中編
私が決めていいのでしたら……。
まずは、アッシュ王国の状況から聞きたいですね。
だって、それによってキャサリンがいつ私のところへ帰ってきてくれるか、変わってしまうんですもの!
まあ、別に大したことではないんですけれど。
エリザベス・ゲド夫人は、かつて彼女の一族を陥れた陰謀に加担した王族や貴族たちを、全員、お兄様と同じ方法で処刑したいと望んでいるそうです。
エリザベスはキャサリンの一番の親友ですし、これまでも商売の面で私たちをずいぶん助けてくれましたから。
ですので、私も少し専門的な助言を差し上げました。
せめて処刑が滞りなく進むように、途中であの方たちが意識を失ってしまわないための工夫を、いくつか。
ただ、一人だけ、罰を受ける前に死んでしまった方がいるんです。
陛下もよくご存じの方ですよ。
アッシュ国王の妹君。
本来なら陛下の二人目の皇后になるはずだったのに、突然気が変わり、兄である国王を説得して婚約を破棄させ、代わりにキャサリンを嫁がせた、あの元王女殿下です。
そう、前ワット侯爵夫人。
長男がワット侯爵にあまりにも似ていないことで、ずいぶん噂になった、あの王族のご婦人です。
聞くところによると、ワット侯爵は王宮の秘密通路を使って逃げ出したそうです。
そして、前妻の住まいへ押し入り、彼女と長男を刺し殺したあと、自らも命を絶ったのだとか。
……あら。
陛下、手のひらにガラスが突き刺さっていますよ。
ずいぶん深い傷のようですね。
血を流しすぎると困ったことになると、先ほども申し上げたばかりではありませんか。
これでは、侍従たちが絨毯を丸ごと洗わなければなりませんね。
もし替えの絨毯がなかったら、陛下はどうなさるおつもりですか?
そういえば、ワット侯爵はキャサリンのお兄様であり、テレサとダイナの伯父でもありますから。
おそらく、あの子たちは彼だけは助命するつもりだったのでしょうね。
まさか死ぬ間際に、前妻と、あの「息子」まで道連れにするとは思わなかったのでしょう。
ずいぶんお苦しそうですね。
手のひらの傷が痛むのですか?
それとも……陛下にとって大切な一本の雑草が、枯れてしまったからでしょうか?
はあ。
それほど大切な雑草だったのなら、どうして他人の庭に生やしたままにしておいたのでしょう。
初めから、あの花を種ごとご自分の庭へ連れ帰り、大切に育てていれば……。
こんな結末にはならなかったかもしれません。
ところで、陛下。
まさか本気で、外で勝手に育ったあの雑草が、幼い頃から帝位継承者として教育を受けてきたテレサに取って代われるとお考えだったのですか?
ただ、その雑草が雄だったというだけで?
見識も、知性も、教養も、テレサには遠く及ばないというのに?
本当に不思議ですねえ。
あら。
苦しそうなだけでなく、ずいぶん驚いてもいらっしゃるようですね。
キャサリンも私も、娘たち二人も、あの雑草の存在はとっくに知っていましたよ。
それどころか、イングリッド様からは、もっと面白いお話まで聞いているんです。
陛下は、「ヒロイン」と「悪女」という言葉をご存じですか?
……どうやら、ご存じないようですね。
正直に申し上げると、私もあまり信じてはいないんです。
私たちの生きているこの世界が、実は一冊の本の中の物語だなんて。
あまりにも馬鹿げているでしょう?
でも、そう考えれば、イングリッド様と前ワット侯爵夫人の奇妙な行動にも、少しは説明がつくんです。
イングリッド様によると、彼女は別の世界からやって来た人間で、ある日突然、自分が読んでいた本の世界に入り込んでしまったのだそうです。
はあ……。
私の好みとは、ずいぶんかけ離れた物語ですけれど。
本当の愛というのなら、私は二人だけの小さな世界で、ゆっくりと、甘やかに愛を育んでいくようなものが好きです。
イングリッド様の話では、その本はヴァール帝国の皇帝と、アッシュ王国の王女との真実の愛を描いた物語だったそうです。
その物語の中で、皇帝はすでに公爵家出身のイングリッド嬢を皇后として迎えていました。
けれど、二人の間にはなかなか子供ができませんでした。
しかも、皇后が子を産むまでは、後宮のほかの妃たちが子をもうけることは許されないという決まりがあったそうです。
そこで皇帝は、二人目の皇后を迎えることにしたのだとか。
……この時点で、もう「真実の愛」とは呼べないと思いませんか?
でも、おかしな話はまだ続くんです。
なんでも、婚礼を目前に控えた皇帝と王女が、ヴァール帝国の地下闇市で偶然出会ったのだそうです。
二人は薬を盛られたことで身体の関係を持ち、翌日になって初めて、お互いの正体を知ったのだとか。
……私には、さっぱり理解できません。
薬を盛られたのなら、まず医師を呼ぶべきではありませんか?
それに、意識のはっきりしない相手と身体の関係を持つなんて……。
それは、犯罪ではないのでしょうか?
ともかく、その後、王女は妊娠しました。
皇帝も次第に彼女を愛するようになり、彼女のためにアッシュ王国へさまざまな恩恵を与え、ついにはほかの女性たちと会うことさえなくなったそうです。
一方、もともとの皇后や後宮の女性たちは、嫉妬に駆られて王女を陥れようと、あの手この手を尽くすようになりました。
そして、王女は物語の「ヒロイン」に、皇后は「悪役令嬢」になったのだそうです。
……本当に不思議なお話ですね。
最初から最後まで、一番無責任なのはその皇帝ではありませんか?
私は、人間をそんなふうに簡単に分類できるとは思いません。
王女にも、皇后にも、後宮のほかの女性たちにも、それぞれの事情や苦しみがあったはずです。
そもそも、あの女性たちを後宮に迎えるよう、皇帝に強制した者など誰もいなかったのでしょう?
自分で迎え入れたのなら、きちんと責任を持って、大切にしてあげるべきではありませんか。
イングリッド様は、自分が「悪役皇后」の身体で目覚めたと気づいたとき、元の物語に定められた運命から逃れようと決意したそうです。
だからこそ、陛下がどれほど熱心に求婚なさっても、皇后になることだけは承諾できなかったのだとか。
そして、前ワット侯爵夫人も同じだったそうです。
異世界からやって来た魂が、「ヒロイン」の身体に入り込んでいたのです。
前ワット侯爵夫人は、本の中の王女のように、心も身体も傷つけられる人生を送りたくなかった。
だから、どうにかして婚約を解消しようとしたのだそうです。
……本当に驚いていらっしゃいますね。
キャサリンと私も、初めてその話を聞いたときは、たいそう驚きました。
まさかキャサリンや、ほかの大勢の人々の人生が、あの二人の言う「本」によって変えられていたなんて。
二人は、自分たちの望まない運命から逃れるために、本来なら自分たちが立つはずだった場所を手放したんです。
そして、最初の皇后も、私も、キャサリンも、その空いた場所へ押しやられた。
……おかしな話ですよね。
誰もがただ、自分の幸せを求めていただけなのに。
どうして最後には、いつもほかの誰かが、その代償を払わなければならないのでしょう?
でも、もっと不思議なことがあるんです。
あの二人は、本当に「物語の筋書き」を変えられたのでしょうか?
イングリッド様は、悪役にはなりたくなかったと言っていました。
けれど結局、彼女は陛下の「真実の愛」のお相手になったではありませんか。
彼女が官職にとどまりながら、陛下との関係も続けられるように……。
陛下と彼女は、孤児院から私を騙して連れ出すことさえ厭わなかった。
そうして私は、「聖盾の聖女」から「帝国の薔薇」に変えられてしまったんです。
その一方で、後宮の女性たちは一人、また一人と姿を消していきました。
最初は一人目の皇后。
それから、ほかの女性たちも。
一度倒れた人は、二度と立ち上がることができませんでした。
もちろん、その女性たちに起きたことは、最後にはすべて私のせいにされました。
イングリッド様が、いろいろな噂を流していたからです。
私があの方たちを妬み、陛下の寵愛を笠に着て、後宮から追い出そうと画策しているのだと。
……あの頃の私は、まだ十五歳だったんですよ。
それで、陛下はどうなったと思います?
十五歳の寵妃にいいように操られる皇帝として、他国からまで笑いものにされるようになったんです。
こうして考えると、イングリッド様こそ「悪役令嬢」ではありませんか?
あれだけのことをしておきながら、「悪役」という役回りまで私に押しつけて。
ご自分は陛下と公爵家の陰に隠れ、守られていたのですから。
前ワット侯爵夫人も同じです。
あの、自分を「ヒロイン」だと言っていた王女殿下。
元の物語を知っていたはずなのに、どうして婚礼の前夜に、周囲の人々を振り切って、危険な地下闇市へ一人で出かけたりしたのでしょう?
もちろん、薬を盛られたことまで彼女のせいにするつもりはありません。
けれど、そのあとについてはどうでしょう?
彼女は陛下と結婚しないと決めて、キャサリンを自分の代わりに皇后にまでしたんですよ。
それなのに、どうしてあの雑草の種を蒔いたのでしょう?
初めからあの種を芽吹かせなければ、あとになって問題が起きることもなかったのではありませんか?
……あら。
床が血だらけですね。
どうやら、足にもガラスの破片が刺さってしまったようです。
お召しになっている寝間着まで汚れてしまいましたね。
あとで侍従に下げさせなければ。
これでは絨毯だけでなく、身につけているものまでなくなってしまいますねえ。
そんな目で見ないでください。
汚したのは私ではありませんよ。
陛下ご自身でしょう?
地下闇市での出来事と、同じように。
陛下はあのときも、大勢の者を連れていらっしゃったのでしょう?
侍従に護衛、魔法使い、それから医師。
あれほど疑り深い陛下が、たった一人で地下闇市へ出向くはずがありませんもの。
では、奴隷商人に媚薬を盛られ、意識もおぼつかない貴族の令嬢を見つけたとき……。
どうして、まず医師や魔法使いに診せようとなさらなかったのですか?
そういえば、もう一つ、おかしなことがありますね。
あの王女殿下は、奴隷商人に薬を盛られたのでしたね。
聞くところによると、それは服用した者の欲情を強める薬だったそうです。
しかも奴隷商人は、その薬には妊娠しやすくなる効果まであると謳っていたのだとか。
……なんとも、気分の悪くなる商売ですね。
でも、陛下。
それなら、陛下ご自身はどうして薬に侵されてしまったのでしょう?
お付きの医師や魔法使いでさえ、解毒することができなかったのですか?
ふふっ。
まさか、その薬の効能を耳にして……。
ご自分から服用なさった、なんてことはありませんよね?
……この物語は、そもそも「皇帝」さえいなければ、よかったのでしょうね。
お忘れですか?
かつてキャサリンがアッシュ王国から嫁いできたとき、彼女に付き従ってきた魔法使いたちは、後宮で毒に侵された女性たちを治療しただけではありません。
陛下の診察もしていたんですよ。
……そういえば、陛下。
もともと水の流れが弱いのなら、いくら器を取り替えたところで、なかなか満たすことはできませんよね?
イングリッド様も、もっと早くそのことを知っていれば……。
もしかしたら、あんなことはしなかったのかもしれませんね。




