12.婚約者ウェンディ
城に戻ると、魔王の匂いが混じる魔族と化した私を見た全員が、頭を抱えて絶叫した。
「これはさすがに……僕でも、想定外でしたね」
笑顔を引き攣らせるサツリの横で、チューズとサースが毛を逆立ててフライを威嚇する。
「独り占め、ゆるさんですー」
「かえせ。我の嫁、かえせですー」
一方で上機嫌のフライは、私に覆いかぶさるように抱き着いて離れる気配はない。
「魔神官の寿命が延びて、魔力も大幅に増えてんだ。何の問題もねぇだろ?」
サツリが頷いている所をみると、寿命については同様に不安視をしていたらしい。魔族化そのものには、サツリも納得しているようだった。
「問題なのは、サンがフライ様の対だったという事ですよ。フライ様の対が、本当に魔神官だなんて……かなり面倒な事になりました。
その様子だと、サンにまだウェンディ様の話をしていませんよね?」
「ウェ――!」
対が魔神官だと不都合があるような言い方も気になるけど。ウェンディという名前に、ギクリと大きく反応したフライの方が気になった。
「ウェンディ? ……何の話ですか?」
「さぁな。俺は知らねぇ」
フライの顔を覗き込もうと振り返ると、フライがぐるりと顔を背ける。
その様子に、サツリがにっこりと笑みを浮かべる。
「フライ様。ご自身に婚約者のウェンディ様がいる事は、きちんと説明をしてあげてくださいね。この件は、対より優先されますから」
「は……? フライに、こ、こ、婚約者がいるんですか!?」
魔王に婚約者なんて、初耳すぎる。
フライは視線を逸らしたまま、気怠そうに頭を掻いた。
「お前らが勝手に決めた話だろ。俺には関係ねぇよ」
「関係ないはずがありません。由緒正しき上級魔族達に、喧嘩を売らないでくださいよ」
ロマーラの王女ですら、恋愛に自由はなかった。魔王にも色々なしがらみがあるだろうし、ある程度は仕方がないかもしれないけれど。
本能が、全力で反発する。
制御のできない怒りが込み上げ、『闘気』となり体の中で渦を巻く。生まれて初めて、体から瘴気が滲み出た。
「サツリ、婚約者を勝手に決めたって、それ、どういう――」
サツリに掴み掛かろうとして――見えない力によって、無理やり闘気が体から抜き出されるように、体外へと放出された。
ぽっかりと空いた闘気の穴を埋めるように、異様な疲労感が流れ込んでくる。
「うぅ……体が……怠いです……。目が回る……き、気持ち悪いです」
「おい、大丈夫か? もうそれ以上は怒るな。疲れるだけだから」
初めて経験する、結界の力。これは、結界で争いなんて起こせるはずがない。
ぐったりとその場に倒れ込んだ私を、すぐにフライが抱きかかえる。
「サツリのせいで魔神官サマがお疲れだから、部屋で休ませてくるわ」
立ち去ろうとするフライに、サツリが笑顔を崩さず念を押す。
「くれぐれも、サンに――魔神官だけには、手は出さないでくださいよね。フライ様の御相手は、何がどうなろうと、ウェンディ様だけですから」
「っせーな。わかったから、黙ってろ」
「勝手な……二人とも、黙りなさい……」
残っていた最後の気力が怒りと闘気に代わり、それもまた結界へと吸収されていった。
◇
フライはそのまま、私の自室まで連れて行ってくれた。
私をベッドに降ろした後、何故か部屋から出て行く気配は無い。
「……私に、手が出せないんですよね。気になりますから、出て行ってください」
別に、本気で手を出して欲しいわけではないのだけど、どうやら魔族は人族より感情の起伏が激しいらしい。
まだ魔族になりたての私には、この感情の制御が難しく、どうしても冷静ではいられない。
攻撃的な発言しかできない私の頭を、フライがコンと叩く。
「阿呆が。帰るわけねぇだろ」
そう言いながらもフライは悩んだ末に、私を毛布に包んで抱き上げた。
暖炉の前まで移動して腰を下ろすと、膝の上に毛布ごと私を乗せる。
毛布越しに抱きしめられているようで、もどかしくて、苦しい。
「こんな中途半端……ずるいです。もう、放っておいてください」
「無茶言うな。これでも、俺自身困ってんだよ。もう俺に対が現れるなんて思っていなかったから、正直ウェンディの話も忘れていたくらいだ」
フライが、ポスリと毛布に顔を埋める。
「それは……困りましたね」
毛布が無いと、きっと歯止めが効かない程、お互い本能が惹きあっている。そんな事、聞かなくても分かる。
深く息を吐いて、ゆっくりと毛布越しにフライに体重を預けた。きっと、ウェンディは魔族の中でもとりわけのお嬢様で、美しい方なのだろう。
「……ウェンディさんって、どんな方ですか?」
「どんな、か。……一言で言うと、『強い奴』だな。一番強いっていうだけで、俺の相手に決まったらしいから」
「ん……? 美しいではなくて、一番強い、ですか?」
「あぁ、信じらんねぇだろ?」
以前、フライは自分の対がモナだと信じていた。
それでも、別の婚約者がいたという事は、魔王様の相手は強くないと務まらないという事なのかもしれない。
「そうだ、魔神官サマ。攻撃魔法を習得して、ウェンディを倒してくれよ。そうすれば、めでたくお前が婚約者だ」
「む、無理ですよ。私、回復魔法以外の才能は殆どありませんから」
ワタワタと首を振ると、フライがため息交じりで毛布に顔を埋める。
「まじか。……でも俺、もうお前以外は無理だわ。この匂いを知ったら、他の女なんてもう何とも思えねぇよ」
「そんな事……私だって一緒ですよ。私の方が、この先どうすればよいのか……」
「まぁ、そうだよな。……ごめんな」
フライは私の頭を胸元に押し付けるように、毛布越しにぐしゃりと撫でた。
◇◇◇
一晩中近くでフライの匂いに包まれていたら、少し慣れたのか心が落ち着いた。
今すぐフライが結婚をするというわけでもない……と無理やり気持ちを切り替え、予定通り伝染病に侵されているというカイルの村――キナス村へと向かう事にした。
地図を見ると、キナスはかなり離れた場所にある。
数日の移動を覚悟したけれど、魔王城からキナスに近い町までは転移魔法陣で繋がっていて、そこからは歩いて数刻とのことだった。
転移魔法陣の使用許可も下りたので、チューズ達を連れてカイルを迎えに行こうと城下町へ出ると、これまで執拗に求婚をしてきた魔族達が完全に私を避けるようになった。
魔王様の匂いは、想像以上に効果がある。
「これが我の匂いならよかったのにですー」
「フライ様、ウェンディ様いるです。諦めて我の嫁になるですー」
「そういえば、チューズとサースは、ウェンディさんの事は知っているの?」
その名を聞いた途端、二匹が目をキラキラと輝かせる。
「ウェンディ様、すてきですー」
「我の、あこがれのもくひょうですー」
「そ……そんなにすごいの?」
ウェンディは、彼の戦いでは魔王軍を率いた大戦士だったらしい。結界がある今となっては、引退して家業を継いでいるのだとか。
その攻撃力は、フライにも匹敵するという。
付け焼刃の攻撃魔法が使えたところで絶対勝てない、という事は理解できてしまった。




