第58話 ルナリアの願い
ルナリアを隣の部屋で待たせたまま、俺とホークは慌ただしく着替えていた。
その最中、ホークが俺に問いかける。
「メナト、まさかとは思うが……パンツの子って、ルナリア様じゃないよな?」
「……ごめんなさい」
俺の答えに、ホークは額に手を当て、顔全体で「あちゃー」と表現した。
俺だって、そんなつもりはなかった。
本当になかった……はずなのだが、今でもあの光景だけは、妙に鮮明に脳裏に焼きついている。
「もう一度言う。口が裂けても、ステラには言うなよ」
ステラどころか、誰にも言えるわけがない。
自分のためにも……ルナリアのためにも。
「お待たせいたしました」
俺とホーク、そしてヘルマー伯爵の三人が着替えを終え、ルナリアと合流する。
もちろんヘルマー伯爵の従者二人も一緒。
話がしたいだけなら、宿の部屋でもよかったはずだ。
だが、それだけではない用件があるらしい。
俺たちはルナリアに導かれるまま宿を出て、街の外郭に沿って歩き、西側へと向かう。その道すがら、ルナリアが小さな声で語り出す。
「ヘリザリムはね、東側はとても治安がいいの。昔は東側に隣接していたのがオーロラ王国だったでしょう? だから東から攻められることはないって認識が強くてね。貴族や商人の屋敷、高価な品を扱う店は、全部そっち側に集中しているの。当然、王宮騎士の配置も東側が重点的。だから治安はいいけど――」
そう言いながら、ルナリアは魔晶灯の立つ通りを避け、あえて暗がりへと足を運ぶ。俺たちもそれに倣い、持参していた魔晶灯の灯りは点けないままだ。
「その反対側――西側は、昔からあまり治安が良くないの。王宮騎士団も見回りはしているけど、今日みたいな日は話は別。論功行賞で中枢区画の警備に人を集めるから、どうしても西側は手薄になる。それに今はブロッサム侯爵の功績を祝うパーティをしているから、王宮騎士団の警備はまだ甘いはず」
貴族があれだけ一堂に会していたのだ。
そこを重点的に守るのは、ある意味当然だろう。
そう納得しながら、南側から西の街区へ抜けようとした――その時だった。
ふいにホークが足を止め、振り返る。
建物の裏、魔晶灯の光が届かぬ影へと視線を向け、声を張り上げた。
「そこにいるのは誰だ? 宿を出てから、ずっと尾行しているようだが?」
「……」
返事はない。
だが、ホークの声に迷いはなかった。
「三秒以内に出てこなければ拷問がマシと思えるほどの苦痛を味わってもらうが?」
……ああ、これは本当にやるやつだ。
そうなったら、たぶん実行役は俺なんだろうなぁと思いつつ、ホークと同じ方向へ視線を向ける。
すると、一人の男が、両手を高く掲げながら、ゆっくりと姿を現した。
しかし、ホークはそれで終わりにしない。
「もう一人いるな。そこの角に隠れている奴――お前も三秒以内に出てこい」
「…………」
沈黙。
ならば、とホークは右手を前に掲げ、淡々と詠唱を始めた。
【鷹の紋章】が淡く輝き、翠の魔法文字が、円を描くように父の周囲へ展開していく。
その瞬間だった。
「やめて!」
ルナリアの必死な声があたりに響く。
「……私たちの想像以上の人物みたい。出てきて」
やがて、物陰からもう一人の男が、罰が悪そうな表情で姿を現す。
「ごめんなさい。敵意はないの」
ルナリアは一歩前に出て、俺たちに向き直る。
「二人とも父の近衛よ。今回、父に事情を話して警備を頼んだの」
すると、男二人は俺たちの前までゆっくりと歩いてくると、揃って深く頭を下げた。
「ホーク殿、申し訳ないな。俺は近衛兵のランダだ」
最初に見つけた男がそう名乗り、右手を差し出す。
ホークは一瞬だけ相手を見据え、それから無言でその手を握り返した。
まだ警戒を解いてはいないのは、俺にも分かる。
続いて、もう一人の男も一歩前に出て、同じように頭を垂れる。
「まさか、私の方にも気づかれているとは思わなかった。名はダロン。【雷の紋章】を宿し、近衛兵長を任されている」
ホークとダロンが握手を交わす。
握手を終えると、ホークはルナリアへと視線を移す。
「王女殿下。この二人だけですか? ほかに警護は?」
一見すれば無礼とも取られかねない問いだが、そこに他意がないことは明らか。
「ええ、そうよ。この二人だけ」
「……そうですか。では、参りましょう」
俺とホーク、ルナリア。
ヘルマー伯爵とその従者二人。
さらに近衛の二人を加えた、計八人。
西側の城門を目指して進むと、眩しいほどの魔晶灯の下、二人の王宮騎士が、微動だにせず警備に就いている。
これでは、気づかれずに外へ出るのは不可能だ。
そう諦めかけた、そのときだった。
ヘルマー伯爵が口を開く。
「王女殿下。ここは、私たちにお任せください。隙を作ります。その間に、五人は城外へ。私と従者二人は、王宮騎士と共にブロッサム侯爵の第一功を称え、酒でも勧めておきましょう」
言い終えるや否や、伯爵は従者に目配せをし、酒を買いに行かせる。
その間、ホークが伯爵に近づき、低い声で二言三言、短く言葉を交わした。
ヘルマー伯爵は一瞬だけ目を見開き――そして、何かを飲み込むように、ゆっくりと頷く。
やがて従者が戻り、数本のワインのような酒瓶を差し出す。
それを受け取ると、ヘルマー伯爵は従者を伴い、何の躊躇もなく、西の城門を守る騎士たちのもとへ堂々と歩きだした。
「お勤めご苦労、私はラージャン領主、ヘルマー伯爵だ。貴殿らも知っていよう。本日の論功行賞式典で、ブロッサム侯爵が第一功を授かったことを」
ヘルマー伯爵は、俺たちにも聞こえる声で話しかける。
「はっ! もちろん存じております! 我らも誇りに思っております!」
騎士が即座に応じる。
「そうか、それは結構。ならば、祝杯といこうじゃないか。なに、私の従者がしばらくここを見張る。かなりの高級酒でな――ブロッサム侯爵の功績を肴に、一杯どうだ?」
「そ、そんな高級酒を――!?」
「よ、よろしいのですか!?」
騎士たちは酒に目がないようだ。
「もちろんだ。ただ、夜風に当たると冷えるからな。西門の詰所でどうだ?」
「はっ! それではこちらへ……! 警備の方、どうかよろしく頼む!」
騎士二人は従者二人に深々と頭を下げると、ヘルマー伯爵に先導される形で城門脇の詰所へと入っていった。
俺たちは、その一瞬の隙を逃さず、音を殺して城門を抜ける。
ヘルマー伯爵と従者二人を西門に置き、俺とホーク、ルナリア、そして近衛の二人の計五名は、そのまま西の郊外へと足を進めた。
歩くにつれ、街の喧騒は次第に遠ざかり、代わりに夜の静寂が辺りを満たしていく。しばらくしてルナリアが、ふいに足を止めると、ホークにすがるような目で訴えかける。
「アクィラ卿――わざわざこのような真似をして申し訳ございません。ですが、私はどうしてもメナトの実力を見たいのです」
「僕の……ですか?」
「一昨日、私に言ったよね? コアの部分の実力は隠してるって」
「……はい。確かに、そう言いましたが……」
即答できず、思わずホークへと視線を送る。
その迷いを察したのか、ホークは一拍も置かずに口を開いた。
「承知しました。王家に刃を向けないと誓った以上、この程度の要求は受けるべきでしょう。ただしできれば王と、真に信頼できる者の前だけにしてください。特に、ルナリア様のご兄弟や王宮騎士団には……伝えてほしくはありません」
「もちろんです。そこに話すつもりがあるなら、最初からこんな回りくどい真似はしないので」
ルナリアが誰を警戒しているのかは、もはや説明するまでもない。
「では――ちょうどいい相手がいます」
ホークはそう言って、来た道を振り返る。
日はすでに沈み、辺りは夜の帳に包まれていた。
魔晶灯の淡い光を向けても、そこには揺れる影一つ見当たらない。
「……ま、まさか……尾けられていたというのか!?」
近衛兵長ダロンが、思わず声を荒げた。
隣のランダも慌てて振り返り、目を凝らすが、やはり何も見えないらしく、疑わしげに目を細めて首を捻る。
尾行している側が、さらに尾行されているとは思わない。
当然、俺もまったく気づかなかった。
だが、かなり前から察していたのかもしれない。
西門でヘルマー伯爵に小声で告げたのも、恐らくはこいつを通せという意味だったに違いない。
「……本当に私が視えているというのか」
暗がりから、人影が滲み出る。
しかし、その数は一つ。
「も、もしかして王宮――」
ルナリアが言いかけた言葉を、ホークが即座に遮る。
「いえ、それだけはないでしょう。私の紋章を知っているはずですから……もっとも、捨て駒という可能性は否めませんが。王女殿下は我々の背後へ。ダロン殿、ランダ殿には、万が一に備えて殿下の護衛をお願いします」
「捨て駒だと……? 私が誰かを知って言っているのか?」
「知らぬな」
ホークは、興味なさげに即答した。
「だろうな……キヴィタス皇国――三冷傑が一人、スティリク様と知ってそのような態度がとれるわけがないからな」
すると、ルナリアとダロン、ランダがその名に反応する。
「かつてオフィーリアを攻め落としたスティリク!?」
「【氷柱の紋章】を宿すという!?」
「ブロッサム侯爵と分けた奴か!? なんでそんな大物が!?」
どうやらかなりの有名人のようだ。
しかし、ホークは余裕を見せる。
「なるほど、ではメナトの腕試しにはちょうどいいな。メナト、ルナリア王女殿下に借りを返すつもりでやれ。危ないと思ったときは参戦するから安心しろ。ただし、アレは使うな」
アレ、というのは当然ヴェノムモリス関係の魔法。
にしても借りって……オオカミのことを言っているに違いない。
「うん、じゃあやってみるよ」
「め、メナト一人で!? そんなのは危険よ!」
「大丈夫です。魔法戦だけであればメナトは負けませんよ。それに私は参戦しないとは言ってませんから」
ホークにそこまで信頼されているのであれば、裏切るわけにはいかない。
魔法手袋を外すと、ルナリアがふと俺の右手の甲に視線を落とし、首を傾げる。
「……昨日は分からなかったけど。紋章がうっすら輝いている?」
「ええ。後で詳しく説明しますが……赤銅盾勲章を身につけると、ほんのわずかですが身体能力が向上するようでして」
ヘルマー伯爵から【盾の紋章】を継いだ、その瞬間からだ。
【追憶の紋章】は、赤銅盾勲章に反応するようになった。
おそらくはこれを盾として認識しているのだろう。
ただし、その輝きはあまりにも儚い。
昼の光の下では、誰も気づけないほどだ。
「では、コアの部分を見せますね!」
そう述べて、すぐに魔法を詠唱。
『【咎ノ剣】!』
「剣を顕現――!? 魔法戦には一番不向きでは!?」
ルナリアが思わず声を上げるのも無理はない。
剣は近接戦闘の象徴ともいえる存在。
「はい、でも見ていてください。僕がルナリア王女殿下をお護りするので!!!」
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