第43話 決戦前日
三日後――
それは、偵察任務を行っていたときのことだった。
ホークがウィンとの視界を共有しながら叫ぶ。
「まずい……まずいぞ! 帝国兵が出陣した! それに……大きな台車で何かを運んでいる……! 布で覆われていてよく分からないが、かなりの重量だ。何十人もの兵がかりで台車を押している!」
エーテルポーションを飲みながらの索敵なので、酔いも回っていつもよりかは興奮している。
にしても、なんてタイミングだ。
いや、違う。帝国側は最初からこのつもりだったのだろう。
まずは紋章師パルブを使ってこちらの注意を引き、その隙にマヌスを街へ潜り込ませる。そして準備が整ったら合図を送り、侵攻を開始する。
数日前、俺たちが家に帰ったあとに夜空へ打ち上げられた火魔法。
一直線に空へ昇り、炎の残滓を残して消えたあの光は、きっと帝国領からも見えていたに違いない。
あれが、侵攻開始の合図だったのだ。
「数も……千は軽く超えている。さすがに籠城戦に持ち込まなければ厳しいだろうが……」
だが、街の中にはマヌスが潜んでいる。
籠城したところで疑心暗鬼が蔓延し、内部から崩れるのは時間の問題だろう。
「伯爵は、王様に援軍要請は出しているんでしょ!?」
思わず声を荒げる俺に、ホークが苦い表情で頷く。
「ああ……だが、王国騎士団の行軍速度は遅い。当然だが、兵数が多くなればなるほど兵糧の準備にも時間がかかる。それにそれだけの兵士を一時的にでも収容できる準備が必要だ。すぐには動けない」
「でも、籠城して耐えれば、王国騎士団が帝国軍を背後から挟撃してくれるんだよね!?」
「そうだな……耐えることができれば……の話だが」
守勢に回ると、どうしてもこうなるのか……。
本来であれば、敵を削りながら後退するのが理想だろう。
だが、ホークはエーテルポーションを飲みすぎており、酔いが回ってしまっている。
こちらの要であるホークがこの状態では、冷静な判断が下せない可能性もある。
そのため俺たちは、まず帝国に動きがあったことを伝えるべく、ヘルマー伯爵への報告を最優先とした。
――しかし。
ヘルマー伯爵邸で俺たちが通されたのは、いつもの執務室ではなく、御寝所だった。
部屋の中には、白衣を着た医師と思しき者が三人と、嫡子であるウルバン。
そして、ベッドに横たわり、目を閉じたままのヘルマー伯爵の姿があった。
「すまない。父上の容態が昨日から急激に悪化していて、予断を許さぬ状況だ」
俺たちが入室したことに気づいたウルバンが、うつむきながらそう告げる。
一見すると、伯爵は普段と変わらぬ穏やかな表情で眠っているようにも見えた。
だが、以前から伯爵を知るホークには、違って見えたようで――
「……かなり悪いようですね。この前の戦で、自慢の赤銅盾を持っていなかったので、そう感じていました」
父は、ベッド脇に置かれ、丁寧に手入れされた赤銅盾へ視線を落としながら呟く。この赤銅は手入れをしないと、紫黒色に変色してしまうので、俺の胸に輝く徽章も毎日のように磨いている。
「……もう、持つことすらできぬほど衰えてしまったのだ。体も、ずいぶん小さくなったのが分かるだろう? 昔は、左手に赤銅盾を構え、右手で【護界ノ盾】を唱え、先陣を切っていたものだがな」
今の俺からすれば、ヘルマー伯爵は十分に背の高い人物に見える。
だが、昔を知る者たちにとっては、小さくなってしまったのだろう。
「で? どうした? 用があって来たのだろう?」
「ウルバン様にお伝えしなければならないことがあります。場所を変えてもよろしいでしょうか」
病人に聞かせる内容ではない。
執務室へ場所を移し、帝国軍がジハルドを出発したことをホークが告げると、ウルバンは思わず頭を抱えた。
「クソッ――! マヌスは、ここまで読んでいたというのか!」
俺と同じ思いを吐き捨てるウルバン。
だが、今は怒りをぶつけている場合ではない。
「ウルバン様。ヘルマー伯爵が伏している今、指揮を執られるのは貴方様しかおりません。騎士団だけでなく、我々傭兵団への依頼についても、決裁を下す立場にあります。帝国軍の兵数と輸送物資の規模を考えれば、今日中にここへ到達することはないでしょう。残された時間は明日までです。何を為すべきか、騎士団長や近衛と十分に協議されることを、具申いたします」
さすが酔いの醒めたホーク。
ウルバンも父の言葉に耳を傾け、すぐに行動に移す。
「分かった。ではまずホーク、万全の状態で明日に備えてくれ。ラージャンの街には【曙光の鷹】のほかにも、もう一つ【血の十字旗】という傭兵団がある。魔剣士カイサを団長とした、信頼のおける連中だ。今すぐ招集するから待っていてくれ」
ウルバンはそう言うと従者を呼び、カイサのもとへ遣わした。
それから二十分ほどして、バンダナのような布を頭に巻き、腰に剣を提げた男が執務室へ入ってくる。
「ウルバン様。至急とのことで参りましたが……如何なされました?」
「カイサ。ジハルドから帝国兵が出撃したとの報告が入った。【血の十字旗】には、騎士団の指揮下に入り、主力として迎撃任務に当たってもらいたい」
「それは光栄なお言葉。謹んでお受けいたします……が、そこにいるのは、噂の【曙光の鷹】団長・ホーク殿ですか?」
そこでカイサは視線を横に走らせ、ホークを見る。
その視線は、一瞬睨みつけるようにも見えた。
ウルバンが頷くと、カイサはホークの前へ歩み寄り、右手を差し出す。
「噂は聞いている。次期オーロラ王国宮廷魔法師長官確実と言われるほどの実力なんだってな」
ホークはその手をしっかりと握り返した。
「……亡国だ。だが、このままで終わるつもりはない」
「……そうか。それで、もう一つ訊かせてくれ。その子供は何者だ? なぜこのような場所に子供がいる?」
カイサは俺へと視線を向ける。
睨むような視線だが、どうやら彼の癖らしい。
「ああ、息子のメナトだ。これでも【曙光の鷹】の火力担当だ」
ホークがそう答えると、今度はウルバンが口を挟む。
「……カイサ。メナトを子供と侮らない方がいい。お前も、パルブの変わりようを見ただろう? ああなったのは、すべてこのメナトの力だ。それに【血の十字旗】に卸しているエーテルポーション。あれを作ったのもメナトだ」
「な――っ!? こんな、まだ十にも満たない子供が……?」
驚愕するカイサを前に、ホークから提案を出す。
「カイサ。互いの実力を知らなければ、背中は預けられないだろう。少し、メナトの実力を見てほしい。今から時間はあるか?」
「ああ……ウルバン様とホークがそこまで言うのなら、実力は折り紙付きなのだろうが……それでも、俺自身の目で確かめてみたい」
「……分かった。ついて来い」
ウルバンはそう言うと、俺たちをヘルマー伯爵邸の広大な庭へと案内した。
その庭は、扇状に広がるラージャンの要衝、その最頂部に位置している。
庭の先は断崖絶壁となっており、この構造上、ラージャンを攻略するには必ず扇の裾野から攻め上がる必要がある。
つまり、背後から討たれるということはありえないのだ。
「カイサ。メナトに向けて魔法を放ってくれ」
ホークが即座に告げると、カイサは思わず目を見開いた。
「な……メナトに、魔法を?」
「ああ。何が起きても俺が責任を持つ。問題ない」
少しの逡巡の後、カイサは頷き、距離を取る。
右手を前に掲げ、詠唱を開始した。
『吹き荒べ、大気の刃。目に見えぬ槍と成り、敵を穿て――【風槍】!』
同時に、俺も詠唱を紡ぐ。
『我に埋みし黒き涙よ。光を飲み込む槍となりて、敵を穿て――【盲魔ノ毒槍】』
放たれた風の槍と毒の槍が正面から衝突する――
次の瞬間、毒の槍が風の槍を貫き、そのままカイサの脇を掠めて飛び去った。
「――っ!? も、紋章師……!? それに、なんだ今の魔法は……? 見たことがない……初めて見る術式だ……」
「そうだ。メナトは紋章師だ。だが、ただの紋章師ではない」
ホークは淡々と続ける。
「メナト、あの剣を出してくれ」
言われるままに【咎ノ剣】を顕現させると、
それを目にしたカイサは、反射的に一歩後ずさった。
「な、なんだ……その禍々しい剣は……それに、紋章の輝き……色が違う……?」
その疑問には答えず、ホークは再びカイサへ視線を向ける。
「もう一度だ。カイサ、魔法を放ってくれ」
即座にカイサが【風槍】を発動。
俺は【咎ノ剣】を一閃――
風の槍は、痕跡すら残さず霧散した。
「……マジか……信じられないことばかりだが……」
「カイサ、もう一度【風槍】を。メナト、今度は左手で頼む」
再び放たれた風槍を、今度は左手に集めた魔力――【魔纏】で真正面から受け止め、相殺する。
「……【魔纏】で、俺の魔法を……それほどまでの、魔力量ということか……」
まさに脱帽といった感じ。
が、カイサは禁句を口にしてしまう。
「凄いのは分かったが、どうやったらパルブがああなったのかが知りたい。俺も拷問に参加したが、まったく口を割らなかったのだが?」
「…………」
場に沈黙が落ちる。
「なぁ、教えてくれよ……気になるじゃないか?」
ここで誤魔化せば、明日の連携に影を落とすかもしれない。
そう判断し、俺は観念したように口を開いた。
「じ、じゃあやってみます? 痛くはないので……」
「おっ!? 見せてくれるのか?」
「え、ええ……と、言ってもこの剣に触れてもらうだけなのですが……でも、やめた方がいいと思いますけど……」
俺の言葉に、ホークが即座に補足する。
「カ、カイサ……自己責任で頼む。ただ、一つ忠告しておく。世の中には、知らなくてもいいことがある」
「いや、俺は何でも自分の目で確かめないと気が済まない性分でな。噂話に踊らされるのは御免だ」
そう言いながらも、先ほどまでの勢いは消え、カイサは明らかに警戒した様子で一歩近づくと、恐る恐る【咎ノ剣】に手を伸ばした。
そして――
「ぎゃああああああああああああああっ!!!」
凄まじい絶叫が庭に響き渡ったかと思うと、
カイサはそのまま白目を剥き、前のめりに倒れ込んだ。
……気を失ったらしい。
しん、と静まり返る庭。
ホークは深いため息をつき、ウルバンはこめかみを押さえる。
そして――
全員が、ゆっくりと俺の方を見た。
まるで、
「なぜ止めなかった」
とでも言いたげな、白い目で。




