32.悪王
ディルダにはひとつ、コーデリアも知らない才能があった。
それは魔獣を操ること。
どれほど荒ぶる魔獣でもディルダのことを傷つけることはない。
『公国の家祖も同じような力を持っていたと言うが……それが我が子にも』
公国の王族は生まれてすぐ魔獣に慣れる訓練を始める。
それはラッセリア公国を背負う者には、魔獣に立ち向かう能力が必須だからだ。
幼児の頃は小さな檻に入れられた虫の魔獣と接する。三歳頃になると檻越しに犬サイズの魔獣と――ディルダの才能が見つかったのは、この頃であった。
ディルダは魔獣を恐れず、魔獣もディルダに敵意を見せない。それは特異な関係性だった。
先王は数人の大臣とともに協議をした。
『この力を上手く使えば、公国は安泰かと』
『うむ……あいつの母は身体が弱い。しかしディルダは不憫ながら祝福を受けている……』
ディルダの母は病気がちで表舞台に出る時間は限られていた。
兄がいたがこちらは凡庸そうで、確固たる才能は感じられない。
『しかし……』
『陛下、何を悩まれているので?』
『この力は災いを招くのでは……。初代国王の時代は戦乱期だった。今とは比べものにならないほど魔獣が脅威の時代であった』
公国は元々、人外魔境にも例えられる地だった。人と魔獣が相争い、天地を奪い合っていたのだ。その時代であればディルダの才能も大いに役立つだろう。
だが、今の時代はそうではない。王族が最前線に立つわけでもないのだ。
それより諸外国はディルダの才能を知ったら、どう思うであろうか。
快く見守ってくれるのか、もしかすると身柄を奪い取ろうとするのでは……。
『最悪の場合、ディルダの命が危ういかもしれぬ。今は良くても、先々までディルダは安穏としていられるか』
『陛下……』
『ディルダは王族として生まれついた。この上、さらなる重荷まで背負わせたくない』
先王の言葉に大臣たちも顔を伏せた。
『陛下の子を想う心、しかと受け止めました。しからばこのことは、ごく限られた者だけに』
そうしてディルダは育てられた。ほとんど何不自由なく。
しかし心の中では……自分は何かが違うと思っていた。魔獣は恐怖の対象ではない。
富と力の源泉のように思えていた。
対して兄は極めてありふれた人間だった。ディルダに対してそこそこの愛情をもって、生まれながらの補佐として扱う。
普通の王族ならばそれで満足しただろう。不足があったわけではないのだから。
(俺はなぜ王になれないんだ?)
ディルダは心の中に不満を募らせた。
この才能と覇気があれば、もっと大きなことができるはず。
その頃からカリダード帝国はさらに強大化しつつあった。
国力差が年々広がるような状況にもディルダは嫌気が差していた。
(いつまで帝国と付き合わなければいけないんだ?)
兄はことさらに帝国を恐れているようだった。
あんな卑屈な態度は王の姿ではない。
だが、仕方ないのだ。兄は結局、ディルダより早く生まれただけの凡人。
ディルダのような選ばれた才能を持たない。
(俺が継ぐべきなんだ)
兄は王にはふさわしくない。
貴族も官僚も民も、最初に生まれたというだけで選んだだけだ。
だから――ディルダは仕掛けた。ほんのちょっと王の資質にケチをつけてやろうと。
その頃のディルダは自分の力を理解していた。音だ。
ディルダの声の波が魔獣を催眠状態にして操るらしい。
ディルダは手作りの鈴を兄に持たせた。それはディルダの声の周波数にやや似て、魔獣を呼び寄せる力がある。
結果は……想像以上だった。兄はあっけなく死んだ。魔術師でもなく、抜きん出た武勇もない兄は魔獣に襲われて死んだ。
『これは運命だ。俺が王になるべきだったんだ』
だからディルダは怖くない。魔獣が増えようと自分は傷つかないと知っている。
民草が魔獣にあたふたするのも、ディルダは彼らが弱いからだとか思っていた。
神に選ばれなかった連中に平伏する必要などないのだから。
「陛下、お呼び頂きましたか!?」
「おう、呼んだぞ」
ディルダは歯を見せて笑った。
メルダは首尾よくコーデリアを出し抜いてミスリルを手に入れた。
今、もっとも信頼できる部下といってもいい。
「メルダ、新しい任務だ。喜べ」
「は、はい!」
「黒服と一緒に、少し魔獣に手を入れてこい」
「魔獣に……手を?」
「ああ、手を出せ」
メルダがディルダの前に両腕を差し出す。
執務室の引き出しからディルダはひとつの小さな布袋を取り出し、メルダへと手渡した。
不思議な手触りの布袋だ。希少な魔獣の皮だろうか。
「中を開けて見てみろ」
言われてメルダは皮袋を開ける。そこには小さな木製の鈴が入っていた。
ディルダは楽器までも自作するが、そのひとつだろうか。
「これは……?」
「必要のない時は開けるなよ。危険な鈴だ」
「は、はい……でもどのような点がでしょうか?」
見た目には単なる鈴だ。とても危険そうには見えない。
「その鈴は俺の切り札だ。魔獣を呼び込む」
「そ、そんな力が!?」
メルダは驚愕した。作った鈴が魔獣を引き寄せるだなんて、おとぎ話にあるような力だ。
でも、だからなのか。
ディルダが王になったのは。運命が彼を選んだのだ。
「わかっているとは思うが、他言は無用だ」
「ええ、もちろん! ああ、これがあれば――」
メルダは皮袋を胸元に抱きしめた。
思ってもみなかった天恵。神はやはりメルダを選んでいた。
「コーデリアに一泡吹かせることもできます!」
「ほう、お前もあいつが嫌いか」
「はい! いつまでも偉そうにして……っ!」
あの夜のことについて、メルダは誰にも言っていない。
当然、同行していた黒服にも絶対に言うなと命じていた。
思い出すだけで今も頭がクラクラするほどの出来事だ。
ただ、直接的な方法でコーデリアに報復することはできない。
結局のところ、メルダには兵も武力も知略もないのだから。
だが、それが期せずして手に入った。
魔獣を呼び寄せる鈴――この力があればコーデリアに一泡吹かせられる。
「いいぞ、やはりお前は俺向きの女だ。黒服を使い、騒動を起こせ」
「やります! そ、それでどこで?」
「お前に任せる」
途端にそう言われて、メルダは戸惑った。
任せると言われても……どこから? どのように手をつければいいのか?
ディルダの押し付け癖にメルダが口ごもる。
「どうした、何か案はないのか?」
「え、あっ……はい……とりあえず国内でちょっと騒動を起こそうかとは」
「その意図は?」
「ヴォルデだけを狙い撃つと、疑われるのでは……と」
メルダがなんとか悪知恵を働かせる。
学院でもこのような場はあった。あえて自分も巻き込むことで、加害者だとバレないようにするのだ。
「ヴォルデ周辺で騒動を起こせば、コーデリアのせいにできますよね?」
「おお、なるほどな。考えるじゃないか」
ディルダから笑顔で撫でられるが、メルダは作り笑いしかできない。
なぜならディルダの瞳はちっとも笑っていなかった。
まだ値踏みされている、とメルダは確信した。
「悪くない。細かいところはお前に任せる。好きにやれ」
「は、はいっ!」
「ただ、ひとつだけ肝に命じろ。何かあったら、その鈴は必ず壊せ」
ディルダの目が細まって声が低くなる。
「その鈴は貴重品だが、敵の手に渡るのは避けねばならん。周辺国に手がバレたら動きづらい」
「も、もちろん……そうですわね!」
ディルダの言葉にメルダの背筋がやや寒くなる。
コーデリアだけじゃないのか。周辺国全てに……同じことを?
それは誰がやるのだろうか。
それもメルダがやることになるのだろうか……?
「全てが終われば、お前こそ俺の妃だ」
メルダは激しく頷きながら、皮袋を握った。
この鈴こそが生命線。まだメルダの地位は安泰ではなさそうだった。
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