25.小さな角
フライが赤い目を細め、すぅと指で宙を薙ぐ。
裂けた空間から円盤状の黒い刃が次々と現れた。
「わ、我が、まもるですー」
サースが防御魔法を何重にも展開して、次々襲い来る刃を防ぐ。サースにも展開できる数に限界があるようで、黒い刃が防御魔法を破る度に、急いで次の防御魔法を展開する。
防御魔法が破られる速度に、魔法展開が追い付いておらず、徐々に刃が迫る。
「こ、怖すぎです。サース、頑張って……」
「サース、サンは死守してください。チューズ、せめて少しは足止めくらいに――」
サツリが暴れるチューズをフライ目掛けて投げると同時に、勇者様に向かって飛ぶ。
チューズは宙で一回転をすると、本能のままにフライの腕に食らいついた。フライが鬱陶しそうに、攻撃の手を止め、チューズを振り払おうとする。
「チュ、チューズも頑張って……」
――その隙にサースが防御魔法を重ね、勇者様に辿り着いたサツリが、勇者様の首を乱暴に掴み上げる。
「状況分かっていますよね? 命が欲しければ、今すぐ、あの首輪を解除なさい」
「……だ、誰が、魔族の言いなりに……」
こんな時に、勇者様から、初めて勇者のような発言を聞いた気がする。
王妃も勇者様のもとに駆け寄ると、中々首輪を解除しないその頬をパンと叩いた。
「何をしているのですか、早く解除なさい! 勇者の貴方に魔王が倒せない事はよく分かりました。ロマーラを救うのは勇者ではなく、私の娘ですわ!」
「ち、違うっ! 世界は、ぼ、僕が……」
「おだまりなさい、何が違うのですか! まだ魔王を倒せるとでもいうつもりですか!」
もう一度、パンと大きな音が響く。
「……う……くそっ」
勇者様が、私を睨みつけると――首輪がカチャリと外れ、地面へと落ちた。
同時に、失われていた魔力が全身に湧き上がる。
「やりましたわ!」
「サン、魔力は戻りましたね!? 結界の魔法陣を!」
「は、はい!」
サツリが『帰還の宝珠』を手にしている事を確認し、フライの足元に魔法陣を展開する。
庭園に溢れ返っていた瘴気を魔法陣が吸い込み、それに比例して魔力がぐんぐん消費されていく。
「す、すみません。前回より魔力消費がすごくて……あまり、長い時間は持たないです」
瘴気が大きく黒い渦を巻き、魔法陣に吸収される――。
◇
殆どの瘴気が吸収されると、黒い渦の中心部分が見えてきた。
周囲の緊迫した空気とは別世界のように、フライが気怠そうに大きく欠伸をしている。
「あ? いてぇな……チューズ、お前、何で俺に噛みついてんだ?」
状況が飲み込めないフライは、不思議そうに、腕にだらりとぶら下がるチューズを眺めていたけれど――はたと、何かを思い出したように、ぐるりと周囲を見渡した。
遠くに見える魔王城で、ロマーラにいると気付いた後――足元の魔法陣を見て……必死に魔法陣を維持している私に視線を移し――気まずそうに、ヘラリと笑う。
「よぉ。無事だったか? あまり心配させんなよ……あー、いや。むしろ今は逆だろうがな」
「はい。とても、心配しました」
魔力は枯渇寸前で意識も飛びそうなのに、顔が自然と綻んでしまう。
フライが私に近づこうとしたので、慌ててサツリが魔法陣から出ないよう忠告する。
「フライ様、その魔法陣は長く持ちません。必ずサンを連れ帰りますので、先に城へお戻りください」
「はい。サツリ達と、すぐに帰ります」
「あぁ、わかった」
サツリが『帰還の宝珠』を放り投げ、フライが受け取ろうとして――。
「――ふぐっ」
突然、横から電撃のような衝撃が走り、視界がぶれた。
次の瞬間。ゴフリ、と。口から、大量の血が溢れる。
――脇腹が、沸騰するほどに熱い。
「……な、何で――」
いつの間にか、真横に薄ら笑いを浮かべた勇者様がいた。
「キミは帰さない、よ」
その手に握った宝剣が、私の脇腹をしっかりと貫いている。
「い、痛……い」
「ふ、ふ。キ……キミのせいで……僕が……勇者なのに。聖女も王女も、ただの、脇役だ……脇役のせいで、主役が霞むなんて――」
勇者様が一気に剣を抜き、口から大量の血が溢れ出る。
「――そんなの、あり得ない……これで、僕が、主役に戻れる」
脇腹から流れ出る鮮血が、地面を赤く染める。
満足したように勇者様は意識を失い、その場に倒れ込んだ。
「い、いやぁぁぁあああああああああっ!」
王妃が悲鳴を上げ、目を真っ赤に染めたサースが勇者様に噛みついた。
展開していた魔法陣は消滅し、魔法陣から逆噴出された瘴気を身に纏ったフライが、再び黒い化物の姿へと戻る。
◇
霞む視界で――フライが、再び赤い目を光らせ、低く唸っている。
「フ、フライ……」
化物に戻ったフライに、私の声は届くことはない。
もう、私には魔法陣を展開するだけの魔力も体力もない。
(せめて、最期は、側に……)
重たい体を引きずり、力なく手を伸ばすと、黒い化物の首に抱き着いた。
「サン、やめてください、危険です! 離れなさい! すぐに戻って手当を――」
サツリの声に、力なく首を横に振る。
もうきっと、私は助からない。勇者様に殺されて終わるなら、まだフライに殺された方がいい。
「最期くらい……勇者様でも聖女でもなく、私を見てくださいよ」
残された力で、化物の顔を覗き込む。
一瞬、フライと目が合ったような気がした。
気のせいかもしれないけど……それで、充分満足できた。
「……あの時、助けて頂いて……ありがとう、ございました」
これ以上、体にも力が入らない。目を閉じ、崩れ落ちるように、するりと腕が離れると――体が地面に叩きつけられるより先に、化物の腕が私の体を受け止めた。
化物が何かを確認するように、私を引き寄せて深く匂いを嗅いでいる。
私を抱きとめる腕が、微かに震えている気がする。
「…………ろ」
化物が、何かを呟いた。
無理やり目をこじ開けると――冷たく、獣のようだった赤い目が、私を覗き込んで、不安そうに揺れていた。
「やめろ……最期なんて、言うな。お前がいない世界で、どう生きればいい」
(……声が、届いた)
それは嬉しいけど、もう体の一部分も動かせない。
もう一度目を閉じて、意識を手放そうとした瞬間。それを食い止めるように、強く体を揺さぶられた。
「頼む……やめてくれ。お前には、傍にいて欲しい」
フライの声が、どこか遠くに聞こえる。
「だめだ――その流れた血で、もう一度契約をする。いいな?」
魔族同士の契約は、眷族の契約。
(……もう、遅いと思うけど)
笑ったつもりだけど、頬がピクリとも動かない――返事を待つ余裕もなく、フライが契約魔術を展開する。
「俺の命と魔力を分け与える。だから、お前は……諦めるな――」
(諦める……なんて)
地面に魔法陣が現れ、時間が巻き戻るように、流れた血が魔法陣に吸収される。
「くそ、間に合ってくれ――」
フライが祈るように、私を抱きしめる。
全身が沸騰するように熱くなり、体が、消えかけていた命すらも、魔王の力で無理やり再構築されていく。
(私も……諦めたくは、ない)
もがくように、その力に食らいついた――。
◇
――気を失っていたのは、一瞬だったのだと思う。
ゆっくりと目を開けると、私の顔を覗き込んでいたフライが赤いままの目を細めた。
これまで以上に、異様に体が軽い。
「契約……間に合ったんですね」
「ああ。そうじゃなかったら、今頃この辺りは火の海だった」
フライが優しく撫でるように、私の頭に触れる。
「あれ……今、何か……」
その感触に違和感があり、自分でも頭に触れてみる。
違和感の正体は、頭に生えた二つの小さな角だった。
小さいけれど角の形は、おそらくフライとお揃い。それに気付くと、気恥ずかしくて顔が熱くなる。
「ど、どうせ生えるなら、もう少し大きくて、立派な角が良かったです」
「ばーか、贅沢言うな。お前はこれでいいの。俺の眷族となった証だから、誇りに思え」
フライは涙混じりに笑うと、もう一度小さな角に触れた。
さすが魔王の眷族ともなると、これまでとは比にならない量の魔力が、指先まで溢れ返っている。
「あ……! 魔力が増えたので、結界が構築できるかもしれないです」
立ち上がろうとして――力が入らず足がよろけ、慌ててフライが私の体を支える。
「あっぶねぇ、まだ無理すんな」
「す、すみません」
フライに体を委ねて両手を掲げると、魔法陣を展開するだけで精一杯だったさっきまでとは違い、今度は庭園とロマーラ城を覆う程の結界が展開できた。
……残念ながら、それでも私の魔力ではこの大きさが限界らしい。
「よしよし、上出来。……って、何でお前はそんなに不満そうな顔してんだよ。そんな顔すんな、俺の魔神官サマは誰より有能なんだから」
「――っ、ありがとうございます」
褒められた事が素直に嬉しくて、顔がにやけてしまう。
結界に闘気を全て吸い取られたフライは、いつものように気怠そうに笑い、私の頭をくしゃりと撫でた。




