第10章 眠らないミサキ
天城ミサキは四日間、まともに眠っていなかった。
目を閉じると、地図が浮かぶ。
校舎。森。崩壊都市。遠い海。
場所を選べる。
高度を決められる。
光が届くまでの時間さえ、なぜか分かる。
眠りかけるたび、知らない街の上へ白い点が落ちた。
夢の中では人がいた。
顔は見えない。声だけがする。
委員長なんだから決めて。
責任を取って。
目が覚めると、自分の手を膝の下へ挟んでいた。
「また起きてたの」
終夜アスカが扉の前に立っている。
朝の水を持ってきたらしい。
「寝た」
「何時間?」
「少し」
「嘘」
ミサキは顔を上げた。
アスカは目をそらさない。
「目を閉じてただけでしょ」
「監視記録に書く?」
「書く」
腹が立った。
「私が眠らないことは、誰にも迷惑をかけてない」
「倒れたらかける」
「眠って発動するよりいい」
「それで判断を間違えたら?」
ミサキは立ち上がった。視界が暗くなり、机へ手をつく。
アスカが一歩近づく。
「来ないで」
すぐに止まった。
従われたことが、また腹立たしかった。
「私を怖がってるくせに、正しいことだけ言わないで」
アスカの顔が固まる。
「怖いよ」
静かな返事だった。
「でも、怖いから見てる。怖くないふりをして放っておくよりいいと思ってる」
「自分は死んだ人の力を使えるから?」
口にした瞬間、後悔した。
アスカの頬から色が引く。
「ごめん」
ミサキは言った。
「今のは」
「本当に思ってないことは、口から出ない」
アスカは水を机へ置いた。
「今日はカレンに代わってもらう」
扉が閉じる。
追いかける力がなかった。
カレンは入れ替わると、ミサキの前へ何も言わず座った。
「怒らないの」
ミサキが尋ねる。
「何に?」
「終夜さんへ言ったこと」
「自分で怒ってる人を、二人がかりで責めても仕方ないでしょ」
カレンはポケットから飴を一つ出した。校舎の職員室で見つけた最後の一個だった。
「食べな」
「みんなで分ける物じゃないの」
「これは医療用。寝不足で頭が回らない学級委員への処方」
「メイに怒られる」
「そのときは私も一緒に怒られる」
ミサキは包みを開けた。
甘さが舌へ広がる。現代にいたころなら、安い果物味だと思ったはずだ。終末界では、家の台所を思い出す味がした。
「私、ちゃんとやれてた?」
自分でも驚くほど幼い声が出た。
「何を」
「委員長」
「文化祭なら、まあまあ」
「今は?」
「最悪」
ミサキが顔を上げる。
カレンは笑った。
「だって、委員長がやる仕事じゃないもん。世界を終わらせない責任なんて」
「でも、誰かが」
「ほら、それ。すぐ誰か一人の肩へ乗せる」
カレンは自分の肩を指で叩いた。
「半分持つよ。残りは全員で分ければいい」
ミサキは飴を噛まなかった。少しでも長く甘さを残したかった。
けれど、眠気が来るとすぐ恐怖が勝った。
目を閉じた一秒の間に、知らない街の座標が浮かぶ。
ミサキは自分の頬を叩いた。
「寝ていい」
カレンが言う。
「無理」
「能力が出たら起こす」
「間に合わなかったら」
「そのときは一緒に責任を取る」
「一緒に死ぬってこと?」
「違う。生きて後悔するってこと」
ミサキは結局眠れなかった。
それでも、飴が溶けきるまでの間だけは、世界を一人で背負わずに済んだ。
昼、探索から戻った生徒がミサキを呼び出した。
崩壊都市へ向かう先遣隊を作る。そこにミサキの能力が必要だという。
「道を塞ぐものがいたら、脅せる」
提案した生徒は目を合わせなかった。
「爆発させなくていい。空に出すだけで」
「出したら消せない」
「起爆しなければいいんだろ」
「兵器を置いてくることになる」
「帰るためだ」
隣にいた者が続ける。
「俺たち、昨日また一人死んだ。使える力を使わないほうが無責任じゃないか」
無責任。
その言葉は、ミサキの中へまっすぐ入った。
「考えさせて」
「いつまで?」
「今日中」
「それまでに街の食料を誰かに取られたら?」
「誰がいるの。この世界には私たちしか」
「分からないだろ」
相手は一歩近づいた。
「委員長なんだから、みんなを守れよ」
夢と同じ声だった。
ミサキは後ずさる。
背中が壁へ当たった。
「離れて」
「話してるだけだ」
「離れて!」
廊下の窓が白く光った。
全員が伏せる。
爆発は起きなかった。
窓の外、上空に黒い影が浮かんでいた。
細長い金属の塊。
石碑の知識が、それが何かを告げる。
起爆猶予は設定されていない。
ただ存在している。
「成功した」
誰かが呟いた。
ミサキはその声を聞いた。
「何が?」
「起爆しない形で出せる。これなら」
「これなら、何?」
身体の奥が冷えた。
彼らはミサキを見ていない。空に浮かぶ力だけを見ている。
「次は街の上で」
「やめて」
「位置を変えられるか試そう」
ミサキは走った。
階段を上がり、教室を抜ける。誰かが追ってくる。屋上への扉を開けた。
赤黒い空。
二つの月。
遠くに、自分が出した白い雲がまだ残っている。
屋上の縁まで歩く。
ここから落ちれば、能力は止まるだろうか。
出現させたものは残る。
それでも、次はなくなる。
「ミサキ!」
アスカの声がした。
振り返らなかった。
「来ないで」
「分かった」
足音が止まる。
また三歩だ。
「私が死ねば、安心できる」
「誰が?」
「みんな」
「私はできない」
「終夜さんは私の能力を受け継ぐ。もっと危険になるだけ」
「そうだよ」
アスカの声が震えた。
「だから、あなたが死んでも何も解決しない」
ミサキは縁へ片足をかける。
「私より、あなたのほうが制御できるかもしれない」
「したくない」
「選べないでしょ」
「選べる」
アスカが一歩近づいた。
「受け継ぐかは選べない。でも、死んでほしくないって言うのは選べる」
「きれいごと」
「うん」
即答だった。
「きれいじゃないことも考えてる。あなたが死んだら、力が来る。帰れる可能性が上がる。そんな考えが一瞬浮かんだ」
ミサキの呼吸が止まる。
「それでも、死んでほしくない」
「どうして」
「まだ一緒に決めてほしいから」
アスカが手を伸ばした。
届かない距離で止める。
「一人で決めないって、あなたが言った」
文化祭の教室。
無記名投票。
世界が終わる前の、小さな話し合い。
ミサキは縁から足を下ろした。
膝の力が抜ける。
アスカが駆け寄り、今度は距離を置かなかった。二人で屋上へ倒れ込む。
「怖い」
ミサキは初めて口にした。
「眠るのも、起きてるのも怖い」
「うん」
「私を見てて」
「見る」
「もし使おうとしたら」
「そのとき止める」
「必要なら殺して」
アスカの腕が強くなる。
「それは約束しない」
ミサキは泣きながら笑った。
「監視役、失格」
「知ってる」
空に浮かんでいた黒い影は、消えなかった。
夜になると、ミサキはアスカの隣で眠った。
手首を布でゆるく結び、もう一方の端をアスカが握る。
拘束ではない。
目を覚ましたとき、一人ではないと分かるための紐だった。




