続・最初の異世界(13)
古い言い伝えがある。
それは大悪魔マカベルの出自に関する言い伝えだ。
世界にまだ魔物が跋扈しておらず、すべての生き物がただの獣でしかなかった時代。
大悪魔マカベルは歩いては渡っていけない、この世の向こう側から常闇を引き連れてやってきたという。
とはいえ、こちら側に来たばかりの頃のマカベルは誰にでも殺せる程度のひ弱な存在であった。
実際、マカベルをいとも簡単に殺したという逸話は神話の時代の英雄譚にはいくつも存在する。
そう、神話の時代において、マカベルは雑魚の代名詞だったのだ。
そんなマカベルが大悪魔と恐れられるようになるのは、神が地上を支配する時代が終わりを告げ、人の世が始まる古代の世からである。
まだ人と神が共に地上で暮らし、天上にある神々の園と人の住む地上の大地との境界線が曖昧だった頃、同じく大地のはるか地下深くにある、死者の国たる冥府との境界線も曖昧であった。
ゆえによく迷い込む、生者も死者も、冥府と現世に……
だからこそ、マカベルは続々と地上に這い上がってくるのだ。
まだ地の奥底にある生者と死者の境界線が曖昧だった頃は元より、神々が天に去り、神話の時代が終わりを迎え、この世のすべてが神々から人の手に委ねられてからもなお。
いや、むしろマカベルが勢いづくのは人の世たる古代の世になってからだ。
神々が地上を去ってからだ。
英雄譚で語られるような、誰もが知る神々が姿を消してからだ。
何せ、自分たちをどこにでも湧いて出る害虫を踏み潰すように、息を吸う様な感覚で殺していた連中がいなくなったのだから……
天敵がいなくなったのだ、そりゃ動きも活発になるというものである。
とはいえ、それでもまだ古代の人の世は所々に神代の名残がまだあり、人の英雄たちもまだ神の血をほんの軽く引き継いでる者たちが占めていた。
だが、時代が進むにつれて人々の中に残る神々の血は薄まっていく。
次の代へと進むたびにその記憶も徐々に遠のいていく。消え去っていく。邪魔なものだと葬り去られていく。
事実が、経験が、記憶が、新たに生まれる命に継承されるたびに、記録が叙事詩へと、伝承が戯曲へと、歴史がおとぎ話へと変化し、劣化し、風化していく……
こうして人類は代を重ねるごとに忘れていくのだ。
かつて神々と共に歩んだ日々を……
失っていくのだ、その痕跡を……
所詮は吟遊詩人の戯言だと見向きもしなくなり、信じなくなるのだ、その奇跡を……
そうして、人々の中にかすかに残る神々の残り香が完全に消え去った時、マカベルにとっての天敵はいなくなった。
ゆえにマカベルは大手を振って、大々的に地下深くから這い上がる。常闇を引き連れて……
歩いては渡っていけない、この世の向こう側から多くの仲間を招き寄せて……
そうして、世界を闇が覆った。常闇が支配した。
古代の世も終わりを迎える頃、人々は恐れおののいた。
光り届かぬ深淵を恐れた。夜を恐れた。影を恐れた。常闇を恐れた。
地下深くを恐れた。
深い深い穴の底を……冥府へと繋がる道を恐れた。
漆黒に染められた世界の終焉を恐れた。
そうした人々の恐れが、いつからか大悪魔と人々から呼ばれるようになったマカベルをより強くした。
より強大な闇を、歩いては渡っていけない、この世の向こう側から呼び寄せた。
それらはさらに人々を苦しめ、怯えさせ、絶望させた。
だから人々は祈った。
忘れ去った、かつて共に歩んだ神々にすがった。
どうか、あの忌まわしき闇を祓い給えと。
闇を退け、世界を明るく照らしてくれと。
希望を求めた。
そうした人々の切実な祈りが奇跡を生む。
いまや地上は神々の住む天界とは切り離され、神々も人々も出会う事はない。
だから地上の人々の訴えなど、苦しみなど、神々に届くわけがないのだ。わかるわけがないのだ。理解できるはずもないのだ。
しかし……祈りは天に届いた。そう、届いたのだ。
だからこそ、神々はかつて共に地上で暮らした愛しい我が子たちのために、直接的な手助けはできないにしても、何かの役に立つものをとこしらえる。
常闇を従える大悪魔に対抗できる、打ち負かす事が出来るものをこしらえる。
そして、それはできあがった。
できあがったそれを、神々は天より地上に落とす。
雲の隙間から射す光に照らされながら地上へと落ちていくそれは、やがて雲の隙間から射す無数の光である天使の梯子が照らす大きな岩の上に突き刺さった。
直後、その突き刺さったものは目を開けていられないほどの眩しい光を周囲一帯に放つ。
その閃光は、たとえ一瞬であっても世界から闇を打ち払った。
その岩の上に突き刺さったのは眩しいまでの閃光を放つ、一本の剣であった。
いや、周囲の光を受け止め、収束し、拡散するとでもいうべきか……
何にせよ、その剣は神々が地上に生きる愛しい我が子たちのために作った、闇を祓う剣なのだ。
そう、それこそが聖剣シルブルムフゲンである。
この聖剣シルブルムフゲンを歴史上、初めて引き抜き、手にした人物こそが初代勇者であり、大悪魔マカベルを人類として最初に殺した人物なのだ。
初代勇者が大悪魔マカベルを殺したその日から地上は、どの国も、どの地域も、どの町も、どの施設も三日三晩、飲めや食えや遊べや歌えやのお祭り騒ぎとなった。
この期間だけは王も貴族も巫女も神官も兵士も戦士も傭兵も商人も職人も農夫も物乞いも盗人も奴隷も親も子も孫も何も関係ない。
この時ばかりは無礼講、誰もが身分など気にせず肩を組んで些細な問題をすべて忘れ、騒ぎまわった。
ついに夜を影を闇を暗がりを恐れる必要がなくなったのだ、当然だろう。
だが、そんな楽しい時間は長くは続かない。
4日目には大悪魔マカベルは復活したのだ。
しかも、更に強くなって……
とはいえ、人類にはもう闇に対抗する術がある。
そう、光を持って闇を祓う聖剣シルブルムフゲンだ。
初代勇者は復活した大悪魔マカベルを倒すべく、聖剣シルブルムフゲンを手にして再び戦いを挑む。
だが、今度は殺されたのは勇者であった。
勇者を殺した大悪魔マカベルは再び世界を闇で覆ってしまう。
こうして暗黒の時代がたった4日で戻ってきたが、聖剣シルブルムフゲンを引き継いだ2代目勇者が準備を整え、大悪魔マカベルに挑み、これを殺した。
再び世界は光を取り戻す。
だが、2代目勇者はまたしても数日後に復活した大悪魔マカベルに殺されてしまう。
こうして、これから数代にわたって、こういった攻防が繰り返される事になる。
そして、厄介な事に大悪魔マカベルは復活するごとに強くなっていた。しかもなぜか、殺した勇者の特性を引き継いでいた。
そうこうしているうちに、さすがに人々も気付き出す。
大悪魔マカベルは歩いては渡っていけない、この世の向こう側から来たのだ。
つまりは黄泉の民、いくら殺したところですぐに冥府から舞い戻ってくる。
冥府から闇とともに死者の魂を引き攣れて……
そして、当然ながら勇者は死ねば冥府へ行く。そして冥府にある死者の魂は大悪魔マカベルによって兵士へと変えられ、再び勇者に挑むための戦力とされるのだ。
つまりは勇者は死ねば、次の瞬間には大悪魔マカベルの下僕となるわけである。
そして、そんな下僕にした元勇者からスキルなりの特性を吸い取って我がものとしているのだろう。
しかし、そうなると大悪魔マカベルは殺したくても殺せなくなってしまう。
なにせ殺したところで数日たって復活し、更に強くなって帰ってくるのだ。そして現在の勇者を殺し、それを部下として従え、死の軍勢に加えてしまう。
つまりは戦えば戦うほど、手がつけられなっていく……本当に面倒な事だ。
とはいえ、それがわかっていても戦う以外に選択肢はない。ではどうすべきか?
そこで考案されたのが、殺さずに封印するという手段である。
というよりも実際、これ以外の選択肢はない。
こうして数年の研究を経て、大悪魔マカベルを黄泉の国にも現世にも、どこにも属さない空間の檻の中に閉じ込める術式を大まかにだが完成させ、ついに大悪魔マカベルを封印する事に成功したのだ。
そう、したのだが……この封印は完璧なものではなかった。
相手は大悪魔マカベル、完全に封印するには使用する術式も、それを行使するための人材や施設の確保も何もかも手間がかかる。
そう、軽く見積もっても20年ほどはかかるであろう。
そして、その完成を大悪魔マカベルが待ってくれるわけもない。
だからこそ、未完成でもとりあえず封印しておく必要があったわけだが……
未完成な状態での封印には少し問題があった。
それは、この地ならば大悪魔を未来永劫封印できます! といったような、特定の相手を縛り付け動けなくするのに適した、条件に即した土地に封印する方法ではなく、封印を施した瞬間に大悪魔マカベルの肉体が変化し、禍々しい見た目の小さな石となってしまったという点である。
つまりは大悪魔マカベルは未完成な術式によって封印されると、小石のような姿になってしまったというわけなのだが……しかしこの石、ただの石ではなかった。
禍々しい見た目とはいえ、その石はある人間の体内で生まれる結石によく似ていた。
それは胆石である。
封印された大悪魔マカベルは胆石へと姿を変え、人の体内に潜む事となる。
これは未完成な封印を施したがゆえに仕方がない事であり、当初は封印を施した聖職者がその身に大悪魔マカベルたる胆石を宿した。
だが、胆石は胆道に詰まったり、たまってきたりすると痛みや様々な症状を引き起こす病気の元だ。
痛みに耐えかね、治療と称して胆石を取り除けば大悪魔マカベルは復活してしまう。
現に歴史上何度か、そうして大悪魔マカベルは復活している。
その度に封印され、また誰かの体内に胆石として封印される。
では痛みに耐え続ければ体内に大悪魔マカベルを封じ続けられるか?といえば、実はそうでもなかった。
封印され胆石へと姿を変えた大悪魔マカベルだが、しかしその効果は数十年しか続かないのだ。
これは封印の術式が未完成ゆえの結果だろう。
では封印の効果が消えればどうなるか?
胆石として体内に潜んでいる大悪魔マカベルは封印が弱まりだすと胆石の姿のままとはいえ、徐々に胆石を宿している人間の体を蝕んで乗っ取っていき、やがてその姿を変異させる。
そうして最後には心を乗っ取り、胆石を宿した人間の体を媒介として地上に復活するのだ。
これを防ぐ方法はただひとつ、そうなる前に胆石を宿している人間を殺す事である。
いうなれば宿主が死ねば寄生虫も生きていられなくなる原理と同じだ。
とはいえ、世の中に存在する大多数の寄生虫がそうであるように、大悪魔マカベルも宿主が死んだ瞬間に次の宿主へと移動する。
乗っ取られかかった宿主が死んだ次の瞬間には、新たな宿主の体内の胆石となっているのだ。
結果として、大悪魔マカベルはまた一から宿主の体を蝕んでいかなければならず、封印が解け、大悪魔マカベルが復活する時期が先送りされる。
こうして大悪魔マカベルを封印し、管理する側は復活しそうになると宿主を殺してはまた時間を稼ぐという手法を気が遠くなるほどの長い年月続けてきたのだ。
そして、それを行うには行き場のない孤児を引き取っている教会が最適であった。
何せ、復活直前の宿主を殺した時、そこが街中であったならば一体誰に胆石が宿ったのかわからない。
大体は殺した時の一番身近にいる周囲の人間に、特に子供に宿る事が多いのだが、街中であった場合はその判断がつかない。
だが、教会の孤児であったならば特定は容易い。
何せ狭く、限られた空間の中で暮らしている人間が限られているのだ。そっちのほうが管理しやすいし、復活する前に殺す際は下手に街中にいるよりも教会の中のほうが面倒ごとを避ける意味でも都合がいい。
ゆえに、大悪魔マカベルの管理は教会がおこなってきた。
そうして大悪魔マカベルをその身に宿らせては復活する前に殺すという行為を長きにわたり続けてきたのだ。
その事を老人から聞かされた今元晋はただ一言。
「狂ってる」
そう吐き捨てた。
だが老人は鼻で笑う。
「確かに軽蔑するだろうな? だが、これ以外にマカベルを封じ続ける術はないぞ? それとも黄泉の民、おぬしは何か妙案でもあるというのか?」
そう問われた今元晋は言葉に詰まる。
そして、詰まりながらも、何とか言葉をひねり出した。
「倒せば……いいんじゃないか? その大悪魔を」
これに老人は呆れたようにため息をつく。
「倒せないから封印しているんだぞ? 話を聞いてたか?」
「……そうだよな。それに倒せたところで、すぐに力を増して冥府から戻ってくる、か……」
そこまで言ってから、ふとある事に気付く。
「そういえば、その聖剣だったか? 大悪魔に有効だっていう。それは今どこにあるんだ?」
「聖剣シルブルムフゲンか? それなら、ここから少し歩いたところにある洞窟の奥底に隠してあるわい」
「隠してる? なんでだ?」
「仮にも神から授かった代物じゃぞ? 誰でも気軽に触れられる場所に保管するわけないだろ」
「まぁ、ごもっともな意見だな……でも、だったらなんで宝物庫みたいなところに収めておかないんだ? そっちのほうが厳重だろ」
「聖剣シルブルムフゲンは勇者以外には手に取る事ができん代物だ。そんなものを宮殿の宝物庫なんかに置いててみろ、権力を振りかざしたい王族やのし上がりたい貴族共に政治利用されるに決まってる」
「……まぁ、それもそうか」
「だからここに隠しているんだ。連中が滅多に来れないここにな。ここなら、連中の手に渡る事はないし、自分が聖剣に選ばれた! 聖剣を手にした! と騒いでも法螺だとわかる。こんな場所に連中が来るわけないんだからな」
「来るわけがないって……どんだけ辺境なんだよここ」
今元晋がそう言った直後、今元晋と老人が会話していた部屋に幼い女の子が入って来た。
「司祭様! ラーゼ姉連れて来た」
「おぉ、そうか。中に入りなさい」
「はーい!」
元気よく言った幼い女の子に手を引っ張られる形で、続けて部屋に入って来たのは、水浴びをし、身なりを整え、清潔感溢れる姿となった、建物の外で獣たちを殺しまくっていた少女……老人がいうところの大悪魔マカベルが封じられた胆石をその身に宿した宿主たる少女であった。
「っ!!」
今元晋は、その姿に思わず目を奪われた。
さきほどの建物の外で暴れまわっていた時とはまったく印象が変わっていたせいもあるが、何よりその姿は今元晋の好みのド直球だったからだ。
(え? まじ? この子、こんなにかわいかったっけ?)
さきほどまではまったく気にならなかったのに、一度気付いたからには、もう彼女を今元晋は意識せずにはいられない。
そして、同時にさきほどの老人から聞いた話を思い出す。
そう、この子は大悪魔マカベルが封じられた胆石を宿した宿主。
そして、今は普通の人間の姿に戻っているとはいえ、さきほどは右手が異形のものであった。
その意味するところは、彼女の体はすでに異形の姿が表面化してしまうまでに大悪魔マカベルに蝕まれており、もう時間がないといっていい状態まで浸食されているという事だ。
……つまりは、もう殺すしかない末期の状態なのである。
その事実を理解し、今元晋は言葉を失う。
(殺す、しかないのか……この子を? ……殺すというのか? この老人は? この子を? なんだよ、そんなのって……)
好みのド直球だからというのも理由のひとつには挙げられるが、今元晋は単純に今、この子に死んでほしくないと思った。
だからこそ、この子を殺さずにすむ方法は何かないのか? と老人に尋ねるが。
「ない。それはさきほど説明しただろ」
予想通りの答えが返ってきた。
時が来たのだ。もはや殺す以外に道はない。
それがこの子にとっても体の内側から浸食され、体を作り変えられていく苦しみから解放される救いとなるのだ。
だが、そんな事言われても到底納得がいかない。
なので今元晋は、本当に何か手はないのか? と食い下がるが、そんな今元晋に対して老人はニヤリと笑うと。
「とはいえ、殺す以外の方法がないわけではない」
そんな事を言い出した。
それを聞いた今元晋は思わず「あるんじゃねーか!」と叫ぶが、老人はやれやれと肩をすかすと。
「これまで話した内容はあくまで、我々だけで対処する場合の話だからな? ここに別の要素が加わると話が少し変わってくる」
そう言って今元晋をじっと見つめた。
そんな老人を見て今元晋はごくんと唾を飲み込むと。
「なんだよ、その別の要素って?」
そう尋ねると、老人は今元晋を指差し。
「それはおぬしだ……正確にはおぬしのような黄泉の民だがな」
そう言うと、元気のよい幼い女の子と一緒に部屋に入って来た戸惑っているラーゼの方に目を向けて。
「おぬし、ちょっと洞窟にいって聖剣をとってきてくれ」
唐突にそんな事を言い出した。
思わず「は?」と口にしてしまうが、気にせず老人は言う。
「もしかしたらおぬし、ラーゼを救えるかもしれないぞ?」
そんな言葉を……




