第24章 世界複製計画
真壁リクは、全員を救えると言った。
その言葉を聞いたとき、最初に反応したのはマドカの能力記憶だった。
アスカの舌に、隠していたチョコの甘さが戻る。
死者が戻る。
理屈を聞く前に、信じたいと思った。
「詳しく話して」
アスカが言うと、リクは床へ方眼紙を並べた。何十枚もつなぎ、神殿全体と外の終末界を描いた図だった。
「先代の《世界複製》は、完成した世界を丸ごと写そうとして反発した。今回は小さい範囲から始める」
リクは空のボトルを二本置く。
「この広間を複製し、次に一人分の身体、記憶、因果を移す。成功を確認して範囲を広げる」
「実験するの?」
ナナが聞く。
「最初は物だけだ」
リクが能力を使う。
空のボトルの隣へ、同じ傷とへこみを持つ一本が現れた。中には同じ量の水滴が残っている。
グラが二本を持ち上げ、匂いをかぐ。
「どっちが元?」
「区別できない」
「重さが増えた」
「世界全体の物質量は変わらない。複製先の因果から借りている」
「返すの?」
「世界を分ければ返す必要はない」
グラは二本を床へ戻した。
「借りたまま別れるんだ」
「この世界を人数分に複製する。一人ずつ別の世界へ移れば、最後の一人という条件を各世界で満たせる」
「最後の一人になったら、先代が完成する」
ミサキが言う。
「完成直前に現代へ帰す」
「扉は一つ」
「扉も複製する」
「帰った先の現代も?」
「必要なら」
「三十二個の現代ができる」
「各自にとっては一つだ」
リクの答えは速い。速すぎて、問いを考え直した跡がない。
「別の世界へ行った私は、アスカに会えない」
「生存を優先すべきだ」
「誰が決めたの」
「死者を減らすなら当然だ」
「それを決めた人」
リクは答えなかった。
方眼紙には、重なった円が描かれている。
紙の端には、死亡者を含む三十二人の名前が小さく書かれている。
死者の名前には、復元予定と添えられている。
生存者には、配置先の番号。
アスカの横だけ、管理用個体とあった。
「私は帰らないの?」
「全員の移送が終わるまで制御が必要だ」
「終わったら」
「最後に移動する」
「どこへ?」
リクは方眼紙の余白を見る。
アスカ用の世界だけ、描かれていない。
「決めてない」
「私が最後に残る前提だった」
「お前には先代人格がある。ほかの世界へ持ち込めない」
「なら全員を救うじゃない」
アスカは紙を指した。
「私を数から外してる」
「一人の犠牲で三十一人が」
「それを私へ聞いてない」
声を荒らげると、リクは初めて目を伏せた。
「死んだ人も複製するの?」
ナナが尋ねる。
「転移直後の世界状態を複製できれば、死亡前の個体も再現できる」
「転移直後なら、何も知らない私たちが戻る」
カレンが言う。
「マドカはまた能力を試そうとする。ユイはまた二人になる。エマはまた蘇生する」
「記録を渡す」
「誰が書いた記録?」
「私だ」
「あんたの判断だけで編集したものを、全員に信じさせるの?」
「客観的に書く」
「客観的って、自分で言う人を信じたくない」
リクは眼鏡の位置を直した。
「では全員で確認すればいい」
「復元した全員は、確認した記憶がない」
計画は死者を戻すほど、現在の彼らを消していく。
戻ってきたマドカは、最後にゴウへ手を伸ばしたことを知らない。ユイは二人で本物を決めなかった時間を知らない。シオンは手袋を外し、人の温度を知ったことを忘れる。
「同じ身体でも、失うものがある」
アスカが言った。
「死ぬよりはいい」
「それも本人へ聞けない」
「それは本人?」
「同じ記憶と物質構成なら区別する意味はない」
「三十二人全員が戻る可能性がある」
その願いが、計画の危険を一瞬だけ見えなくした。
「戻った人が同じ能力を持っていたら?」
ミサキが聞く。
「世界ごと分ければ干渉しない」
「一人ずつ閉じ込めるの? 本人に選ばせず?」
リクは黙った。
ナナが紙の名前を指でなぞる。
「全員を書いてるけど、誰にも聞いてない」
「話し合ってマドカは死んだ」
「違う」
ゴウの記憶がアスカの腕を痛ませた。
「私が賛成した。危険を知ってたのに、役に立ちたいって気持ちを利用した」
「だから次は失敗しない方法を」
「私もそう思ってる。失敗した自分を消して、転移直後からやり直せたらって」
リクが顔を上げる。
「なら」
「でも、それだとゴウが最後に選んだことも消える」
「死者の選択に、生存より高い価値を置くのか」
「比べられない」
「比べなければ決められない」
「決められないことを、勝手に数字へしない」
リクの方眼紙には、生存三十二、死亡ゼロと大きく書かれている。その下に、人格連続性、本人同意、世界反発の危険が小さく並ぶ。
どれも数値化できず、計算から外されていた。
「投票が殺したんじゃない」
アスカの胸へ怒りが湧く。
「私たちが危険を小さく見た。話し合いが間違ったなら、次は話し方を変える。一人で決めていい理由にはならない」
リクは眼鏡を外した。
「失敗したくないんだ。一度失敗すれば、全員死ぬ」
リクは眼鏡を外し、レンズを制服で拭いた。
「小学校のとき、避難訓練の班長だった」
唐突な話に、誰も口を挟まない。
「先生は右へ行けと言った。案内図では左が出口だった。俺は図を信じた。左の扉は工事で塞がれてた」
「訓練でしょ」
ナナが言う。
「煙を吸った生徒が一人、救急車で運ばれた。俺が先生を信じていれば」
「先生が変更を伝えてれば」
「俺が確認すべきだった」
「全部、自分の責任にするの?」
「自分の判断で人が傷ついた」
「だから今、誰にも判断させない?」
リクはレンズを拭き続けた。もう汚れはない。
「同じ失敗はしない」
「違う失敗ならいいの」
ナナの問いに、答えはなかった。
「なら、怖いって言って。正解を知ってるふりをしないで」
リクは眼鏡をかけ直した。恐怖を認めても、計画を手放せなかった。
「先代の記録では、二つの世界が反発して両方崩壊した」
ミサキが言う。
「先代は制御に失敗した。今回は《世界捕食》で重複部分を除ける」
食満グラが首を振った。
「全部なんて食べられない」
「どの程度なら」
「部屋一つ。たぶん」
「なら複製を小分けにする」
「食べたもの、俺の中で消えない」
「排出できるだろ」
「石や火なら。世界は食べたことない」
「先代の記録では可能だった」
「先代は最後に自分まで食べた」
グラは腹を押さえた。
「俺、ずっと腹が減ってる。でも食べたくないものまで食べられるって意味じゃない」
「全員が死んでも?」
「そう言えば、俺が断れないと思ってる」
リクは黙った。
能力がある者へ、できるからやれと言う。マドカのときと同じ圧力を、救済計画という形で繰り返していた。
「一時的でいい」
「戻せないんだ」
リクは聞かなかった。
「ほかに全員を救う案があるか?」
誰も答えられない。
「ない」
ミサキが沈黙を破った。
「でも、案がないことは賛成じゃない」
「代案なしの反対で全員が死ぬ」
「そうかもしれない」
「責任を持てるのか」
「持てない。一人では」
ミサキは周囲を見る。
「だから今いる全員で、分からないって言う」
ナナが手を上げる。
「反対。本人を一人ずつ閉じ込めるから」
グラも上げる。
「反対。俺の力を勝手に計算へ入れたから」
ショウ、カレン、クロノが続く。
賛成する者もいた。死者が戻る可能性を捨てたくない。ほかに道がない。アスカの完成が迫っている。
意見は同数近くに割れた。
「一時間だけ検証する」
セラが提案する。
「物の複製まで。生体と世界の分割は行わない」
「一時間で先代が完成したら」
「その危険も含めて決める」
リクは時計を見た。
「三十分」
「一時間」
「四十分」
「五十分」
クロノが二本の時計を置く。
「時間は私が測る。四十五分で再投票」
全員が完全には納得しないまま、そこを暫定案にした。
その沈黙を、賛成と受け取った。
正確には、リクは四十五分を待たなかった。
三十七分で、アスカが一度意識を失った。
眠った口から先代の言葉が漏れる。
『回収率六八・七五。複製権能を接続します』
リクの方眼紙に、世界分割の最終式が勝手に浮かんだ。
「神殿が先に始める」
彼は紙を押さえる。
「止めて」
ナナが言う。
「今止めたら、式を先代に奪われる」
「だから全員で決め直す」
「時間がない」
「あと八分ある」
クロノが時計を示す。
リクは八分を待てなかった。
訓練の左扉が、また塞がる気がした。
世界の輪郭が二重になった。
神殿の壁が左右へずれ、同じ生徒が一瞬ずつ重なる。
「始めたの?」
アスカが叫ぶ。
「議論を続ければ、先代人格が完成する」
リクの身体は光の中で動かない。
「私が決めるしかない」
「リク!」
ナナが本名を呼ぶ。
存在削除は使わない。ただ名前で、計算の中へ沈んだ本人を呼び戻そうとした。
リクの指が一瞬止まる。
「怖いって言って」
「怖い」
「なら止めて」
「怖いから止められない」
最後の式へ指が触れた。
重なった物質が反発した。
神殿が破裂する。
地下へ海水が流れ込む。雨宮ナギサが両腕を広げ、水を押し返した。
二つの海が同じ場所へ現れ、互いを押しのける。
ナギサの両腕へ、溺れる二世界分の感覚が流れ込んだ。喉へ水が入り、立ったまま咳き込む。
「マリン、左の海を」
「分かった」
マリンが片方の潮を引く。ナギサはもう片方を支える。
「一人でやらない」
「うん」
それでも水量が増え続ける。二人の力を合わせても、避難路を保てるのは数分だった。
「先に行って」
「一緒に下がる」
「私が離したら、全部来る」
「交代する」
「海はマリンに従ってる。溺れた人の声は私に来る。役割が違う」
ナギサは泣いていた。
「一人にしないでって言った。でも、ここにはいて」
マリンは避難者を運ぶ海流を作りながら、ナギサの名を呼び続けた。
「一人にしないでって、先に言えばよかった」
水没者すべての感覚を受けながら、避難路を開く。
白鳥セラは反発反応の区画から酸素を消し、燃焼と爆発を遅らせた。
境界線を床へ描く。
今度は制服や武器ではない。自分の身体を含む区画そのものを囲んだ。
「中へ入らないで」
カレンが境界の外から血流を支える。
「酸素がないなら、三分」
「反応停止まで二分四十秒」
「戻ってこられる」
「誤差がある」
「正しいだけじゃ足りないって言ったよね」
「だから伝える。私はここへ残る。二分四十秒後に反応が止まらなければ、境界を広げない」
「死ぬよ」
「ほかを巻き込まない」
セラは眼鏡を外し、境界の外へ滑らせた。
「エマへ謝ったこと、記録に残して」
「自分で言いな」
「届かない」
「それでも」
セラは酸素のない区画で口を動かした。
久遠エマ。
声は聞こえない。アスカの中にいる記憶だけが、その唇を読んだ。
「正しかった、では足りない」
区画の内側に残る。
風間ハヤテは崩壊の粉塵を台風で上空へ運んだ。
粉塵の中には、複製された石棺の破片が混じる。吸えば肺の中で二つの物質が反発する。
ハヤテは風を細い筒状にまとめ、天井の裂け目へ押し上げた。
「クロノ、何分」
「避難完了まで四分」
「長いな」
「遅れても待って」
「それ、俺の台詞だろ」
風が乱れ、ハヤテの身体が浮く。
「風間ハヤテ」
クロノが呼ぶ。
「まだいる」
「三分四十秒」
「細かい」
「来ることが大事」
「分かってる。最後まで来る」
自分が出口へ届かないと分かっていても、風だけは避難路の最後まで送った。
「先に行け。今度は考えて決めた」
海堂マリンは地下海から先代の怪物を呼ぶ。命令ではなく頼み、生徒たちを背へ乗せる。
怪物は先代の記録で人間を沈めたものだった。
長い首に傷があり、片目が白く濁っている。マリンが呼んでも、最初は水面から目だけを出した。
「怖いよね」
マリンは手を伸ばさない。
「前の私は、あなたに命令した。嫌でも海を壊させた」
怪物は低く鳴く。
「今度は頼む。断ってもいい。私たちを向こうへ運んで」
海水が迫る。
長い沈黙のあと、怪物は背を水面へ出した。
マリンは最後に乗る。首の傷へ触れず、その横を撫でた。
「お願いを聞いてくれた」
空木ソラは大気の流出孔を閉じるため、最後尾へ残った。
世界の裂け目から空気が吸われ、肺が潰れそうになる。
ソラは普段、人が近づくと一歩離れた。自分の周囲の気圧が乱れ、相手の耳や肺を傷つけるからだ。
今は全員を自分の周りへ集める。
「半径二メートルから出るな」
ショウがソラの肩へ腕を回す。
「近い」
「今だけだろ」
「重い」
「我慢しろ」
ソラは息を吐き、二十人分の空気を小さな球へ閉じ込めた。流出孔へ自分の身体を押し当てる。
「離れろ」
「一人にするなって話、聞いてなかった?」
ショウは最後まで肩を離さなかった。ソラの身体が孔へ吸い込まれる直前、ほかの者に引かれて手が外れた。
「近くにいろ」
ソラの声が気流にほどけた。
「近くにいろ。今だけは離れるな」
音無ウタが、二つの世界の振動へ逆の音を重ねる。
ウタは人前で声を出すと、周囲の感情まで共鳴させる。
喜べば全員が笑い、恐れれば逃げ出す。そのため普段は筆談し、歌うときも口の中だけで旋律を作っていた。
今、二つの神殿が異なる周波数で震えている。逆の音を正確に当てれば、反発を数秒だけ止められる。
ウタは皆を見る。
「怖い」
最初の一音で、全員へ恐怖が伝わった。
足がすくみ、呼吸が速くなる。
「ごめん」
「続けて」
ミサキが言う。
「怖いまま聞く」
ウタは二音目を出した。
恐怖の奥に、歌いたかった気持ちが流れ込む。教室の音楽祭。帰り道の鼻歌。誰かに上手いと言われたい、ありふれた願い。
二つの振動が重なり、打ち消し合った。
初めて人前で歌った。
「聞いてくれて、ありがとう」
六人の力が一つの避難路を作る。
リクは崩壊する二つの世界を見た。
方眼紙の上で、死亡ゼロの数字が七へ変わる。
リクは紙を破ろうとした。紙も複製され、破ったそばから同じ計画書が現れる。
「止め方は」
アスカが叫ぶ。
「俺を起点から外す」
「どうやって」
「世界複製を使った本人が、片方へ残れば接続が切れる」
「一緒に」
「もう一人の俺が向こうにいる」
裂け目の奥で、同じリクが同じ方眼紙を持っている。
「どっちが残るの」
ナナが聞く。
「両方、自分が残ると考える」
「それじゃ切れない」
「片方を偽物だと定義する」
「できる?」
リクは向こう側の自分と目を合わせた。
「できない」
同じ記憶、同じ後悔。ユイへ突きつけた問いが、自分へ返ってきた。
「なら二人とも、別の人として残って」
ナナが言う。
「計画の起点じゃなく、自分で選んだ二人として」
二人のリクは同時に眼鏡を外した。
片方が反発光へ歩き、もう片方は裂け目の奥へ下がった。
どちらが最初のリクか、誰にも分からない。
「正解じゃなかった」
眼鏡を外す。
「次は、一人で決めるな」
反発光へ消えた。
七つの能力と人生が、アスカへ流れ込む。
世界は一つへ戻らなかった。
裂け目の向こうに、死んだはずのリクがもう一人立っていた。




