第57話 貴族社会
論功行賞式典の後は、正直言って地獄だった。
王城を出た、その瞬間――
待ち構えていたかのように、貴族たちにぐるりと囲まれる。
逃げ道など、最初から存在しなかったのだ。
「帝国子爵との戦いの経緯をぜひ聞かせてほしい!」
「メナト君は紋章師なのか!?」
「一度でいい、手合わせを願えぬか!」
矢継ぎ早に飛んでくる言葉。
返事をする間もなく、新たな声が被さってくる。
そして――中には、明らかに毛色の違うものもあった。
「婚約者はいるのか?」
「うちの娘は七歳だが、どうだ?」
「ルナリア様とは、どういったご関係で?」
好奇心、打算、探り。
これが貴族社会というやつか。
ホークもホークで、三日間も会談していたというのに、やはり囲まれていた。
ヘルマー伯爵の紹介があったとはいえ、面会できたのはよほどの重鎮だけだったのだろう。
「王族の誰を後継者と推すおつもりで?」
「どの貴族と親交が深い?」
「王宮騎士団に入る気はあるのか?」
答えを引き出すまで離さない。
そんな圧が、言葉の端々に滲んでいる。
ブロッサム侯爵が、わざわざ俺の実力を測るために呼び出した理由も、なんとなく理解できた。
と、その輪の中へ――
一人の文官らしき男が、ぬっと割って入った。
腹は前に突き出し、生え際は後退。
艶を放つ脂ぎった顔に、笑みだけが貼り付いている。
「ホーク殿が授されたテビリスは、私の領地と隣接しておりましてな。金額次第では、開拓をお手伝いしてもよいのですが?」
「失礼ですが……貴方様は?」
「ほう。これは失礼。私はオフィーリア子爵だ」
子爵は、恩を売るような口調で続ける。
「テビリスは魔境と呼ばれた土地。誰も手を付けておらぬ。だが、我が騎士団には紋章師もいる。貸し出してやらぬこともない。そうだな……一か月。紋章師を含め十名で、金貨百枚。悪い条件ではあるまい?」
明らかに吹っ掛けている。
それに、この話し方。
交渉ではなく、上から押し付ける前提だ。
「魔境と呼ばれ、敬遠された土地であれば……紋章師が一人増えたところで、どうにかなるものなのでしょうか?」
ホークの言い分はもっともだった。
そもそも、なぜ魔境と呼ばれているのか、その理由すら聞かされていない。
「ふむ。すべてが解決するとは言わぬがな」
オフィーリア子爵は、腹を揺らしながら頷く。
「獣害くらいは抑えられるかもしれぬ。それに、腕のいい大工もおる。資材さえ用意してくれれば、屋敷を建ててやらぬこともないぞ? もちろん、その分の追加料金はいただくがな」
「なるほど……ありがたいお言葉、ありがとうございます……」
ホークが一度、殊勝に頭を下げる。
「おお。軍家のくせに、なかなか利口ではないか――」
オフィーリア子爵が勝ち誇ったように口角を上げた、その瞬間。
「ウィン、喜べ! お前の獲物が、ずいぶんと多いらしい。狩りにはちょうどいいな!」
そう言うと、上空を悠然と旋回していた影が、音もなく舞い降りる。
ホークの肩に止まったウィンを見るや否や――
「ひ、ひぃぃぃいいい!!!」
オフィーリア子爵の喉が裏返った。
「ま、まさか……鳳鷹……!?」
「ええ。獣害であれば、ウィンが狩り尽くしてくれるでしょう。それに、我々の人数は少数ですが、紋章師は五名おります。魔物と呼ばれる類でない限り、問題はないかと……怖いのは、人間の方です。オフィーリア子爵。近くご挨拶に伺わせていただきます。その折には領主の在り方など、ぜひご教授いただきたい」
穏やかな笑みを浮かべたまま、ホークはオフィーリア子爵を見つめる。
もっとも、その目は一切笑っていなかったが。
「な、なかなか殊勝なことで結構。では、その日が来るのを心待ちにしておるぞ」
オフィーリア子爵は、必死に体裁を取り繕いながら言葉を返す。
去り際の声だけは無駄に張っていたが、ホークの肩から、ウィンが勢いよく空へ舞い上がった瞬間――
「ひぃぃぃっっっいいい!!!」
情けない悲鳴と共に、オフィーリア子爵は尻もちをつき、その醜態を余すところなく晒した。
まぁ……ウィンは大きい。
それに、命令次第では人間すら狩る存在だ。怖くないわけがない。
周囲の貴族たちも、その一部始終に呆然と立ち尽くす。
その隙を逃さず、俺たちは今が好機とばかりに、人垣の合間を縫って、その場を離れることに成功した。
中枢区間を通り抜けたところでヘルマー伯爵が待ってくれていた。
「早速、洗礼を受けていたようだな」
「はい。覚悟はしていましたが……やはり疲れますね」
「そうか? よほど、ホーク――いや、アクィラ卿の方が上に見えたぞ」
ヘルマー伯爵は、どこか愉快そうに目を細める。
「いえいえ。腹芸は私がもっとも苦手とするところでして。オーロラ王国では、このような経験がありませんでしたから」
「ふっ、オーロラ王国が特別なのだ。女王アリバのために皆が尽くし、女王は民のために全力を尽くす。一つの理想の形ではあるな」
他国の貴族からそう評されるのだから、アリバ女王はそれほどの人物だったのだろう。
ヘルマー伯爵の言葉を聞いたホークは、わずかに口元を緩めていた。
本人は隠しているつもりなのだろうが、その嬉しさは隠しきれていない。
「で? どこかの派閥に属することにしたか?」
宿へと向かう道すがら、ヘルマー伯爵がふと切り出す。
「いえ……特には。今回の叙爵、条件が条件でしたので……」
「国や王に忠誠は誓わない。忠誠を誓うのはアリバ女王、またはその血を継ぐ者のみ。だが、ヘロス王家に刃は向けない……だったか?」
「はい。正直、絶対に受け入れられない条件だと思っていましたが……今日の一連を見て、なるほどと思いましたよ。それに次回、ステラと同行せよ、という文も下賜されました」
裏では、そんな条件が交わされていたのか。
国王としても、忠誠を誓う相手がころころと変わる者より、ホークのように一途な男の方が信用できるのかもしれない。
宿に戻ったのは、すっかり日が暮れてからだった。
そして――そこには意外な人物が、俺たちを待っていた。
「る、ルナリア様!?」
ドレスから普段着の法衣に着替えたルナリアがいたのだ。
最初に気づいたヘルマー伯爵が、反射的に膝をつく。
それに倣おうとしたホークも、同じく膝を折ろうとするが――
「ここで、そういう仰々しいことはやめて」
ルナリアが、きっぱりと制した。
「はっ! しかし、王女殿下を前にそのような――」
王女殿下……やはり、ルナリアはヘロス王の娘だったか。
だとすれば、昨日のブロッサム侯爵たちの態度は明らかにおかしい。
王宮騎士団の詰所に入った際、彼らは終始、ルナリアを見下ろす位置に立っていた。王女に対して取る態度ではない。
「いいから、これは命令よ」
そこまで言われれば、ヘルマー伯爵も従わざるを得ない。
「……承知しました。それでどのようなご用件で?」
「少し、三人と話したいのだけど……できれば人気のない郊外で。王宮騎士団の監視も外れている、今しかないの」
やはり、ルナリアは監視されていたのか。
理由は、なんとなく察しがつく。
水面下で進んでいる、後継者争い――その只中なのだろう。
「分かりました。では、少しお時間をいただけますか? 正装では動きにくいので、普段着に着替えて参ります。ただ、ルナリア王女をお一人で外に残すのは危険です。一度、我々の部屋までお越しいただくことになりますが?」
「ええ、構わないわ。よしなに」




