24.聖女の匂い
サツリは、フライから少し離れた場所に私を降ろしてくれた。
「お会いしたかったです。ご無事で何よりでした」
居場所のないロマーラは、自分が思っていた以上に心細くて不安だった。ほっと安心してサツリの胸にしがみ付く。
「……うぇぇ、サツリ」
緊張の糸が切れたようで、我慢していた涙もボロボロと零れ出た。
「はい、僕が来たからもう大丈夫です。と言っても、抱き着く相手が違いますね」
サツリがポンポンと私の頭を叩き、心が溶けるように落ち着いてきた。相手が違うのは分かっているのだけど、今のフライに近づく事なんてできない。
上空では気づかなかったけど、サツリが持っているモノも気になる。
「ありがとうございます。取り乱して、すみません。……それにしても、どうしてサツリは、チューズとサースを持っているんですか?」
サツリは、器用に二匹の首根っこを片手で同時に掴んでいた。結界の枷が外れ赤い目で暴れる二匹は、どう見ても役に立ちそうにない。
「二匹とも温厚なので、結界から出ても大丈夫なんですよ。……と言いたかったのですが。押し倒されているサンを見た途端、二匹とも怒りで我を忘れてしまいました」
「あ……さっきの、見られてしまいましたか」
「はい。正直な所、僕も危なかったですよ?」
苦笑いをするサツリに、顔が引き攣った。サツリまで暴走していたら、この場は既に壊滅的状況だったと思う。
魔族は一度暴れ始めると、なかなか自力では冷静に戻れない。本来、例の結界は魔族を強制的に落ち着かせる為に、魔神官に伝わる魔法だった。
ただ結界を使わなくても、自力で戻る事はできる。
「サツリ、少しサースを貸してください」
「いいですけど、牙には気を付けてくださいね」
サースをサツリから受け取ると、暴れないように両腕で固定する。
いかにも魔族という姿は少し怖いけど、私のために怒ってくれた事は嬉しい。牙をむき出して唸るサースを、強く抱きしめて背中を擦る。
「サース、ありがとう。私は無事ですよ」
背中をトントンと叩いていると、サースは徐々に大人しくなっていった。
最終的に唸り声が消え、代わりにパタパタと尻尾を振り始める。
「サース……私が解りますか?」
「……我の嫁、嫁です! 会いたかったです、わかるです。むかえにきたですー」
「はい、私もサースが来てくれて嬉しいです」
嬉しそうに私の顔を舐めるサースを降ろし、頭を撫でる。
次にチューズを受け取ろうと手を伸ばすと、全身の毛を逆立てたチューズに、爪を剥きだし威嚇された。サツリが慌てて私からチューズを引き離す。
「無理ですね、チューズは諦めましょう。サースだけでも助かりました。
サース、サンに防御魔法を展開。サン、フライ様に、結界の魔法陣を展開してください。さっさと帰りますよ」
淡々と指示をされたけど、今の私には魔力がない。
「あ、あの。私、この首輪のせいで、魔法が使えないんです」
「え……はい?」
サツリの手からポロリとチューズが落ち――地面に落ちるより先に、真顔でガシリと掴み直した。
恐る恐るサツリが首輪にトンと触れ――慌てて首輪から手を離す。
「っと、なるほど。その首輪、優秀なまでに魔力を吸収しますね。そうなると……これは、かなりまずいですね」
「ど、どうしましょう」
サツリの頬をつぅと汗が流れ、同時にフライを見た。
今の所、フライは勇者様を楽しそうに甚振っている。勇者様が完全に力尽きれば、その先きっと、ロマーラが火の海と化す。
「仕方ありません、一時撤退しましょう。フライ様は、サンの魔力が戻った後、改めて迎えに来るということで」
「ま、待ってください、フライをこのまま放置するんですか? あの……このままだと、ロマーラが!」
もう、ロマーラに私の居場所はないけど、生まれ育ったこの国が……民や、国王と王妃――父様と母様が、フライに殺されると考えるだけで、胸が締め付けられる。
未だにロマーラの心配をする私に、サツリが呆れて溜息を吐いた。
「サン……酷くやつれていますし、顔色も悪いですよ? ここ数日、どのような扱いを受けたのか、想像がついています。無理をしてまで、この国を助ける価値はありません。
いずれにしても、魔王を止められるのは魔神官だけです。その首輪がある限り、フライ様を止める術はありませんしね」
「そんな……」
「――お待ちください」
場違いに透き通るような声が、サツリを制止した。
その声に驚いて、サツリと私が同時に振り返る。
「王女の首輪が解除できれば、ロマーラは助かるのですか?」
そこには、凛とした王妃の姿があった。
瓦礫が当たったのか、額から血を流している。内心では魔族を恐れているはずなのに、怪我も魔族にも動じた様子は伺えない。
「今の話、王女に魔力があれば……あなた方には、魔王を止められるのですね?」
王妃がしっかりと私の瞳を見て、もう一度問いかけた。
サツリが王妃と私を引き離すように私の前に立ち、目を細めて王妃を威嚇する。
「ええ、ロマーラが見捨てたサン王女になら止められますよ。何と言っても、魔王様と相思相愛の、本物の婚約者ですから」
「はっ! サ、サツリ!? こんなときに、な、なな、なんてことを言うんですか!」
バタバタと焦る私に、王妃がギョッと目を開く。
「今、何と仰いましたか? 王女が、魔王と……婚約?」
既に縁なんて切られているだろうけど、一応は母親。目の前での恋話は恥ずかしすぎて、顔がドンと爆発する。
「ち、ちが……」
「おや、違いましたか。それとも、命を賭けてまで奪い取った婚約者の座を、もう諦めて手放すのですか? それは、残念ですねぇ」
「だ、ダメです。ま、待ってください。い、い、嫌です、諦めません。うぅ……違いません」
満足気に意地悪い笑顔を見せるサツリに、それ以上何も言い返せず涙目になる。
「もう諦めるです。我の嫁になれですー」
「サース……たすけて」
慰めてくれるサースのモフモフした体に、倒れ込むように顔を埋めた。
恥ずかしすぎて、この場から消えてしまいたい。
「……ふっ」
――突然、王妃から息が漏れた。
恐る恐る、顔を上げる。
「ふ、ふふっ。私達は、何か思い違いをしているのでしょうか。魔族とこうして会話が成り立つなんて、考えた事もありませんでした。
生きていると聞いて、ロマーラに戻れないのだろうと心配していましたが……好きな人が、できたのですね?」
「あ、あの……母様?」
王妃が、私に手を差し出す。
その手を取り立ち上がると、サースが王妃の顔を覗き込んで尻尾を振った。
王妃がサースに表情を緩め、柔らかく笑う。
「……この度のこと、謝罪をいたします。どうか、魔王を止め、ロマーラをお救いください。
その首輪は、『魔封じの首輪』。首輪を装着させた者の意思で、解除は可能です。ただ残念ながら、それ以外の解除方法は存在しないと伝えられています」
「そんな……この首輪、勇者様が!?」
「なんですって!? まさか、あの時――」
全員が、息を飲んで勇者様を見た。
フライに弄ばれて、既に勇者様は虫の息。
「まずいですね、アレはもう死にますよ。その前に解除させる必要があるという事ですか。サンの魔力が永遠に失われる事になれば……激怒した上級魔族と城下町の民が総出で、結界内外の全面戦争が勃発しますよ」
「全面戦争……一体、王女は結界で何をしていましたの……。と、ともかく、勇者を魔王から引き離す必要がありますわね。どうにか、あの魔王の興味を、勇者から逸らす事はできませんの?」
ふむと口に手を当て考え込んだサツリと、はたと目があった。
「サン……魔力が失われても、匂いは残っていますね。魔神官の魔力を押さえて、聖女の匂いを押し出す事はできますか? 今のフライ様は本能的に、神聖な匂いに惹かれているはずです」
「神聖な匂い……聖女の匂いでもいいんですか?」
ふと、キナス村で見た護符を思い出した。カイルの長兄が作ったというあの護符の臭さは、確かに勇者様の匂いにも似ているかもしれない。
勇者様の匂いが薄すぎて、今まで気付かなかった。
「ええ、本質的には同じ匂いなので」
「は、はい、やってみます」
深く息を吐き、魔神官の魔力を体の内へ抑え込む。とは言っても、魔力は失われているから、なかなかコントロールが難しい。
意識を集中していると、少しずつ、全身から例の匂いが滲み出はじめた。
「く、くさ。くさいですー」
サースが鼻を両手で押さえ、じわりと逃げる。
「ええ、これはまた久々ですね。自信を持ってください、あの勇者より遥かに臭いですよ」
「うぅぅ、いやです……自分がこんなに臭いなんて」
「王女が……臭いのですか?」
顔を引き攣らせるサツリと私を見て、王妃が首を傾げる。
「気を付けてください……フライ様が、気付きました」
聖女の匂いに気付いたフライが、動かなくなった勇者様を投げ捨て、ゆらりと振り返る。
新しいおもちゃを見つけたかのように、愉しそうに赤い口を歪ませた。




