第39話 マヌスという男
「――おそらく、お前たちが祟りと呼んでいる現象は、すべてマヌスの仕業だ」
水を浴びせ、気絶していたパルブを無理やり覚醒させる。
彼は最初こそ反抗的な態度を取ったものの、【咎ノ剣】をわずかに触れさせただけで失禁し、以降は嘘のように従順になった。
「マヌス? それは何だ?」
ヘルマー伯爵の問いに、パルブは怯えながらも素直に答える。
「マルム帝国の子爵だよ。近いうちに伯爵に陞爵し、帝国軍第四軍団の軍団長になるって言われている……期待の人物さ」
マヌスとは人の名前だったのか。
「で、そのマヌスはどうやって祟りを起こしている?」
「祟りなんかじゃない……ただ、操っているだけだ」
「操っている、だと? 魔法でか?」
「当たり前だろ。紋章師にしかできない芸当だ」
「人を操る……そんなことが可能な紋章があるとは……なんという紋章だ?」
「……【傀儡の紋章】と呼ばれている。実際にあいつの紋章を見たことはない」
「男の見た目の特徴は?」
「……俺より少し背が高くて、声は低い。隻眼で眼帯をしているから、見ればすぐに分かるはずだ」
隻眼――そんな目立つ人物、この街で見かけただろうか?
「嘘じゃないですよね? もし嘘だったら――」
【咎ノ剣】をわずかに近づける。
「ひっ……! う、嘘じゃない! 本当だ! ……もう、その剣は……やめて……ください……お願いします」
その声音には、もはや抵抗の色はない。
どうやら、パルブの心は完全に折れてしまったようだった。
「では、どのくらいの距離まで人を操れるんですか?」
今度は俺から質問した。
「……相手次第だと聞いている。魔力を持たない人間であれば、数キロ先からでも操れるらしい。だが、魔法師となると難しくなり、【魔纏】を使えるのでなら、さらに距離は縮まり、操るのも難しくなる。紋章師に至っては……ほぼ不可能だ。ただあくまでも相手の魔力量次第。紋章師でも魔力が尽きれば操られる可能性はあると聞いた」
それなら、俺とホーク、アイシャは問題なさそうだ。
ヨーダも紋章を授かっているし、少ないながらも体内に魔力を巡らせることもできる。
気をつけるべきは……ステラだけか。
「眼帯は偽装の可能性もあります。念のため、身長が百七十以上で見慣れない男を重点的に探しましょう」
「うむ、確かにその通りだな。パルブ、お前にも協力してもらうぞ?」
「な、なんで俺が――」
そう言いかけた瞬間、
「ひぃぃぃいいいッ!!」
【咎ノ剣】を軽く振ると、剣から滴った血がパルブにかかり、彼は危うく再び失神しかけるのであった。
「他に何か知っていることはありませんか?」
剣をちらつかせて問いかけると、パルブは慌てて口を開いた。
「も、もうすぐ第二陣の準備が整う頃だ! 次が本命だ! 紋章師はいないが、かなりの人数を揃えて攻めてくるはずだ! それ以上は本当に知らない! 本当だ!」
有益な情報が得られた。
伯爵とウルバンも視線を交わし、小さく頷き合っている。
これは、いい仕事をしたと言っていいのだろうか。
そう思い、牢獄を後にしようとしたところで、伯爵に呼び止められた。
「二人とも、もう少し時間をくれ」
再び伯爵の執務室へと通される。
「騎士団と他の傭兵団を動員し、人海戦術を取る。お前たちは、これまで通り帝国の監視を頼む」
「大丈夫ですか? 相手は紋章師ですよ?」
「人海戦術で正体を掴み、状況次第では、再びお前たちの力を借りることになるかもしれぬ。だがラージャンは騎士団が守っている、という事実を住民に示したいのだ」
なるほど。
俺たちが前面に出すぎるのも、確かに問題になる。
「帝国の数は多いと言っていたな。今回は偵察だけでよい。とにかく、ジハルドから出陣するタイミングさえ掴めれば十分だ」
となれば、ウィンを使役できるホークが最適任、というわけだ。
「承知しました。では明日から偵察任務をさせていただきます。どのくらいのスパンでやりますか?」
「できれば隔日で頼みたい……できるか?」
「……仰せのままに」
「頼む。報酬は弾むから、しっかり頼んだぞ」
伯爵に見送られ、俺とホークは執務室を後にする。
その直後、閉じた扉の向こうから、何度も激しく咳き込む音が聞こえてきた。
死期が近い者の咳。
やはり伯爵は、俺たちの前では……いや、誰の前でも、決して弱った姿を見せないのだろう。
俺とホークは、その音が聞こえなかったふりをして、静かに伯爵邸を後にした。




