受け継がれし鋼の魂(39)
それはまるで、光が届かない漆黒の深い深い湖の底に沈んでいくような感覚であった。
体はどんどんと下がっていくが、しかし急激なスピードで落下しているような感覚はない。
されど、もがいて上空へと上がる事もできず、落下速度があがるでもない。
下を見下ろせば、底が見えない漆黒の闇が広がっており、上を見上げても、小さな明かりすら感知できない。
果たして、今自分は本当にどこかに向かって落下しているのだろうか?
そんな事を思った直後だった、唐突に視界が開けた。
落下していた体はいつの間にか地に足をつけて立った状態になっており、そして目の前には薄暗く、気味の悪い森が広がっていた。
この森が一体何なのか? それは聞くだけ野暮というものだろう。
何せここはミーヤの精神世界。そして彼女はエルフだ。
そして、そのエルフは本来、人を寄せ付けない深い森の奥に集落を築き、人との接触を禁じている。
つまりは、今目の前に広がっている薄暗く気味の悪い森はエルフが住まう森、という事だろう。
そんな森を前にして小さく深呼吸し。
「他人の精神世界に入るのはこれで3回目か……」
そう口にしながら隣に立つナオキに目を向ける。
(今回、俺がやるべき事はナオキをミーヤの元まで無事届ける事だが……とはいえ、この森の中をあてもなく進むのか? ミーヤがどこにいるかの検討もつかないまま?)
思わず頭をひねってしまうが、考えても仕方がない。
結局のところ、たとえ本物のエルフの森を知っていたとしても、ここはミーヤの深層心理。きっと本来の森とは違ったものになっているだろう。
ならば考えても無駄だ。ただ突き進むのみである。
「それじゃあ行こうかナオキくん」
そう声をかけると、ナオキは元気よく頷き。
「はい! お義……カイトさん!!」
これまで同様の呼び名で返事しそうになった。
これには思わずため息をついて顔に手を当ててしまう。
本人もまずいと思ったのか、冷や汗をかいて目が泳いでいる。
そんなナオキを見て、この先大丈夫か? と少し不安になった。
「はぁ……ナオキくん、ここはミーヤさんの精神世界の中なんだぞ? わかってるのか? ここでその呼び方は自殺行為も同然だ」
なので少し注意すると、ナオキは申し訳なさそうに縮こまると。
「すみません……反省してます」
ドンよりとした空気を纏ってそう口にした。
少なくとも、ここでイレーナの事を連想させるような発言はまずいとナオキも理解しているようだ。
なら、これ以上は口にする必要はないだろう。なので今は先へと進む。
「わかってくれたならいい。今は一刻も早くミーヤさんを見つけ出す事が先決だしな」
「はい、カイトさん!」
気合いを入れたナオキと共に森の中へと足を踏みいれる。
森の中はほんの少ししか光が差しこまない、暗い空間であった。
さらに人が歩くような道も整備されておらず、かろうじて獣道がある程度であった。
そんな、どこから何が飛び出してくるかわからない道と呼べない道を、周囲を警戒しながら突き進む事数時間、ミーヤの姿はまったく確認できなかった。
それどころか、森の奥に進むにつれて、地面から生えている草もどんどんと高くなり、今は腰を超えて胸元まで草が迫っており、完全に足元が見えない状態となっていた。
こんな状態ではもし足元に蛇なり獣なり猛毒を有した危険な昆虫がいて、仮にこちらに襲いかかってきたとしても対処できないぞ?
そう思いながらも、しかしだからと言って足を止める事もできず、ひたすらに先へと進み続ける。
とはいえ、ただあてもなく歩き続けるのも精神的にしんどい……なのでナオキに話題を振ってみた。
「しかし、こんな気味の悪い薄暗い森の中によくエルフは住めるよな……ナオキくん、ここに住もうと思うか?」
「はい、カイトさん! 俺には無理っす!」
元気よく答えたナオキは、しかし周囲を見回し。
「けどカイトさん、ここって本当にエルフの森ですかね?」
首をひねりながらそう尋ねて来た。
「いや、彼女の精神世界の中なんだから本当の森じゃないだろ」
なので草をかき分けながら、そう口にするとナオキは。
「えぇ、だからこそ、今目の前に広がっているこの森の風景は本当のエルフの森の風景とはかけ離れていると思うんですよ。だってミーヤの精神世界の中なんでしょ? という事は、この風景はミーヤが思い描くエルフの森って事じゃないですか」
そう言って上空を見上げる。
そこに広がっているのは木の枝やそこに生えた葉であり、それらに覆われて空は見えない。
それはまるで、心を閉ざした今のミーヤの心そのもののようであった。
ナオキの言葉を聞いて、昨夜ミーヤが語った事を思い出す。
(そういや、ミーヤは人間社会に興味があってエルフの里を抜け出したんだったな。退屈なエルフ社会に飽きて……ずっと変化がないエルフ社会は彼女にとって苦痛そのもの。この森の風景はいわば彼女が故郷に対して抱いている印象といったところか)
故郷の森が彼女の精神世界において、こんな先に進むものを拒むような、外界からの訪問者を受け付けない姿で存在しているのは、エルフの里は彼女にとって決して戻りたくはない場所という事なのだろう。
しかし、そうなるとある疑問がわいてくる。
それはこのまま、この森を進んでも大丈夫なのか? という根本的な疑問だ。
自身にとって一番居たくない場所……思い出したくもない場所に果たしてその魂を置くだろうか?
このまま森の奥地へ進むのは無駄足になりはしないだろうか?
迷いが生じるが、とはいえ、今の彼女はナイトゴーントに支配されている状態である。
であるならば、支配下に置いた彼女の魂が活発に動ける場所には幽閉しないだろう。
本人にとってもっとも嫌で外に出たくなくなるような場所に幽閉するはずだ。
そして、彼女にとってそれはエルフの里だろう。
つまりは、この森の奥地にあるエルフの里に辿り着かないといけない。
そこでようやくスタートラインに立てるというものだ。
(まぁ、それまでにナオキにはイレーナの事は忘れてもらって、ミーヤの事だけを考えてもらわないといけないんだが……そもそもナオキはミーヤの事をどう思ってるんだ?)
ふと、その事が気になった。
これはとても大事な事で、たとえミーヤの元に辿り着けても、ナオキがそもそもミーヤの事を何とも思っていなかったら、ミーヤの心は動かせず、ナイトゴーントの支配から解き放って奪還はできないのだ。
(本人はミーヤの事を取り戻すとは何度も言ってるが……それは奪われた仲間を取り戻すという意味なのか、それとも大事な人の心と体を取り戻すという意味なのか……ナオキの気持ちがどっちなのかによって結果は大きく変わるぞ? うーん、ここは一度直球で尋ねてみるか)
なので、この場でナオキの本心を聞いてみる事にする。
返答次第では、ここにきて少し作戦を変更というか、アプローチの仕方を変えないといけないかもしれない。
それよりも、ここはミーヤの精神世界だ。つまりはここでの会話はミーヤ本人に筒抜けと考えた方がいいだろう。
つまりは、ここでナオキの本心を聞くのはかなりリスクの高い行動となるが……それでも、うやむやのまま本人と対峙した時に妙な返答が飛び出すほうが危険だ。
だからこそ、ここでナオキの本音をはっきりさせる必要がある。
でなければ、仮にナオキがミーヤの事をまったく何とも思っていなくて、自分や父親の潮留よしもりに言われたから渋々ここまで来ましたというのが本音だった場合、ミーヤと対峙した時、どんな危険な言葉が飛び出すかわかったものじゃない。
だからこそ、ここではっきりさせないといけないのだ。
なので一旦足をとめ、ナオキのほうを向き尋ねた。
「なぁ、ナオキくん……」
「はい、なんですかカイトさん」
「ナオキくんは、ミーヤさんの事をどう思ってるんだ? というか、これからどうしたいんだ?」
この質問にナオキは一瞬固まり、そして困惑しだした。
「え? いきなりなんですかカイトさん? な、何をどうしたいって……ま、まぁ、ミーヤの深層心理に潜っておいて、いきなりも何もないとは思いますが」
目は宙を泳いでおり、あきらかに動揺しているそんなナオキの様子を見て、今これ聞いておいて正解だったなと思った。
いざミーヤと出くわした時にこれでは話にならないからな。
そんな事を思っていると、ナオキは何かブツブツとこちらに聞こえないほどの小さな声でつぶやいてから。
「いや、違うな、そうじゃない……俺は……」
何か覚悟を決めたような表情になると。
「カイトさん、まだ俺にはよくわかりません。こういう事言うのは最低かもしれないですけど、俺の中でまだ答えが出てないんです。特別な感情はあります。そりゃあります……けど、それは生まれた時からずっと傍にいてくれたっていう感謝の気持ちのようなものでもあるし、母さんの復讐を……バイオスターとの戦い方を教えてくれた恩師への尊敬の念のようなものでもあるし……けど、確実に言える事は……ミーヤは俺にとって大事な存在ってことです」
そうはっきりと答えた。
ナオキからその言葉が聞けて安心した。
ミーヤを前にしても、同じようにはっきりとそれをナオキが言えるかはわからないが、それでも気持ちは伝わるはずだ。
これなら問題なくナイトゴーントからミーヤを奪い返す事ができるだろう。
そう思った直後だった。
森に異変が起き、その風景が一変する。
周囲の木々の表面が突如波打ち、その姿が気味の悪い生物へと変わると、空を覆い隠していた木々の枝は鋭利な針の棘へと変わり、それらは一斉にこちらに向かって降り注いでくる。
「っち! 仕掛けてきやがったかナイトゴーント!」
魔術障壁を展開し、落下してくる針の棘の雨を防ぐ中、木々の枝がなくなった空を見上げると、そこには漆黒の夜空が広がっており、その中心には怪しい赤い光を放つ巨大な月が浮かんでいた。
そして、その月をバックに巨大な羽根を広げて夜空に君臨する異形の怪物が一体……言うまでもなく、その正体はナイトゴーントである。
「ナイトゴーント!」
そんなナイトゴーントをナオキが睨みつけるが、今は彼をナイトゴーントと戦わせるわけにはいかないだろう。
あくまでナオキがこの精神世界ですべき事はミーヤの奪還だ。
なので……
「ナオキくん……やつの事は気にせず先に行け」
ナオキを制するようにして彼の前に立ち、ナイトゴーントを見上げる。
そんな自分を見てナオキは何かを言おうとするが、その言葉を遮るようにナオキに告げる。
「この場にナイトゴーントが姿を現したって事は、近くにやつにとって触れられたくない何かがあるって事だ。後は、言わなくてもわかるだろ?」
「っ!」
「ナオキくん、何度も言うがミーヤさんは君が助け出さないと意味がないんだ。だからこの場は俺に任せて、君はミーヤさんのもとに一刻も早く向かうんだ! いいね?」
ナオキはしばし、ナイトゴーントを睨みつけていたが、やがて頷くと。
「わかりました……カイトさん、この場は任せます」
そう言って頭を下げてきた。
そんなナオキを見て小さく笑うと。
「あぁ、任された。だからさっさとお姫様を助けてこい」
そう言って一歩前に踏み出す。
そうしてナイトゴーントとの戦いがはじまった。




