受け継がれし鋼の魂(43)
静寂が支配する薄暗い森の中を小さな灯りが高速で移動していた。
その小さな灯りは近づけば、静寂を切り裂くように荒々しく馬が駆ける音を周囲にまき散らすが、しかしすぐに通り過ぎて周囲は再び静寂に包まれる。
そんな森に雑音をまき散らし高速で移動する小さな灯りの正体は馬車の荷台に吊るされたランタンの灯りだ。
そして、ランタンを運んでいるのは商人の馬車。
エルフの里での商談を終え、帰路についている最中である。
そんな馬車が進む道は、当然ながらまったく整備されていない悪路であり、おかげで馬車の荷台は安定せず常に激しく揺れていた。
そんな荷台は今、エルフの里での荷下ろしを終えた後なので、半分ほどのスペースが空いている状態であった。
そんな荷台の隅に積み込まれているエルフの里で仕入れた工芸品やエルフの里でしか採れない香辛料が入った樽に背を預ける形で2人の少女が座っていた。
その少女たちは樽にかけられた布の内側に身を隠すように潜んでおり、さらに黒いローブを羽織って顔を覆い隠していた。
そうしてエルフの里がまだ近いうちは息を潜めていた2人の少女は、やがて激しく揺れる荷台に耐えられなくなったのか、あるいはもう安全だと判断したのか、身を隠していた布から外に出てさらに顔を覆い隠していたフードも外してその素顔を晒す。
「ぷはぁ! く、息苦しかった……」
「し、死ぬかと思った……ほんと窮屈すぎ」
素顔を晒した2人の少女には特徴的な長い耳がついていた。
彼女らは言うまでもなくエルフ。幼い日のミーヤとマーヤである。
そんな2人は荷台の一番後ろへと移動し、荷台を覆うボンネットにかけられた布をめくって外の様子を確認。
誰も追ってきていない事を確認すると安心したようにため息をついてその場にしゃがみ込んだ。
それと同時に荷台が大きく揺れ、マーヤは顔を真っ青にさせ。
「おぇぇぇ! ぎぎもりわるい……おおぇぇ!」
そう言って両手で口元を押さえるが、そんなマーヤを見てミーヤが。
「うわ!? やめてよお姉ちゃん、ここで吐かないで! 吐くなら外に吐いて!」
そう言って布をめくった先を指差す。
マーヤは素早く移動すると盛大にリバースした。
そんなマーヤを見てミーヤは苦笑し、そして改めて外の景色を見てしみじみと口にする。
「本当に里を抜け出せたね」
ミーヤのそんな言葉を聞いて、リバース後、しばらく肩で息をしていたマーヤは右腕ですばやく口元を拭うと。
「うん、もう私たちは自由だよミーヤ! これかからは外の世界を思う存分堪能できるんだ! 見てろよ木偶の棒の老人ども!! 私たちがこれから世界を動かすんだ!!」
そう言って拳をぐっと握って見せた。
そんなマーヤを見てミーヤも大きく頷くと。
「そうだね、あんな退屈な里とはもうおさらばだ! 二度と戻るもんか!!」
そう言って、もうここから外観を見る事も確認する事もできない彼女らの故郷に対しべーっと舌をだして見せた。
そうして大きく伸びをしてから。
「うーん、すっきりした! さて、これから先の計画を立てようかお姉ちゃん!」
ミーヤはそう言うと懐にしのばせていた周辺の地図を取り出し床に広げる。
その地図はエルフの里に来た行商人……そう、今まさにこの馬車を走らせている当人から譲り受けたものだ。
その地図を見ながらミーヤはまず森から一番近い村を指差し。
「行商さんが次に寄るのがここ、交渉で決まってる話では、ここまでは連れて行ってくれる事になってるけど、ここから先をどうするかなんだよね。行商人さんとはこの村で分かれて、しばらく村に滞在してからその先の事を考えるか、それとも行商人さんに更に遠くへと連れて行ってもらうか……」
そうマーヤに尋ねた。
マーヤはしばらく地図とにらめっこしながら「むむむ」と唸っていたが、やがて馬車の荷台の車輪が地面に落ちていた大きな岩にでも乗り上げたのか、激しく揺れた直後、衝撃とともに荷台が大きくはねるとミーヤとマーヤは一瞬宙に浮き、すぐさま荷台の床に着地すると、そのままバランスを崩し、倒れて端まで転がってしまった。
「きゃ!?」
「おっぷ!!」
そしてマーヤは落下防止用の柵に激突すると顔を真っ青にして、今にもリバースしそうな表情となった。
そんなマーヤを見て、ミーヤが慌てて。
「ちょっとお姉ちゃん!? その状態で吐くのだけは絶対にやめて!!」
そう叫ぶが、時すでに遅し……マーヤは盛大に荷台の床全体にリバースした。
「おぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
「いやぁぁぁぁぁ!!!! やめてー---!!! お姉ーちゃー---ん!!!」
数十分後、馬車の荷台ではミーヤとマーヤが共に無言で床を布で拭いていた。
申し訳なさそうに床を拭くマーヤは時折、ちらちらと妹の方に視線を向けるが、しかしミーヤは黙々と床を拭くだけで一言も言葉を発しなかった。
そんな妹にマーヤは。
「これこれ、ミーヤさんや……もしかしてすごーく怒ってる?」
恐る恐るそう尋ねた。
そんなマーヤの質問にミーヤは。
「もしかしなくても怒ってるよ」
マーヤの方を向くことなく、そう答えて床を拭き続けた。
これにマーヤは申し訳なさそうに頭をかくと。
「ごめんってば」
そう謝罪するが、ミーヤは淡々と。
「なら手を動かして」
そう答えるだけだった。
「はい、すみません」
そんな妹の言葉にマーヤは心の底から申し訳なさそうにそう答えると、それ以上何か言うことなく黙々と掃除を開始した。
ミーヤとマーヤが言葉を交わすことなく掃除をし続ける事数時間……なぜか一向に荷台の掃除は終わらず、また馬車が移動した距離的にも、もう森から抜け出してもおかしくないはずなのだが、一向に森から抜け出せる気配がなかった。
さすがにミーヤもこれはおかしいと思い、一旦床を拭くのをやめ、荷台の一番後ろへと移動し、荷台を覆うボンネットにかけられた布をめくって外の様子を確認する。
外に広がるのは相変わらずの森の風景だが、しかしそれは数時間前に確認した時の景色と変わっていないような気がした。
まぁ森なんて、どこまで行っても代わり映えしない景色が続くものだと言われればそれまでなのだが、どうにも違和感を覚えた。
なのでマーヤに尋ねてみる。
「ねぇお姉ちゃん、おかしくない? なんか前に確認した時と景色が変わってないんだけど。床だってどれだけ掃除してもいっこうにきれいにならないし、何か変だよ」
ところがマーヤは、ミーヤに背を向ける形で、ただ黙々と床を布で拭く作業を続けるだけであった。
そんなマーヤを見てミーヤは眉を潜める。
「お姉ちゃん?」
マーヤはミーヤに一切の反応を示さず、同じ作業を永遠と続ける。
そんなマーヤにミーヤは再度声をかけた。
「……どうしたの? お姉ちゃん」
しかし、やはりマーヤは反応を示さず黙々と床を拭き続けるだけだ。
さすがに様子がおかしいと思ったミーヤはマーヤに近づき。
「ちょっと! 聞いてるの?」
肩に手を置いて、無理矢理こちらに振り向かせる。
すると……
「っ!?」
マーヤの顔がのっぺらぼうになっていた。
目も鼻も口も眉も、顔に本来あるべきはずのものが、一切なくなっていた。
そんなマーヤを見て恐怖のあまり心臓が止まるかと思った。
「きゃぁぁぁぁ!!!」
思わず叫び声をあげると、のっぺらぼうなマーヤがすらーっと起き上がりミーヤの腕をガシっと掴む。
そして……
「な、何!? あなた本当にお姉ちゃんなの!? というか離して!!」
「それはできない相談だな」
マーヤとはあきらかに違う声で、のっぺらぼうなマーヤが喋った。
口もないのに、一体どこから声を発したのか?
そんな疑問すらでてこないほど、ミーヤはパニック状態に陥っていた。
「な、なんなのよあなた!? というか離して!! 離してよ!!」
そんなミーヤの腕をのっぺらぼうなマーヤは決して離さない。
抵抗を続けるミーヤを抑え込みながら。
「遊びは終わりだ。さぁ戻るぞ、里に」
そう言ってミーヤを引きずっていこうとする。
「何言ってるの? 戻るわけないでしょ!! あんなところに!! あなた誰なの!? お姉ちゃんは……マーヤはどこ!?」
「マーヤ? 誰だそれは? お前は一体誰の事を話しているんだ?」
「な、何を言って……」
「そんな人物はいない、これまでお前が接してきたそれは、お前の脳内で生み出されたイマジナリーシスターだ。現実に存在しない」
「嘘だ! そんな事!」
「可哀想に……あまりに孤独すぎているはずのない歳が近い姉がいる妄想の世界に生きるようになったんだな……バカめ、エルフ社会で歳が数年しか違わない姉妹が存在するわけがないだろう。考えればわかる事じゃないか?」
「そ、そんな事……」
「哀れな、現実と妄想の区別もつかないか……これは重症だな? そんな心が壊れたエルフが外の世界で生きていけるわけがないだろうが」
「っ!」
「さぁもういいだろ……いい加減戻るんだ。それしかお前に選択肢はない。というよりも、外の世界に出られるわけはないだろ? バカなガキが。お前の居場所はあそこにしかない」
「いや!! 離して!! 私は戻らない!! あんな場所に絶対に!! 離して!! 誰か!! 誰か助けて!!」
いつの間にか馬車の荷台から夜の森の地面へと立っている場所が変化していたが、そんな事に驚く間もなく、腕を掴まれていたミーヤは、そのままのっぺらぼうな誰かに里の方角へと引きずられていく。
このままではまた里に閉じ込められる。
そう悟ったミーヤは必死に助けを求めるが、それに応える者など、そもそもこの森にいるわけがない。
というよりも、こんな体験を今でも何度も経験しているような気がした。
デジャブというか、ずっと時間がループしているというか。
何度も逃げ出そうとして、何度も連れ戻されて……
あぁ、そうか……何度やってもここからは抜け出せないんだ……結局、あそこに戻されちゃうんだ……
何をやっても無駄なんだ……
絶望がミーヤの心を支配したその時だった。
「その汚い手を離しやがれ!! バケモノが!! ミーヤに触れるんじゃねー!!」
どこからか、そんな叫び声が聞こえ、そして……
「おらぁぁぁぁ!!」
ミーヤとのっぺらぼうの間に割って入るように少年が飛び出してきて、のっぺらぼうにタックルをきめた。
「がはぁ!?」
少年のタックルをくらったのっぺらぼうは後方へと吹き飛び、そのまま地面に倒れ込む。
同じく少年も地面に倒れたが、素早く起き上がると周囲を確認してからミーヤの方へと駆け寄り、そして……
「助けにきたぞミーヤ、さぁ一緒に帰ろう!」
そう言ってミーヤに手を差し出して来た。
そんな少年を見て、ミーヤは一体この子は誰だろう? と首を傾げたくなったが、直後、頭の中に渦巻いていた何かがすーっと引いていくような感覚を覚えた。
そして……
「ナオキ……」
次の瞬間にはその名を口にしていた。




