第79話 ★破滅への円舞曲★
時は少し遡り、テビリスからオフィーリアが戻った数日後――
「な、なぜだ……!? どうしてヴェノムモリスが咲く!? 間違いなくエーテルの種子を蒔いたのだろう!?」
ハラデル・オフィーリア子爵は、屋敷の一室で声を荒げていた。
目の前に立たされているのは、一人の農家。
テビリスへ同行させ、密かに種子を盗ませた者だ。
「は、はい……! テビリスにヴェノムモリスが咲いていなかったことは、子爵様ご自身もご覧になっていたはずです! 持ち帰ったのは、間違いなくエーテルの種子でございます!」
農家は必死に首を振り、己の責任を否定する。
嘘はついていない。だからこそ、オフィーリアの混乱は深まるばかりだった。
「では……なぜだ!? なぜ、我が屋敷の畑にヴェノムモリスが咲き乱れているのだ!?」
その問いは、すでに何度繰り返されたかわからない。
答えの出ない問答を、ただ延々と反芻するしかなかった。
オフィーリアは知らない。
エーテルの第三世代の種子からは、高い確率でヴェノムモリスが発芽するという事実を。
そしてそれは、彼だけではない。
この場に集められた者の中で、誰一人として知る者はいなかった。
「と、とにかく……! お前が何とかしろ! 農家だろう!」
怒鳴りつける声には、もはや威厳よりも焦りが滲んでいた。
理解できぬ事態。
制御できぬ作物。
そして、自らの欲が招いた結果であるという現実。
例えオフィーリア子爵が怒鳴り散らしても、農家にできることなど何もない。
場には、重苦しい沈黙が落ちた。
万事休す――
誰もがそう思った、その時だった。
「一つ、考えられることがございますな」
静かに口を開いたのは、右手に魔法手袋をはめ、常にオフィーリアの傍らに控えていた男だった。
理知的で、どこか底の見えない声。
「……アクィラ男爵は、この結果を知っていたのかもしれませぬ」
「なに……?」
「ヴェノムモリスが咲くことを承知の上で、あえて種子を持ち帰らせた。あるいは――帰り際、種子の袋を挿げ替えられた可能性も」
「なっ……!? まさか……この私が……嵌められたと申すか!?」
オフィーリアは愕然とし、顔色を変える。
「い、いや! 盗んでからは、ずっと懐に入れていた! そのような真似はされておりませぬ!」
農家が必死に否定するが、男は肩をすくめるだけだった。
「例えば、の話でございますよ」
その曖昧な言い回しが、逆にオフィーリアの不安を煽った。
子爵は縋るような視線を男に向ける。
「せ、先生……私は、どうすればよろしい?」
子爵が先生と呼ぶ男は、口元に薄い笑みを浮かべた。
「簡単なことです。アクィラ男爵を呼び出すのです。毒を盛って始末し、混乱の中でテビリスの統治権を掌握する。その後は当然のように子爵がエーテルポーションの栽培をすればいいのです。領民であれば、ヴェノムモリスが咲かぬ方法を知っているでしょうし、国王も、エーテルポーションさえ納められていれば、そこまで深く追及はなさいません」
「……!」
「そうなれば、我が主――カロール侯爵もお喜びになる。オフィーリア子爵の伯爵への陞爵も、現実味を帯びてきましょう」
「な、なるほど……! この私ほど有能な男が、子爵で終わるはずがない……!」
希望に縋るように頷くオフィーリア。
「で、具体的にはどうすれば……?」
「以前、殿下たちに毒を盛った時と同じです。水差しにエレキフグの毒を混入させて、身体の自由を奪う。毒見がいたとしても見破られることはまずないでしょう。もし子爵が手を下すのを躊躇われるのであれば――最後は私が引き受けましょう」
その声には、躊躇も、逡巡もなかった。
農家は思わず息を呑み、背筋に冷たいものが走る。
だが、オフィーリア子爵の表情は違った。
恐怖は、次第に甘美な期待へと変わり、
やがて――歪んだ笑みが浮かび上がる。
「……さすがは先生。アクィラ男爵さえいなくなれば、アイシャ殿は頼る人物を失い我が手中に収まるかもしれぬ……それに娘のステラもかなりの上玉……ルナリアも平民の血は混ざっているが、母は王が見初めた女。さすがの美貌……あの三人を私色に染めるのも……悪くない。先生、女たちを殺すことはしないでいただきたい。できれば身体のの自由を奪って……ヒヒヒ」
こうして、欲望と恐怖と野心が絡み合い、
取り返しのつかない円舞曲が――今、静かに幕を上げた。




