第86話 ステラ・オーロラ
「ステラ、落ち着いて聞いてほしい」
そう言いながら、俺はもう一度ベッドに潜り込み、ステラを胸元へ引き寄せた。
小さな身体が、ためらいがちに俺の背中へ両腕を回す。
その指先は震え、潤んだ瞳には、すでに涙が溜まっていた。
「……ステラは、お兄ちゃんのこと……好きか?」
「……うん。誰よりも……大好き」
胸が、きゅっと締め付けられる。
「じゃあ……何があっても……お兄ちゃんのことを、信用できるか?」
「……うん、お兄ちゃんは、私のことをずっと守ってくれた。ずっと隣にいてくれて……怖いときは、手を握って……今も、こうして抱きしめてくれる。一番……信用してるよ」
ステラの声は震えていたが、しっかり瞳は俺を捉えていた。
「じゃあ……そんな僕から……実はステラに嘘をついていたことがある」
本当は、ホークとアイシャの前で話すつもりだった。
けれど――今、この瞬間を逃せば、もう二度と口にできない。
そんな予感があった。
「…………」
ステラは何も言わない。
ただ、黙って俺の顔を見つめている。
「実は……僕とステラは……」
言葉が、喉の奥で絡まる。
この先を口にした瞬間、ステラの世界がどれほど揺らぐのか。
どんな表情を浮かべるのか。
想像できてしまうからこそ、胸が張り裂けそうだった。
そのときだった。
ステラはそっと涙を拭い、まるで俺を安心させるように、柔らかく微笑んだ。
「……お兄ちゃん……大丈夫。私……気づいてるから……だから、そんなに……思いつめないで」
――気づいている?
そんなはずはない。
そう思った、その直後だった。
「だって……エルやヨーダがとっさに私を呼ぶとき、ステラ様って言うんだよ? お兄ちゃんには、一度も敬称をつけたことないのに……それに……今も、ヨーダは私にだけはつらい訓練を課さない。きっと私は違うんだなって……お兄ちゃんと……」
そこまで言って、ステラは言葉を切った。
小さな身体が、ぎゅっと俺の胸にしがみつく。
嗚咽が布越しに伝わる。
そうか……人一番感性が豊かだから気づいていたのか。
しばらくして、かすれた声が、再び胸元から聞こえる。
「でもね……もしかしたら……勘違いかもって……思い過ごしかもって……期待してたの……でも……起きたら、手の甲が痛くて……お兄ちゃんは一月一日生まれ……私は、七月七日生まれ……今日、紋章を授かったってことは……やっぱり……血は、繋がってないんだって……」
言い終えると同時に、ステラはもう一度、勢いよく俺の胸に飛び込んできた。
小さな肩が、何度も跳ねる。
十分以上。
ただ抱きしめ続けることしかできなかった。
やがて、泣き疲れたのか。
布団の中から、ひょこっと顔が覗く。
「……ねぇ?」
少しだけ、いつもの調子を取り戻した声。
「お兄ちゃん……正直に答えて?」
潤んだ瞳が、まっすぐ俺を射抜く。
「本当に……私は、今年で十歳……だよね?」
「ああ……僕と同じく十歳、七月七日でステラは十歳だよ」
「……本当のお父さんとお母さんは?」
「お父さんは……分からない。エルは知っていたのかもしれないけど、僕はすべての記憶を受け継いでいるわけじゃないから。でも……お母さんは知っているよ。史上最強の紋章師。【太陽の紋章】を授かり、オーロラ王国を平和へと導いた人物――アリバ女王だ」
名を告げた瞬間、ステラの表情が揺れた。
驚きでも、喜びでもない。
理解と整理が同時に進む、複雑な顔。
「……女王様、かぁ……じゃあ……お父さんやお母さんが必死に私を守るのも、無理ないね……エルとヨーダの態度も……スカージャーが、あんなに執拗だったのも……同じ血が流れている私を、警戒してたってこと……なのかな」
そう言いながら、ステラは自分の右手を見つめる。
甲に浮かび上がる、淡く、けれど確かな光。
「……これ。絶対に……星、だよね。【星の紋章】……っていうのかな?」
「多分、そうなんだろうね。ステラみたいに輝いて……似合っているよ」
ステラの手を取ると、泣きはらした目で、少しだけいたずらっぽく笑った。
「お兄ちゃん……欲しいものがあるんだけど、いい?」
「ん? いいけど……」
そういえば、昼間もそんなことを言っていた。
実は用意していたプレゼントがあるのだが、それは今度渡せばいいか。
そう思った瞬間、ステラが急に顔を近づけ――唇と唇が触れた。
「へへっ……実は私、物心ついてからは誰ともチューしてなかったんだ。お兄ちゃんもそうでしょ?」
「た、確かに……お母さんともしてないや」
「へへ~ん。お兄ちゃんのファーストキス、もらっちゃった」
そう言って、ステラはさらにもう一度キスをしてくる。
「これはね、妹のステラからじゃなくて、ステラ・オーロラからのキスだよ……メナト」
照れたように頬を染めるステラ。
刹那――これまでにないほど胸が高鳴りを感じた。
今まで毎日のように、こうして至近距離で一緒に寝ている。
時には抱き合いながらだったが、いつも感じるのは安心感だけで、胸が高鳴ることなどなかったのに。
そんな俺に対し、ステラは揶揄うように顔を近づける。
「あ~、お兄ちゃん、照れてるでしょ!?」
「そ、そんなことないよ! そ、それにステラだって顔赤いぞ!」
「わ、私、照れてないもん! ほらっ!」
そう言って、力いっぱい抱きついてくるステラ。
いつもより、少し汗ばんでいる気がした。
その体温に触れているうちに、さっきまでのドキドキは次第に収まり、やがて、いつもの安心感が胸に戻り、心地よさを感じる。
「ステラ、色々感情がぐちゃぐちゃだろうけど、寝ようか?」
「うん……このまま、ぎゅーっとしてていい?」
「もちろん。僕も離さないから」
そのまま抱き合いながら、いつものように眠りについた。
部屋の扉の外に、ホークとアイシャの気配を感じながら――。
翌日――
ステラと二人でリビングに向かうと、そこには緊張した面持ちのホークとアイシャがいた。
「おはよ、お父さん、お母さん」
「おはよ~、お父さん、お母さん」
俺たちがいつも通り朝の挨拶をすると、二人は表情を硬くしたまま返す。
「ああ、二人ともおはよう」
「ええ、おはよう」
きっと二人は知っている。
昨夜、俺たちが話したことを。
だが、あえて気取られないように切り出した。
「お父さん、お母さん。今日の未明、ステラが紋章を授かったよ」
「「……」」
ステラが右手をテーブルの上に置く。
「夜中にね、お兄ちゃんから全部聞いたの。私のお母さんがアリバ女王だってことも、どうしてお父さんとお母さんが私を引き取ったのかも……そして、史上最強と呼ばれたアリバ女王が、どうして死んだのかも」
その言葉を聞いた瞬間、二人は椅子から立ち上がり、片膝をつこうとする。
だが、俺がそれを制した。
「お父さん、お母さん。それはステラが一番望まないことだから、やめてあげて」
二人の忠誠が、すべてステラに向いていることは分かっている。
だからこそ、これまでの非礼を詫びようとしたのだろう。
だが、ステラがそれを望むはずがなかった。
「私は……無理かもしれないけど、これまで通り接してほしいの。ステラ・オーロラではなく、ステラ・アクィラとして……ダメ?」
「……ダメじゃない。貴族になったのも、養子縁組を視野に入れてのことだが……本当にいいのか?」
「うん! 私はずっとお父さんとお母さんの子供がいい!」
そう言ったステラの頬を、涙が伝う。
それを見て、ホークとアイシャの目からも、涙が零れ落ち――
二人はステラを囲み、声を上げながら泣き始めた。
ステラもつられるように、小さな身体を震わせながら声を上げて泣いてしまう。
「お父さん……お母さん、今まで私を育ててくれてありがとう。そして、ずっと護ってくれてありがとう……」
それは、間違いなくステラの本心だった。
「すまない……ずっと言いたかったのだが……」
「ステラ……あなたは、私たちの娘だから……」
すると、ステラが二人にあるお願いをする。
「お父さん、お母さん。養子縁組をしなきゃこのままの関係を続けられない?」
「……そんなことはないが……」
あまりにも予想外の問いに、ホークは涙を拭いながら首を傾げる。
「……じゃあ、このままでいいかな?」
その理由は俺にも分からなかった。
だが、アイシャは察したように、そっと微笑む。
「ステラ、少し一緒に来てくれる?」
「うん! お母さんと二人で話したかったんだ!」
そう言って、ステラとアイシャは、俺たち男二人を残して外へ出ていくのだった。




