表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハルマゲドン・ラスト  作者: 藤崎聖子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/31

第25章 名前を失う者

「あれはリクじゃない」


 零崎ナナが言った。


 彼女はリクの名前を紙へ何度も書いていた。


 真壁リク。同じ四文字なのに、行が下がるほど筆圧が強い。


「忘れる前に書いてるの?」


「紙も消えるかもしれない。それでも、何もしないよりいい」


 ナナはペンを止めた。


「名前を知ると、その人を呼べる。でも私の力は、知ってるほど消せる」


「使いたくない?」


「ずっと」


 七本のヘアピンへ触れる。


「使わなかったら、リクが全員を消す。だから決める前に聞く。リクを消していいと思う?」


「消してほしくない。でも止めてほしい」


「矛盾してる」


「うん」


「私も同じ」


 二人の答えは、きれいな賛成ではなかった。その迷いごと残すため、アスカは名前を書いた紙をノートへ挟んだ。


 紙を挟んだ途端、罫線の上から「真壁」の二文字が薄れた。


 ナナが奪い返すようにノートを開く。そこには筆圧の跡しかない。鉛筆を寝かせて擦ると、白い紙の上へ四文字がぼんやり浮いた。


「まだ消してないのに」


「残像が本体を上書きしてる。自分だけを真壁リクにしようとしてるんだ」


 裂け目の向こうには、もう一つの神殿が重なっていた。そちらにも同じ石碑があり、同じ階段があり、同じ制服の少年が立つ。片方のリクが右手を上げると、もう片方はわずかに遅れて左手を上げた。


『差分を検出。統合します』


 二人の声が重なる。


 床の方眼模様が広がった。柱の位置、瓦礫の角度、人の立ち位置まで、すべてが格子へ吸い寄せられる。ナナの靴が白線の交点へ固定された。


「あいつは、ずれを許さない」


 アスカはナナの腕を引いた。動かない。ならば格子そのものをずらす。継承した重力で床を傾けると、固定点が一瞬だけ外れた。


 二人は崩れた柱の裏へ転がり込む。


「どうしてリクは、そこまで同じにしたがるの」


「違う自分が怖いから」


 ナナは即答した。


「遠征の前、あいつに聞かれた。別の選択をした自分がいたら、どちらに責任があると思うって」


「何て答えた?」


「両方」


 ナナは擦り出した名前を指でなぞった。


「選ばなかったほうへ責任を押しつけたくないから。でも、あいつは一つに決めたかったんだと思う。正解の自分と、間違った残りに」


 柱の向こうで紙を折る音がした。


 リクの残像が、方眼紙を一枚ずつ空中へ並べている。紙には生存者の名と能力、負傷箇所、死ぬ確率が記されていた。アスカの欄だけが何重にも書き直されている。


 殺せる確率。支配される確率。全員を帰せる確率。


 最後の行には、感情を捨てれば成功率が上がる、とあった。


「あれ、本物のリクも書いたと思う?」


「書く。でも余白も残す」


 ナナは一枚を拾った。欄外に小さな字がある。


 ――計算に入らない反対意見を消さないこと。


「ここが本物」


 残像は欄外の文字へ黒い線を引いた。


『不確定要素を削除します』


「違う」


 アスカは柱の陰から出た。


「真壁リクは、不確定なものを嫌ってた。でも、嫌いだからって、なかったことにはしなかった」


『記憶は主観です』


「そうだよ。だから私だけで決めない」


 ナナも隣へ立つ。


「私は、あんたが怖かった。何でも人の生存率に置き換えるから。でも助かったこともある。両方とも消さない」


 残像の眼鏡に亀裂が入った。複製された神殿が半歩ずれる。統合し切れない記憶が、世界の継ぎ目を広げた。


 その隙間から、方眼紙を抱えた本物のリクが見えた。


 ほんの一瞬だった。


 彼は口だけを動かした。


 余白を。


 ナナはうなずいた。


 裂け目に立つ真壁リクは、世界複製が残した因果の残像だった。


 それでも同じ顔、同じ声、同じ記憶を持つ。


「計画を続行する」


 残像が手を上げる。


 世界がまた二重になる。


「止める方法は一つ」


 ナナは七本のヘアピンを外した。


「本名を言って、指を差す」


「消したら、みんな忘れる」


 アスカが言う。


「だから覚えて」


 ナナは残像へ向く。


「真壁リク」


 指を差した。


「あなたを消す」


 リクの輪郭が文字になってほどける。


 方眼紙。眼鏡。反対意見を余白へ残す筆跡。


 物は床に残っている。それが誰のものだったかという意味だけが、ほどけて消えた。


「何をしたの?」


 ミサキが尋ねる。


 誰もリクを覚えていない。


 アスカだけが名前を言えた。


「真壁リクを消した」


「誰?」


 その問いが胸をえぐる。


 ミサキは落ちた眼鏡を拾い、首をかしげた。


「これ、誰の?」


「リクの」


「だから、リクって誰」


 苛立ちではない。知らない人の名を何度も聞かされる困惑だった。ナナ自身も眼鏡を見つめ、つるの曲がりを直そうとして、手を止めた。


「私、どうしてこれの直し方を知ってるんだろ」


「右が緩みやすかった。リクは考えるとき、そこを触った」


「そう」


 ナナは返事をしたものの、目には何も戻らない。


 存在削除は死より静かだった。悲鳴も血も残さず、悲しむ理由まで持ち去る。床に空いた一人分の場所を、人の意識だけが自然に避けていく。


 アスカは初めて、この力を継承することを恐れた。


 忘れずに殺せる者が持てば、世界中から都合の悪い相手を消せる。消された事実を告発する者もいない。証拠が残っても、誰のものか分からなくなる。


 先代人格がアスカの内側で《存在削除》へ手を伸ばす。


『有用です』


「触るな」


『対立の原因を、原因ごと除去できます』


「それを平和って呼ばない」


『残った者は苦しみません』


「苦しむ権利まで奪ってる」


 先代の指が、記憶の中で能力核へ近づく。アスカは両手で自分の胸を押さえた。実体のない手は止められない。


 ナナはそれを感じた。


「奪われる前に渡す」


 崩落した石を自分の胸へ落とす。


 アスカが受け止めるより早かった。


「名前は鍵」


 血を吐きながら言う。


「消すためだけじゃない。帰すためにも使える」


「どういう意味」


「名簿」


 ナナの呼吸が浅くなる。


「神殿は、私たちを能力名で登録した。人の名前じゃない。だから死んでも力だけ残る」


「人の名前で呼び直せば?」


「力と人を、分けられるかも」


「かも、で死なないで」


「確定するまで待てない」


 ナナは笑おうとして失敗した。


「リクなら確率を出したかな」


 もう覚えていないはずの名が、彼女の口から自然に出た。言った本人が驚いている。


「今、名前を」


「誰の?」


 また消える。


 けれど完全ではない。書いた跡、眼鏡を直す指、口が覚えた音。存在を消されても、人と人の間に生まれた癖まではきれいに片づかない。


「零崎ナナ」


 アスカは姓と名を呼ぶ。


「名簿の誤字を見つけたら、本人に読み方を聞く。人を番号で呼ばない」


「覚えてて」


 ナナは目を閉じた。


 七本のヘアピンが床へ落ちた。


 アスカは一本ずつ拾った。どれも形が違う。ナナは気分で選んでいると言っていたが、実際は曜日ごとに決めていた。月曜は黒。火曜は銀。遠征が何曜日か分からなくなってから、七本全部をつけていた。


「今日は、何曜日だったんだろう」


 ミサキが言う。


「帰ったら調べる」


「帰れる?」


「帰る。ナナの曜日も書く」


 ナナの指が一度だけ動いた。返事か、ただの痙攣かは分からなかった。


 《存在削除》が継承される。


 冷たい感覚が、アスカの舌と人差し指へ宿った。


 誰かの本名を呼び、対象を定めればいい。


 簡単すぎる使い方が頭へ流れ込む。その奥に、ナナが一度も実行しなかった名前の一覧があった。嫌った相手。恐れた相手。止めたかった仲間。それでも彼女は書くだけにした。


 使わなかった選択も、能力の記憶に残っていた。


 アスカはノートへ二人の名を書いた。


 真壁リク。


 零崎ナナ。


 ほかの誰にも意味のない文字になっても、書く手を止めなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ