第41話 ペッパ
その夜――
「ねぇ、お父さん。この街に、夜だけ働いている人っているのかな?」
「そりゃあ、いるだろうな。騎士団は交代制だから夜勤もあるし」
なるほど。
そうなると、ペッパの父親が昼間に姿を見せないのも不自然ではない。
すると、リビングでくつろいでいたアイシャも会話に加わった。
「それにね、夜に働く綺麗なお姉さんがいるお店もあるわよ。そういう場所には、護衛として傭兵が付いていることも多いの」
へぇ……この街にも、いわゆる夜の歓楽街みたいな場所があるのか。
きっと、俺の行動範囲には縁のない区域なんだろうな。
「ってことは、ペッパのお父さんを僕たちが見かけなくても、不思議じゃないってことか」
「そうだな。夜働いている人間からすれば、逆に父さんや母さん、メナトやステラのことを知らなくてもおかしくはない……ただ、ここまで情報が出てこないとなると、やはり気にはなるな。眼帯をしているかどうかは別として、体格はパルブが言っていた特徴と一致しそうだし」
だよな……。
となると、次はやはりイヴァンとエヴァンに聞いてみるべきか。
そう思って、偵察任務や訓練の合間、時間ができるたびに空き地へ足を運ぶのだが、ペッパの姿はおろか、双子の姿すら見当たらない。
すっかり仲良くなった男の子三人組――アルバロ、ダニエル、ディエゴにも訊いてみるが、
「最近、全然来てないな」
と、三人とも首を振るばかりだった。
この間にも、さらに異常な行動を起こす者は増え、ラージャンの街には犯罪がはびこり始めた。 本当に操られているのか、それとも模倣犯なのか。
そこまで見極めなければならないとなれば、ラージャンを治める伯爵の心労は計り知れない。
早く、犯人を――マヌスを捕らえたい。
いつしか俺たちは、そればかりを願うようになっていた。
しかし、ここで最悪の事態が起こる。
騎士団に所属する魔法師が、深夜に歓楽街の客に襲いかかったのだ。
しかも一人ではない。三人同時だった。
幸いにも巡回中の騎士によって制止されたため、大事には至らなかったが……。
事態を重く見た伯爵は、再び俺たちを呼び出し、パルブを問い詰めた。
「話が違うぞ、パルブ! 魔法師は操られないのではなかったのか!? しかも三人同時だ!」
伯爵にしては、かなり強い語気だった。
「あ、操られにくいとしか言ってないだろ!? それに、その魔法師たちは操られたとき、ちゃんと【魔纏】を使っていたのか!?」
確かに、操られないとは言っていない。
「しかし、同時に三人も操られるなどとは聞いておらぬ!」
「そ、それは言い忘れていただけだ! 確か、最大で十人まで操れると聞いたことがある……ただし、そのうち五人は近距離限定で、しかも魔法師は操れない。つまり、魔法師を操れるのは、最大で五人までだ!」
今の話で、なんとなく予想がつく。
紋章を宿した右手で魔法師を五人、紋章を宿していない左手で魔法師以外を五人操れる。そんな仕組みなのかもしれない。指の数とも一致する。
「そ、それともう一つ、思い出したことがあった。マヌスの野郎、懐に顔に似つかわしくないものを忍ばせていた。少し膨らんでいたから気になって盗み見たんだ」
「で? そこには何が入っていたのだ?」
「へへっ……聞いて驚くなよ。人形だ――それも女の子のでかなり精巧に作られていた」
ドヤ顔で述べるパルブ。
しかし、伯爵は顔を真っ赤にして、怒鳴り声をあげた。
「馬鹿者! そんな情報はいらぬ! もっと使える情報を寄越せ!」
ただ、伯爵の言葉とは裏腹に、俺の中では一つの仮説が現実味を帯びていく。
「パルブさん。マヌスに子供はいませんでしたか? 僕より少し大きくて、いつも男の子の人形を抱えている子です」
「いや、そこまでは分からない……ただ、ジハルドに用意された屋敷に、子供が出入りしている様子はなかったと思うが……」
知らないのか……マヌスがペッパの父である線はあると思ったのだが……そのときだった。
反応したのは、伯爵の嫡子であるウルバンだった。
「男の子の人形を持つ少年? ああ、それなら昨日見たな……」
「どこでですかッ!?」
あまりの剣幕に、ウルバンは一歩後ずさる。
「ラージャンの中腹、東側だ。街の西側にあるメナトたちの家とは反対側にある歓楽街。夜、店の前に一人で立っている男の子がいたから声をかけたんだ。今は危ないから早く帰るようにと。すると、その子は親を待っていたらしく、ちょうど店から男が出てきてな。手をつないで、裾野の方へ帰っていった。そうか、その後だな。うちの魔法師たちが店から出た客を襲撃したのは……」
「どんな親でした!?」
「……背は高かったな。怪我をしているのか、包帯を巻いていた。見た目からすると、紋章師というより前線で体を張る傭兵のようだった……以前、どこかで見たことがある気もするのだが」
人は見た目で判断してはいけない。
この世界の誰もが、俺を紋章師だとは思わないように。
ただし、これはあくまで俺の憶測にすぎない。
俺が軽い気持ちで口を開き、もし無実だった場合、ペッパにとっては余計な疑いをかけられるだけで、迷惑極まりない。
最悪の場合、問答無用で牢獄に入れられ、聴取される可能性すらあるのだ。
だから迂闊には言えない。
そんな思いを抱きながら、騎士団の地下牢獄を後にした。
夕食後――
「ねぇ? ペッパがいたっていう店の近くに行ってみたいんだけど、ダメかな?」
洗い物を終え、アイシャが椅子に腰を下ろしたタイミングを見計らって切り出す。
「ペッパ君がいた店って……?」
アイシャの問いに答えたのはホークだった。
「東にある歓楽街だ。昨日、ウルバン様が見回りに行ったとき、そこでペッパと親らしき人を見たらしい」
「……うーん……じゃあ、お母さんと二人で行こうか?」
ただ、俺が行くところには必ず同行をせがむ者がいる。
「お兄ちゃんが行くんだったら私も行く!!!」
絶対に譲らないといった意志を見せるステラ。
まぁ予想はしていた。
「じゃあ、四人で行くか?」
「そうね……ステラ? ちょっと危ない所だから絶対にお父さんとお母さんの手を離しちゃダメよ?」
「うん! 私はお兄ちゃんと手を繋ぐから大丈夫!」
これには二人も苦笑い。
「じゃあ、メナト。お前が言い出したんだからステラを頼むな。それとウィンは休ませたいから、俺たちの身に危険が及ばない限りは呼ばないから、そのつもりで」
「そうだね。最近、ウィンは活躍しっぱなしだもんね。僕は常に【魔纏】を意識しておくよ」
皆が一つずつ魔晶灯を手にし、街の東側へと向かう。
篝火が数多く焚かれた街の中心部から離れるにつれ、篝火の数は減り、雰囲気は次第に妖しいものへと変わっていった。
もっとも、歓楽街といっても店がびっしり立ち並んでいるわけではない。
いくつかの店の軒先に綺麗なお姉さんたちが並び、その少し離れた場所で、傭兵と思しき男たちが遠巻きに様子をうかがっている。
「ねぇ? ここって何をするお店なの?」
と、ステラ。
「そうね……疲れた男の人たちを癒やしてくれるところかな?」
「へぇ……じゃあ、お父さんも行けばいいのに」
平然と爆弾を投げる妹。
「え? あ、いや……ほら、父さんは毎日母さんに癒やしてもらって……」
余計なことまで言わなくてもいいのにと思った瞬間だった。
「なんだ!? お前らッ!?」
「きゃぁぁぁあああ!!! 助けてぇぇぇえええ!!!」
悲鳴は、ここではなく街の高台――いわゆる貴族街の方向から聞こえてきた。
この場所から直接上がることはできない。一度、街の中心へ戻り、そこからでなければ貴族街へは行けない構造だ。
「行くぞ!」
ホークを先頭に、俺、ステラ、そしてアイシャと続く。
そして、ちょうど街の中心から貴族街へ登ろうとしたとき、
見覚えのある顔が下りてきた。
手に男の子の人形を抱えた少年――ペッパだ。
そのペッパが、男に連れられ、先ほど悲鳴が上がった方向から下りてきたのだ。
「ペッパ? ペッパじゃないか!? どうしてこんなところに!?」
少し興奮してしまったのかもしれない。
ペッパはびくりと肩を揺らし、わずかに身じろいだ。
「や、やぁ……メナト。久しぶりだね。ステラも……」
「うん! 久しぶり! ペッパは上の方で何をしていたの?」
ステラが問いかけると、ペッパは一瞬言葉に詰まり、連れている男の方を見る。
ホークとアイシャは、最初からその男を警戒するように視線を向けていた。
男の身長はホークとほぼ同じくらい。
ホークは百七十五ほどだから、パルブの語っていた人物像と一致する。
さらに、怪我をしているのか、右腕の袖口から手にかけて包帯が見え隠れしていた。
ウルバンが言っていた人物も、きっとこの男だろう。
そして、その右手には手袋がはめられている。
視線が男に集中していることを察したのか、ペッパが慌ててステラの質問に答えた。
「ぼ、僕はお父さんの付き添いだよ? お父さんは傭兵をやっているんだ。ね?」
ペッパが男を見上げると、男は小さくこくりと頷いた。
だが、その表情はどこか怯えているようにも見える。
正体を見抜かれるのを恐れているからか?
……って、あれ? この人……どこかで見たことある。
そんなことを思っていたときだった。
「傭兵をしているのであれば、今の悲鳴を聞いて、なぜ駆け付けなかったのですか?」
ホークが男に問いかける。
もっともな疑問だ。
しかし、男はすぐには答えない。
しばしの沈黙。
その空気を破ったのは、ステラだった。
「おじさん……怪我してる……私、サンセーラ製の回復薬持ってるから……手袋、外すね?」
ステラは背負っていたバッグから回復薬を取り出すと、男の手袋にそっと触れ、ゆっくりと外した。
その下に現れたのは、包帯で幾重にも巻かれた手。
ホークとアイシャは男の挙動を警戒するように見据え、
俺は、包帯を一層ずつ丁寧に解いていくステラの手元に意識を集中させる。
そして――
露わになった男の手の甲を見た瞬間。
「うわ……」
思わず、声が漏れた。
そこにあったのは、【傀儡の紋章】――ではない。
顔を背けたくなるほど生々しい、火傷の痕だった。
その損傷は手の甲だけでなく、腕の方まで及んでいるようで、包帯が肘近くまで巻かれていた理由にも納得がいく。
「おじさん……痛いと思うけど、少し我慢しててね。よくなるから」
ステラはそう声をかけながら、ローション状の回復薬を優しく塗り広げていく。
その慎重で、慈しむような仕草に、場の空気がわずかに和らいだ。
だが、俺は別のものに意識を向けていた。
ペッパの手の甲だ。
改めて注意深く見つめるが、そこには何もない。
紋章の兆候は、微塵も見当たらなかった。
――ペッパじゃない?
正直、俺はペッパが紋章師だと半ば思い込んでいた。
理由は単純だ。
初めて会ったとき、彼が口にした言葉。
『前からこんなにお目々ぱっちりのかわいい女の子』
あの一言に、どうしても引っかかりを覚えていたのだ。
ステラは、つい最近までずっと瞳を閉じていた。
以前を知る人物が、そんな表現をするはずがない。
空き地の子供たちが言っていたように、怖いや不気味のような言葉がくるだろう。
……だが、今の状況を見る限り、その推測は外れた。
完全に、振り出しだ。
そんな思いを胸に抱いたまま、ステラが回復薬を塗り終え、新しい布で男の手を丁寧に包み直すのを見届ける。
「ステラ、ありがとう! じゃあ、僕たちは帰るね!」
ペッパはそう言うと、俺たちの横をすり抜けるように歩き出した。
その瞬間――
夜闇の中で、彼の身体のどこかが、ほんの一瞬だけ光った気がした。
まるで、紋章が淡く発光するかのような輝き。
だが、昼間であればまず気づかないほど、あまりにも微弱な光。
当然のことながら、ペッパの手も、男の手も光ってはいない。
勘違い……か?
釈然としない違和感だけを胸に残したまま、
俺は二人が街の裾野へと下っていく後ろ姿を、黙って見送っていた。




