第75話 品評会
品評会――本来は、農産物や酒、工芸品などを一堂に集め、品質や完成度を中立な立場の専門家が審査し、優劣を評価する場である。
だが、それは中立性が保たれてこそのこと。
今、城のグレートホールで行われているのは、
品評会と称した政治劇に過ぎなかった。
「おお、さすがはヴィンデル男爵領産の鹿肉だ。これほどの滋味、いかなる戦地においても兵は疲れを知らず駆け巡るであろう」
王宮騎士団長・ブロッサム侯爵が満足げに頷く。
すると、彼の派閥に連なる貴族たちが、待っていましたと言わんばかりに賞賛の声を重ねる。
「見事な肉質ですな」
「流石はヴィンデル男爵領!」
一方で、対立派閥と思しき者たちは、拍手ひとつ送らない。
まるで空気ごと拒絶するかのように、沈黙を貫いている。
やがて、その対立派閥の中心人物が、別の皿に手を伸ばした。
「これは……なるほど。オフィーリア子爵領産の羊だな?」
そう言って、口元を歪める。
「仔羊の頃から丁寧に育てているだけあって、旨味がよく引き出されている……まあ、脳筋にはこの違いは分からぬだろうがな」
その瞬間、今度は逆側が湧いた。
歓声と拍手。
露骨なまでの称賛。
対して、ブロッサム侯爵派は揃って沈黙。
まるで今しがたまでこの場に存在していなかったかのようだ。
「……すごい世界だな」
思わず小さく呟いた俺に、隣にいたルナリアから声がかかる。
「メナト。今のが宮宰のカロール侯爵よ。文官のトップ。ブロッサム侯爵とはそれぞれ別の王位後継者を推していて、犬猿の仲なの」
「宮宰って?」
「宮廷宰相の略よ。もともとは軍事にも口出しできる立場だったのだけど、王宮騎士団が肥大化していくにつれて権限が削られていって……今ではブロッサム侯爵の方が優勢ね。だからこそ、こういう場で存在感を示さないといけないの。派閥を誇示して、影響力がまだ生きているってね」
肉を見ているようで、実際には勢力図しか見ていないのか。
オフィーリア子爵も、そのカロール侯爵派というわけか。
周囲を見渡せば、どちらの派閥にも与せず、賛辞も拍手も送らない者たちが結構いる。様子見か、別の思惑か……あるいは別派閥か。
この場は料理の品評会というより、貴族たちの立ち位置確認会といった様相だった。
そんな中――
俺の脇で黙々と料理を口に運んでいたステラが、首をかしげながら言う。
「お兄ちゃん? このお肉、不味いね……さっきのも不味かったけど……やっぱりウィンが狩ってきたのを、パルブがすぐ焼いたのが一番だよ」
素直すぎる感想を述べつつ、ステラは一応残さず食べ進めている。
まぁ、ウィンは本能で美味い獲物を見分けているのだろう。
そんな肉ばかりを日常的に食べていれば、舌が肥えるのも無理はない。
ちなみに、俺は完全にバカ舌だ。
同じ肉を食べているはずなのに、今目の前に出されたそれを、普通に美味いと感じてしまっている。
次々に並ぶ料理と酒。
華やかな香りがグレートホールを満たしていくが、俺たち子供は酒に手を付けることはない。
「ねぇ? お父さん。そのお酒、美味しいの?」
そう聞くと、ホークはほろ酔いの顔で胸を張った。
「父さんに分かるわけないだろう? そういうのは母さんに聞きなさい」
自信満々だが、まったく説得力がない。
どうやら俺のバカ舌は父親譲りらしい。
では、と視線を向けると――アイシャは少し考えるようにして答えた。
「うーん……どれも、特別おいしいとは思わないかな。少なくともこのワインを食中酒として飲もうとは思わないわね」
どうやらアイシャは味の分かる側の人間らしい。
まぁ、何でもそれなりに楽しめるのだから、バカ舌も悪くはない。
そんなことを考えながら料理を口に運んでいると――
それまで品評会で終始劣勢だったブロッサム侯爵が皆の注目を集めた。
「皆さん――茶番はここまでです。我らブロッサム侯爵家は、このような物を用意しております!」
そう言うと、ブロッサム侯爵はおもむろに腰に下げていた鞘から剣を抜いた。
現れた刀身は鈍い光を放ち、一目でそれが金属ではないと分かる。
その正体に気づいたのは、俺だけではなかった。
この場に招かれた貴族のほとんどが、息を呑む。
「まさか……それは、魔晶石製の剣!?」
誰かの叫びに、ブロッサム侯爵は勝ち誇ったようにうなずいた。
「その通り。魔晶石のみで作らせた剣だ。見よ――この輝きを!」
侯爵がゆっくりと魔力を流し込むと、
刀身の根元から、淡い翠色の光がゆっくりと剣先へと広がっていく。
「ラ、ライトセー――ッ!」
思わず立ち上がって叫びそうになるのを、かろうじて堪える。
こんなもの、男であれば誰しも胸を熱くさせずにはいられない。
当然、興奮したのは俺だけではなかった。
双子やペッパも目を輝かせ、さらには敵対派閥の貴族たちからさえ、思わず歓声が漏れる。
しかし、ここでもルナリアからある裏事情を聞かされる。
「あれね……鉱脈を潰してまで作らせた剣なの。専門家はそれをやれば鉱山は死ぬって忠告していたのに、それでも採掘を強行したのよ……結果、鉱山は廃鉱。多くの鉱夫が職を失って……それなのにブロッサム侯爵はすべての責任を進言した専門家一人に押し付けたの」
なんだそれ。
傲慢にもほどがある。
とはいえ、今この場においては、その剣によって勝敗は決したも同然だった。
ブロッサム侯爵は誰の目にも分かるほど得意げで、一方のカロール侯爵は、奥歯を噛み締めたような険しい表情を浮かべている。
完全に空気はブロッサム侯爵のもの――
そう思われた、その時。
その場の空気を一変させた人物がいた。
ヘロス王である。
「諸君。どれも実に見事であった。今度は私からも一つ、ぜひ皆に嗜んでもらいたいものがある!」
皆を見渡しながら告げると、侍従たちが速やかに動き、グラスが配られていく。
中に満たされているのは、無色透明の液体――エーテルポーション。
ただし、全員ではなかった。
最初に手渡されたのは、カロール侯爵をはじめとする文官たちだった。
「ではまず、カロール侯爵。飲んでくれ」
王の言葉に、侯爵はこの世でもっとも名誉な役を拝命したかのように背筋を正し、グラスを高く掲げる。
そして、慎重に舌の上で転がすように、一口。
「……きつめの酒精……しかし、それを意識させないほど軽やかで、驚くほどスムースな口当たり……レモン……青りんご……いや、ライムか。フレッシュな酸味が一気に走り、森の奥を思わせる清涼感が余韻として残る……フィニッシュには、かすかなフローラルのニュアンス……これは……極上の一杯……!」
……ちょっと何を言っているか分からない。
だが、それを皮切りに、他の者たちも次々と口に含み、さながら呪文の詠唱のような言葉を並べ始める。まぁ概ね好評のようだ。そこは素直に安堵しておく。
しかし、その輪の中で、数人が微妙に顔をしかめていた。
「……身体が、熱くならないか?」
「酒精……ではないな。もっと、内側から……こう……」
文官といえど、魔力を授かる者はいる。
そうした者たちがエーテルポーションを口に含んでは首をかしげ、もう一度確かめるように啜る――その違和感を、言葉にできずに。
「では次に、来賓に配ってくれ」
王の命に、侍従たちが一斉に動く。
なるほど。先ほどから周囲を警戒するように、互いの距離を詰めて固まっていた少人数の一団。あれが他国からの来賓というわけか。
彼らがグラスを口に運んだ、その瞬間だった。
「なっ……!? まさか、これは……ッ!?」
「漲る……魔力が、漲るぞ!!!」
どうやら魔法師、あるいは紋章師がいたのだろう。
一口含んだだけで、体内の魔力が満ちていく感覚を、即座に理解したのだろう。
その声を聞いて、黙っていられるブロッサム侯爵ではない。
「へ、陛下! わ、我らにも、早くッ!」
王を急かすなど無礼もいいところだが、本人にその自覚は微塵もない。
だが王は咎めることなく、むしろ面白そうに目を細めて、
「もちろんだ。ジェイスたちにも配ってやってくれ」
許しを得るや否や、ブロッサム侯爵は味わうという概念を完全に放棄し、一息で飲み干した。
「ほ、本当だ……! 魔力が……魔力が回復しているぞ!?」
誰よりも大きな声で、誰よりも分かりやすく興奮を露わにする。
その様子に引きずられるように、軍家の者たちが次々とグラスを傾け、
「嘘だろ……こんな短時間で……」
「戦の最中にこれがあれば……!」
「ヴェノムモリス以外に魔力の回復手段があるとはッ!?」
歓声とも、どよめきともつかぬ声が広がっていく。
「諸君。この酒はエーテルポーションと言って魔力を回復する酒だ。だいたい一杯で『30』ほど回復する。酒ゆえに適切な保管を心がければ腐ることもない」
ざわめきが、まだ収まらない。
王はそれを楽しむように、一拍置いてから続けた。
「そこでだ。この酒の販売に踏み切ろうと思う。ここに来ている諸国にも。ただし――非常に作るのが困難で、手間もかかる。ゆえに価格はそれなりになる。最低でも、十リットル樽で金貨三十枚からと考えているが……どうだ?」
とんでもない吹っ掛け方だ。
仕入れは金貨十五枚。
倍だ。完全に倍。
しかし、これを知っているのは、ほんの一握り。
そして――
「……安い」
来賓の一人が呟いた。
その一言を皮切りに、空気が一気に割れる。
「十リットルで金貨三十!?」
「戦一度で回収できる……いや、それ以上だ」
「これを独占される方が、よほど脅威だぞ」
「それに何より……美味い! 魔力が回復しなくともこれほどの酒であれば!」
我先にと声を上げ、金を積もうとする貴族や来賓たち。
王は、それをすべて見下ろしながら、穏やかに微笑んでいた。
最初から、この反応を引き出すつもりだったのだろう。
味を見せ、価値を見せ、最後に値を叩きつける。
まったく……王様というのは、時に最悪の商人になる。
その様子を眺めていると、ステラがそっと俺の右手を握ってきた。
「なんか……エルが認められているみたいで、嬉しいね」
ステラの心に、確かにエルの名前が残っている。
それを糧にするかのように、【追憶の紋章】が、誇らしげに輝く。
ホークも、アイシャも、ヨーダも。
エルを知らない双子やペッパでさえ、この場の空気に満足したように息を吐いていた。
だからかもしれない。
確かに向けられていたあいつの視線に、
誰一人として気づかなかったのは――




