第46話 ラージャン攻防戦――3
「ペッパ!」
右手に短刀を握るペッパを警戒しつつ、俺はゆっくりと距離を詰める。
「……」
ペッパは反応しない。
視線は虚ろで、ただ一点を見つめているだけだ。
「ペッパ!!」
「…………」
声を強めても、返事はない。
少しずつ近づく俺を前にしても、ペッパはまるで感情のない人形のように、その場に佇んでいる。
「ペッパ……?」
――おかしい。
そう感じた、その瞬間だった。
突如、ペッパがこちらを向き、短刀を突き出して突進してきた。
「――っ!?」
警戒はしていた。
だが、その動きは子供のものではない。
いや、それどころか人間の動きとも思えなかった。
異様なほど速く、理不尽で、でたらめ。
咄嗟に【魔纏】で被害を抑えようとした、その刹那――
目の前で、銀の光が弧を描いた。
一閃。
その剣撃はペッパの短刀を弾き飛ばし、返す勢いのまま、彼の首元へと迫る。
「ダメだ! ヨーダ!」
俺の叫びに反応したのか、ヨーダの剣はペッパの首元でぴたりと止まる。
だが、ペッパの動きは止まらない。
首元に剣を突きつけられているにもかかわらず、なおも俺に向かって迫ろうとしてくる。
「ヨーダ、パルブ! ペッパを拘束してほしい。なるべく傷つけないように!」
「……分かった。だが、多少荒っぽくなるのは勘弁しろ」
「こいつが……マヌスじゃないのか!?」
ヨーダは即座に頷き、パルブも首を傾げながら取り押さえようと試みる。
だが、ペッパは、それを許さない。
まるで獣のように暴れ回り、ヨーダが首元に手刀を叩き込んで意識を失わせても、その身体は止まらなかった。
――完全に操られている!
その異変に気づいたのか、騒ぎを聞きつけた騎士団が次々と駆けつけてくる。
「どうした!?」
「まさか……この子も操られているのか?」
「はい! 保護をお願いします! 僕の友達なんです。できれば、丁重に……!」
「分かった。この子は我々が引き受ける!」
「お前たちは街の防衛に戻れ!」
「おい、手を貸せ!」
騎士団員たちが連携し、暴れ続けるペッパを押さえ込み、近くの屋敷へと運んでいった。
すると今度は、裾野の方角から大きなどよめきが広がった。
「ウルバン様ッ!!!」
「おい! 誰か近衛を取り押さえろ!」
「ウルバン様がやられた! 後退だ! 中腹まで下がれ!」
まずい――近衛が操られてウルバンが襲われたのか!?
騎士や傭兵たちが安全に後退できるよう、俺たちも援護に回らなければ!
そう思い、裾野へと駆け出そうとした、その瞬間だった。
「お前たち! 後退は許さんッ!!!」
背後から、久しく聞いていなかった声が響き渡る。
「この地は、我がヘルマー伯爵家がヘロス国王より賜った大切な領地! ここで退けば、民の家々が蹂躙され、帝国を勢いづかせるだけだ! 街の中に、一兵たりとも帝国兵を侵入させるなッ!」
振り返ると、そこにいたのは――
以前と同じ装いの、ヘルマー伯爵だった。
全身を板金鎧で固め、白銀のサーコートには盾の紋章。
真紅のマントを翻し、腰には瓢箪瓶を提げ、馬上に威風堂々と佇んでいる。
ただ一点、以前と違うところがあった。
御寝所に置かれていた赤銅盾を、伯爵は左手にしっかりと握っていたのだ。
衰え、もはや持てないと聞いていた盾。
それを、今は持っている。
伯爵は俺を一瞥し、力強く言った。
「メナト……お前たちには、また苦労をかけることになるだろう。だが――頼むぞ!」
そう言い残し、伯爵は馬腹を蹴り、最前線へと駆けていく。
伯爵が合流したことで、前線の空気は一変した。
先ほどまでの悲壮感が嘘のように、兵たちの士気が一気に高揚する。
「伯爵を一人にするな!」
「後退はなしだ! 前進!」
本当は、引いて守る方が安全だ。
それは誰の目にも明らかだった。
だが、そうすれば裾野に暮らす住民たちの家々は蹂躙される。
それを良しとしないからこそ、ヘルマー伯爵は【護界ノ盾】を展開し、自ら前に出て帝国兵を押し返している。
これで前線は安泰――
そう言い切れないのが、今回の戦の恐ろしさだ。
マヌスがいる限り、味方はいつ操られるか分からない。
数秒前まで友軍だった者が、次の瞬間には敵になる。
一刻も早く見つけなければ……。
だが、ペッパがマヌスではないと判明した今、残る手がかりはパルブが言っていた隻眼の男くらいだ。
しかし、そんな人物はこの街にはいない。すでに調査済みだ。
誰だ……?
誰がマヌスなんだ?
どこに潜んでいる……?
焦燥に駆られながら周囲を見渡した、その時だった。
一つの……いや、二つの見覚えのある顔が、こちらへ近づいてくる。
以前ペッパと一緒にいた、右腕に包帯を巻き、手袋をした男。
そしてどこかで見た覚えのある女。
「おじさん?」
ステラが、男の方へと一歩踏み出そうとする。
だが、ペッパの件を経た今、男の異変は一目で分かった。
「ステラ、下がれ。二人も操られている」
そう確信できるほどの、異様な気配があった。
ただ、一つペッパと違うところが。
それは、包帯の男の顔が今にも泣き出しそうなほど、苦悶に歪んでいたことだった。
「……げろ」
男はそう小さく吐き捨てるように呟き、こちらへゆっくりと歩み寄ってくる。
言葉は途切れ途切れだが、必死に何かを伝えようとしていることだけは分かった。
「……逃げ……ろ」
逃げろ?
確かに、そう言った。
操られているはずの男が、俺たちに警告を?
ん? 操られれば自由に言葉も喋れない?
実際、さっきのペッパは一言も喋らなかった。
いや、待てよ!?
ある条件下じゃなきゃ喋れない……。
ある条件下じゃなければ、言葉を操れないだとしたら――
・ペッパが、普段は普通に喋っていたとき
・イヴァンが喋り、エヴァンが黙っていたとき
・そして、パルブが話していた「隻眼の男」が持っていたもの――
――人形。
ってことは……。
「ヨーダ! パルブ! この二人は操られている! 騎士団に保護してもらうように!」
操られている二人は、大人たちに任せる。
そして――
「ステラ! 僕と双子を――いや、人形を探してくれ!」
核心は、そこにある。




