32話 私のために死んでちょうだい
「そうだけど……」
「ようやく! ようやく会えるのね!
今どこにいるの!? この国にいるのよねぇ!?」
「どうしちゃったの……お母さん?」
私の肩を掴む母の手は、万力のように爪を立てて握りしめてくる。
「痛い……! 痛いよお母さん!! やめて!」
手を振り払った弾みで、瓶が倒れて割れる。
中身の神聖水が床に散らばった。
「あっ、あぁ……!!」
セレスは後ろで母の変わりようについていけず、ただ口元を押さえている。
「ねぇセレス……。お母さんって、治るのかな?」
ハッとした表情に戻ったセレスが、精一杯の笑顔で言葉を返した。
「……スズハお嬢様。
あなたはもう、ここにいてはいけません。
これ以上ここに留まれば、魔王討伐どころではなくなってしまう。
後のことは私に任せて、あなたは勇者にしか出来ないことをなさい」
だけど、それじゃあお母様はずっとこのままだ。この状態を変えるには、もう女神の力を借りるしかない。
神聖水を与えてくれたセイレス様なら、もしかしたら可能性が……!
「お母さんは水の女神と会ってどうするの?」
「早く! 早く連れて来て頂戴!!
私のライトに早く会わせて!!
お願いよぉ!! あなたは私の娘でしょう!?」
「……わかった」
承諾すると、必死の形相が嘘のように、朗らかな笑顔へと変わり、私を優しく抱き締めてくる。
もう私の手に負える状態じゃない。
この変わりようを何とかするには、女神の力を借りるしかない。
「セレス」
「……いけません。お嬢様」
「まだ何も言ってない」
「仰らなくてもわかります。
この国にいる女神セイレス様に、お力添えを願いに行くのでしょう。
ここまでの容態です。見返りに何を求められるかわかりません!
女神とは、そんな優しいものではございません」
「わかってる。でも、私が協力するって約束すれば、きっと向こうも協力してくれる」
今は父__ライト・センクレットの亡霊を追っているけれど、時間は思ったよりもないかもしれない。
私は嘘の優しさを振り撒く母をゆっくりと引き剥がし、身支度を整える。
時刻はもう深夜。居場所はわからないが、クレイヴの発する莫大な魔力を辿れば多分女神たちも一緒のはず。
さっき一瞬だけ魔力が爆発的に高まったのを感じたが、すぐに鳴りを潜めたことから、きっと向こうも何かあった。
「セレス、これからセイレス様を連れてくるから、それまでお母さんをお願い」
まだクレイヴ達が起きていることに一縷の望みをかけて、私は家を後にした。
◇◇◇◇
「それで、こんな夜更けにやって来たってことか」
「……うん、ごめんなさい」
「いや、むしろ助かった。
アリシャとクラリスで抑えるのに苦労してたから、悪いけど手伝ってほしい」
「あなたとセイレス様は別なの?」
「俺たち二人は隔離だ……。今またシェリアに会うと余計拗れるから」
奥から、暴れるシェリアの叫び声が響いてくる。不思議そうな表情を浮かべるスズハの顔を見て、少しだけ申し訳ない気持ちになる。
こればっかりは俺たちに原因がある。
「そんなわけで手伝ってほしいんだけど、こんな夜更けに何か緊急事態だったりする?」
「実は……」
それからセイレスを交えて話を聞き直し、スズハの抱えていた問題をどうするか話し合った。
初めはセイレスも親身になって聞いていたが、次第に表情が険しくなっている。
セイレスが口を開いて俺に尋ねてくる。
「私が回復魔法をかければ、多分少しは安定すると思うけど。タダで恩恵を授けるわけにはいかないわ」
「おい、セイレス」
「こればっかりはクレイヴの頼みでもダメ。
ちゃんと対価を貰わないと、それこそ私の存在意義に関わるから。
いくら自分の母とはいえ、あなたは治るかわからないことに重い十字架を背負う覚悟はある?」
「……はい。それでお母さんが少しでも良くなるなら、私は何だってやります」
「そう。ならシェリアが手をつけられない今の内に行きましょう。
それと勇者スズハ、アリシャにこれから外出する旨を伝えてきて」
「わかりました」
スズハの案内で、代々勇者の家系が隠れ住んでいる屋敷へと到着する。待っていたのは一人のメイド。
もうじき夜明けだというのに、中には灯りが付いていた。
「こんな深夜に御足労頂き、頭が上がりません。
感謝申し上げます」
深々と一礼をするメイドが俺を見て疑問の表情を浮かべる。
「そちらのお方は……?」
「……私の、旦那よ」
「旦那様でしたか……! えっ??」
「それはまた後で説明します。今はそれよりもスズハさんの母親に、回復魔法と神聖水を」
「かっ、かしこまりました。すぐに準備をして参ります」
スズハの母がいる部屋の前に着く。
話を聞いている限りでは、幻覚と幻聴が聞こえるくらいの、重度のうつ状態に近い。
何にせよ、慎重な対応が必要だ。
だが、効くかわからない回復魔法をかけるセイレスの表情は、毅然とした凛々しい目をしていた。既に覚悟ができているような、頼もしい瞳だった。
「会うのが怖くないのか?」
「ええ。今まで何度かこうした救いを求めてやって来る信者も、何年かに一人はやって来るから」
「そうか」
本人はこう言っているが、俺はセイレスの手を優しく握った。一瞬驚いて俺の顔を見たが、微笑んでから表情を戻す。
「行きましょう」
重苦しい扉を開ける。
そこで待っていたのは、スズハによく似た茶系の髪の毛を三つ編みにしている母親だった。
こちらにゆっくりと顔を向ける。
全く精神を病んでいるとは思えないほど、外見は普通の、ごく一般的な女性だ。
それが逆に恐ろしく、額から汗が滲んだ。
全く想像がつかない取り乱し方をするまでは。
「水の女神、セイレス様だね!?」
「え、えぇ。いかにも私は水の女神セイレス。
あなたに回復魔法を……ッ!?」
勢いよくベッドを飛び出し、セイレスの両肩に縋るように身体を預け、驚愕の言葉を放つ。
「ライトに! もう一度ライトに会うために!!
私のために死んでちょうだい!!!」
……は?




