36話 聖失 ――Saint-less ――
当てずっぽうだが、タイミングだけ揃えた一撃。
剣を真正面に振ったことで左右と背後、頭上に攻撃を絞る。
思考が凝縮されていき、世界が少しずつスローになっていく。舞い上がる土煙の粒子一つ一つが鮮明に見えるようになった瞬間、刹那の先で思考を加速__。
相手が物理的に加速するなら、俺は世界を遅くする。
ガルニスの視界の広さは、俺が指輪の光に気を取られた一瞬を見逃さなかったことで証明されている。
なら、視界で捉えられる左右は可能性として排除していい。
残すは生物の死角の頭上と背後。
最も可能性が高いのは……!
ここまでの複雑な考えを一瞬で整理し、振り切った魔剣グラムから片手を離し、後ろへ向ける。
「聖失の剣」
セイレスとの魔法特訓で得た、最後の切り札。
実戦で使ったことはない__だが、セイレスがいない今だからこそ、この技は必ずお前に届く!
青い指輪が力強く光り輝き、俺の右手を真っ黒に焦がしていく。右手から一本の青白い光柱が、ガルニスの心臓を焼き焦がしていく。
「あああぁぁぁああ!!
……この光はッ!!」
「そうだ__セイレスの力だ。
神の領域に踏み込んだ、魔族にとって毒でしかない回復魔法を味わえ!」
「そんな……こと! 術者のあなただって!!」
「あぁ死ぬほど痛いさ!!
だが今のセイレスが感じる苦痛に比べれば、こんな痛み屁でもねぇんだよ!!!」
「私がこんな! 力ではなく癒しの力で……!
回復魔法で致命傷を与えられるなんて……!!」
ついに、俺の右手から痛覚すら消えた。
聖失の剣の維持も、もうできない。
もう魔剣グラムを振ることすらできないが、ガルニスは文字通りの致命傷だ。
奥の手も、もう効力を失っている。
「終わりだ__先代魔王の側近」
「……そうね。もう少しあなたと踊りたかったけれど、ここで身を引くのが美学。
正直に言うわ。もう魔力も練ることができない。
私の首を落とせば、それで今回の侵攻は終わり。
連れて来ているもう二人の幹部も、あのメイドと女神アリシャが共闘すれば倒されるでしょう。
今回はあなた達の勝ち。
……私はもう、満足よ」
原型を留めていない右手を一度見てから、潔く散ろうとしているガルニスに、俺は我慢できなかった。
「勝手に攻めてきて、なに勝手に死のうとしてんだよ!! 自分勝手やろうが!!
ふざけんじゃねぇぞ!!!」
「……ふふ。愛の力は恐ろしいわね」
首を落とすまでもなく、完全に灰となって崩れた残骸を握り締め、俺は枯葉が降り頻る空に吠えるしかできなかった。
喉が焼けるほど吠えた後、枯れた声で呟く。
「……今行く」
足取りは重く、視界はぼやける。
それでも、世界樹へ向かう意思だけは、はっきりとしていた。
世界樹へ歩き出した時、アリシャとクラリスが少し傷を負いながらも合流してくる。
「二人ともお疲れ様」
「それくらいいいわ。私なんてクラリスの戦いの補助をしていただけだもの」
「クレイヴ様……! 右手が!!」
クラリスがすぐに回復魔法をかけようとするが、手で制す。
ガルニスを倒した右手の代償__今だけはこのままでいたい。
「いいんだ。それよりも、早くセイレスを助けに行こう」
「無茶をなさいましたね。まったくもう」
クラリスは我慢できなかったのか、自らのスカートの丈を破いてまで、俺の右手を手当てしてくれた。
もう邪魔は入らない。
セイレスの心も救えるはずだ。
どちらにせよ時間はかけられない。
巨大な幹の目の前まで来ると、そこには泣きながら何度も世界樹を叩く勇者スズハの姿があった。叩きすぎて手と幹には血がこびり付いている。
だが、それで俺の心は揺らぐことはなかった。セイレスを救うために、世界樹を斬ろうと前へ出る。
スズハは泣きながら俺の前に立ちはだかり、一つの問いを投げかけてくる。
「……何をするつもりなの?」
「これからセイレスを捕らえているこの木を切る」
「そんなことできるわけない!
私も聖剣で何度も試した!
魔法を付与した攻撃だって、少し傷がつくだけで、すぐに治るの!
だから、そんな意味のないことはやめて」
「意味があるかないかは俺が決めることだ」
「お願い、やめて……!
私からこれ以上……大切なものを奪わないでよ!!
……勇者なんてもうどうでもいい!
あなたの奴隷にだってなったっていい!!
だから……。だから!!!
お母さんだけは……!」
この懇願は、きっと嘘だ。
俺は真っ向から否定しなければならない。
そうでないと、俺はセイレスを助けられないから。
「スズハ。一つ言っておく。
力がなければ、大切な人は守れない。
俺は今回の先代魔王軍の襲来で気づいた。
もう嫌になっちまうくらいな。
お前が母を守りたいのなら、今ここで片腕しか使えない俺と戦うしかない。
それくらい言わなくてもわかるはずだ。
今のお前では片腕の俺にだって勝てない。
だから力で抵抗するんじゃなくて、言葉で止めようとしている」
スズハは聖剣を構えるが、手元が小刻みに震えている。
瞳からは涙が止めどなく零れ落ちている。
「あなたは、私のお母さんを殺すの?」
「そうだ。俺が殺す」
「ユグドラシルの民はこの世界樹が作るバリアがないと、いずれ魔族に蹂躙される。
あなたはそれでも、一人の命を選ぶの?」
「ああ、俺はたとえ大勢の人間を犠牲にしても、一人の女を選ぶ」
「本当に、あなたは魔王なのね」
「スズハ。俺はセイレスを助け出した後、こんな目に合わせた先代魔王は絶対に許さない。
先代魔王を滅ぼしたら、その後でいくらでも相手になってやる。
俺はお前の母親の仇になる。
だから強くなれ、魔王を殺せるくらいに」
もうスズハは、俺の言葉に返答することはなかった。
俺がスズハの前に立つと、世界樹が激しく震える。人ではない純粋な恐怖を感じたのだろう。
最後の生存本能が俺という脅威を排除するために、無数の枝を伸ばして抵抗を見せた。
待ってろ。
もうすぐお前を__そこから引きずり出してやる。




