第82話 決闘
不意に告げられた、プラエスの休戦提案。
「そんな条件、飲むわけないだろう!?」
思わず声を荒げた俺に対し、プラエスは愉快そうに口元を歪めた。
「では、我々と戦うというのかい? アクィラ男爵は酒で既に使いものにならない。今、まともに戦えるのはアイシャ殿だけだろう。君も【盾の紋章】を宿しているようだが、それは防御専用。攻撃手段にはなり得ない。我ら二人を相手に、守りながら戦って勝てると本気で思っているのか? 言っておくが、私の隣にいるこの男も、紋章師だぞ?」
確かに……アイシャと俺で二対二なら、まだ可能性はある。
だが、ステラ、ルナリア、そして酔い潰れたホークを庇いながら戦うとなると、話は別だ。
状況は、圧倒的にこちらが不利。
しかし、胸の奥に拭いきれない疑問が浮かび上がる。
どうして、これほど有利な状況で……なぜプラエスは戦わず、オフィーリアを差し出してまで休戦を持ちかけた?
最初から、そのつもりだったのか?
もし俺たちが毒に気づかず飲めば、そのまま殺す。
気づかれた場合は、オフィーリアを切り捨てて場を収める。
どちらに転んでも、自分は傷つかない。
最初から自分は負けない勝負……ということだったのか?
そんな思考が巡る中、アイシャが俺の隣に立った。
「いいでしょう。この場は収めます。ただ……いくらお酒に弱い主人とはいえ、ここまで意識が鈍るのは不自然。何か盛ったのでは?」
「ほう……なかなか鋭い。アクィラ男爵の食事には、多少眠気が増すものを混入させております。入手が難しく、味にも変化が出てしまう代物なので、ごく少量しか使っておりませんがね。身体への害はないと聞いています。少し休めば、すぐに元通りでしょう」
――なるほど。
料理の味付けがやけに濃かった理由が、ようやく腑に落ちた。
水を大量に飲ませるためだけではない。
味の違和感を紛らわせるためでもあったのだ。
これがステラなら、気づいていたかもしれない。
だが、あいにくホークも俺も舌の感覚には自信がない。
……これからは、鍛えないとな。
剣や魔法だけじゃない。
生き残るために必要なのは、それだけじゃないらしい。
それはともかく。
ホークが意思決定を行える状況ではない以上、妻であり、【曙光の鷹】副団長である母アイシャの言葉は絶対だった。
それは理解している。
理解しているからこそ――
俺は、プラエスを許すことができなかった。
ステラとルナリアを傷つけ、
ホークに薬を盛り、アイシャに苦渋の選択を強いた。
だから、俺は行動に移す。
右手から外した手袋を――ステラとお揃いの手袋を、プラエスへと投げつけたのだ。
「ほう……君はこの意味を知っているのかい?」
「もちろんだ」
「アイシャ殿の決定を覆すとでも?」
「いや、母さんの意思には従う。休戦も受け入れる。ただ、プラエス。単純にお前と決闘がしたい。それだけだ」
アイシャが何か言おうとして、一歩踏み出しかけ――
だが、その視線が俺の右手に宿るものを捉え、言葉を飲み込んだ。
新緑に光る【追憶の紋章】。
そう、ステラを傷つけられて、怒っているのは俺だけじゃない。
エルもまた、復讐の炎を燃やすかのように、俺の紋章を灯らせているのだ。
そして、エルだけではない。
ヘロス王国の盾となり、その命をもって人々を護ったヘルマー伯爵の意思。
その想いもまた、白く、静かに、しかし確かに紋章を輝かせていた。
受け継がれた想いも、俺の背中を後押ししてくれている。
「お兄ちゃん……」
「メナト……」
一方でステラとルナリアは不安そうな表情で見つめてくる。
が、プラエスは頷かなかった。
「ここで我々が戦っても無意味だ。戦えば、我らが勝つだろう。だがね――困ることがある」
そう言って、プラエスは視線を逸らす。
その先を追って、俺もようやく理解した。
崩れた壁の向こう。
視界いっぱいに広がる、紫黒の群生。
――ヴェノムモリス。
屋敷の外周にまで侵食し、風に揺れるたび、毒を孕んだ気配を撒き散らしている。
なるほど。
こいつらは勝てないから戦わないんじゃない。
戦っている最中に触れる危険性もあるし、勝ったとしても、ヴェノムモリスに火をつけられれば、この一帯は毒煙の地獄と化し、自分たちの命も危うい。
だから戦わないのか。
それは俺も望むところではない。
俺には無害。しかし、他の皆を巻き込む恐れがある。
「だったら、場所を変えて戦うのはどうだ?」
「……私に何かメリットでも?」
「オフィーリアの身柄を返そう」
即座に、鼻で笑われた。
「それはメリットではなく、デメリットだ」
そう言って、プラエスは足元に転がるオフィーリアを一瞥する。
「こんな家畜は、クソの役にも立たない」
理解が追いつかず、呆然と見上げるオフィーリア。
その姿に、かつての子爵の威厳は微塵もなかった。
「では、エーテルが咲く種を渡す……それならどうだ?」
ここで初めてプラエスの表情に変化が見られた。
「……なるほど。それが賭けの対象になるのであれば、話は別だ。我が主も、間違いなく喜ぶでしょう」
そう言うと、懐から小さな瓶を取り出す。
液体が揺れるのを一瞥し、ためらいもなくコルク栓を抜き、一気に煽る。
「このエーテルポーションは非常に興味深い。手袋を投げた以上、やっぱりやめた――などとは言わせないぞ?」
「当然だ。ステラやルナリア、父さんや母さんを傷つけられて――それで黙っていられるほど、俺はお人よしじゃない」
プラエスは肩をすくめる。
「場所と時間は?」
「ヴェノムモリスが咲いていない場所ならどこでもいい。時間は――今すぐだ」
「では、ここから南へ少し行ったところに小高い丘がある。そこで、私と君――メナト君だったかね。勝負と行こうじゃないか。立会人は、ルナリア王女殿下がいれば十分だろう」
こうして。
血の匂いを孕んだ決闘は、驚くほどとんとん拍子に決まっていくのだった。




