7 サザンラの丘陵2
ファビスは立ち上がり、うねるような丘陵を見下ろした。周りには低木や岩があるぐらいで、隠れられそうなものはない。空は青いし、背後にはシュランドの都もある。
こんな土地だから、シュランドには穏やかな竜が多いらしい。
「ガログ竜が点在しているな……」
首をひねったファビスは、テュフォン竜の支えてくれている手帳に、状態を書き連ねる。
その手帳には、竜の生態系が詳細に記載されているらしい。残念なことに、文字が読めない私はよく分かっていない。覗き込んだアシャさんによると、新しいページにファビスの立てた仮説がビッシリ書き込まれているとか。
生息域の変化、気候とナワバリの関係性、群れの分断、リーダー格の交代……沢山の可能性が挙げられていると、アシャさんは感心したように言った。中でも大きく書かれた文字には、丸が付けられている。
その言葉をなぞるように、アシャさんが口を開いた。
「暴れ竜の可能性が?」
「半々ってところかな。散り方が、七年前の竜災害と似ている」
「ああ……あの時もガログ竜からだったか」
七年前の竜災害。その単語に、アシャさんが顔をしかめた。ファビスも話したい内容ではないらしい。困ったように頬を掻いているのを見て、私も「暴れん坊の竜が居るんですね?」と分かった顔を作ってみせた。
「そう……よく分かったね。暴走して、周りに危害を加えるから暴れ竜。生まれた群れから追い出された竜なんか、よく変貌しているよ」
質問はしなかった。それは、私が興味本位で聞いてもいい話とは思えなかったから。いずれは知りたいけど、それは今じゃない気がしたから。ファビスの口から聞けたらいいな。そんな期待を込めて、竜を見つめる。
「はっ! つまり、竜舎に行けば、暴れちゃう可能性も減るのでは!!」
「……メイカは魔女みたいに優しいね? 僕、感動しちゃった」
「それ褒めてます?」
「とびきりの褒め言葉だよ!」
大袈裟に笑ったファビス。空っぽの右肩から垂れた水色の布は、温かい風になびいていた。
✶
迷子の竜たちは、ファビスのテュフォン竜が声を掛けるだけで、都の竜舎に向かって走っていく。竜同士の意思疎通が取れるらしい。何匹か、テュフォン竜の可愛さでメロメロになっていたけど、保護者の睨みで散って行った。
「あーあ、これがテュフォン竜の仕事なのは分かってるけど、僕の恋人に悪い虫がついちゃうよ!」
「テュフォン竜はテレパシーが得意な竜種なのだから、仕方がないだろう」
面倒くさそうな目を向けたアシャさん。その言葉で、ファビスの愛情に火がついたらしい。突然、せきを切ったように話し出した。
「そう! テュフォン竜の交信は、竜の世界でも上質なものって謳われているぐらい最高なんだ!」
語り出すのと同時に、アシャさんは頭を抱える。ついでに耳も塞いでいた。
「テュフォン竜の交信は頭上のツボミ部分を震わせることで行われるんだけど、その姿を見た偉大なるエドマンド・グラオリス博士は、大きさを比べる品評会をしようって言ったのさ。それは、ウォロラ世界史に乗るぐらいの偉業!!」
「ひんぴょ……」
「要するに大会ですね」
「品評会には、たっくさんのテュフォン竜が出るんだよね! まあ僕のテュフォン竜が一番、世界で最も可愛いに決まってる。でも、隊長たちの所為で品評会に出れないから、世界一のテュフォン竜に送られる花冠を貰えていないんだ!」
息を切らしたファビスは、我に返ったように「あ、花冠は僕が使っているような腕輪のことね?」と言った。前に教えてもらった内容だと、確かテュフォン竜は花束に暮らしているのだったか。
「このトンチンカンは、仮病を使ってまで品評会に出たいらしい」
「仮病じゃないからっ」
「なら持病だな」
それは恋の病という病気では……? と思いつつ、私はタッタと帰ってきたテュフォン竜(ご乱心な相棒に困惑しているようだ)と戯れた。私が抱きかかえられるぐらいの大きさをしたテュフォン竜。
灰色の体に、花のような模様が入っている。
「自分では大会を開かないんだねー」
『フュレンッ』
ぷっくらとした鱗を逸らしたテュフォン竜。心が読めるわけじゃないけど、自信に満ちているのはよく分かった。持ち主の性格に似ているのかもしれない。そう考えていたら、ファビスは、その小さな体を片手で大事そうに抱えた。
「自分で開きたいところだけど、飛竜部隊には勝ち気な竜しかいないんだ」
「精鋭揃いなのは、当たり前だろう」
相変わらず、ファビス相手だと当たりの強いアシャさん。彼女は、また虫刺されを起こしていそうな彼を睨みつけた。二人の会話から察するに、この世界の人は大なり小なり竜を相棒にしているみたいだ。
「そういえば、メイカさんは私の竜を見たことがないのでしたね……あそこに飛んでいる竜は見えますか?」
アシャさんが指したのは、遥か上空。目を凝らしたら、旋回している黒い影が見えた。鳥のような影は、オオノコ竜という種類の竜らしい。ノコ竜の亜種であることを教えてもらった直後、その子はものすごい速度でこちらに近づいてきた。
「あーあ、アシャの馬鹿竜が、勘違いしてこっちに来てるよ」
「……危険があったのかもしれないだろう」
呆れた様子のファビスに対して、アシャさんは睨みつける。しかし、それも冗談のつもりで言ったらしい。なんだかんだ言い返せていない彼女に、珍しいものを見た気分になった。
……このときの私は、二人がいることに安心しきっていた。大変な状況かもしれないことは、伝えられていたというのに。ここが、危険と隣合わせの世界であることを忘れていた。
――直後、体がトンッと浮いた。
顔を上げれば、アシャさんが私を抱えている。
「ファビス・ガルコ!!」
「まじかよ、本当に危険が来てたわけ!?」
「わっ」
ファビスの名前を叫んだアシャさんは、全力で走った。彼女の肩から、ファビスの背中が見える。何が起こったのか分からなくて、口を開こうとしたら「口を開いては、舌を噛まれます……少しの間の辛抱を」と言われた。
「暴れ竜が三体、こちらに、近づいているのが目視できました。不覚にも、気が緩んでおりました」
耳元に聞こえてくる声は、意外にも余裕そうだ。しかし、置いていかれたファビスはどうなってしまうのか。不安でいっぱいの私を思ってくれたのだろう。アシャさんは空いた手で私の頭を撫でた。
「ファビス・ガルコの二つ名を知っていますか? 五体満足のあいつは、周りから竜殺し――と呼ばれていたんです」
「!!」
「実際には、殺さず意識を奪っていたそうですが」と続けるアシャさん。意識を奪うだけって、殺してしまうのより難しそうなことだ。それを成し遂げていた? あの、温厚で紳士的なファビスが?
「五体満足じゃなくても、最後には全て蹴散らすでしょう」
彼女は、少しだけ不愉快そうに言った。その表情はやっぱり寂しそう。
アシャさんが連れてきてくれた場所は、丘陵が見下ろせる小山。今回の暴れ竜はガログ竜と同じ『地竜』だから、この高さまで来ることは滅多にないらしい。
「竜の戦いを見るのは初めてですか? では、彼らの有志を見届けましょう。これもウォロラの日常のひとつですので」
彼女の視線を追うようにして見た光景は、信じられないようなものだった。




