第16章 地下神殿
白い階段は、足音を返さなかった。
二十七人が一列になって下りる。先頭は神代アキラ、最後尾は天城ミサキ。終夜アスカは中央で、月形の髪留めを握っていた。
階段は同じ幅のまま、どこまでも続いた。
最初の二百段は、誰も話さなかった。
神殿へ入るという決定に全員が納得したわけではない。黒い森へ戻りたい者、地上で別の出口を探したい者、アスカから離れたい者もいた。だが投票をやり直す時間はなく、反対した者も列へ加わった。
アキラは先頭から人数を数え、ミサキは最後尾から数えた。二人の数字が一致するたびに進む。
「二十七」
「二十七」
三十二人で始まった数が減ったことを、点呼のたびに思い知らされる。
四百段目で列が止まった。
壁に三つの扉が並んでいる。どれも下へ続く同じ階段を映していた。
「真ん中」
アキラが即座に言う。
「根拠は?」
セラが尋ねた。
「配置が対称なら中央が主経路だ」
「それは建築上の慣例。ここを作った文明が同じとは限らない」
リクは方眼紙へ扉の寸法を書き込む。ナナは三枚の紙片へ印をつけ、それぞれの入口へ投げた。紙はすべて同じ速さで落ち、同じ暗闇へ消えた。
「三組に分かれる?」
「だめ」
ミサキが言った。
「戻れない場所で分かれたら、選択の結果を比べられない」
「全員で外したら?」
「そのときは全員で戻る」
アスカは三つの扉の上に文字を見つけた。
継承。再演。帰還。
読めることを言えば、また視線が集まる。黙れば、違う扉を選ぶかもしれない。
「右」
声が震えた。
「右に、帰還って書いてある」
アキラが振り返る。
「読めるのか」
「うん」
「なぜ今まで言わなかった」
「分からない」
「何が」
「読める理由も、みんなが私をどう見るかも」
沈黙が落ちた。
ショウが右の扉を蹴る。
「開かねえぞ」
扉には取っ手も窪みもない。
「なら、今は選べないってこと」
コトハが小さく言った。アキラは聞き返さず、中央の扉から先へ進むと決めた。
反対したセラも従った。ただしノートへ、右に帰還扉あり、と太く残した。
百段ごとにクロノが時刻を記録する。時計では一時間しか経っていないのに、足の疲れは半日分あった。
「この場所、時間まで継ぎはぎなのかも」
二本の時計は三分ずれていた。
アスカの前では、ナナがヘアピン一本を外し、壁へ印をつけている。
「同じ場所を回ってないか確認してる」
百段ごとに同じ傷が現れたが、向きは少しずつ違った。
「繰り返しても、まったく同じじゃない」
ナナは壁画を見る。
「私たちも、そうだといい」
休憩中、ゴウは右手を開いたり握ったりしていた。マドカを引こうとしたとき痛めた小指が曲がらない。
「次は引ける」
「次がないほうがいい」
「それでも、あったら引く」
「次も自分が残るつもり?」
カレンが湿布を小指へ巻きながら聞いた。
「力があるやつがやる」
「力があるから死んでいいわけじゃない」
「分かってる」
「分かってない顔」
ゴウは言い返さず、巻かれた指を曲げようとした。
「小さい頃、親父の工房で皿を割った」
「急に何」
「怒られると思って、破片を握って隠した。手を切った。親父には、割ったことより隠したことを怒られた」
カレンは湿布の端を押さえる。
「今も隠してる?」
「マドカを引けなかったのが、ずっと怖い」
「それ、本人に言えたらよかったね」
「もういねえ」
「だからって、自分を壊して返した気にならないで」
ゴウは答えなかった。
少し離れた場所でアスカは聞いていた。言葉を挟めなかった。自分も、死者の能力を受け取るたび、何かを返した気になっていたからだ。
自分の拳を見つめる。
「殴ることしかできねえと思ってた。でも衝撃を逃がせるかもしれない。壊さずに済む場所へ」
数時間後に天井が崩れたとき、ゴウは迷わなかった。
壁に灯りが点くたび、絵が現れた。
空へ落ちる街。海に沈む大地。眠ったまま朽ちる人々。
「壁画というより記録だ」
真壁リクが言う。
「順番がある」
三十二種類の滅亡が、螺旋状に地下へ続いている。
壁画の下には、小さな生活の絵もあった。
洪水の前にパンを焼く女。月が落ちる夜にも靴を磨く男。眠りの歌が流れる街で、子どもへ毛布をかける老人。
「滅亡の記録なのに、どうしてこんなのまで」
マリンが指先で絵の輪郭を追う。
「観測したかったのは能力だけじゃないのかも」
ジンが答えた。
「何が最後まで残るか、見てた」
「誰が?」
その問いに、アスカの頭の奥で声がした。
『作成者が帰還しました』
振り向いても誰もいない。
「今、聞こえた?」
ミサキだけがアスカの顔を見ていた。
「何も」
嘘をつくと、胸の内側に冷たいものが広がる。
「アスカ」
「あとで話す」
「今」
ミサキの声は厳しい。
「作成者が帰還したって」
「誰が?」
「たぶん、私」
列の前後へ言葉が伝わり、二十七人の足が止まった。
避けていた疑いが、はっきり形になる。
「お前がここを作ったのか」
ショウが聞く。
「覚えてない」
「読める。声も聞こえる。それで無関係は無理だろ」
「分かってる」
「じゃあ何者だ」
「分からない!」
叫びが階段へ反響した。音を返さなかったはずの壁が、アスカの声だけを何度も繰り返す。
分からない。分からない。分からない。
ミサキがアスカと他の生徒の間へ立つ。
「この場で答えは出ない。分からないものを理由に処分するなら、私も反対する」
「誰も処分なんて言ってない」
ショウは視線をそらした。
「思った人はいる」
アキラが言う。
「俺も考えた。危険なら拘束すべきだと」
アスカの肩が固くなる。
「だが今は、扉を開けられる者が必要だ。利用するという意味ではない。危険と必要性を両方、記録する」
セラがノートを開いた。
「本人にも見せる」
「うん」
アスカはうなずいた。
疑いは消えなかった。消えないまま、全員が再び歩き始めた。
階段の終わりには、巨大な石扉があった。
中央に拳ほどの窪みがある。
窪みの周囲には三十二本の細い線が刻まれていた。そのうち六本だけが暗い。
「死んだ人数と同じ」
リクが言う。
残る二十六本は淡く脈打っていた。
「人数と一本ずれてる」
ミサキが振り返る。
階段にいるのは二十七人。石碑が生者として数える線は二十六本。
「ユイだ」
リクが言った。
「片方が死んだ時点で、御影ユイの能力核は回収済みになった。残った本人がいても、装置は一つの権能としてしか数えていない」
残ったユイが自分の胸へ手を置く。
「私、生きてるのに」
「装置にとっては、能力の入れ物が残ってるだけなんだ」
アスカは二十六本の光ではなく、二十七人の顔を見直した。
「名簿だ」
ナナが顔をしかめる。
「最初から数えられてる」
台座の下に文字が浮かぶ。
権能回収率、一八・七五パーセント。
六を三十二で割った数字だった。
「全員死ねば百になる」
グラが呟く。
「言うな」
ショウが怒鳴る。
「でも、そういう意味だろ」
アスカは窪みから目を離せなかった。自分の中にいる六人が、数字へ変えられている。
「開けない選択もある」
ミサキが言う。
「戻って右の帰還扉を調べる」
「取っ手がなかった」
「作れるかもしれない」
「その間に地上が崩れる」
意見が割れた。
多数決を取ろうとしたアキラを、アスカが止める。
「一人ずつ理由を言って」
「時間がない」
「だから聞く。賛成か反対かだけだと、また後で意味が変わる」
マドカの投票を思い出していた。
二十七人が短く答えた。
開けたい。怖い。戻りたい。記録を見たい。アスカを完成させたくない。地上に出口はない。死者の理由を知りたい。
賛成は十八。反対は九。
数字だけなら開ける。だが反対した九人の理由も、セラのノートへ残した。
「開ける。でも異常があれば戻る」
アキラが確認する。
「戻れなくなったら?」
ナナが聞く。
「そのとき決め直す」
完全な答えではない。それでも、アスカは自分の手を窪みへ置いた。
「アスカ」
鉄輪ジンが呼ぶ。
「お前の手の形だ」
全員の視線が集まった。
アスカはもう読めないふりをしなかった。
「『作成者、生体照合』って書いてある」
ざわめきが起こる。
「いつから読めた」
アキラの声が低い。
「最初から」
「黙ってたのか」
「怖かった」
「何が」
「読める理由を知るのが」
ミサキがアスカの横へ立った。
「今は扉を開けるか決めよう。追及は戻ってから」
「戻れればな」
アキラは言ったが、それ以上責めなかった。
アスカが窪みへ手を置く。
石扉が左右へ動いた。
奥から冷たい空気が流れ、床が震える。
「下がれ!」
天井が崩れた。
石塊が階段を塞ぐ。岩永ゴウが両腕で受け止めた。
「先、行け!」
「一緒に!」
火神ショウが支えへ入る。
「重さじゃねえ。奥から押されてる」
ゴウの足元へ亀裂が走る。
「衝撃を逃がす先がない!」
リクが図面を広げる。
「左下に空洞がある。そこなら崩しても主通路へ影響しない」
「距離は」
「十二・四メートル」
「細かすぎる」
ゴウは笑い、拳の角度を変えた。
一度目の衝撃が床下を走る。左奥で空気が抜けた。石塊の圧力がわずかに減る。
「合ってた」
リクが息を吐く。
「当たり前だ」
「外す可能性も書いてた」
「今言うな」
《大陸粉砕》。
彼は右拳を床へ当てた。
「壊す場所くらい、俺が選ぶ」
衝撃が地中を走り、落盤の力を別の通路へ逃がす。
遠くで岩が崩れる音。
ゴウの右腕から骨の折れる音がした。
「もうやめて!」
アスカが戻ろうとする。
「マドカ、引けなかった」
ゴウは歯を食いしばる。
「今度は離さねえ。だから早く行け」
二度目の打撃。
左腕が折れる。
扉の向こうに細い隙間が開いた。ショウが一人ずつ通す。
最後にアスカとミサキが残る。
ショウは扉の内側から両腕を伸ばした。
「ゴウ、お前も来い」
「手、使えねえ」
「口で服を噛め」
「犬かよ」
「死ぬよりましだ!」
ゴウは一歩進もうとした。頭上の石塊が沈み、背骨が軋む。ここで手を離せば、扉の隙間ごと全員が潰れる。
「無理だ」
本人がいちばん静かに言った。
「俺が離したあと、三秒ある。扉を閉めろ」
「三秒でお前も」
「ない」
ショウが扉を殴った。
「勝手に決めんな!」
「じゃあ、聞く。全員戻って一緒に潰れるか、俺一人置いてくか」
誰も答えられない。
「ほら、時間切れ」
ゴウは両足を踏ん張った。
「ゴウくん」
アスカは名前を呼んだ。
「プリントを渡すとき、紙の角をそろえる。割れ物は両手で持つ。マドカの眼鏡を拾って、石碑へ置いた」
「今、言うなよ」
ゴウが笑う。
「死ぬみてえだろ」
三度目の拳が床へ落ちた。
「割ったこと、ちゃんと言うから」
誰に向けた言葉か、アスカには分かった。
工房の父親へ。引けなかったマドカへ。壊す力しかないと思っていた自分へ。
「俺が選んだって書いとけ」
アスカはミサキに引かれ、扉の奥へ入る。
石扉が閉じた。
向こうで地面が崩れる。
《大陸粉砕》と、壊れやすいものへ触れるときの慎重な手が、アスカの中へ流れ込んだ。
扉の先は円形の大広間だった。
三十二の石棺が壁沿いに並ぶ。
棺の蓋には、現在の生徒たちと同じ顔が彫られていた。
ミサキと同じ顔。セラ。アキラ。死んだマドカ。
中央に一つだけ、空の台座がある。
背後の壁画には、三十一人を従えた少女が描かれていた。
顔だけが、刃物で削り取られている。
アスカが近づくと、壁画の下に文字が浮かんだ。
――《最後の一人》適合個体、神殿への帰還を確認。




