の隊員たちとすれ違う時、フローラは彼らにも会議室に来てほしいと声を掛ける。


「みなさん、お待たせしました! 第一軍ブリクサ班所属、あのミハイル氏の息子であるエイジを連れてきました」


 あぁ、そうか。「身体は残っていないが、脳だけは生かされている、あのミハイルの息子か……」と、幹部会議に出席した隊員たちはもう知っているのだ。エイジは複雑な想いでフローラの言葉を聞いていた。先に着席していた隊員が一斉に自分を振り向くあの感じを二度も味わい、エイジは居心地の悪さに俯いてしまう。だが後ろからそっと肩に置かれた手のやさしさに振り返ると、そこにはラウラがいた。ラウラだけではない。ブリクサをはじめとした班の仲間がエイジを守るように立っていた。


「ラウラ副隊長、みんなも……どうして」

「エイジがフローラさんに拉致されるところを目撃したからよ。ブリクサ隊長が『行こう』って言ってくれたの」


 シアラがラウラの横まで進んで、得意そうに言った。エイジがブリクサを見ると、隊長は無言で頷いた。


「ようこそ。ブリクサ班の面々が来てくださるとは心強いわ。これからある発表をしたいと思っていますので、どうぞご着席ください」


 両手の指を首の前で組み、大袈裟に嬉しそうな顔をしたフローラは、部屋の奥に設置されたモニターの横で姿勢を正した。そんなフローラの態度に、エイジはブリクサ班の仲間から「エイジはそちら側」かと思われないか冷や冷やしている。



 この会議室は通常の用途とは異なり、主にモニターに映写される画像および動画を見ながらの解説が必要な時に使用される、言うなれば視聴覚室だ。B.A.T.の隊員、職員なら誰でも申請すれば借りることが出来るが、果たしてフローラが正規の手続きを踏んだかどうかはわからない。要するにゲンシュウらに知られなければ良いのだ。巨大モニターの横に立ったフローラは、まず部屋の照明を落とした。そしてモニターにエンジェルの映像を出すと、「愛情を込めて」といった風情でマイクを握って喋り出す。


「我ら人間にとって最大の敵であり脅威であるエンジェルたち……。戦闘部隊のみなさんもご存知のように、彼らは今日こんにちまでに研究班が解明したところによれば、『通常型』と『小型』に分類されています。これは単純に大きさが異なるだけではなく、はっきりとした別の種であることが解っているのです。その神秘の生態に迫り、彼らがなぜ発生し、なぜ人間を襲うようになったのか、それを究明し、彼らと戦い続けるためには、もっと利便性を重んじることも必要ではないかと、私は閃いたのです。そこで、現場での命令系統にも混乱が生じないよう、彼らに名前を付けてあげようと思います!」


 ここまで一気に言い切ったフローラは、室内を見回して隊員たちの反応をうかがった。大方の者は「あー、またフローラのアレが始まった」という顔をしているが、それはフローラにとっては重要ではない。自分こそが、一番エンジェルを理解し、エンジェルに近い人間だと隊員に周知させることが、フローラには大事なことなのだ。なぜならば、彼らの美しさ、尊さをわかっているのは自分だけだから。

 

 もしも人間が滅びることになったとしても、自分はその最後の一人になってエンジェルの行く末を見守りたいと願っているから。常人には、いや、エンジェルを絶滅させるために存在するB.A.T.の隊員にとっては、およそ理解しがたい感情だろう。だがフローラは本気でそう思っているのだから始末が悪い。彼女は、もしかしたらいざという時にB.A.T.を裏切ってでもエンジェルとの時間を望むのではないかと、少なくない隊員が感じていた。

 だがエイジは、案外真面目な顔で彼女の話を聞いている。ブリクサは眉をひそめ、小さな溜め息をついた。


「よろしいですか? 発表しますよ! ずばり、現通常型を『セラフィム』! 現小型を『スウォーム』と名付けました。みなさんもそのように呼称しましょう!」

「おー……」


 オスカーが無表情でパチパチと拍手をする。彼と同期で仲が良く、似たタイプのイザークは苦笑しながらその隣に腰を下ろした。


 フローラは、隊員たちの反応が鈍いことに気づかないのだろうかと、エイジの方がはらはらしてしまう。だがフローラは、隊員たちに自分が付けた名称を発表出来たことに満足げだ。


「現在も引き続き化学班で調査が行われていますが、スウォームはセラフィムよりも寿命が長いことが確認されています! 生息地などの発見にはいまだ至ってはいません。ですが必ずや! 今回皆さんで捕獲したエンジェルたちが、私たちに何らかの情報をもたらしてくれるでしょう!」


 フローラの表情からは、エンジェルについて力説する自身に陶酔していることが見て取れた。頬は紅潮し、瞳は潤んでいる。「強くて美しい」と言われているフローラは、宿敵であり脅威であるエンジェルを語る時、もっとも美しくなるのだから皮肉なものだ。だがそこで、たったいま発表された『小型』=スウォームの寿命について知ったエイジは、彼女と共にミハイルの部屋へ通ったりと、いくらでも話す機会はあったはずなのに、なぜもっと早く自分に教えてくれなかったのだと苛立った。


「フローラ、ちょっと質問があります」


 そこでひとりの男性隊員が手を挙げた。エイジは初めて見る顔で、まだ補欠隊員なのかもしれない。


「はい、どうぞ」


 フローラに促されて起立した彼は、ブリクサたちもいる場で緊張した様子だが、しっかりした口調で問うた。


「セラフィムとスウォームの違いとは、具体的に体長が何センチ以上など、決まっているのでしょうか? また細胞などには相違はないのですか?」


 質問を終えた彼は、そのまま静かに着席した。皆がフローラに注目して答えを待っている。会場の視線を集め、フローラは全身にゾクゾクと快感が這い上がるのを自覚していた。


「ご質問ありがとう。具体的な体長の違いを数字で分類しているわけではありませんが、二種を並べてみればその違いは明らかです。また、病理学的なデータはまだこれから出て来るでしょう。ただスウォームの雄と雌を別の水槽で管理した結果、雄は早期に全滅しましたが、雌はまだ生きている個体も多くいます。今日の発表は、とりあえず名前を付けてあげたいと、そう思った次第です」

「ありがとうございました」


 質問した隊員は丁寧に頭を下げた。他にも質問はないかとフローラが室内を見回すと、腕組みをしたままブリクサが言った。


「しかし、名付けはいい案かもしれねぇな」


 珍しくブリクサに褒められたことで、フローラはさらにテンションを上げてエンジェルについて語り続ける。だがフローラの自己陶酔ともいえる先走った行動に辟易している隊員たちは、徐々に退席し始めていった。


 ブリクサの隣に座るラウラは、先日ゲンシュウに呼び出された時のことを小声で話しはじめた。「余計な詮索はするな」と釘を刺されたことをブリクサに伝えると、案の定チッ、と舌打ちをして苦い顔をする。


「アネモネとは通信でやり取りするしかないわ」

「そうだな……、あいつの研究室に行くのはマズいか」


 そこへちょうど、アネモネからメールが届いた。


『ラウラ、小型の寿命が長いことが確認された。今まではもって三日~十日とされていたエンジェルだけど、発信器を付けたままでまだ海の上を彷徨っている個体がいくつもいる。通常型が向かったのとは別の方角よ。しかも、ずっと同じ速度を保っているようなの。ミハイルが言っていた、彼のオリジナルとは別の誰かが作ったんじゃないかしら?』


 アネモネからのメールをブリクサにも見せ、ラウラはすぐに返信する。するとラウラの後ろにシアラと並んで着席するレイが、こそこそと何かしている二人を監視するような視線を送った。


『いま、ちょっとした会議があって、通常型を「セラフィム」、小型を「スウォーム」と言うことに決まったらしいの。それで、まだ生きてるスウォームはすべて海の上なの?』

『ううん、数匹別の個体がいる』


 勿体ぶるようなアネモネの文に、ブリクサは焦れて電話を掛けた。アネモネが第一声を発するより先に、ブリクサの苛立ったような声がスピーカーから洩れる。


「おい、わかったことはさっさと言え」

「もぅ、ブリクサったら今から言うのに。それはね──」


 アネモネが何か言った時、ザザッとノイズが入った。それまでは問題なく送受信していたのに、核心に迫ろうという時になってノイズに邪魔をされたのだ。


「これは偶然じゃねぇな」


 ラウラに通信機を返しながら、ブリクサは唇の端を上げて笑った。フローラと一部の隊員は席で盛り上がっている。彼女はさきほど発表したエンジェルの呼称を、すぐにでも使いたい旨を上に申請するとはしゃいでいた。


 その後も「フローラ劇場」は一時間以上に渡って続いたが、最後まで残っていたのは質問をした補欠隊員のほかは数名だけだった。


 これで今日は解散だ。ブリーフィングと顔合わせを兼ねた軽い訓練と、今のフローラ劇場。数時間前に家を出たばかりだが、今日は多くの情報が入ってきて疲労感に押しつぶされそうだ。エイジは立ち止まって目を閉じた。ふと、弟妹はどうしているだろうかと思い、小さな顔を思い浮かべてくすりと笑った。




 動物の形をした滑り台、ブランコ、鉄棒、ジャングルジム、砂場など、ここには公園にありそうなものがほとんど揃っていた。青葉を茂らせている樹木や草花、人工太陽がまぶしい日中には、涼し気な木陰に入るベンチもあちこちに設置されている。公園内では子ども連れの若い夫婦や、B.A.T.を引退した年配者などが、思い思いの時間を過ごしていた。


「アンジー、そんなに走ったら危ないよ」


 B.A.T.隊員の家族が幼女を二人連れて遊ばせている。両親はすぐそばにいて、子どもからは片時も目を離さない。そこに近所に住む親子が現れて立ち話を始めた。娘が見つけたニット帽のようなものがまだあるか、夫と共に確認しに来たのだと言う。


「ニット帽? あぁ、あれね!」


 彼女が指差した先には、なるほどナラの樹の幹にびっしりと付いた、淡い茶色のニットキャップのようなものが見えた。


「ほら、パパぁ、あれお帽子みたいでしょ? シャロン、ひとつもらいたいな」

「あれが欲しいの? でも、なんだかわからないし、勝手に取ったら怒られちゃうかもしれないよ」

「えー、だれに? おこられるの、イヤだなぁ」

「パパがあとで見てきてあげるから、アンジーと遊んでおいで」


 抱いていた娘を下ろし、父はすぐにアンジーの父である隊員との会話に夢中になった。もちろんシャロンたちのことはしっかり見ているが、殉職者の話になった時、二人の男は思わず目を伏せる。シャロンとアンジーは歓声をあげながら走り回っている。それぞれの母親は子どもの好きなおやつについて楽しそうに話す。そして「ハーネスを付けてた頃はラクだっよね」と二人で笑った。


 「お帽子」と呼ばれていた蛹の、誰からも見えない枝の陰に隠れたものから、その中心が静かにメスを入れたようにすっと開いた。一つの蛹が開くと、次々にひらく。いくつもいくつも。その時、砂場にいた子が赤いシャベルを握ったまま、何かの気配に気づいて顔を上げた。音か、微かに空気が動いたのか、それとも「それ」が発する何かだったのか。


 蛹は完全にひらかれ、鋭利な傷口から血液が滲みだすように、じわじわと何かが這い出てきた。気づかなかったがそれは、ナラの樹だけではなく、ブランコの背もたれにも、滑り台の手すりにも、水飲み場の蛇口の下にも付いていた。それらが次々とひらき、何かが溢れ出しているのだ。シャロンが欲しくてたまらなかった「お帽子」から滑り出たそれは、聞き取りにくい濁った声で言った。


「ぉ……おかぁ、さん……」


 それはどこから聴こえてきたのか、公園にいる誰にもわからなかった。だが、全員の耳は確かにその「聲」をとらえたのだ。「おかぁ、さん」と。


「えっ……、いま何か聴こえたよね?」


 シャロンの母が夫に問う。だがデビルである夫にもわからない。そしてもう一度。


「おかぁ、さん」


 今度は一度目よりもはっきりと、そして近くから聴こえてきた。ナラの樹上から飛び出したそれは、地上めがけて降りてきた。そう、まるで天使のように。


「あれ、あれはなに? まさか……あれって……、ねぇパパ! シャロンをしっかり抱いてて!」


 妻と夫と娘。「それ」を見た仲睦まじい家族は立ちすくみ、そしてそれを捉えたシャロンの青い瞳は、極限まで大きく見開かれた。

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