第42話 ★誤算★
――危ないところだった。
そう独りごちて、マヌスは家で大きく息を吐いた。
「……まさか、嗅ぎつけてくるとはな……」
歯噛みするように呟く。
「他の街では、祟りだの幽霊だの、亡霊だのと騒がれるだけで終わっていた。俺様が操っていると見破られたことなど、一度もなかったというのに……」
苛立ちを抑えきれず、床を爪先で小さく蹴る。
「どうしてだ……? パルブたちは確実にヴェノムモリスを食ったはずだ。死人に口なし……俺様のことが漏れるはずがない」
そこまで考えて、マヌスは一瞬、言葉を切った。
「……それに……問題は、あの一家だ」
脳裏に浮かぶのは、四人の姿。
「ドロスの話では、ラージャンにいる紋章師はヘルマー伯爵だけだと言っていた。それなのに、なぜ【曙光の鷹】がいる?」
吐き捨てるように言う。
「上空を飛ぶ鷹……そして、俺様を何度も誘惑してくる美女。間違いない、ホークとアイシャだ。リバルティにいるはずの連中だろうが……」
思考は、次第に不穏な方向へと転がっていく。
「……まさか俺様は、ドロスに踊らされているのか? 何かの餌として、この街に送り込まれた……?」
そう考え始めると、胸の奥にじわりと不安が広がった。
「いや……いや、まだ決めつけるのは早い」
だが、すぐに別の顔が浮かぶ。
「一番厄介なのは……あのメナトとかいうガキだ」
忌々しそうに舌打ちする。
「なぜ、ガキの分際で俺様の【傀儡ノ律】が効かない? 紋章師様の魔法だぞ!? 何かの加護でも受けているというのか……? しかも……俺様の正体に、うっすら気づき始めている気配すらある。去り際のあの目……ただのガキの目じゃない」
マヌスは知らない。
メナトが、紋章師であるという事実を。
【傀儡の紋章】専用魔法――【傀儡ノ律】は、人を操ることはできる。
しかし、ホークのように視界を共有することもできなければ、
メナトのように記憶を辿ることもできない。
だからこそ。
丘から離れた場所にいたマヌスは、
丘の上で繰り広げられた戦いの真実を、何一つ見ていなかった。
先頭を駆けるメナトの魔法も、その異質さも、まったく理解していない。
ヘルマー伯爵に魔法師を突撃させることができたのは、遠目にもはっきりと分かる、伯爵専用とも言える魔法――【護界ノ盾】が見えたからに過ぎない。
そこに向かって、瀕死の魔法師を突撃させればいい。
別に、あのとき殺そうなどとは考えていない。
ただ、恐怖心を植え付けたかっただけだ。
これまでもそうやって恐怖を植え付け、他の街を攻め滅ぼしてきた。
今回も、いつも通りのことをしたに過ぎない。
マヌスは家の中で昏倒している者たちを見下ろし、苛立ちを滲ませながら呟く。
「クソッ……魔法で操っているとバレるはずがないと思っていたのに……今になって、こんなにも操ったことが裏目に出やがる」
歯噛みするように言葉を続ける。
「このまま傀儡を解除したら、こいつらは確実に俺様の正体をバラす……だが、ここで殺せば間違いなく、あのメナトのガキが俺様に目を向ける」
慎重に、そして苛立ちを隠しきれないまま、マヌスは視線を巡らせる。
そこに倒れているのは、四人。
まず、双子の兄弟――イヴァンとエヴァン。
そして、その母親であるメル。
最後の一人は、双子の父であり、先ほどまでマヌスと共に外を徘徊していた男――この家の本来の家主であるディノスだった。
ディノスの腕に残る火傷の痕は、先の丘の上の戦いで負ったものだった。
帝国魔法師の放った火魔法を、大盾で受け止めた際にできた傷である。
メナトやウルバンが「どこかで見たことがある」と感じたのも無理はない。
二人が丘に到着したとき、先陣を切って盾を構えていた夫婦――その男こそがディノスだったのだから。
そして、あのとき彼の隣にいたのは妻であるメル。
彼女の腕にも、同様に火傷の跡が残っていた。
マヌスは歯噛みしながら呟く。
「こうなったら……作戦を早めるしかないか」
一度、息を吐き、低い声で言葉を続ける。
「住民が蜂起し、その混乱の中で領主が死にゆく――そんな光景が見たかったのだが……仕方ない」
計画通りに進まぬ苛立ちを押し殺すように、小さな拳を握る。
「多少、段取りを前倒しにしてでも、まずは自分の身の安全を確保しなければ元も子もない――一刻も早く、作戦を実行し、『あれ』を持ってこないとな」
そう述べると、マヌスは外に出て、夜空に魔法を放つのであった。




