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ハルマゲドン・ラスト  作者: 藤崎聖子


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第7章 受け継いだ声

 水のボトルは四本で止まった。


 誰も触れようとしなかった。


 昇降口の床に転がる透明な容器を囲み、三十一人が終夜アスカを見ていた。


「説明して」


 白鳥セラが最初に言った。


 アスカは答えられなかった。


 円城マドカの声が、まだ頭の中にある。


 明るく笑う声ではない。増え続ける袋の下で、息が潰れる直前の声だ。


 ごめん。


 お腹いっぱいにしたかっただけ。


「私にも、分からない」


「マドカの能力を使った」


 真壁リクが四本のボトルを見下ろす。


「偶然で済ませるのは無理がある」


「終夜の石碑」


 神代アキラが言った。


「《最後の一人》だったな」


 その言葉だけで、周囲の距離が広がった。


「最後に残るため、死んだやつの力を奪う。そういう意味か」


「奪ってない!」


 声を上げると、胸の奥でマドカの恐怖が跳ねた。


 床のボトルの輪郭が揺れる。


「触ってないのに」


 アスカは両手を握った。


「増えないで」


 輪郭は静まった。


「全員、離れよう」


 天城ミサキがアスカの前へ出た。


「今ここで追及して、また発動したら危ない。終夜さんは別室へ。私が見る」


「昨日と逆だね」


 逆巻レイが言った。


「核の監視役を、能力泥棒が監視する。その次は誰?」


「言い方をやめて」


 ミサキの声が鋭くなる。


「事実かもしれない」


 アスカは言った。


 口にすると、吐き気がした。


「私が、マドカの能力を持ってるのは事実だから」


 空き教室へ移される途中、校庭が見えた。


 増殖した袋が白い丘を作っている。円城マドカの石碑だけが黒く沈み、文字の光を失っていた。


 その隣、アスカの石碑には細い線が一本増えていた。


 《無限増殖》。


 窓越しでも読めた。


 ミサキも気づいたが、何も言わなかった。


 空き教室の扉を閉める。


 廊下には交代の見張りが立った。


 見張られるアスカだけでなく、見張る側も一人にしない。二人一組で一時間ごとに替わる。アキラが決めた規則だった。


 最初はショウとカレン。


「扉、開けとくか?」


 ショウが外から聞く。


「閉めるって決めたでしょ」


 カレンが答える。


「閉じ込めてるみたいだろ」


「実際、移動を制限してる」


「そういう言い方」


「優しく言えば違うことになる?」


 二人の声は中まで聞こえた。


「私、出ようと思えば窓から出られる」


 アスカが言う。


「出る?」


 ミサキが尋ねる。


「出ない。でも、出ないって自分で決めたことにしたい」


 ミサキは扉を少し開けた。


「鍵はかけない。廊下へ出るときは言う。能力が動いたら全員を呼ぶ」


「それでいいの?」


「完全にはよくない。でも、今決められるのはここまで」


 廊下の二人にも確認し、椅子で塞がないことにした。


 今度は外から椅子を挟まなかった。ミサキは同じ室内に入り、アスカから三歩離れて座った。


「昨日の距離」


 アスカが言う。


「何?」

「私が座った距離」


「近すぎると怖い。遠すぎると話せない」


 ミサキは膝を抱えた。


「ちょうどよかったから」


 アスカは目を閉じた。


 すぐに記憶が来る。


 マドカの家の厨房。父親の背中。油の匂い。誕生日に作ってもらった大きなオムライス。ケチャップで書かれた、まどか、の四文字。


 知らないはずの景色が、懐かしい。


 記憶は順番に来なかった。


 父親が鍋を振る背中の次に、転移前の教室。そこから幼い日の台所へ戻り、最後は袋に押し潰される暗闇へ落ちる。


 アスカは机の脚へしがみついた。


「今、どこ?」


 ミサキが聞く。


「教室」


「どの教室」


「二年四組」


「模造校舎の?」


「分からない」


 窓の外には終末界の赤い空がある。頭の中の窓には、現代の校庭が見える。


「私の名前は?」


「天城ミサキ」


「あなたは?」


「円城――」


 自分の口から出かけた名に、アスカは息を止めた。


「終夜アスカ」


 ミサキが言う。


「言って」


「終夜アスカ」


「もう一回」


「終夜アスカ」


 名前を繰り返すたび、借りた記憶と自分の輪郭が少し離れた。


「能力だけじゃない」


 アスカは話した。


「マドカが見てたものが入ってくる。思い出も、最後の痛みも」


 ミサキは黙って聞いた。


「死ぬとき、ゴウくんの後ろに私たちがいるのを見た。棚が倒れるって分かって、自分から手を離させた」


「じゃあ、私たちを守ったの」


「うん」


 言った瞬間、涙が出た。


 自分の涙か、マドカの涙か分からない。


「分けなくていいんじゃない」


 ミサキが言った。


「どうして」


「マドカの記憶で泣いても、泣いてる身体は終夜さんのだから」


「それだと、マドカの気持ちを私のものにする」


「じゃあ両方」


「簡単に言うね」


「簡単じゃない。でも、どちらかに決めたら片方が消える」


 アスカは袖で涙を拭いた。


「マドカが泣いた。私も泣いてる」


「うん」


 同じ涙へ二つの主語を残した。


「私、怖い」


 アスカは両手を見た。


「また誰かが死んだら、また力が来るかもしれない。そうしたら、私は助かるほど強くなる」


「強くなりたい?」


「なりたくない」


 答えはすぐに出た。


「でも、次に誰かが危なくなったら、使える力を使わないのも怖い。マドカの力で助けられるならって考える。そんなことを考えた自分が嫌」


 ミサキはしばらく俯いていた。


「私は、昨日の爆発を見て、少し安心した」


 アスカは顔を上げる。


「どうして?」

「遠かったから。ここにいた皆は死ななかった。能力が本物だと分かるより先に、よかった、ここじゃなかったって思った」


 ミサキの左手が握られる。


「自分がやったのに」


「それは」

「最低だと思う?」


 アスカは首を振った。


「思わない。たぶん、私も同じことを思う」


「じゃあ私も、終夜さんを能力泥棒だと思わない」


 ミサキは初めてアスカのほうへ一歩近づいた。


 二歩の距離になる。


「死んだ人の力が来ることと、死んでほしいと思うことは同じじゃない」


「信じられる?」


「今は」


 ミサキは言葉を選んだ。


「信じると決める」


 無条件ではない。それがアスカにはありがたかった。


 二人は、アスカの能力をすぐ全員へ説明しないことにした。継承した事実は隠せない。だが記憶まで受け継ぐことは伏せる。死者の秘密が含まれるかもしれないからだ。


「隠すのも、一人で決めることにならない?」


 アスカが尋ねる。


「本人の秘密を守るため」


「本人は死んでて、公開していいか聞けない」


「だから全部話すのも勝手」


「何を話す?」


 二人は紙へ分けて書いた。


 能力を継承した事実。全員へ伝える。


 発動条件は死。全員へ伝える。


 最期の状況。捜索や安全に必要な部分だけ伝える。


 家族、過去、本人が個人的に話した内容。伏せる。


「マドカが私たちを守ったことは?」


「伝えたい?」


「うん」


「アスカの判断だって言って伝える」


 死者の代弁ではなく、記憶を受け取った者の証言として話すことにした。


 夕方、全員を教室へ集めた。


 アスカは黒板の前へ立つ。三十人の視線が怖い。ミサキは隣ではなく、三歩離れた最前列へ座った。


「マドカが死んだあと、能力が私へ移った」


 ざわめきが起きる。


「自分で選んだのか」


「違う」


「次も起きる?」


「分からない」


「最後の一人って、全員分を集める意味?」


「可能性はある」


 答えにくいことほど、分からないと言った。


「記憶も少し来る」


 そこまで話すか、二人は直前まで迷った。


「全部は話せない。マドカが個人的に話したこともあるから。でも最後に、マドカはゴウくんの手を自分から離した。棚が倒れるのを見て、後ろの私たちを守った」


 ゴウが俯く。


「それ、本当にあいつの記憶か」


「証明できない」


「なら、そうだったことにして楽になりたいだけかもしれない」


「そうかもしれない」


 アスカは否定しなかった。


「でも私は、そう見た。私の判断で話してる」


 ゴウは長く黙ったあと、一度だけうなずいた。


「聞いた」


 信じるとは言わなかった。


 その距離が、今は必要だった。


 夕方、二人で校庭へ出た。


 マドカの石碑の前に、割れた丸眼鏡が置かれている。ゴウが拾ってきたのだろう。


 アスカは石へ手を触れなかった。


「円城マドカ」


 名前を口にする。


「菓子を配るとき、自分の分を最後に取る。失敗すると笑う。家の店のオムライスが好き」


 ミサキが隣で聞いている。


「死んだとき、私たちを守った」


 石碑は暗いままだった。


 それでも、能力名ではなく名前を呼ぶと、胸の中の痛みが少しだけマドカの形になった。


「忘れないため?」


 ミサキが尋ねる。


「分からない。でも、覚えてないと、力だけ残る気がする」


 アスカの石碑には二つの名が刻まれている。


 《最後の一人》。


 その下に《無限増殖》。


 欠けた説明文の奥で、知らない文字が一瞬だけ光った。


 ――一/三十一、回収完了。


 アスカは読めないふりをした。


 だが隣にいるミサキの袖を、初めて自分からつかんだ。



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