17.鈍い魔神官
気が付くと、豪華な模様の天井が目に入った。
「わたし、火の山にいたはずなのに……?」
血も魔力も足りなくて、頭が朦朧としている。柔らかいベッドで寝ているようだけど、記憶が混線して、置かれた状況はわからない。
重い体を、無理やり横に向けると、
「……やっと起きたな」
目の前。至近距離で、フライが優しく目を細めた。
「ふぉ、ふ、フライ!?」
不意打ちの笑顔を直視して、心臓が止まるかと思った。
慌てて飛び起きようとして、ぐにゃりと視界が歪む。
「あ、あれ……か、からだが」
「まだ、無理に動くな。いいから、寝ろ」
腕を掴まれ、引きずり込まれるようにフライの横にごろりと倒れこんだ。
腕枕をされ、吐息がかかる程にフライの顔が近い。
「な、なんで、フライが……?」
ばくばくと煩い心臓を押さえて、フライを凝視する。
「お前、自分が怪我をした事も忘れたのか? 怪我はキナスのガキに治させたから、しばらくここで大人しくしてろ」
「あ、カイルが……」
フライが壊れ物に触れるように、優しく私の頭を撫でる。
珍しく私を心配してくれる声音と、ふんわり香る匂いがとても心地よくて、次第に瞼が重くなった――。
◇
しばらくうとうとしていたはずなのに、目が覚めると、まだ横にフライがいた。
「どうして……?」
窓の外はまだ明るいし、この時間にフライが寝ているのもおかしい。
幻だろうかとぼんやり眺めていると、私の視線に気付いたフライが、ふと笑う。
「あぁ、俺か? 魔神官サマを殺しかけたから、幽閉されてんだ。気にすんなよ」
「そんな、フライを幽閉なんて」
確かに殺されかけはしたけど、全てが自業自得。私が結界に穴を開けなければ、フライは結界から出なかったし、暴走をする事もなかった。
「……サツリの指示ですね。幽閉なんてすぐ中止するよう、話をしてきますから」
鈍く軋む体を無理やり動かして、起き上がろうとすると。フライは私を引き寄せ、閉じ込めるように胸元に押し込めた。
「お前……ばかだな。鈍いのか? 嘘に決まってんだろ」
「う、うそ、ですか?」
「今回の件、俺はお前を連れて行く事には反対だったし、全部サツリの責任だろうが。お前が回復するまでは、俺の好きにする」
「あ……」
幽閉ではなくて、ほっと安心した。と同時に、フライの腕と匂いの暖かさに緊張がほぐれ、体中から力が抜ける。
「ありがとうございます……フライに看病してもらうの、これで二回目ですね」
「そういえば、そうだな。前回も、あの馬鹿勇者が……あー」
突然フライの言葉が途切れる。
「……思い出した。『愛しい婚約者』って何? 俺、何も聞いてねぇけど?」
「婚約者……ですか?」
きょとんと顔を上げると、フライも私の顔を覗き込んでいた。
そんなに眉間に皺を寄せて瘴気を滲まされても、私にも意味が分からない。
「何も、聞いていないです。……確かに、最初は魔王を倒す条件として、勇者様に婚約を突きつけられましたけど。魔王は倒されていませんし、私の婚約は未遂です」
「ん? それなら永遠に未遂か? なら……まぁいいか」
確かにフライが勇者様に倒される事はないだろうし、この婚約が成立する事はない。
一転して上機嫌で私の頭を撫でるフライに、今度は逆に私がモヤっとする。
「……フライには、ウェンディさんという婚約者がいるくせに」
「あ、やべぇ」
ウェンディという名に、フライが頬を引き攣らせる。
「……忘れてたわ。お前の怪我が回復したら、ウェンディが来る。……俺に、対が現れた事も知られた」
「え……待ってください。私の命、大丈夫ですか?」
できる事なら一生会いたくなかった、チューズ達も憧れる、最強の戦士ウェンディ。
フライと一緒に、私の顔も引き攣ってしまった。
◇◇◇
ウェンディが、邪魔者の私を消しに来る――と、怯えていたのだけど。サツリの説明を聞くと、どうやらそうではないらしい。
遅ればせながら新魔神官の御披露目パーティが計画されていて、そこにウェンディも参席するという話だった。
私の全快を待ちわびていたように、バタバタとドレスの採寸や準備が進められ、あっという間にパーティ当日になった――。
「ちょっと……このドレス、誰の趣味ですか……」
「サツリ様です」
頬を引き攣らせる私に、メイドが苦笑いで即答した。
ずっと地味な黒いローブだったから、ドレスが着られる事を密かに楽しみにしていたのに。新調してもらった黒いドレスは、首から胸元が大きく開いたデザインで、モナなら似合っただろうけど、胸が貧相な私が着ると、何かが寂しい見栄えになる。
少しでも胸元を華やかに、と『竜の魂』をネックレスにしてもらったのだけど、それも焼石に水だった。
髪をアップしてもらっている最中に、部屋の扉が開かれ、サツリが顔を覗かせる。
「そろそろ皆さんが到着されますので、準備が整ったらフライ様を連れて広間へ来てください。……今朝からフライ様の姿を見ていないので、逃げ出しているかもしれませんが」
「まさか。フライが逃げるなんて――」
大いに、あり得るかもしれない。
ドレスのデザインに文句を言ってやろうと思ったけど……サツリと目が合った瞬間、それどころではなさそうな事態に、しっかりと頷いた。
◇
フライの部屋にそっと入ると、フライは夢にうなされながらも爆睡をしていた。一応正装服だし、逃げる気は無いらしい。
揺り起こすと、フライが気怠そうに薄く目を開ける。
「フライ、起きてください。そろそろ時間です」
「んー……わかってる。あぁ、だりぃ」
フライは欠伸をしながら体を起こすと、ベッドの縁にだらりと腰掛けた。
魔神官は、魔王に仕える唯一の神官。御披露目パーティでは、魔王のエスコートを受ける。
だから、私もそれなりに気合を入れていたのに、フライはいつものボサボサ頭。
「もう。今日くらい、しっかりしてください。髪、触りますよ?」
フライの正面に立ち、ボサボサの髪を整えていると。私の胸元を凝視していたフライが、手を口元に当て黙り込んだ。
「フライ、どうしたんですか? 考え事ですか?」
「いや、何つーか……」
突然フライが私の手首を掴む。
「え……わっ!?」
フライは私を引き寄せると、くるりと体を回転させてベッドへと押し倒した。
フライが馬乗りになって、じっと私を覗き込む。
突然の事に、私もフライから視線が逸らせない。
「あ、あの。フライ……どうし――」
フライがそっと顔を近づけて、私の耳を軽く噛んだ。
「やっ!?」
「……そのドレス、胸が開きすぎ。俺を誘ってんだろ?」
「さそ――っ!」
耳元で囁くその艶めかしい声音に、一瞬で全身が火照る。
フライが私の手首を押さえつけ、首筋を舐める。
「フライ、待って。落ち着いてください。そんなつもり――」
逃げようとしても、本能が逃げる事を拒み、フライを受け入れようと力が抜ける。
もう一度首筋にキスをされ、自然に体がビクリと反応する。
「そんな顔して……待てるわけねぇよ」
首から胸へと舌が伝い、胸にも強くキスをされた。
その跡が熱くて、息が上がる。
「や、やめて、ください。それ以上は……」
これ以上は、刺激が強すぎて、心臓が持たない。
涙声で抗議をすると――フライは深く息を吐いて、私の鼓動を確認するように、胸に頬をあてた。
肌から伝わるフライの体温が、私と同じくらいに熱い。
「す、すみません。もう離れてください。私、本当にどうにかなってしまいそうで――」
「……あー動くな、俺も一旦落ち着く。大丈夫、これ以上何もしねぇよ」
しばらくの間、フライはどくどくと高鳴る私の心音を聞いているようだった――。
フライがゆっくり起き上がり、私を見下ろして嬉しそうに目を細める。
「おー、ばっちりだ。お前、肌弱えな」
「……ばっちりって、何がですか?」
フライが満足そうに笑い、私の胸元にトンと触れる。指先を追うように胸元を見ると、キスマークがはっきりと浮き出ていた。
冷たい指が、滑るように首元にも触れる。きっと、そこにも。
このデザインのドレスに、首と胸のキスマークは目立ちすぎる。この状態で、パーティになんて出られない。
「な、なんてことをするんですか。さては、パーティに出ないつもりですね!?」
「何言ってんだよ。心配すんなって」
怒る私をあやすように、フライは私の頭を一度撫でると。宙から黒いストールを取り出して、キスマークが隠れるようにふんわりと私に巻きつけた。
素材は分からないけど、柔らかくて温かいストールから滲み出るフライの匂いが、首元に纏わりつく。
「よし。これで問題ねえな?」
「な、何がですか。ただ隠しただけで、何の解決にも――」
「うそだろ……お前、本当に鈍いのか。俺以外に、肌を見せんなって言ってんだけど」
「…………え?」
溜息混じりにはっきりと言われ、派手に開いていた胸元がストールで隠された事に気が付いた。
「……え?」
「少し、鈍すぎだな」
フライは真っ赤に染まる私の頬を撫でて、呆れたように笑った。




