8.襲来
私が留学していた時、いくつかの魔獣の知識を彼に教えたことがある。
ただ、それは……当然のことだった。魔獣を討伐することは為政者の責務。
「君はそれを当然と思っているかもしれないがな」
「まぁ、そうね……」
「しかし世の中には私利私欲で立場や能力を使う者も多い。より多くの力がある者には、より多くの善と責任があるはずなのに」
まっすぐな言葉に私の胸が熱くなる。
公国でこんな言葉が聞かれなくなって、どれほどだろうか。
大臣が交代させられる中で、誰もがディルダを恐れている。歯向かう人間は私のように遠ざけられ、排除される。これでは善や責務をやり遂げることなんてできないのに。
「恩を返すというのは、半分ではある。もう半分はラッセリア公国の状況が思っているよりも悪くなっている」
「どんなところが?」
私の肩から手を離して、レオールがヴォルデのある西へ向き直る。
「どうやら国境付近の魔獣討伐予算を減らして、その分を己の贅沢に使っているようだ」
「……! まさか、そんなはずは……!」
「すでに南のハール厶共和国から帝国に話が来ている。ラッセリア公国の魔獣討伐の頻度が低下しているのではないか、と」
私は衝撃を受けた。魔獣討伐はまさに公国の担うべき責務のはず。
周辺国にまで影響が出るほど予算を減らすなんて――。
「君の実家のシフォン公爵家は公国北部。帝国の調査では、北部や東部はほぼ維持されている。君の目が届きにくい南部や西部はかなりやられているようだ」
「そ、それは何年前からなの?」
「現ラッセリア王が即位する少し前から。先の王太子が亡くなってから、少しずつやっていた……というのがハールム共和国の見解だ。だから察知も遅れた」
「……私のせいだわ。私がもっとしっかりしていれば……っ!」
「それは違う。先の王太子と先王の亡くなるタイミングでディルダが動けば無理もない」
レオールはディルダのことをはっきりと呼び捨てた。言葉遣いは落ち着いているが、彼は苛立っている。
「君の仕事振りは知れ渡っている。ハールム共和国の外交官とも話をしたが、君が側妃に降格されたのをとても残念に思っていた」
「ありがとう。少し、救われたわ」
当事者の国同士、直接言えないことも多い。間接的にでも私が仕事してきたのが無駄ではなかったと知って、 私はほっと目を伏せた。
そこで私は裏庭の一角に小さな紫色の花を見つけた。
重要な話の最中だけれど、私はその花へ目が釘付けになる。
(あれはパンジー……よね?)
淡い紫との中央に白が広がる可愛らしい花だ。
お世話も簡単で世界中で見られる。ラッセリア公国にももちろんある。
でも、夏の今咲くはずがない。パンジーは冬の花なのだ。
私の目線に気付いたのか、レオールが首を傾げた。
「何か気になることがあるのか?」
「……このパンジーが、今咲いてるなんて」
言いかけて、私は全身を強張らせた。夏とは思えない冷気が一瞬、身体を通り過ぎていった。
悪寒と共に私は冷気の元を探る。
「西から――」
「風が来たな。夏らしくない冷たさだった」
西には私たちがやってきたヴォルデ地方がある。
あそこから冷気がやってきた、というのなら納得ではあるが。
でも私はパンジーと冷気から嫌な想像をした。
一部の魔獣は冷気を操り、夏でも氷点下をもたらす。
そこに軍服を着た帝国の武官が裏庭へ飛び込んできた。
「レオール様、緊急事態です! 魔獣が出現いたしました!」
「何だと。場所は!?」
「我が領地の西端からになります! ただ、報告が錯綜しておりまして……士官が見たことのない魔獣だと報告しているようです!」
「見たことのない魔獣……帝国領地の中でか? 考えられん」
レオールが顎に手を当てた。
帝国は魔獣討伐をマニュアル化しており、種類や対処法を軍人に叩き込んでいるはずだ。帝国大学でも魔獣学については多くの時間を割いていた。
(それなのに魔獣の種類がわからないなんて。そんなこと……)
レオールは踵を返し、武官へついて行こうとする。
「希少な魔獣だな。俺が行く。コーデリア、悪いが会談は中止だ」
「それは構わないけれど――。待って、もしかしたらその魔獣はラッセリア固有の種かもしれないわ!」
はっとして私は叫ぶ。
西からやってきたのと、一瞬通過した冷気、冬のパンジーが咲いている。
冷気をもたらして地面の温度を低下させる魔獣は、確かにいる。
「イエティという大型猿の魔獣よ。ランクはAプラスで、獰猛で触れたものを凍らせる力を持つわ。触られないように気を付けて。でも炎を嫌うから、それで誘導できるはず……っ」
私は早口でまくし立てる。イエティはラッセリア公国の山岳部にしかいない。
帝国では出現しないはずで、帝国の魔獣本にも記載はないはず。
私の言葉を聞いたレオールが振り返り、力強く頷いた。
「……わかった。君の知識を信じよう。君たちは屋敷へ泊まっていってくれ」
祈るように胸に手を当て、レオールを見送る。
その夜、私はレオールの言う通りに彼の屋敷へ泊ることにした。
レオールの執事に案内され、寝室へ向かう。
身体と精神は疲れていたが容易には眠れそうになかった。
ベッドの中に入ってから悶々としてしまう。
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