第4章 核を持つ学級委員
教室へ戻る列は、石碑を見に出たときより長く見えた。
誰も隣を歩かなかったからだ。
肩と肩の間に、半歩ずつ隙間がある。昨日までなら気にも留めなかった距離が、いまは意味を持っていた。
終夜アスカは最後尾を歩いた。少し前に天城ミサキがいる。背筋は伸びているが、右手で左の手のひらを隠していた。爪の跡から血がにじんでいる。
声をかけるべきだった。
何を言えばいいのか分からなかった。
怖くない、と言えば嘘になる。怖い、と言えば石碑の言葉をそのままミサキへ貼りつけることになる。
迷っている間に昇降口へ着いた。
「教室に全員集める」
神代アキラが振り返った。
「能力の内容を確認する。条件も、使える範囲もだ。隠すのは禁止」
「ちょっと待って」
空木ソラが足を止めた。
「禁止って誰が決めたの」
「決めなきゃ死ぬ」
「だからって、お前が決めるの?」
アキラの顎が上がる。
「ほかに案があるなら言え」
「言い方の話だろ」
ソラは着崩した襟を引いた。二人の間で空気が固くなる。
「中へ入ろう」
ミサキが言った。
声はかすれていた。
「外で大声を出さないほうがいい。何がいるか分からないから」
正論だった。アキラもソラも口を閉じる。
二年四組へ戻ると、机を円形に並べ直した。真ん中には、ナナが作った名簿を置く。
三十二の名前。その隣に、能力名を書く空欄。
「石碑の説明を、覚えている範囲で記録する」
ミサキは黒板の前に立った。
「発動する必要はない。むしろ、試さないで。分からないところは分からないままにして」
「核の人が仕切るんだ」
教室の後ろから声がした。
大きな声ではなかった。
誰が言ったか、アスカには分かった。だが名前を口にしたくなかった。
ミサキも声の方向を見た。
「私が外れたほうがいいなら、そう言って」
「そういう意味じゃ」
「じゃあ、どういう意味?」
返事はない。
ミサキは黒板へ向き直った。チョークを持つ指が震えていた。
「最初に私から話す。《無限核武装》。石碑には、任意の地点に核兵器を出現させると書かれていた。威力と、出現する高さと、起爆までの時間を指定できるらしい」
教室が静まり返る。
「らしいって?」
真壁リクが尋ねた。
「どこまで直感的に理解している?」
「質問の意味が分からない」
「使い方を知っている感覚はあるのか、と聞いてる」
ミサキは答えなかった。
アスカは彼女の横顔を見た。
知っているのだ。
自転車の乗り方を思い出すように。手を伸ばせば、どこをどう指定すればいいのか分かってしまう。
「試すべきだ」
リクが言った。
「何?」
「石碑の記述が事実か確認しないと、対策も立てられない。起爆させる必要はない。最小のものを、遠方へ出す」
「出したものを消せるか分からない」
ミサキの声が低くなる。
「なら、なおさら条件の確認が必要だ」
「お前、自分で言ってること分かってんのか」
ショウが立ち上がった。
「分かっている。未知の危険を未知のままにするなと言ってる」
「ミサキを実験台にするなよ」
「本人だけの問題じゃない。全員の生存に関わる」
椅子が鳴った。アキラも立っていた。
「リクの言うことにも一理ある。ただし今じゃない。場所と避難方法を決めてからだ」
「試さない」
ミサキが言った。
「私は使わない」
「意思だけで済むならいい」
白鳥セラが眼鏡を押し上げた。
「眠っている間や、意識を失ったときに発動しない証拠はない」
ミサキの顔から色が消えた。
セラは言ったあとで、ペン先を二度鳴らした。言いすぎたと気づいたのだろう。だが言葉は戻らない。
「だったら」
誰かが言った。
「縛っておいたほうがいいんじゃないか」
今度は一人の声ではなかった。
「少なくとも寝るときだけ」
「手を縛っても意味ないかもしれない」
「気絶させる?」
「誰がやるんだよ」
「血を操れる人がいるだろ」
視線が赤城カレンへ移る。
カレンの笑顔が消えた。
「私を何だと思ってる?」
「対策の話だ」
リクが言う。
「人に頼む言い方じゃないね」
椅子の円が崩れ始めた。
立つ者。壁際へ下がる者。ミサキから遠ざかる者。
アスカも動けなかった。
ミサキは黒板の前に一人で立っている。握っていたチョークが折れ、白い粉が床へ落ちた。
「分かった」
彼女は静かに言った。
「私を別の部屋に隔離して。外から鍵をかけていい」
「天城さん」
カレンが立つ。
「ただし、能力を試せとは言わないで。私は使わない。それでいいでしょ」
「よくない」
アスカの口から声が出た。
全員がこちらを見た。
また、空気に重さが生まれる。
「隔離しても、怖くなるだけだと思う」
「じゃあどうするの」
セラが尋ねた。
「分からない。でも、一人にして、眠るなって思わせたら」
そこから先が続かなかった。
ミサキがアスカを見る。
石碑の前で距離を取ったことを、二人とも覚えている。
「終夜さんは、私と同じ部屋で眠れる?」
責める声ではなかった。
だから、余計に答えられない。
数秒の沈黙が、拒絶よりはっきりした答えになった。
ミサキの目が伏せられる。
「ごめん」
アスカが言った。
「謝らないで」
そのとき、廊下で金属音がした。
全員が振り向く。
何もいない。
風でロッカーの扉が動いただけだった。
だが緊張は切れなかった。代わりに別の方向へ弾けた。
「もう無理だ」
教室の後ろにいた生徒が出口へ走った。
「核を出せるやつと同じ部屋になんかいられるか!」
「待って!」
ミサキが追う。
廊下へ出たところで、相手が振り返った。
「来るな!」
その一言で、ミサキの足が止まった。
顔がゆがむ。
窓の外、はるか遠くで白い点が生まれた。
音はなかった。
赤黒い地平の一角が、真昼のように明るくなる。
光は一度縮み、次の瞬間、丸い白へ膨れ上がった。崩壊都市の向こう側。校舎から何十キロも離れた、黒い荒野のあたりだった。
「伏せろ!」
アキラが叫ぶ。
全員が床へ身を投げる。
アスカは頭を腕で覆った。窓ガラスの残りが震え、遅れて低い音が届く。腹の底を押すような轟音だった。
床がわずかに揺れた。
それだけだった。
熱も、風もここまでは来ない。
誰もすぐには立ち上がらなかった。
「私じゃない」
ミサキの声がした。
「違う。私は、使ってない」
廊下の中央で、両手を見つめている。
「思っただけ。誰もいない遠くならって、一瞬、思っただけで」
窓の外に白い雲が持ち上がっていく。
ミサキは後ずさった。背中が壁に当たる。
「消えて」
雲へ向かって言う。
「消えてよ」
何も消えない。
アスカは立ち上がった。
足が震えた。怖かった。さっきまでより、ずっと。
それでもミサキへ近づいた。
「天城さん」
「来ないで」
「うん」
アスカは三歩離れたところで止まった。
「近づかない。でも、ここにいる」
ミサキは両腕で自分の身体を抱いた。
「私がやった」
「うん」
「人がいたかもしれない」
「分からない」
「私、世界を」
言葉が切れた。
アスカには励まし方が分からない。大丈夫とは言えない。何も起きていないとも言えない。
「名前を呼んでもいい?」
なぜそんなことを尋ねたのか、自分でも分からなかった。
ミサキが顔を上げる。
「何?」
「天城さんじゃなくて」
アスカは一度、息を吸った。
「ミサキ」
彼女の肩が震えた。
「あなたがやったことを、なかったことにはできない。でも、能力名だけで呼ばない。私は」
最後まで言えなかった。
私はあなたを覚えている。
それは今、ひどく重い約束に思えた。
教室から誰も近づいてこなかった。
白い雲は遠い空で形を変え続けている。
石碑の文字が嘘ではないことを、全員が知った。
同時に、思うだけで発動することがあると知った。
ミサキは床へ座り込んだ。
アスカも、三歩の距離を残して座った。
どちらも空を見なかった。




