第59話 追憶対氷柱
「ふっ……三冷傑も、随分と舐められたものだな。相手が子供とは。まぁいい。そういう相手は今までにも何人もいた。自分では戦えず、子供を盾にして逃げようとした連中をな」
スティリクは薄く口角を上げ、不敵な笑みを浮かべたまま右手を掲げる。
「まずは小手調べからだ――」
【氷柱の紋章】が青白い光を放ち、魔法文字が重なり合うように展開する。
『【氷槍】!』
鋭い氷の槍が一直線に放たれる。
俺は迷わず左手を前に出し、魔力を集中させ、【魔纏】のみで対抗。
氷槍と魔力が正面衝突し、甲高い音を立てて砕け散る。
「っ――ツー……!」
衝撃が腕に突き抜け、思わず歯を食いしばる。
相殺はできた。だが、完全ではない。
魔力が上がり、アイシャの【氷槍】なら【魔纏】だけで受け止められるようになった。
だから、スティリクのそれも同じようにいけると思った。
過信しすぎた……冷気が皮膚の奥に食い込み、鈍い痛みが残る。
だが、驚いたのは俺よりもスティリクの方だった。
「なっ――!? いくら【氷槍】とは言え、無傷で相殺だとッ!?」
奴の目が、初めてはっきりと俺を捉える。
子供を見る視線ではない。
敵を見る目つきだ。
さらに、後方からもルナリアたちの声。
「う、嘘……紋章師の……それも上位紋章の魔法を【魔纏】で……」
「単体魔法なら、ブロッサム侯爵の魔法を凌ぐ威力のはずだぞ……!?」
「ま、マジかよ……どれだけの魔力があるってんだ……」
視線が、疑念から畏怖へと変わっていくのが分かる。
俺は左手の痛みを表に出さぬよう、指先を軽く握りしめながら、あえて口角を上げた。
「――遊びはおしまいにして、もう少しマシな魔法を撃ってみたらどうです?」
その言葉が、癇に障ったのだろう。
「ふんッ、調子づきやがって……少し痛い目に見せてやろう!」
【氷柱の紋章】がさらに深く輝くと、 空気が一段階冷えこむ。
『【氷迅槍】!!』
放たれたのは、先ほどとは比べ物にならない速度と密度を持つ氷の槍。
これは、さすがに【魔纏】じゃ無理だ。
俺もすぐに魔法を詠唱――
『【紅ノ閃光ハ奔ル】!』
【追憶の紋章】が深紅に燃え、空気を裂く斬撃が奔り、深紅の閃光が、【氷迅槍】を正面から切り裂いた。
氷は砕け散り、勢いを削がれた斬撃が、そのままスティリクへ――
「ぐっ――!?」
スティリクの体を浅く掠め、氷晶と血の粒が宙に舞う。
「ば、馬鹿な……! その詠唱時間で……この威力……!? ……それに、今……一瞬、変なイメージが……」
一歩、後ずさり、一瞬怯えた表情を見せるスティリク。
今の言葉を聞く限り、どうやら【紅ノ閃光ハ奔ル】にも、俺の死の追体験を、わずかに流し込む効果があるらしい。
「だったら――」
自らの恐れを払拭するように大声を上げ、スティリクが魔力を巡らせ放つはこの魔法――
『【氷閃迅槍】!!!』
放たれた氷の槍は、もはや槍というより先端の尖った巨大な木だ。
空気を引き裂き、夜の闇を白く塗り潰しながら冷気と共に迫ってくる。
見るからに、アイシャの【氷閃迅槍】とは格が違う。
考えてみれば当然だ。
アイシャは【水の紋章】、スティリクは【氷柱の紋章】。
水と氷――氷の系統において、奴が上位であることは疑いようがない。
しかし、ホークの【風閃迅槍】すら凌ぐ切り札が、俺にはある。
『【紅ノ閃光ハ奔ル】!』
深紅の斬撃が、正面から【氷閃迅槍】に叩きつけられる。
だが、押し負けた。
斬撃は霧散し、夜空に紅の残光だけを残して消える。
しかし、それで終わりじゃない。
【氷閃迅槍】は斬撃を受けた衝撃で軌道を乱し、氷の表面に無数の亀裂が走る。
速度は落ち、魔力の密度も目に見えて低下。
今だ! 俺は一歩踏み込み【咎ノ剣】を振り抜く。
亀裂から一気に砕け、巨大な氷槍は呆気なく霧散。
「な……何が……起きている……? 私の……【氷閃迅槍】だぞ……? ブロッサムの【風閃迅槍】を、正面から打ち破った魔法だ……!」
――これは勝てる。
そう思った、その瞬間だった。
スティリクの肩が、かたかたと震え始める。
そして、歪んだ笑みが浮かんだ。
「……くっくっくっ……情けない……本当に、情けない……! こんな……子供相手に……本気を出さねばならぬとは……!」
目の色が変わる。
俺を敵と認識して来た目が、同格の強敵と認識する目へ。
「我が生まれ故郷――サザーランドはキヴィタス皇国の北方に位置する永久凍土の地。住処は洞窟。だがその洞窟は、常に死と隣り合わせだ。頭上から巨大な氷柱が落ちてくる日常だ。生き延びるには、想像し続けるしかない。次に、どこが崩れるか。どれほどの質量で、どの速度で落ちてくるかを。喰らったらどれほどのダメージをうけるかを! その環境で生きてきた私より、魔法をイメージできる者など、いるものか!」
右手を掲げ、俺を睨むスティリク。
「【氷柱の紋章】の……本当の力を見せてやる!」
その言葉と同時に、紋章が激しく脈動する。
蒼白い光が夜気を染め、魔法文字が空間そのものを削るように顕現していく。
『凍てつけ、静かなる水。形を得て、群れとなれ。一は針、十は雨、逃げ場なき白き氷柱となりて降れ――』
こ、これはヤバい!
直感が、はっきりと警鐘を鳴らす。
俺は即座に【咎ノ剣】を消滅させ、右手を前に突き出した。
「何をしているの! その剣をしまったら、相殺できないじゃない!」
ルナリアの叫びが背後から飛ぶ。
だが、答えている余裕はない。
振り返りざまに大丈夫とだけハンドサインを送り、そのまま詠唱に入る。
『集え、守りの光。我が背に立つ者を抱き護れ。万物も通さぬ壁となれ――』
【追憶の紋章】が白く発光――
そして、互いの魔法が同時に完成した。
『【十ノ氷柱》】!!!』
『【護界ノ盾】!!』』
半球状の、白く透き通った盾が俺たちを覆う。
直後、十の氷柱が空を裂き、雨のように降り注いだ。
盾が激しく震え、氷柱を次々と弾く。
だが、その威力は想定を超えていた。
十本目を弾いた瞬間――
ガラスが砕けるような乾いた音とともに、【護界ノ盾】が粉々に砕け散る。
「ひ……一つの魔法で……僕の【護界ノ盾】が……」
しかし、動揺していたのは俺だけじゃなかった。
「なっ――!? 今の魔法は【盾の紋章】の――!? どうして……どうしてお前が、それを使える!?」
スティリクは愕然と立ち尽くし、ルナリアたちは言葉すら失っていた。
だが次の瞬間、スティリクは肩を大きく揺らし、堪えきれないように笑い出す。
「まさか……まさか、子供にここまで防がれるとはな……いいだろう。次が最後の魔法だ。これを防ぎきれたなら、貴様を私より上位の存在として認めよう……!」
次が最後――。
おそらく、スティリクの魔力を使い切るほどの大魔法だ。
だったら、俺も全力で応える。
『【咎ノ剣】!』
「ふん、またその剣か……だが、その細さでこの質量を受けきれるかな!」
スティリクが両手を天に掲げ、詠唱を始める。
魔法文字は急激に膨張し、今までとは比べものにならない規模へと変貌していく。
『空を頂く白き巨躯よ。ただその尖端のみを示せ。天の下、地の上、逃げ場なき一点へ。凍てつく質量をもって穿て――』
魔法文字から大きな魔法陣が描かれると、顕現したのは、氷山の先端だった。
やばい……。
これまで見てきた魔法の中でも、間違いなく最上位。
ホークの使う魔法と同格レベルだ!
でも、これさえ防ぎきれば――!
俺なら防げる。魔力を総動員すれば――!
剣の切っ先をスティリクに向け、全身へ魔力を巡らせる。
『我に埋みし咎人の剣よ……』
深紅の魔法文字が幾重にも俺の周囲を舞い――
『刃を捨て我らを護る傘となり、盾となれ……』
【追憶の紋章】は深紅から白へと変じ、傘の形を成して俺の前面へと展開。魔法文字もそれに呼応するように集束していく。
『触れしものすべてを否とし、咎の名の下に霧と化せ――』
スティリクの魔法陣をも凌ぐ巨大な魔法陣が、深紅と白を交互に明滅させながら展開――
『【氷山ノ穿尖】!!!!!』
『【咎剣ノ護衛盾】!!!!!』
視界を埋め尽くすほど巨大な氷山の穿尖が、慣性の法則など存在しないかのように、一直線に俺たちへ迫ってくる。
それに対し、俺の前に展開されているのは、剣の切っ先から傘のように広がった、直径およそ五メートルの半球状の盾。
盾は血のような赤みを帯び半透明。
【追憶の紋章】と呼応するかのように、脈打っていた。
「そんなちっぽけな盾で、私の最高の魔法が防げるわけないだろうがッ!」
だが、スティリクは知らない。
この魔法が、二つの紋章を掛け合わせたものだということを。
消費魔力が『125』の大魔法ということを。
たとえ上位クラスの紋章が放つ最大魔法だとしても、こちとら二つだ。
氷山の穿尖が、深紅の盾に触れた瞬間――
それは、音もなく消え去っていく。
だが、消滅しているのは盾に接触した部分だけだった。
「皆さん! 僕の背後に避難してください!」
巨大な氷山の穿尖の一部が、盾の脇をかすめるように通過していく。
しかし、【咎剣ノ護衛盾】の内側には、冷気一つ侵入しない。
「クックック……すべてを呑み込め! 【氷山ノ穿尖】は、万物を貫く巨大な矛! そんな小さな盾など――」
氷山の穿尖の巨大な本体に遮られ、スティリクからは俺たちの姿は見えていない。
だが、数秒後――
氷が消え去り、俺たちの無傷の姿を視界に捉えた瞬間、奴の表情が凍りつく。
「な……なぜだ……? 【氷山ノ穿尖】は、アリバの【魔纏】すら貫くと恐れられた魔法だ……! それが……こんな子供に、傷一つ負わせられない……だと……?」
恐怖に顔を歪め、スティリリクは一歩、また一歩と後ずさる。
「凄い魔法でした……数か月前の僕なら、跡形もなく潰されていたでしょう。でも、今の僕には……負けられない理由がある。死ねない理由があるんです」
家で待つステラのためにも、俺は必ず生きて帰らなければならない。
こんな場所で、犬死になどできるはずがない。
「く、くそぉぉぉおおお!!!」
スティリリクは誇りも何もかもを捨て、背を向けて逃げ出そうとする。
だが、それを見逃すほど、俺は甘くない。
【咎剣ノ護衛盾】を解除し、右手を前に掲げる。
『【盲魔ノ毒槍】!』
漆黒の槍が放たれ、スティリリクの脚を貫いた。
さらに視界を奪われ、彼は足と目を押さえながら地面に倒れ込み、苦悶の声を上げてのたうつ。
「ルナリア王女殿下。これが、僕のコアです。ご理解いただけましたか?」
ルナリアは返事をするわけでもなく、ただただ、その場に佇むだけだった。




