第17章 灰の記録
天城ミサキと同じ顔の少女は、灰の街に立っていた。
記録結晶へ触れた瞬間、神殿の広間が消えた。
空には無数の兵器が浮かんでいる。
記録の中で、ミサキは少女の身体に重なっていた。
指を動かすと、空の兵器が同じ角度だけ旋回する。狙いを定めなくても、街の距離、人口、風向き、爆発後の死者数が頭へ流れ込んだ。
「見たくない」
目を閉じても数字は消えない。
アスカが肩へ触れる。記録の中では手が透け、体温だけが届いた。
「私もいる」
「触らないで。兵器があなたを敵って判断する」
「それ、ミサキが決めた?」
「力が勝手に」
「なら今、私を敵じゃないって決めて」
簡単に言わないで、と怒鳴りたかった。だが少女の記憶がミサキの怒りへ混ざり、空の一基がアスカへ向く。
ミサキは歯を食いしばった。
「終夜アスカを攻撃対象から外す」
砲口が逸れる。
「できた」
「今は」
安心しない言い方をした。アスカも「もう大丈夫」とは言わなかった。
記録の少女には、最初から友人がいた。
戦争が終わったら海へ行こうと約束した少年。最初の兵器を出した夜も、彼は少女の手を握った。
少年の名は、記録から削られていた。
軍服の胸元にも、家の表札にも黒い穴がある。少女が呼ぶ声だけが無音になる。
「名前を消されてる」
アスカが言った。
「この神殿と同じ」
力を抽出するため、個人の名は不要な情報として切り捨てられた。残っているのは《無限核武装》の先代という役割だけだ。
少年は海辺の町で網を直して育った。少女は泳げなかった。戦争が終わったら、足のつく浅瀬から教えると約束した。
兵器とは関係のない記憶ばかりが、ミサキへ強く残った。
『使わなければいい。持っていることと、使うことは違う』
だが軍は少年を人質にした。
最初の要求書には、敵軍の無人補給基地と書かれていた。
二つ目は橋。
三つ目は、兵士が退避したはずの町。
少女は毎回、監視映像へ少年を映すよう求めた。軍は応じた。彼が生きていると確かめるたび、次の兵器を出した。
『ごめん』
少年は画面の向こうで言った。
『君に止めてもらうことばかり考えてた。僕も何かしなきゃいけなかった』
拘束具へ身体を打ちつけ、見張りの銃を奪おうとする。
発砲音。
画面が暗くなった。
少女はすぐには兵器を出さなかった。
三日間、床に座っていた。軍人たちは怒鳴り、食事を置き、処刑を予告した。四日目、彼女は窓の外を見た。
空には一つも雲がなかった。
『もう、誰にも頼まない』
最初に消したのは、少年を撃った基地だった。
次に、命令を出した政府。
敵国が反撃の準備をすると、その国の軍港。
守る範囲を広げるほど敵が増え、敵が増えるほど兵器も増えた。
『一つだけ。誰もいない海へ』
少女は従った。少年は解放されず、二つ目、三つ目を要求された。
少年は逃げろと叫び、撃たれた。
少女の目から迷いが消える。
『私が全部持てば、誰も奪えない』
空が黒く埋まった。
兵器の影で海も黒くなった。
少女は少年との約束を果たすため、一人で海岸へ行った。水へ足を入れたが、膝より先へ進めない。
『私が全部終わらせたら、泳がなくていい』
誰へ言うでもなく呟いた。
約束を忘れたのではない。覚えているから、叶わない形へ作り替えた。
「止める人が死んだから、こうなった?」
アスカが尋ねる。
「違う」
ミサキは首を振る。
「一人に止める役を押しつけたから。あの子も、周りも」
先代の少女は、世界が灰になる瞬間まで自分が皆を守っていると思っていた。
最後の会議室で、各国の代表は一斉廃棄を求めた。
少女は受け入れた。ただし自分が先に消せば、相手だけが隠し持つと恐れた。各国も同じことを考え、互いに最初の操作を譲らない。
話し合いは三日続いた。
四日目、少女は全兵器を自分の意識へ接続した。
『これで私が裏切らなければいい』
疲労で指が震えた。眠りかけるたび、兵器の安全装置が解除される。誰かへ任せる提案はすべて拒んだ。
自分だけなら信じられる。
その考えが、最後の引き金になった。
先代の少女は、戦争を止めるため一つだけ出現させた。どの国も攻撃できないよう、誰もいない海の上へ。
世界は止まらなかった。
兵器を奪おうとする者が少女を追い、守ろうとする国が囲い込み、敵国は先に殺そうとした。
『使わなければ、もっと多く死ぬ』
少女は追い詰められるたび、空へ一つ増やした。
最後には世界中の空が黒く埋まった。
『これで誰も戦えない』
誰かが一つを起爆した。
誰かではなかった。
眠りに落ちた少女自身の指が、一基の起爆命令へ触れた。
記録はそこを意図的に曖昧にしていた。個人の失敗ではなく、能力の必然として保存するために。
「違う」
ミサキは記録へ向かって言う。
「力が勝手に滅ぼしたんじゃない。この子が一人で持たされた。持つって決め続けた。両方」
責任を奪わない。罪だけを押しつけない。
その言葉を口にすると、空の兵器が一瞬止まった。
次々に白い光が咲く。
ミサキは記録から手を離した。
神殿の床へ吐く。
「同じ」
呼吸が乱れている。
「最初は脅すだけ。使わない。誰もいない場所なら。私が考えたことと同じ」
ミサキは自分の両手を見た。
「終末界へ来る前にも、考えたことがある」
「いつ」
「中学のとき」
誰にも話していなかった。
ミサキの能力が初めて現れたのは、通学路で知らない男に腕をつかまれた夜だった。頭上へ小さな黒い球体が生まれ、男の足元を消し飛ばした。爆発はしなかった。地面だけが、丸くなくなった。
男は逃げた。
翌日からミサキは、嫌な相手を思い浮かべるたび、黒い球体がどこへ現れるかを想像した。
「出さなかった」
「うん」
「でも考えたことを、今も怖がってる?」
「考えられる自分がいる。終末界では、考えるだけで出る」
アスカは否定せずに聞いた。
「誰かに話した?」
「初めて」
「今、話せた」
「それで安全にはならない」
「安全じゃないって二人が知った」
ミサキは顔を上げた。
先代の少女には、秘密を告げる相手が最後にいなかった。少年がいた頃にも、自分の中の攻撃衝動までは話さなかった。
同じ力。同じ考え。
違いがあるとすれば、隠さずに口へ出した今だけだった。
「最後は違う」
アスカが言う。
「まだ最後じゃないだけ」
ミサキは立ち上がり、神殿の奥へ歩く。
アスカは追った。
三十二の棺の裏に、細い通路がある。行き止まりには縦穴が開いていた。底は見えない。
「来ないで」
「また?」
「今度は止めないで」
ミサキは縁へ立つ。
「あの子も、最初は止める人がいたと思う。信じてくれる人も。それでも最後は灰にした」
「先代と同じ力でも、ミサキは先代じゃない」
「どうして言い切れるの」
アスカの中に六つの能力がある。
死者が増えるたび、自分も変わった。だから簡単には言い切れない。
「言い切れない」
ミサキが笑った。
「正直だね」
「でも、先代と同じになるって言い切ることもできない」
一歩近づく。
「私は、ミサキが怖い。今も」
「知ってる」
「だから見てる。信じるって、怖くなくなることじゃないと思う」
「落ちたら、能力が来るよ」
「来る」
「全部そろうのに近づく」
「それでも嫌だ」
アスカはミサキの腕をつかんだ。
身体ごと縦穴から引く。
ミサキが抵抗する。二人で床へ倒れた。
「離して!」
「嫌」
「世界を灰にするかもしれない!」
「そのとき一緒に止める!」
「できなかったら?」
「間違えたって言う。一人で正しかったことにさせない」
ミサキの力が抜けた。
アスカの胸へ顔を押しつけ、声を殺して泣く。
「どうして、そこまで」
「死んでほしくないから」
安全だからでも、使えるからでもない。
言ってから、アスカは自分の答えを初めて理解した。
ミサキはしばらく泣いた。
やがてアスカの胸を押し、身体を起こす。
「今の言葉、あとで利用しないで」
「利用?」
「死んでほしくないって言ったから、何をしても止めてくれると思わないで」
「思わない」
「私も、あなたを守るからって、何を隠してもいいことにしない」
「うん」
「約束じゃなくて、規則にする」
「規則?」
「危険な考えを持ったら言う。相手が怖いと言っても怒らない。止める方法を二人とも知る」
「破ったら?」
「言う。破ったって」
罰を先に決めない規則だった。
アキラなら不完全だと言うかもしれない。セラなら検証できないと言う。けれど二人には、完全でないまま続ける方法が必要だった。
広間へ戻ると、ミサキは監視記録のノートを開いた。
「今日から、終夜さんの記録も私がつける」
「私の?」
「口調、知らない言葉、能力を使った回数。私だけ監視されるのは公平じゃない」
アスカは頷いた。
ミサキはノートの最初に書いた。
――終夜アスカ。現在、自分の名に反応する。
次の行へ、ミサキは自分のことも書いた。
――天城ミサキ。兵器を出していない。出したいと考えたことを話した。
「監視ノートじゃなくなった」
アスカが言う。
「相互観察記録」
「名前が堅い」
「じゃあ何」
「二人のノート」
「もっと堅い案を考える」
ミサキは表紙へ仮、と小さく書いた。
「何それ」
「最初の確認」
二人は少しだけ笑った。
壁画の顔のない少女だけが、笑わずにこちらを見ていた。




