第5章 協力という仮面
遠い爆発の雲は、夜になっても消えなかった。
赤黒い空の一部が灰色に濁り、二つの月を隠している。
天城ミサキは一階の空き教室に移された。
隔離ではない、と神代アキラは言った。安全のための個室だ、と。
扉に外から椅子を挟んだ時点で、言葉だけの違いになった。
終夜アスカは廊下に座っていた。
「本当に、あなたがやるの?」
赤城カレンが水のボトルを持ってきた。
「監視」
「うん」
「怖いでしょ」
アスカは答えを探したが、見つからなかった。
「怖くないって言ったら、嘘になる」
「正直だね」
「嘘をついたら、ミサキにも分かると思う」
カレンは扉を見た。
「あの子、昔から失敗すると一人で全部背負うんだよ。委員会のプリント一枚なくしただけで、夜まで探すような子」
「親しいんだ」
「親友ってほどじゃない。でも、あの子が休んだらノート送るくらいには」
カレンは水をアスカへ渡した。
「あんたも飲みな。監視するほうが倒れたら笑えない」
扉の向こうで、床が鳴った。
「ミサキ?」
アスカが呼ぶ。
「起きてる」
すぐ返事があった。
「水、置くね」
「ありがとう」
扉を少し開け、床を滑らせる。ミサキは教室の一番奥、窓から離れた場所に座っていた。両手を膝の下へ挟んでいる。
自分の手が怖いのだ。
「眠れそう?」
「眠らない」
「でも」
「もし夢の中で、また思ったら?」
アスカには否定する材料がない。
「交代で見てるから」
「見て、どうするの」
言葉が詰まる。
ミサキは目を伏せた。
「ごめん。意地悪を言った」
「謝らなくていい」
「それ、今日だけで何回目?」
少しだけ、以前のミサキの声だった。
翌朝、体育館で全員会議が開かれた。
教室より広く、互いの距離を取れる。鏡像感染を警戒して壁の鏡は布で覆われ、スマートフォンの画面にも紙が貼られた。
中央に模造紙が置かれている。
上にはアキラの字で「生存規則」とあった。
「昨日みたいなことを繰り返さないため、最低限の規則を決める」
アキラが読み上げる。
一、能力を勝手に使わない。
二、単独行動をしない。
三、能力の兆候を隠さない。
四、食料と水を個人で持たない。
五、外出班は予定時刻までに戻る。
「破ったら?」
逆巻レイが壁にもたれたまま尋ねた。
「拘束する」
「誰が?」
「その場にいる全員で」
「全員って便利な言葉だね。失敗したとき、誰の責任でもなくなる」
アキラの眉が動く。
「皮肉を言うだけなら黙ってろ」
「ほら。もう規則六ができた。リーダーに逆らうな」
「やめて」
ミサキが言った。
全員の視線が集まる。彼女は一瞬だけ怯んだが、立ったまま続けた。
「規則は必要。でも、破ったときの対応をアキラくん一人に決めさせない。拘束するなら、その場で最低五人が賛成する。本人にも説明の機会を与える」
「緊急時に投票するのか?」
「緊急なら一時的に止める。その後で検証する」
「面倒だ」
「面倒でもやるの。一人で決めないために」
アスカは文化祭の黒板を思い出した。
自分が口にした言葉が、ミサキの中に残っていた。
最終的に規則は七つになった。
能力を使う場合は、可能なら本人を含む三人以上で判断する。危険能力者という呼び方は使わない。監視は一方的にせず、記録を残す。
きれいな言葉が並んだ。
それで恐怖が消えたわけではない。
昼から、石碑の記述をもとに能力の申告が始まった。
火神ショウは、昨日地面が赤く光ったことをアスカから聞き、しばらく黙った。
「俺、気づいてなかった」
「怒ったときだった」
「じゃあ、怒るなって?」
語気が強くなり、すぐに土の下で何かが鳴った。
ショウは口を閉じた。
「……悪い」
怒鳴ったあとに小さく謝る。アスカが覚えていた癖は、終末界でも変わらなかった。
冬月シオンは厚い手袋を外さなかった。
「石碑には、触れたものから熱を奪うとあった」
短く言い、左足をかばいながら席へ戻る。
夢野ネムは、自分の声を聞いた者を眠らせると説明したあと、口元をスカーフで覆った。
「今まで話してたけど」
ハヤテが言う。
「まだ発動してない。たぶん、眠れって思わないと平気」
「自分は眠れるの?」
「私には効かないみたい」
ネムの目の下の隈が、昨日より濃く見えた。
一人ずつ話すたび、模造紙の規則が薄くなる気がした。
能力を知ることは安心につながらない。殺し方と弱点を共有しているだけではないのか。そんな疑いが、誰の顔にもあった。
昼過ぎ、食料の確認が終わった。
校舎で見つかったのは、保存水、砂糖、塩、乾燥した非常食。三十二人なら七日もたない。
「街へ行くしかない」
アキラが地図を床へ広げた。地図といっても、屋上から見えた景色をリクが方眼紙に描いたものだ。
「崩れた建物まで徒歩で半日。明日、先遣隊を出す」
「怪我人もいるし、途中で何があるか分からない」
ミサキが言う。
「ここで食料が尽きるのを待つのか?」
「別の方法も探す」
「だったらさ」
円城マドカが手を上げた。
丸い眼鏡の奥で、目が不安そうに動いている。
「私の、使えるんじゃない?」
全員が彼女を見る。
「《無限増殖》」
マドカは机の上の非常食を指した。
「触ったものを増やせるなら、食べ物も増やせるよね。袋ごとなら、中身も一緒に増えるかもしれない」
「駄目」
ミサキが即答した。
「昨日、能力を勝手に使わないって決めた」
「勝手じゃないよ。みんなで決めればいいんでしょ?」
マドカは笑った。
「お腹空いてると、ろくな話し合いできないし」
食満グラが、膝の上で小さな弁当箱を抱えるような仕草をした。そこに弁当はない。
「石碑には、止められないって書いてあった」
リクが言う。
「増殖開始後、本人でも完全には停止できない」
「完全には、でしょ。少しなら止められるかも」
「昨日と同じことを言ってる」
ミサキの顔がこわばる。
昨日、リクは未知だから試すべきだと言った。
そして空が白くなった。
「でも食料は必要」
セラが口を開く。
「限定した環境で試験する価値はある。増殖対象を一つにして、周囲に空間を取る。異常があれば隔離する」
「また誰かを実験台にするの?」
カレンが言う。
「使いたいって本人が言ってる」
「役に立たなきゃって思わせてるのは、私たちでしょ」
マドカが両手を振った。
「違うって。私がやりたいの。文化祭でも食べ物係やりたかったし」
明るい声だった。
その明るさが、本音を隠すときのものだとアスカは知っていた。
マドカは失敗すると笑う。
笑って、先に自分を許したふりをする。
「やめたほうがいい」
アスカは言った。
「怖いから?」
マドカが尋ねる。
「うん」
正直に答えた。
「でも、お腹が空くのも怖い」
マドカは非常食の袋を持ち上げた。
「だから、怖いほうを一個ずつ減らしたい」
投票が行われた。
賛成十九。反対十。保留三。
試験は翌朝、体育倉庫で行うことになった。
周囲に物を置かず、対象は未開封の非常食一袋。立ち会いはマドカ、ミサキ、セラ、リク、ゴウ、アスカ。
夜、アスカはまたミサキの部屋の前に座った。
「投票で決めた」
扉の向こうからミサキが言う。
「うん」
「でも、何か起きたら、投票した全員の責任にはならない。きっと私が止めなかったせいになる」
「止めたかった?」
長い沈黙。
「分からない」
アスカも分からなかった。
話し合って決めることと、正しい答えを出すことは同じではない。
それでも、一人で決めるよりはましだと信じたかった。
廊下の暗がりで、何かが二度、硬い音を立てた。
マドカが試験用の袋を落としたのだと分かるのは、翌朝だった。




