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ハルマゲドン・ラスト  作者: 藤崎聖子


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23/31

第23章 器

 天城ミサキの監視ノートに、変化が増えた。


 終夜アスカは死者を能力名で呼ぶ。


 人に命令するとき、疑問形を使わない。


 眠っている間、知らない言葉で世界の状態を読み上げる。


 目を覚ますたび、本人は覚えていない。


 最初に気づいたのは、食事のときだった。


 アスカは配られた乾パンを一つずつ砕き、重さの順に並べた。


「何してるの」


 ミサキが尋ねると、手が止まる。


「分からない」


「いつもは端から食べる」


「そうだった?」


「ジャムがあれば真ん中から」


「今はない」


「あるとしたら」


 アスカは乾パンを見つめた。


「栄養効率を均等化する」


 本人が言いそうにない答えだった。


 ミサキはノートへ書いた。乾パンを質量順に配置。嗜好に関する質問へ、効率で回答。


 書かれる間、アスカは自分の手を膝の下へ隠した。


「やめる?」


「何を」


「記録」


「やめたら、変わってないことにできる?」


「できない」


「なら書いて」


 言ったあと、アスカは乾パンを一つ取り、端からかじった。


「ジャム、欲しい」


 ミサキはその一言も記録した。


 ミサキは毎朝、三つの質問をした。


 質問は日ごとに少し変えた。


 固定した答えだけを先代が覚えれば、確認にならない。


「マドカが隠してた物は?」


「チョコ」


「どこ」


「机の裏」


「ユイは何人?」


 アスカは迷う。


「二人」


「今は?」


「一人」


「本物は?」


「決めなかった」


 正解を試す質問ではない。二人の間で何を決め、何を決めなかったかを確かめる。


 ある日は、ミサキが自分の質問へ答えられなかった。


「昨日、最後に話した人は?」


「アスカ」


「その前」


「ナナ」


「違う。グラだよ」


 アスカが訂正した。


 ミサキはノートを見直す。自分の記憶が抜けている。


「私も?」


「疲れてるだけかもしれない」


「そうやって小さく見ない」


 ミサキは自分の欄へ、会話相手を誤認、と書いた。


 監視する側も正しくない。その記録があることで、ノートは判定表ではなく二人の記憶になった。


「あなたの名前は?」


「終夜アスカ」


「文化祭で何を提案した?」


「無記名投票」


「昨日、最後に話した人は?」


 この答えだけが、日ごとに遅くなった。


 ある朝、アスカは「地核点火」と答えた。


「名前で」


 ミサキが促す。


「火神ショウ」


 言い直すまでに十秒かかった。


 ミサキは監視ノートへ記録する。


「嫌にならない?」


 アスカが尋ねる。


「何が」


「毎日、私が私か確認するの」


「嫌だよ」


 ミサキは答えた。


「嫌じゃないって言ったら、続けられなくなる」


「私のことが?」


「自分のことも。朝起きて、今日こそ違う顔で見られるかもしれないって思う」


「ごめん」


「謝らないで。やめたい日があるって言ってるだけ」


「今日は?」


「やめたい」


 アスカはノートを閉じた。


「じゃあ今日は、私が聞く」


「何を」


「ミサキの好きな飲み物」


「水」


「嘘。缶のココア」


「甘すぎる」


「自販機で毎回買ってた」


「冬だけ」


「今は?」


「飲みたい」


 二人は水しかないボトルを分けた。ココアではないと文句を言い、味の記憶を確かめた。


「私も確認してもらった」


 眠るたび世界を焼くかもしれないと恐れていた夜、アスカは布の端を握っていた。


「今度は私の番」


 アスカはノートを見る。


 日付。口調。知識。表情。名前への反応。


「全部先代になったら、このノートに何が残る?」


「変わった場所」


「それだけ?」


「戻る道」


 ミサキは断言した。


 だがノートを閉じた手は震えていた。


 少し離れた場所で、アキラが二人を見ている。


 アキラは規則を書いた紙を壁へ貼った。


 一、アスカを単独にしない。


 二、能力使用は二名以上の承認を得る。


 三、人格交代の兆候があれば拘束する。


 四、拘束解除は全員の合意を必要とする。


「四は無理」


 リクが言う。


「一人でも先代に操られたら、永遠に解除できない」


「なら三分の二」


「人数が減ったときの基準は」


「減る前提で作るな」


「減らない前提の規則は使えない」


 二人の声が強くなる。


 アスカは壁の紙を読んだ。


「私も決める側に入る?」


 アキラが黙る。


「拘束される本人は、解除へ投票できない」


「拘束する前は?」


「人格が残っていると確認できれば」


「誰が確認する」


「ミサキ」


「私一人にしないで」


 ミサキの言葉で、話し合いが止まった。


「私が間違えたら、全員が従う規則になる。確認は三人。私、アキラ、本人が選んだ一人」


 アスカはコトハを見た。


「お願いしていい?」


 コトハは驚き、袖口を握った。


「私、声を使ったら」


「使わないで聞いて。私が言ってることがおかしいか」


「分かった」


 小さな声だったが、命令の力は乗っていなかった。


「個人の監視で済む段階じゃない」


 セラへ小声で言った。


「拘束すれば先代を刺激する」


「待てば完成する」


「本人へ話すべき」


「本人がどちらか分からなくなってからでは遅い」


「先代になったと判断する基準は?」


 セラが聞く。


「能力名で呼ぶ。管理者の言葉を使う。命令へ反応しない」


「すべて疲労でも起きる」


「では、何人死ねば確定する」


「人数ではない」


「器の回収率は上がってる」


「神殿の基準を、私たちの判断へ使うの?」


 アキラは言葉を失った。


 秩序を作るため、敵の物差しを借りようとしていた。


「拘束案に反対ではない」


 セラは続ける。


「ただし、何を恐れているか本人へ言うべき。危険だから、だけでは足りない」


 アキラはアスカを見た。


「お前が全員を能力名で呼び、死を回収と表現するようになるのが怖い。俺たちを人間ではなく、完成までの部品として見るのが」


「私も怖い」


 アスカが答えた。


「だから、そうなったら止めてほしい。でも今から部品みたいに縛られるのは嫌」


 両方の恐怖が並んだ。解決はしない。それでも、隠したまま力で押さえるより一歩だけ進んだ。


 アキラは秩序を守ろうとしていた。


 ミサキもアスカを守ろうとしていた。


 どちらも恐怖から生まれた判断だった。


 話し合う前に片方が行動すれば、また一人の正しさになる。


 コトハは二人の会話を聞き、袖口を強くつまんだ。


 自分の言葉で止めなければならない時が近づいていた。


「拘束する」


 神代アキラが言った。


「もう本人の意思で抑えられる段階じゃない」


 決断の直前、アスカが眠ったままショウの首へ手を伸ばした。


 指先に地核の熱が集まり、皮膚を赤くする。


 ショウは避けなかった。


「おい。俺の名前、言え」


「《地核点火》を回収します」


「違う」


 カレンがアスカの腕の血流を止める。熱を宿した手が数センチ手前で落ちた。


「火神ショウ」


 ショウが自分で名乗る。


「怒りっぽい。辛い物が好き。文化祭はお化け屋敷」


 アスカの目に一瞬、光が戻る。


「喫茶店」


「戻った」


 ショウは笑ったが、アキラは笑えなかった。


「次は首へ届く」


 誰も否定できない。


 本人が眠っている間に拘束案が可決された。


 目覚めたアスカへ、アキラは決定と理由をすべて話した。


「投票へ参加できなかった」


「お前が先代だった可能性がある」


「なら保留にして、起きてから聞いて」


「その間に誰かが死ぬ」


「分かってる。でも、私の身体のことを私なしで決めた」


「それでも拘束する」


 アキラは目をそらさなかった。


「俺が責任を持つ」


「一人で?」


 その問いに答える前に、別人格が表へ出た。


「本人の前で話して」


 ミサキはアスカを背に隠さなかった。


「終夜。どうしたい」


 アキラが問う。


 アスカは答えようとした。


 口から別の声が出る。


「残存権能を回収します。抵抗は不要です」


 アキラが動いた。


 廊下の重力を反転し、アスカの身体を天井へ押しつける。


 骨が軋む。


 アキラは圧力を弱めた。弱めれば先代が能力を使う。強めればアスカ本人を傷つける。


「拘束具を!」


 ジンが機械の輪を投げる。輪は空中で止まり、逆向きの重力に砕かれた。


 アスカの口から管理者の声が続く。


「抵抗個体を排除します」


 天井の石が剥がれ、アキラへ落ちる。


 ミサキは核兵器を出しかけた。黒い点が掌へ浮かび、すぐ消す。


「アスカ、聞こえる?」


「回収を」


「終夜アスカ」


 返事がない。


「文化祭、私は何へ票を入れるって言った?」


「不要な記録です」


 ミサキの顔から血の気が引く。


 コトハが一歩前へ出た。


「今だ、縛れ!」


 言吹コトハが前へ出た。


 全員が命令を期待している。


 言えば終わる。


 止まれ、と命じれば、先代もアスカも身体を動かせない。


 死ね、と言えば、器ごと消せるかもしれない。


 全員の視線が、言葉を選ぶ責任をコトハ一人へ集めた。


「何て言えばいい」


 コトハは初めて大きな声で尋ねた。


「止まれ!」


 アキラが叫ぶ。


「本人が戻れない」


 ミサキは反対する。


「眠れ」


 ネムが言う。


「先代も夢へ入るかもしれない」


 意見が割れる。


 コトハは袖口から手を離した。


「私に決めさせないで」


 命令ではない声が広間へ響いた。


 全員が黙る。


「アスカさんの中に本人がいるなら、本人へ決めてもらう」


 止まれ。


 眠れ。


 従え。


 コトハは袖口をつまんだ。


「アスカさんに、選ばせて」


 《命令言語》が神殿へ響く。


 能力は「選べ」という命令に変換しようとした。


 コトハは喉を押さえ、自分の力へ抵抗する。


「選べ、じゃない。選ばせて。周りに言ってる」


 命令の向きが反転した。


 先代人格へ道を譲れと命じるのではなく、アキラ、ミサキ、神殿、そしてコトハ自身へ、アスカの選択を奪うなと命じた。


 先代人格が止まり、現在のアスカが息を吸った。


「私は」


 重力の圧力に耐えながら言う。


「怖い。でも、縛られたまま最後まで待ちたくない」


 天井が崩れる。


 アキラは重力の向きを変え、落石を全員から遠ざけた。


 その境界へ自分の身体が引かれる。


 アキラは落石を右へ流す。右にはリクがいる。左へ変えると、ナナがいる。上へ返せば天井がさらに崩れる。


 最後に、自分の立つ縦穴へすべてを集めた。


「俺が決めるしかない」


 口にしてから、リクと同じ言葉だと気づく。


「違う」


 アキラは叫んだ。


「俺が選ぶ。でも、お前らは従わなくていい! 別の道が見えたらそっちへ行け!」


 規則に従わせるためではなく、規則を破る余地を残す。


 それが最後にできた修正だった。


「従えじゃない」


 アキラが叫ぶ。


「走れ。決めるのはお前らだ」


 落石とともに暗い縦穴へ消える。


 コトハも床へ膝をついた。


「命令じゃない」


 声が出なくなりかけている。


「私の、意見」


 アスカが手を取る。


 コトハは、聞き返されたときのように少し大きな声で言った。


「自分で決めて」


 コトハの喉から血が落ちた。


 曖昧な言葉を、能力が無数の命令へ解釈した。自分で呼吸し、自分で立ち、自分で生きる。対象となった全員へ、奪われていた選択が一瞬戻る。


 代わりに、コトハ自身の声帯が裂けた。


 口を動かしても音が出ない。


 彼女はアスカの掌へ指で文字を書いた。


 わ、た、し、も。


「コトハも、自分で決めた?」


 うなずく。


 次に、手の甲へゆっくり書く。


 き、い、て。


「聞いてる」


 コトハは安心したように目を閉じた。


 《重力反転》と《命令言語》が継承される。


 管理者が、アスカの石碑情報を開いた。


『《最後の一人》は終末権能ではありません』


 欠けていた説明文が埋まる。


『全権能と先代人格を回収する器です』


 アスカはミサキを見た。


「無限核武装」


 名前ではなく能力名が口から落ちた。


 自分の声に、自分で怯える。


「もう一回」


 ミサキが言う。


「天城ミサキ」


「無限核武装」


「違う」


「分かってるのに、言えない」


「急がなくていい」


 ミサキは両手でアスカの顔を挟んだ。


「髪は黒。右の眉に小さい傷。甘いココアを冬だけ飲む。能力は危険。本人も怖がってる」


「天城」


「うん」


「ミサキ」


「私はここにいる」


 名前を言えた瞬間、アスカは泣いた。忘れた悲しみではなく、思い出すまで待ってもらえたことに。


 ミサキは逃げなかった。


「私は天城ミサキ」


 一語ずつ、アスカへ返した。



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