第13章 森になった街
埋葬を終えた翌日、青葉トウマが「街が呼んでいる」と言った。
「誰が?」
風間ハヤテが聞く。
「木が」
冗談ではなかった。
崩壊都市の方角から、細い蔓が校庭まで伸びている。昨日まではなかった。先端がトウマの靴へ触れ、確かめるように巻きついていた。
蔓には小さな白い花が咲いていた。トウマが顔を近づけると、花弁が呼吸に合わせて開閉する。
「名前、分かる?」
「知らない種類」
「植物に詳しいのに?」
「全部知ってるわけじゃない」
トウマは花へ触れず、ノートへ形を描いた。
「知らないまま名前をつけたくない。こいつには、もう自分の名前があるかもしれないから」
ナナが紙の札を結ぶ。
「仮称、白い花」
「それならいい」
「根が地下でつながってる」
トウマは目を閉じる。
「水がある。建物も、人が歩ける道も。もっと深いところに、大きな空洞がある」
「罠かもしれない」
アキラが言う。
「植物に罠って考えがあるかは分からない。でも、何かを避けてる。怖がってる」
先遣隊は十二人で出発した。
出発前、カレンが荷物を一つずつ開いた。
「二日分の水。乾燥食。薬。縄。予備電池」
「遠足みたい」
ライカが言う。
「遠足ならお菓子がある」
ナギサが返す。
マドカの名を誰も口にしなかった。
アスカは鞄の底に、マドカが増やした菓子袋の切れ端を入れた。
「持っていくの?」
ミサキが気づく。
「置いていくと、なくなりそうで」
「持っていってもなくすかも」
「うん」
「なら写真を撮る」
ヨルから借りたカメラで、切れ端を撮った。物と記録を別の場所へ残す。それが二人にとって、失いたくないものを二か所へ残した最初の日になった。
アスカ、ミサキ、トウマ、ナギサ、海堂マリン、鉄輪ジン、鳴海ライカ、アキラ、ゴウ、ハヤテ、メイ、リク。
残りは校舎を守る。
黒い森を抜けるのに三時間かかった。
木々の葉は裏側だけ紫色で、風が吹くと一斉に色を変える。トウマが幹へ触れるたび、枝が道を開いた。
枝は人によって開き方を変えた。
トウマには大きく。ゴウには肩幅ぎりぎり。アキラの前では、一度閉じかけた。
「嫌われてる?」
ハヤテが笑う。
「昨日、校庭の根を切ったから」
トウマは幹へ掌を当てる。
「必要だったって伝える」
「木に言い訳するのか」
「説明。聞かなくても言う」
アキラは、避難路を塞いでいたこと、全員が出られなくなると考えたこと、ほかの方法を探す時間がなかったことを話した。
枝は動かない。
「謝れば?」
「判断は間違ってない」
「間違ってないことと、傷つけたことは別」
アキラは幹を見上げた。
「傷つけたことは謝る」
数秒後、枝が少し上がった。
「偶然だ」
「そうかも」
「便利だな」
アキラが言う。
トウマは眉を寄せる。
「お願いしてるだけ」
「同じことだろ」
「違うよ」
植物都市は、森の向こうにあった。
高層建築の窓から木が生え、道路は根で割れている。緑に覆われた信号機が、電気もないのに点滅していた。
交差点には車が止まったまま残っていた。
運転席から木が生え、屋根を突き抜けている。後部座席には小さな靴と、開いた絵本。人の身体はない。
「逃げたのかな」
ナギサが言う。
「植物に取り込まれた可能性もある」
リクが答える。
「今は、逃げた可能性も言って」
「根拠がない」
「取り込まれたほうにもない」
リクは方眼紙へ二つの可能性を並べた。
アスカは絵本を拾わなかった。頁の間から芽が出ている。もう人の物とも、植物の一部とも言い切れない。
ライカが駆け寄る。
「生きてる」
「機械が?」
ジンが端子を探す。
「電気がどこかから来てる。地下だ」
探索隊は、根に持ち上げられた古い商業施設で休憩した。
保存食は十二人へ均等に分けるには一袋足りなかった。
リクは体重と消費量で分ける案を出し、カレンは負傷者を優先した。
「トウマは多め」
ミサキが言う。
「植物とつながると体温が下がる」
「私は少なくていい」
アスカは自分の分を押し出す。
「死者の力があるから、普通より消耗しない」
「本人の感覚?」
「たぶん」
「たぶんで減らさない」
全員の分を少しずつ減らし、余った一人分をトウマと負傷したゴウへ分けた。
完全な公平ではない。理由を口にし、本人へ確かめたことで、誰か一人が自分を消さずに済んだ。
棚には缶詰に似た容器が残っている。表示は異世界文字だったが、アスカには「種子保存用」と読めた。
「食べ物じゃない」
リクがすぐ振り返る。
「なぜ読める?」
「形が似てるから、たぶん」
また嘘をついた。ミサキだけが気づき、何も言わず水を渡した。
ナギサとマリンは床の割れ目へ耳を当てた。
「海につながってる」
「こんな内陸で?」
「生き物の音がする。大きい」
建物全体が低く鳴った。
ハヤテが飛び起きる。
「今の何?」
「魚」
「魚は建物を揺らさないだろ」
「ここの魚は揺らすみたい」
短い笑いが起きた。
何日ぶりかで、誰も能力を疑うためではなく、単純におかしくて笑った。笑いが止んだあと、全員が少し恥ずかしそうに水を飲んだ。
終末界にも、何も失わない十分間があった。
トウマが道路へ膝をついた。
指先から細い根が伸び、ひび割れへ入る。
彼の呼吸がゆっくりになる。
「トウマ?」
アスカが肩へ触れようとする。
「待って」
声が重なって聞こえた。
一人の声ではない。
「下に、たくさんいる」
「人?」
「記憶」
トウマの瞳に緑の筋が走る。
「木が見たもの。街が森になる前、人が火を持って追ってきた。木は逃げられなかった。だから、強くなった。壁を壊して、道を塞いで」
根が周囲で持ち上がる。
「人がいなければ、切られない」
アキラがトウマの腕をつかんだ。
「戻れ」
蔓がアキラの手首へ巻きつく。
「触るな」
トウマの声が低くなる。
アスカは彼の前へしゃがんだ。
「青葉トウマ」
名前を呼ぶ。
「教室の枯れた鉢に、毎週水をやってた」
緑の瞳が揺れる。
「枯れてなかった」
「みんな枯れたと思ってた」
「根が生きてたから」
「じゃあ、人間も同じかもしれない」
トウマの呼吸が速くなる。
蔓がアキラの腕から離れた。
「ごめん」
彼は道路へ手をついたまま、顔を伏せる。
「向こうの考えが、自分の考えみたいになる」
「次から一人でつながらない」
ミサキが言った。
「必ず誰かが名前を呼ぶ」
根の網から得た情報を、リクが地図へ書き写した。
地下には巨大な円形空間がある。三十二の細長い箱。中央の空洞。校舎の白い扉と似た入口。
「三十二の棺」
トウマが呟く。
「木は、そう覚えてる」
帰路、食料倉庫と水路を見つけた。
成果は大きかった。
それでもアスカは、街を出るまで何度も振り返った。
建物の窓という窓から、葉がこちらを見ている。
植物は人間を憎んでいるのではない。
怖がっている。
怖さが世界を覆うほど育ったとき、憎しみとの違いは残るのだろうか。
夜、トウマの腕には細い緑の線が残っていた。
本人は「土の汚れ」と言った。
洗っても落ちなかった。




